第六章)立ちはだかる壁 船上の暗雲
■帝都デル②
夜が明け、大型渡河船〈ライアライタ〉に乗り込む。
夜のうちは、清掃や点検のため閉じられていた舟頭が再び開かれ、キャラバンの魔蜥蜴馬車が入っていく。
元々軍船だった船体には、小さな覗き窓しかあいていない。
今は換気のために開け放たれているが、採光に充分とは思えず、中は薄暗いのではないか、と思ったが、意外にも内部は明るい。
窓と窓の間や天井に張り巡らせてある管が発光している。
大きな教会などでたまに見ることがある、光水晶だ。
正確には、ライトクリスタル自体が発光している訳ではない。
この白濁した水晶には、一端から吸収した光を、多方面に放出させる作用がある。
この舟では、甲板に水晶の一部を出して日光を取り込み、内部に光を送っている様だ。
夜の間は運航しない貨物船だからこそできる仕組みだが、軍艦時代にももしかしたらあったのかもしれない。
油か魔石か分からないが、照明用の資材の節約には実に便利だと思う。
「ベリル、大人しくしてるんだぞ」
ラケインが僕達の魔蜥蜴を撫でて固定の鎖に繋ぐ。
グルル、と喉を鳴らすが、実に落ち着いたものだ。
首元を固めのブラシで擦ってやると、目を細めて首を下げる。
硬い鱗の上からなのだが、どうやらここが一番気持ちがいいらしい。
昨晩、《黄金の星》のステンから買った、砂漠獅子のたてがみで作ったブラシもお気に召したようだ。
というか、そうか。
うちの魔蜥蜴はそんな名前だったのか。
魔蜥蜴の世話は、当番制とはいえ主にラケインがしていたが、ラケインがそう呼んでいたことを、今初めて知った。
僕達の魔蜥蜴、いやベリルは、表皮こそ砂岩のような鱗に覆われた灰褐色だが、その目は淡く澄んだ、美しい緑に輝いている。
緑柱石とは、いい名前だな。
僕も秘かに葉と名をつけていたけど、今後は、ベリルと呼んでみよう。
ベリルの世話をするため一階に残ったラケイン、メイシャと別れ、僕達は二階へと上がる。
船倉でもある一階と比べ、半分ほどのスペースになっており、手すりから下を覗き込むと、ラケインがベリルに餌をやっているのが見えた。
今日は見当たらないが、一階部分だけでは収まらないような背の高い荷物や、大型の馬車のために吹き抜けのスペースとなっているらしい。
二階は休憩用のスペースとは言うものの、半日の航路を往復するだけの船なので、設備的なものは何も無い。
いくつかの長椅子が置かれているが、殆どの人は、思い思いに床にスペースを見つけ、そのまま座り込んでいる。
僕達も手荷物でスペースを確保し、腰を下ろす。
──ゴゴン
暫くすると、船が動き出したのを感じる。
下を覗くと、舟の中央部付近で大きな樽が回転している。
中にいるのは大型種の魔蜥蜴だ。
魔蜥蜴が樽を回転させ、技師が巧みに歯車を調整させることで、回転と作動力のバランスをとっている。
樽から伝わった力は、いくつかの歯車やベルトを介して舟の外部、大型の外輪に伝播する。
単純な仕組みのようで、外輪が止まっている作動初期に必要なパワー、船が進み出したあとのスピード、川の流れを計算した左右のパワー比などを、全て歯車の比率だけで操っている。
さらに、歯車を切り替える際に必要なギアの遊びも高度な技術が使われているようだ。
機械作動に詳しくない僕から見ても、その技術力の高さは驚愕の代物だ。
恐らくこの技術は、ドワーフ族の手によるものだろう。
彼らの技術力は、他種族のそれより遥か先をいっている。
それは、魔族をしても変わらない。
他種族の数倍もの寿命と圧倒的な力を持つ魔族だが、文化というものを蔑ろにしてきた。
無論、『神』との戦いのために、文化を育てる余裕がなかったということもある。
それでも人間族とて、その歴史は魔族の侵攻と共にあったと言って過言ではない。
だと言うのに、人間は特異な発想力を、岩小人は技術力を、風耳長は魔法学を発展させてきた。
獣人やそのほかの少数種も、それぞれに独自の文化を持っている。
魔王として人間を知るたびに、そして人間となって実際に生活をしていく度に思う。
早く、この無意味な争いを終えねば、と。
そして、魔族たちにも文化を、生きる喜びを知ってもらいたいと。
ふと横を見ると、リリィロッシュが僕の顔を見つめている。
この思いは誰にも語ったことは無い。
もちろんリリィロッシュにもだ。
だが、彼女は気づいているのかもしれない。
そうでなかったとしても、僕と同じ思いを持ってくれているのかもしれない。
彼女も、旧魔王軍が壊滅して以来、人間の中で暮らしてきたのだ。
「リリィロッシュ、上に上がらない?」
何も語らない。
リリィロッシュも何も聞かない。
それでも、気持ちは通じている。
そんな気がした。
「はい、お供いたします」
その時までは。
「んー、気持ちいいね」
甲板で思い切り背伸びをする。
既に東岸の町は遠く離れ、西岸の町がうっすらと見えてきている。
遮るもののない河の上では、ときおり強い風が吹く。
下流の方から吹き付ける湿った風も、今この場では気持ちがいい。
「そうですね。あ、アロウ。河クジラです」
リリィロッシュが指をさす方向を見ると、巨大な魚影が水面に浮かび、潮を吹いている。
3m程もある魚なのだが、とても大人しく、数匹がライアライタに併走してくる。
もしかしたら仲間だとでも思っているのかもしれない。
双子の太陽からの光が水面にキラキラと反射する。
風に乱れる髪を押さえて川面を見つめるリリィロッシュはとても綺麗だ。
しかし、そのリリィロッシュの顔が突然陰る。
「人間の大陸は、こんなに綺麗なんですね……」
「……うん」
こうしてずっと冒険者として暮らしていると、ふと忘れそうになる。
自分が、元は魔族の王であったこと。
かつては、人間に仇なす魔の王であったことを。
そして、我が民は、未だ休まることのない、天変地異が日常という地獄のような大地に暮らしていることを。
「アロウ、私は怖いのです」
リリィロッシュは、対岸の方を見る。
その視線の先にあるのは、河辺の町ではない。
目的地である帝都デルでもない。
その方角にあるのは、魔族の大陸だ。
「ラケインもメイシャもいい子です。まだ付き合いは短いですが、メインやペルシも。危険が付きものとはいえ、冒険者として過ごす日々は楽しい。人間の世界はこんなにも穏やかで優しい。……このままでは、私が私でなくなってしまいそうで、恐ろしいのです」
リリィロッシュも生まれておよそ300年の年月を生きているが、高位魔族の中ではそれでもまだ若輩だ。
本来、魔族と人間との争いは、乱れた魔力を人間の大陸へ逃がすという目的があった。
しかし、長い年月のうちに、最初の目的は失われ、既に多くの魔族ですら人間との争い自体が目的となってしまっている。
リリィロッシュもその世代だ。
その彼女が、人間になってしまいそうだという。
それは、いかばかりの恐怖か。
平穏な幸福という、抗いがたい毒。
幸せであればあるほど、その茨はリリィロッシュの心臓を強く縛り付けていくのだろう。
情けない。
これでも、『魔王』として、魔界の民の事をいつも考えるようにしているつもりだった。
彼らを幸福にしようと。
だが、こんなにも近くの、たった一人の魔族の事すら、分かっていなかったのか。
「リリィロッシュ」
彼女の手を握る。
彼女の手が冷たくなっているのは、河の風に晒されたせいだけではないだろう。
「僕は、身体は本当に人間になってしまった。だけど、その事を恥じても、後悔してもいない」
彼女の目を見つめる。
彼女の目が伏せられているのは、河の飛沫のせいだけではないだろう。
「僕は、今でも魔王だ。人間の魔王なんだよ、リリィロッシュ」
「人間の……魔王」
静かに目が開かれる。
しかし、その瞳は暗く、未だ光を示さない。
「そう。僕は魔王として魔族を守りたい。そして、人間として人間も守りたい」
「人間も……守る」
僕の手を握る指に力が篭る。
しかし、その力は儚く、すぐにも消え入りそうだ。
「そう。魔族は人間と永く争いすぎた。リリィロッシュ、僕達の目的は、人間と争うことじゃない。魔族を、この世界を救うことなんだ」
「人間と、争わなくても、いいんですか。アロウ」
瞳に光が、掌に温度が戻る。
今一度、しっかりとリリィロッシュに向かう。
「そうだ。だから、僕達は、この世界のあるがままを受け入れよう。魔族だ人間だなんて、小さなことだよ。僕達は、この世界に生きているんだから」
「『魔王』さま……」
リリィロッシュは、そこまで言って、はっと手を引いた。
「すみません、アロウ。私には……まだわかりません」
踵を返し、そのまま二階へ降りていくリリィロッシュの顔は、未だ暗いままだった。
一応ヒロイン枠のリリィロッシュさんに目を向けてみました。
ここまで主人公の恋人が目立たない作品て他にありましたっけ(笑)
あんまりイチャイチャした展開が苦手なのでこれまで目立ったところありませんでしたが、彼女にも葛藤や物語があるのです。