第六章)立ちはだかる壁 vs“風賢聖”エアロネ
■vsフラウ=クリムゾンローズ⑪
「どうしても、というのであれば、この風賢聖・エアロネが、お相手します」
そう言った少女は、一組の双剣を手に取った。
ただの足止めではなく、殺す許可まであるという。
自分以外にもこのような刺客が来ているのだとすれば、茶など飲んではいられない。
流行る心を鎮め、ラケインは、改めてその少女を見る。
顔つきを見るに、歳はようやく二桁になったかというところか。
少女の小柄な体格をみると、さらに幼く感じられる。
だが、見た目通りの実力ではないことは明らかだ。
ただ立っている。
それなのに全く隙が見当たらない。
少女の持つ刀をみる。
片刃の直刀。
一般的なサイズではあるが、小柄な少女からすれば長大なものと言っていい。
そもそも、双剣使いには一定のパワーが求められる。
護剣のように、片方を防御専門のナイフにするのであれば別だが、剣とはつまり鉄の棒である。
本来は男であっても両手で扱うのが基本となる。
それを、この小柄な少女が片手に一振りずつ持っているのだ。
無論、手に持つことと、使えるということは同じではないが、かの魔導師の配下と考えれば、そのような期待は無駄というものだろう。
しかも、今も吹き荒れる巨大な竜巻を思えば、彼女の本質は魔法使い。
つまり、アロウと同じく、高位の魔法剣士なのだろう。
純粋な剣の腕だけではなく高度な魔法を使いこなす魔法剣士。
見た目の幼さに惑わされるべきではない強敵だ。
「ラケイン=ボルガットだ。推して参る!」
相手の名乗りに答える。
ラケインは、静かに万物喰らいを手に取った。
本来、大剣での戦闘は、対人戦に向かない。
巨大な武器は、威力は大きくともその分小回りが利かず、大型の魔物相手には有効でも、対人となれば隙を突かれることが多い。
だが、それは一般的な話だ。
ラケインの剣術は、大振り狙いの一般的なそれとは異なる。
魔族の中でも最強の剣術使いが仕込んだ剣技は、そんな大雑把なものではない。
ラケインの剣技は、あくまで通常の剣術の延長にある。
並のサイズの剣では軽いから大剣を使う。
それだけである。
だからこそ、ラケインの剣に大振りなどはありえない。
自由自在に振れるからこその大剣なのだ。
しかし、物理的な弱点は否めない。
つまり、間合いだ。
大振りこそないものの、それでも大剣の間合いは大きく、それより近距離での戦闘には遅れを取ってしまう。
そこで手に入れたのが蒼輝だ。
護拳の両端に槍型の刃物を付けた、攻防一体の武器。
ある時は攻撃を弾き、ある時は攻撃をいなす。
蒼輝を構え直す。
万物喰らいを突き出し、右半身に構える。
やもすれば、貴族達の好む突剣術にも似た構えだ。
基本的には盾である蒼輝を前に出さず、攻撃の要である万物喰らいを前に構える。
それは、全ての動作は攻撃から始まると考えた、“魔剣”の教えによるものだった。
「隙のない、美しい構えですね」
そう言うと少女は、あろう事か右手を前に半身で構えをとった。
やや下方に突き出した右手。
右半身は剣に隠れ、攻撃の構えであると同時に鉄壁の防御を誇る。
左手を胸の位置に取り、いつでも攻守を入れ替えれる体制だ。
間違いなく、自分と同じ構え。
一瞬、カッとなる。
未だ父の高みには到れなくとも、人生の殆どを剣にかけてきた。
その剣技を猿真似されたのだ。
だが、その怒りもすぐに冷めることになる。
美しいのだ。
決して見よう見まねの真似事ではない。
その姿には、長い年月を思わせる完成度があった。
「エアロネ、だったな。その構え、どこで身につけた」
ラケインがそう尋ねたのは無理もない。
ラケインの、そして、いまこの少女がとった構えは、“魔剣”と呼ばれた男が生み出した、究極の剣の一つ。
この使い手は、自分と、兄弟子とも言えるかつての魔王、ただ二人だけのはずだ。
しかし、その答えは意外なものだった。
「いえ、今初めて見たんです。あまりの素晴らしさに、失礼ながら拝借しました」
少しはにかみながら、エアロネが放った言葉に驚愕した。
見よう見まねで到達できる領域ではない。
そう考えを改めた途端に、本人から真似事だと聞かされる。
物心がついて以来、十五年もの月日をかけた、自らの剣を、この数秒で真似られたのだ。
「見てすぐに真似られるほどの修練をしてきたつもりは無いんだがな」
普段、感情を表に出さないラケインだが、流石に悔しさに顔が歪む。
「だが、剣の本質は構えだけではない。その真似事、どれほどのものか見せてみろ!」
ラケインが吠える。
つい先程までは、幼い見かけに邪魔をされて戦う気持ちが薄かった。
だが、今は違う。
自分自身とも言える剣を真似された怨敵である。
殺意こそないが、十分な闘志をもってエアロネに斬り掛かる。
右足を僅かに浮かし、左足を踏み込む。
ゆらりと垂らした剣先からの鋭い突き。
剣を知る者からすれば見え見えの誘い。
当然、エアロネもその突きが囮であることを見破る。
僅かに体を逸らし、ラケインの大剣の内側へと滑り込む。
本来であれば、重量級武器である大剣は、攻撃を放った後は無防備となり、その間合いの中に入られた時点で負けが確定する。
だが、ラケインのこの構えは、左手に蒼輝がある。
間合いのうちに入った獲物を、短槍で刈り取るのだ。
蒼輝による上方からの突き。
だが、エアロネの構えもまた、攻防一体の二刀流。
蒼輝の突きを、その体格に見合わぬ力をもって右剣で弾く。
双槍の蒼輝と違い、逆手に持った左剣では突くことができない。
だが、逆手故に、順手の剣よりさらに短い間合いでの取り回しが可能なのだ。
万物喰らいを持ち伸びた右手。
蒼輝の左手は弾かれ、さらに内側の間合いから刃が迫る。
「う、うぉぉっ!」
間一髪。
同じ構えだからこそ予見できたこの状況。
蒼輝の突きを放つ際に、左半身へと体を捻ると同時に、突きで伸ばした右手を引き寄せ、柄での打撃に成功した。
「くっ、」
エアロネもまた、本来は防御用である逆手の左剣で、柄からの打撃を防ぐ。
体重差故に大きく距離を取るが、そもそもが無理な体勢からの一撃。
ダメージなど全くない。
数秒に満たぬ一連のやりとりで、ラケインは確信する。
エアロネは、この構えを完全に使いこなしている。
言葉を交わした回数も僅かだが、虚言を使う性格には見えない。
だとすれば、構えをとったわずか数秒で、自分の剣を会得したというのか。
天才。
その言葉が頭に浮かぶ。
膝から、指先から力が抜けていくのがわかる。
この数秒で自分の剣を盗まれたのだ。
このまま戦ったとしても、成長の速度が桁違いな以上、自分に勝ち目はない。
まして、彼女本来の技は別にある上、魔法という切り札さえ使っていないのだ。
心が、折れかかる。
だが、エアロネから次にかけられた言葉が、それを許さなかった。
「あのう、もうやめません? あなたの剣は素晴らしかった。このまま強くなれば最強の剣士さえ目指せるでしょう。……それに、私、争いごとは苦手なんですよ」
剣を握る。
ラケインの体から、闘気が立ち上る。
それは、殺気ではない。
怒気。
ラケインは、本気で怒っていた。
「エアロネ。お前の技は確かに凄まじい。魔法を使うまでもなく、純粋な剣の腕でも負け、俺に勝ち目はないだろう。……だが、お前はやってはいけない事をした」
エアロネは狼狽する。
なにか口を開こうとするが、それをラケインは許さない。
「お前に悪気はないのは分かる。お前の心根が善であることも。だが、剣士に向かって哀れみをかけた、その一点をもって、許すことは出来ない」
「まっ、待って下さい。私は……」
慌てて弁明しようとするが、ラケインは取り合わず剣を突きつける。
「エアロネ。勝敗は問うところではない。無論、勝つつもりで挑むが、ここに至っては俺の剣、受けずにおく選択はないぞ。真に俺に詫びるつもりなら、手を抜かず立ち会え!」
エアロネは、理解した。
自分の迂闊な一言が、どれほどこの剣士を傷つけてしまったのか。
自分の能力が、どれほどこの剣士の誇りを踏みにじったのかを。
「分かりました。せめて私の全力を貴方の剣で向かい打つ事で誠意を見せましょう。謝罪はその後です」
そう言って、エアロネは剣を握り直す。
右の剣は順手、左の剣は逆手。
右半身を前に剣の影に体を入れる。
「これは俺の勝手な意地だ。詫びるのならばこちらの方だな」
ラケインもまた、剣を握る。
万物喰らいを前に、半身となって蒼輝を高く構える。
握る武器こそ違えど、その姿は全くの同一だった。
凛、と空気が澄みきる。
周囲は巨大な竜巻に覆われ風が轟々と鳴る。
だが、全ての感覚を相手に向けたこの二人の耳には、それが聞こえない。
剣の結界。
達人と呼べるレベルの者同士が対峙した際に起こる現象である。
「うぉぉぉっ!」
ラケインの裂帛の叫び。
ラケインの先制。
左足で強く踏み込む。
先程の突きとは違い、万物喰らいをやや下方に寝かせ、エアロネに近づく。
薙ぎ払い。
大剣による横薙ぎの攻撃は、エアロネの持つ刀では防ぎきれない。
必然、その行動は回避か受け流しの二択となる。
「はぁあっ!」
エアロネは、逆手に持った左剣での受け流しを選んだ。
体を右向きに巻き込むように回転させ、後方にあった左剣を突き出す。
同時に下から上へとかち上げるようにして、ラケインの万物喰らいをすくい上げる。
払われた大剣、目の前には敵。
ラケインは、左の蒼輝で追撃を計る。
うち払った大剣、目の前には敵。
エアロネは、回転した勢いのまま、右の刀で薙ぎ払う。
交わる短槍と剣。
さらに三撃目を入れるため、エアロネは準備に入る。
既に初撃で打ち上げた左剣は、いつでも振るえるように中段に構えられている。
しかし、
「うぉぉあぁぁっ!」
ラケインの雄叫び。
相殺したはずの二撃目。
蒼輝での突きは、まだ勢いを失っていなかった。
押し込む。
既に次の動きへ移った一撃と、押し切るという覚悟を決めた一撃。
技量が同等故に、その結果は既に確定した。
エアロネの剣は、槍部分から護拳部分へと滑り、遂には弾き飛ばされる。
そのまま護拳部分でエアロネを殴り飛ばし、万物喰らいを振り下ろす。
「……俺の、勝ちだ」
死を覚悟し、ぎゅっと閉じられたまぶたを開くと、ラケインの大剣は、目の前で止まっていた。
「すごい……」
エアロネは、剣を手放し、ラケインを見つめる。
ラケインは剣を収め、倒れたエアロネに手を差し伸べる。
「剣士にとって哀れみは侮辱だ。だが、それだけの事で殺し合うこともない」
そう言って、エアロネを立たせる。
「……ん?」
ラケインは、首を傾げる。
起き上がったはずのエアロネが、そのまま手を離さないのだ。
「……どうした?」
ラケインが尋ねる。
だが、その答えは突拍子もないものだった。
「私、ラケイン様と結婚します!」
「なにっ!?」
ラケインは困惑する。
なんだ?
何が起こった?
「私はラケイン様のお心を傷つけてしまいました。この償いは一生をかけて返させてもらいます!」
何の間違いが起こったのか、エアロネは目をキラキラとさせてラケインの腕にしがみつく。
「……離してくれ」
「うふ。ラケイン様と結婚できるまでこの腕は離しませんわ」
何やら周りの風景が溶けるように変化し、異空間から脱出出来たようだが、今度はこの少女の束縛から脱出しなければならなくなった事に、ラケインは頭を痛めるのだった。




