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第五章)立ちはだかる壁 大頭キンバルト。南の殲滅戦

■ノスマルクへ⑧


「そろそろ頃合か」


 河沿いの町から南へ数キロ下った小さな丘の上に、その男はいた。

本来なら、東の一団の中にいるはずの、《河飲み(シルルース)》大頭、キンバルトだ。


 優に2m(メーダ)を越す巨体に大きく盛り上がった筋肉。

歳の頃は五十を過ぎた程か。

猛禽の如き鋭い目つきと精悍な顔立ちが、悪行とはいえ、その戦歴を思わせる。

歴戦の勇姿の様相に、まるでそぐわない口元から生える二房の長い髭が、逆に彼が現実の人間だと悟らせる。

傍らに持つ大槍もまた、ただ鋭いだけでなく煌びやかな装飾がなされ、いかにも業物という風格をも備える。


 キンバルトは、トレードマークである長い髭を(しご)きながら、町を眺める。

宵闇の中、火が見える。

北の様子は伺えないが、東の部隊が街を襲い始めた。

地響きのような音も散発しているが、どうやら派手にやっているようだ。


 もう、すぐだ。

手勢は既に二百を超えた。

アジトに暮らす人間も千人はいる。

規模はもう十分。

あとは、後ろ盾だけだ。

既に何人かの貴族には当たりを付けている。

もう何回か町を襲えば、彼らを抱き込めるだけの資財を蓄えることが出来る。

そうすれば、町を作ることが出来る。


 本来、ここは交通の要衝だ。

今襲ってるようなチンケな町じゃない。

上手く仕切れば大都市にだって発展させられる。

この大河だって、防衛を考えればうってつけだ。

そこまでになれば、もはや恐れるものなどない。


 もっと軍を増やそう。

貴族も抱え込んで土地も増やそう。

このビヨク平野は、スジャ大河に隔てられ、帝都からも遠い。

帝国軍もすぐに派遣することは難しかろう。

そうだ、国盗りは、もう、目の前なのだ。




 町の方からランプの明かりがいくつも動いてくるのが見える。

北のバザーを焼かれ、東の宿場を襲われた商人たちの生き残りが、こちらへ逃げてきたのだろう。


 不思議なもので、こうしてコソコソと逃げようとする奴らは大抵ランプに明かりを点ける。

暗闇しかない平原の中で、少しでも安堵したいのか。

これが全ての入口を塞いだ時には、命からがら必死に逃げ回り、余裕が無いのか追手を気にするのか、ランプを使わない。

おかげで探して始末するのが手間なのだ。


 町を襲ったことを隠すには、商人たちの皆殺しは必須だ。

だから、わざと南のバザーを襲わずに、逃げ場を用意してやる。

奴らの荷物などは、北と東の襲撃部隊に任せておけばいい。


 静かに右手を上げる。

途端、後ろに控えた兵たちが腰を上げる。

皮鎧から全身金属鎧まで、黒揃いの集団。

そして、その全員が魔馬(ユサ)乗りの精鋭だ。

彼らこそ、今町を襲っているような“駒”ではない、本当の手下達だ。

その手に持つのは、いずれも量産物ではない、鍛えられた業物。

そして、そのひとりひとりが、かなりの使い手だ。


 キンバルトは、己の価値を充分に理解していた。

確かに、人数は増えた。

しかし、この程度の駒など、いくらでも替えがきく。

大事なのは自分一人だけだ。

ならず者たちは巷に溢れており、近隣では《河飲み(シルルース)》の名も知る人ぞ知るものになっている。

ひと声かければ駒の補充など容易い事だ。

だからこそ、副団長を名乗らせた傘下の頭目にすら、自分の居場所を偽って知らせてあるのだ。


「やれ」

 手を振り下ろす。

側近二人を除く、十二人の騎兵が、ランプの光へと向かう。


 この襲撃の仕上げ。

本当は、雑事など駒だけに任せておきたいところだが、この手下共も血に飢える獣なのだ。

適度に使ってやらねば、いざと言う時に役に立たない。

だから、大頭であるキンバルト自身がここまで率いてやっているのだ。


 十二の騎兵が闇の草原を駆ける。

四騎ごとに三隊。

それは、さながら三本の矢のように疾駆して言ったが、すぐに闇に飲まれ消えていった。

あと数分もしないうちに、街から逃げるランプ達は、大きくその列を乱し消えるはずだ。


 そう疑わずに矢が放たれた草原を見ていた、その時だった。


──閃光。

 周囲の闇を払う強烈な光。

雷、いや違う。

闇夜とはいえ、月も星も出ている。


──ゴォォッ!!

 闇とともに静寂さえ切り裂くような轟音。

強烈な光から数瞬遅れその音を聞いたのは、光の正体が、落雷ではなく、三本の巨大な火柱だと気づいたのと同時だった。


「なん……だ……?」

 キンバルトは、ただ、呆然とその火柱を見つめていた。

目測で十数m(メーダ)もの高さに上がる、天を突くような火柱。

最初の爆発だけでなく、周囲の草を燃やし、その勢いは益々強まっているようだ。


 キンバルトは、未だ理解が追いつかない。

しかし、彼が冷静になっていれば、その光景が示すことの意味にすぐ気がついていただろう。

三つの部隊が向かった先に起こった三つの火柱。

そして、火の明かりに照らされ見てみれば、逃げ惑う商人たちだったはずのランプの正体は、たった数人の男たちが竿にランプをいくつか繋げて持っているだけだった。


──ごとり


 ふと、聞きなれた音がして後ろを振り向く。

後ろには、変わらず側近の二人が控えていた。

ただし、首から下だけだったが。


「ひっひぇやわぁぁ!?」

 思わず飛び退く。

足元に転がっていた見慣れた丸いもの(・・・・・・・・)に躓き、地を這うようにして後ずさる。


「ひっひぃ!」

 周囲には誰もいない。

体面も何も気にせずに、ひたすらみっともなく這いずり逃げる。

訳が分からない。

何が起きた?

火、あの火はなんだ?

なぜ側近が殺された?


 その異常事態に、キンバルトは、重要な間違いをしていた。

気にすべきは、なぜ(・・)、殺されたのかではなく、誰が(・・)殺したのか。

その事に気づいた瞬間、その答えの主が、闇の中から、ヌルり、と姿を現した。


 漆黒の夜闇より生まれたかのような黒。

華美にならぬ程度に金糸や宝石があしらわれた黒の外套は、星の瞬く宵闇。

漆器のように輝く黒髪をなびかせ、褐色の肌を持つ女神のごとき美貌に備わる双眸は、黒曜石より深い、闇の光を放っていた。


「ごきげんよう、頭領さん。なるほど、悪党らしい、浅ましい顔つきね」

 闇の、神子。

キンバルトは、名も知らぬその黒を見て思う。

これが、この女が、死、そのものなのだ、と。




 一時間ほど前。

リリィロッシュは、南側の別働隊も探知(サーチ)で感知していた。

北から84人、東から118人、南から15人。

合わせて217人。

200人を超す大盗賊団だ。


「リリィロッシュ、南が極端に人が少ないのは、陽動か精鋭かのどっちかだ。陽動ならもっと近づいてなければおかしいから、これは精鋭だね」

 リリィロッシュの情報から、アロウが敵の勢力を分析する。


「北と東は僕達で何とかする。リリィロッシュは、南の15人をおびき寄せてから捕らえてほしい。多分、こいつらが親玉だと思う。絶対に逃がしたくない」

「アロウ、捕らえる(・・・・)ことが前提ですか?」

 言外に、始末した方が早いと訴える。

アロウは苦笑し、


「僕達は正義の味方って訳でもない。衛兵に突き出す顔はあった方が、余計な手間がかからないよ」


 そう、勝つのは前提。

問題は勝ち方だ。

これだけの人数、大規模な戦闘になる。

しかし、この防衛戦は旅の目的ではなく、ここはただの通過地点だ。

無用なトラブルは避けるに越したことはない。


「リリィロッシュ、最悪、親玉だけでいいよ」

「任せてください、アロウ。私たちがいる町を襲った不運、きっちり分からせてあげましょう」


 その後の行動は早かった。

町の顔役と思われる男たちを使って町から逃げ出す商人を装わせ、同時に、盗賊団の待機場所から町までの間に、自動発動型の魔法をセットしておく。

 使用する魔法は、火炎系魔法(フレイ)神罰の塔(ゲヘナトーレ)

精霊の羽根(エレメンタルフェザー)を基点として、半径5m(メーダ)以内に人が立ち入ると発動する、魔法罠。

天を突くように立ち上るそれは、冥府で罪人を焼き続けるという凶悪な炎。


 そこまでしてから炎の召喚を確認し、気配を消して頭領と思われる男たちの背後へ忍び寄り、側近の命を狩ったのだ。




「ごきげんよう、頭領さん。なるほど、悪党らしい、浅ましい顔つきね」

 リリィロッシュにとって、人間の盗賊などさして興味もない。

人間の町が滅ぼうと、見も知らぬ民が虐殺されようと知ったことではない。

だが、それでも人間の善し悪しは分かる。

こいつは、生かす価値のない類の輩だ。

アロウの頼みでなければ、肉体だけでなく、魂ごとその存在ごど消し飛ばすところだ。


「お、おい。待てよ。いや、大した腕前だ。あれで側近のふたりは、エティウから流れてきた騎士崩れでな、かなり腕はたったんだ。なぁ、悪いようにはしない。まずは名前でも教えてくれないか?」

 ほら、こちらが女と見てすぐに舐めてかかる。

今すぐにでも殺してしまいたい。


「だまれ、クズが。今すぐ死ぬか、あとで死ぬか、それくらいの自由は選ばせてやる」

 北の極寒の地に住むという氷狼すら凍らせるかと思えるほどに、冷たい目で睨む。


「いやいやいや、済まない、だが、これ程の腕を持つ冒険者だ、名前くらい教えてくれてもいいだろう」

 滝のような冷や汗を書きながら、頭領の男は首を振りつつただ低頭(ていとう)する。


「……はぁ、私はリリィロッシュ。貴様程度に名を覚えられるのも業腹(ごうはら)だが、覚えておけ」

 ため息まじりに名を教える。


「リ、リリィロッシュ、か。確かに」

 頭領の男は観念したように、ただ平伏している。


──確かに、聞いたぞ


 歪に顔を歪めながら放たれたその言葉が、リリィロッシュに届くことは無かった。

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