第七章)混沌の時代 狂敵
▪️古の民⑧
赤の瞳と血の涙だけが色付く死の世界で、白の少女が宙に浮かぶ。
その姿は、神に召される使徒のように美しく、左右に傅く二体の骸骨が、その両手を支えているようにも見える。
だが真実は異なる。
囚われの少女が深い慟哭の中、両親だという骸骨に両手を囚われているのだ。
「これは……」
思わず絶句する。
その光景の美しさにではない。
周囲を満たす、圧倒的な魔力の濃度にだ。
ベッタリと肌にへばりつく、物理的な濃度を持った魔力。
しかし、その魔力に生命の脈動は伴わない。
瘴気とも呼ぶべき死の魔力に当てられ、周りの木々や骸に仮初の意思が宿る。
死霊樹、禍神。
偽魔狼の骸骨兵、 甲殻猪の腐乱人形。
死者は起き上がり生者を求め、群れというより波となって持ち上がる。
「死者ノ嘆キニ飲マレヨ」
その言葉は、確かに先程絶叫をあげた少女のものだった。
たが、感情のこもらない無機質な話し方は、先程の骸骨のものと一致する。
白の少女は苦悶の表情のまま、嘆き、悲しみ、声にならない叫びをあげる。
しかし、その声が外に現れることは無い。
代わりに語られるのは、魂のない伽藍堂の言葉。
もはやその身体は、両親の骸に乗っ取られてしまっていた。
──シャッ
白の少女の腕が払われる。
その動きに合わせ、死骸の波が形を変え、こちらへと押し寄せる。
「リリィロッシュ、前方に障壁を全力展開。後方は僕が! メイシャは広範囲浄化。ラケインは大物を砕いて!」
障壁を展開しながら叫ぶ。
「ゴボァァァっ!」
死骸達の声ならぬ声が響く。
──ズシリ
圧倒的な物量を持った波が、障壁にぶつかる。
白骨が、腐肉が、枯れ枝が押し寄せるが、リリィロッシュの障壁に打ち付けられる。
「くぅ!」
魔法戦において圧倒的な出力を誇るリリィロッシュだが、それでもその衝撃は凄まじく、魔法によって固定されたはずの障壁が、十数cmほども押し込まれた。
障壁にぶつかった波は砕け、ただの死骸へと戻っていくが、次々と押し寄せる波の前では関係ない。
波も死骸も一緒くたになって僕達を飲み込もうとする。
それだけで猛攻は収まらない。
リリィロッシュの障壁に弾かれた波は、上から左右からと回り込む。
「うぅっ、」
突進からなる前方の衝撃ほどではないが、それでも圧倒的な物量の前に僕の障壁にヒビが入る。
僕の魔法は、高位魔族であるリリィロッシュよりも出力で劣る。
だが、その代わりに魔王として培った、魔法構築の速度と術式を堅固に組み上げる精神力がある。
バリンっ、と高い音を出して障壁が破られる。
だが、その瞬間にはもう次の障壁が用意されている。
出力で劣るのならば、最小限の硬さを持たせた障壁を次々と生み出せばいい。
しかし、それでも足りない。
障壁は徐々にではあるが押し込まれる。
これがただの波ならばこんなことは無い。
この地に満たされた高濃度の瘴気によって、無尽蔵に生み出される死骸の波は、一過性の薄い波ではないのだ。
延々と続く高威力の怒涛。
大規模な地殻変動、すなわち、地震であったり、かつて『神』がこの地に大陸を作った時に発生したりしたという、あらゆるものを無慈悲に押し流し飲み込む災害。
内陸地だった地元や魔王城では見たことは無かったが、知識として知っている。
これは、津波だ。
「メイシャ、まだか!」
蒼輝で障壁をすり抜けた大型の骸骨兵を砕きながらラケインが叫ぶ。
たかだか十数秒。
その間に障壁はどんどんと押し込まれ、ラケインが武器を振るうだけのスペースが確保出来なくなりつつある。
「もう少し……。よし、行けます! 三つで障壁を解除してください! 三、ニ、一っ……今です!」
魔法同士による干渉を避けるため、障壁を解除する。
押し寄せる死骸の津波。
障壁が消えると同時に、腐肉と白骨の壁が眼前にまで迫る。
「浄化魔法・闇を祓いし神域っ!」
メイシャの浄化魔法が発動する。
それは、神に愛された孤高の王が訪れたという伝説を模した神域。
穢れを祓う絶対領域だ。
「グガッ……ガッ」
死骸の津波は動きを止め、ただの壁となる。
だが、それは同時にその崩壊を意味する。
障壁によって上へと押しやられた死肉の壁、いや今や天井が崩れ落ちる。
「烈風系魔法・嵐風障壁!」
降りかかる肉片を吹き飛ばす。
それをもう一度。
今度は後方に放って退路を確保する。
なぜなら、
「浄化ノ魔法カ。無駄ナコトヲ」
白の少女の言葉通り、死の林の外縁部とは状況が違う。
瘴気の大元がこの目の前にあるのだ。
「ギ、グゴァァ……」
屍が再びゆるゆると動き出す。
先程よりも随分と動きは悪いが、それも時間の問題だろう。
「退却だな」
瞬時に判断する。
これは、相手が悪いと言うだけではない。
こちらの準備不足だ。
ここで引き際を間違えば、僕達の全滅だけでは話がすまない。
「先輩っ!」
メイシャが強い否定の視線を送る。
気持ちはわかる。
自分と同じ吸血族の少女が、その呪われた運命により苦しんでいる。
それは、自分自身であったかもしれない姿だった。
だが、その願いは聞くことが出来ない。
「ダメだ、メイシャ。気持ちはわかるが、一度体勢を立て直す。これは撤退じゃない。仕切り直しだ。彼女は、必ず助ける。だから、こんなところで僕達は倒れちゃダメなんだ」
魔力弾を放ち牽制しながら後ずさる。
「……わかり、ました」
泣きそうな顔でメイシャが呟く。
しかし、
「逃ガスト、オモウカ?」
白の少女がすっと右手を差し出す。
その動きに合わせ、禍神が行く手を遮る。
樹高20メートル近い巨木が鋭い槍枝を伸ばす。
「邪魔を! するなぁーっ!」
メイシャが振るう銀賢星が、巨木を根元から吹き飛ばす。
「絶対! 絶対助けに来るから! そんな骨なんかに負けないで! 絶対に来るからね!」
メイシャの叫びを合図に、魔法で煙幕を作り撤退した。
命からがら死の林の圏外まで逃げ延び、待機場所にいたカーレンと合流して屋敷へと戻る。
足取りは重い。
思えば、駆け出しの頃は何度か依頼の失敗もあった。
だが、明確に負けたと思ったのは、今回が初めてのことだ。
敗戦。
これほどに口に苦いものなのか。
魔王時代で敗戦といえば、勇者と戦ったあの最終決戦くらいなものだ。
その時には死んでしまったので、こんな口惜しさは感じることもなかった。
それにあの時は、自分の認めた相手からの敗北であり、晴れ晴れとした心持ちだった。
今は違う。
腹の底に、ドス黒く重たいものを感じる。
膝に鎖が生える。
肩が鉛になる。
僕達は、重い足取りで林を後にした。
屋敷に戻り、応接間を借りて作戦会議を開く。
依頼主として、カーレンとカリユス氏も同席している。
「さて、これからどうしようか」
重い空気を払うように、ことさら明るく切り出す。
「先輩!」
ばんっと机を叩いてメイシャが立ち上がる。
メイシャにとって今回の依頼は他人事ではない。
どうするか。
その選択の中には当然、依頼の放棄も含まれているのだが、メイシャにはとても受け入れられるものではない。
「メイシャ、落ち着いて。僕達のエゴで《砂漠の鼠》や《永遠なる眠り》に迷惑をかける訳には行かない」
「……はい」
メイシャを落ち着かせてから改めて仕切り直す。
「カリユスさん、意図しないところではありましたが、今回の相手は僕達にとって因縁のある相手です。逃げ戻ってきた身として恐縮なんですが、この依頼、引き続き任せてもらえますか?」
カリユス氏に伺いを立てる。
メイシャが激昴するまでもなく、あの白の少女が流した血の涙を見せられては、僕だってそのままにはして置けない。
最悪、依頼としては返却して、僕達だけでも改めて死の林へ入るつもりでいた。
しかし、僕達の思惑はともかく、現時点での主導は《永遠なる眠り》なのだ。
まずは、カリユス氏の判断が絶対となる。
「そうですね……」
カリユス氏が腹の肉を揺らしながら、どこにあるか分からない顎に手をやる。
「《反逆者》の皆さん以上の適任など、そうはいないでしょうし、僕としてはこのまま皆さんにお願いしたい。けれど、僕もしがない研究員の1人ですからね。上に報告しないわけにはいかない」
カリユス氏の言い分ももっともだ。
任務に失敗した冒険者などに慮る必要など全くないのだから。
「二日、いや三日待ちましょう。そのくらいなら僕の報告が遅いのはいつもの事です。ですが、それ以上はギルドに報告を上げざるをえない。……恐らくは、この林を放棄。ギルド所属の魔法使いで焼却処分となるでしょう」
カリユス氏の回答は意外なものだった。
パートナーであるカーレンの顔を立てたのかもしれない。
それでも、一度は敗れた僕達を、自身の立場を危うくしてまで信じてくれたのだ。
「充分です。ありがとうございます」
しかし、もはや猶予はない。
この林は、薬剤の原料となる植物を確保するための管理地ではあるが、ここでなければ採取できないという植物は生えていない。
つまり、Aランクの冒険者を追い払うような化け物を駆除してまで守るものでは無いのだ。
林の放棄。
当然、カリユス氏やカーレンにとってもいい話であるわけがない。
だが、何よりもの、あの白い少女を見捨てるということになる。
もはや、失敗は許されない。
「よし、ならやることは一つだけだね」
《反逆者》のメンバーは、すぐさまに行動に移った。
それから二日、準備に費やした。
武器を整備し、防具を直し、回復用の薬も補充した。
《永遠なる眠り》のメンバーに依頼し、広大な林の全域に魔石を配置、巨大な結界を張った。
これで万が一、相手が暴走を始めても、この林から外に出ることはない。
そして同時に、僕達が再び敗北した際には、この結界がそのまま、この林を燃やし尽くす起爆剤となるのだ。
「こいつも間に合ってよかった」
大きな木箱からラケインが取り出したのは、両刃の大剣。
その刀身には、美しい木目紋が映り込み、その刃はヒヤリとした冷たい輝きを放つ。
レイドロスから送られた大剣の整備が完了したのだ。
「うん、よく手に馴染む。流石は《迷宮》です」
リリィロッシュもまた、黒塗りの曲刀を手に取る。
それは、刀身も鍔も柄も全て一体となった、ひと目には流木を削り出したかのように見える。
僕とメイシャも、それぞれに新しくなった装備を手に取った。
実のところ、前回の戦いでは、こちらは万全の体制とは言い難い状態だった。
言い訳にする訳では無いが、ラケインの万物喰らいは、すでにヒビが芯にまで達し、大規模な修繕が必要な状態だった。
リリィロッシュにしても、メインやペルシに武器を預けて以来、魔法の修練をするつもりで録な武器を持っていなかった。
そこに今回の依頼が来た。
本来なら、ここリバスケイルに来る前に受け取っているはずだったが、《迷宮》で納得のいく出来ではないと引き渡してくれなかったのだ。
結果、こちらに被害が出ているわけだから、頑固な職人意識も勘弁して欲しいものではあったが、万全な状態でないのを分かっていて依頼を強行したこちらにも非がある。
ともかく、今回の敗戦を《砂漠の鼠》のルコラさんに伝え、無理を言ってこちらに送って貰ったのだ。
「さぁ、やれることは全部やったね。さぁ、リベンジしに行こう!」
その頃、死の林の深部で。
「ふむ、ようやく馴染んできたか。手こずらせおって」
赤く光る六つの瞳が、闇の中に浮かんでいた。