第二章)冒険者の生活① 旅立ちの時
目が覚めると、全ては終わっていた。
家は崩れていたが、何とか日差しを遮ることができるあたりに寝具を掘り出し、そこに寝かされていたようだ。
双子の太陽が天高くに昇っていることを見ると、すでに正午を過ぎているらしい。
「お、アロウ。やっと起きたか、この寝ぼすけめ」
そう言って、相変わらず豪快な笑顔で近づいてくるのは、ヒゲだった。
「……おはよう」
いっそのこと、記憶を失ったふりでもしてやろうかとも思ったが、それでは母さんが悲しむ。
っ!!
そうだ、母さんは!?
「おぉ、母さんなら夜中のうちに目が覚めて、今は村の連中の治療に回っているよ」
「治療?」
「そうだ。お? 知らなかったか? 母さんはあれで凄腕の治療術師でな、俺たちが現役の頃にはよく世話になったもんさ」
全く聞いたことはなかったが、あのやさしい母さんが治療術師というのも納得だ。
「おはようございます。アロウ殿、でしたか。ご気分はいかがですか?」
そこにやってきたのは、昨夜の女魔族が宵闇から生まれたような黒髪をたなびかせてやって来た。
角や翼は隠し、認識阻害の魔術も使っているのだろう。
知らなければ、ただの人間としか認識できまい。
「おはようございます。と、父さん、この方は?」
よそ行き用に父さんと呼ぶが、勝手にうるっときているヒゲがうざい。
「なんだよ。昨日の騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれたこの方に、村を救ってくれるように依頼したのはお前だって聞いたぞ。命の恩人の顔をもう忘れちまったか?」
なるほど。今はそういうことになっているわけか。
「いやー、実際危なかったんだぜ? あの黒い人形みたいなやつなら何匹いても何とでもなったんだが、村にはその親玉がいてな。さすがにきっついなぁと思ってきたら、この方が割って入ってきてくれてな。何とか二人掛りで仕留めたってところだ」
Cランクの影魔の親玉といえば、Bランクの怪物、影騎士じゃないか。
あれは、王国軍が大部隊総掛かりでなんとかするレベルの魔物だ。
そんな化け物まで来てたのか。
今更ながらに戦慄する。
「ところでアロウ、お前について話しておくことがある」
急にヒゲがまじめな顔をしてこちらをみる。
こういうときは、ろくでもないことを言うか、ろくでもないことをしてしまって母さんにとりなして欲しいかのどちらかだ。
「アロウ。お前、冒険者になれ」
案の定、ろくでもない方だった。
なんの前置きもなく唐突に何を言うのだ、この男は。
「冒険者になれって、いきなり何を言い出すの?」
「だからさ、お前は冒険者になるんだよ。俺が家を出たのもお前ぐらいのときだったんだぜ」
うんうんと勝手にヒゲはうなづいているが、会話が成立していない。
そこへ、
「アーちゃ~ん、起きたのねぇ。おはよ~♪」
この間髪のない間の悪さ、一切ぶれない姿勢。
御母堂様、さすがです。
「母さん、ヒゲが僕なんか冒険者になればいいって言うんだけど」
「もう、あなた! 何言ってるのよ!」
速攻で御母堂に告げ口する。
訳の分からんヒゲなど、怒られてしまえばいいのだ。
そうして、しめしめと思っていると、
「そんな話し方でアーちゃんが納得すると思ってるの?」
あれ?
どうやらヒゲ一人の思いつきの話ではなさそうだ。
「お、おう、すまんすまん。わが子の旅立ちに感極まっちまってなぁ」
……知らん。
母さんとヒゲは勝手に痴話喧嘩を始めてしまって聞く耳を持っちゃいない。
誰か、この状況を説明してくれ。
すると、そこに救いの手が差し伸べられた。
「僭越ながら、私の方からお話いたしましょう。そもそもが私から持ちかけた事柄でありますし」
どうやら、彼女はこの人生で初の常識人であるようだ。
「まず、申し送れましたが、私は、リリィロッシュ。姓はありません。拠点を持たぬ流れの冒険者です。詳しいご事情は、後ほどご両親からお伺いされるとして、お二人とも、今回の活躍を認められ、王国に召し上げられることになったのです。しかし、それがともに別の部署、それも遠方となるため、アロウ殿の処遇をどのようにするか悩まれていたのです」
黒髪の女性、リリィロッシュは、一息にこれまでの状況を話した。
そして、ちらっと母さんたちの方を見て、
「アロウ殿は、すばらしい資質の持ち主です。その歳で第二位階の魔法を行使されるなど、通常ではありえません。失礼ながら、この小さな村に収まる才ではないと思い、差し出がましいお申し出をしてしまいました」
思った以上に、彼女は優秀なようだ。
つまり、前半は僕の欲しがっていた情報。
後半は、僕が寝ていた間にどこまでが皆に知られているのか、という情報だ。
ヒゲは戦士として、母さんは治癒術師としての能力を買われて、お国から声がかかった。
昨日の今日でということはないだろうから、村のほうでは駐屯部隊が到着しているのだろう。
そして、僕が炎槍を使ったところまでは、ヒゲか誰かに見られていた。
今の僕の身では過ぎた力であるから、今後は軽々しく用いらないほうがいい。
と、このようなところか。
これをあの会話の中に潜り込ませるのだ。
冒険者云々はともかく、彼女、リリィロッシュだったか。
リリィロッシュとは、今後も関係を持っておきたいものだ。
「大体の事情はわかってきたけど、その王国からの召しかかえって言うのは、断れないものなの?」
困惑気に母さんの方へ問いただすと、
「そうなのよねぇ。父さんと母さんが、昔は冒険者だった話はいつかしたわよね?でその頃にちょっとオイタしちゃったことがあって、そのツケが回ってきたみたいなの」
ちょっとオイタって、絶対ヒゲのせいじゃねーか!
そう思ってジト目でヒゲをにらむ。
「おいおい、その言い方だと、二人でしでかしたみたいじゃねーか。大半はお前のせいだろ?」
は?
母さんのせい??
う、うそだろ……?
そう思って母さんの方を恐る恐る見てみると、あからさま過ぎるくらいあからさまに、明後日の方向を向いて口笛を吹いている。
……御母堂。なにしてんすか。
軽くこれまでの人生観をひっくりかえされたところで、ヒゲがヒソヒソ声で近づいてくる。
「今の母さんしか知らんから、アロウは驚くと思うんだがな、母さんは冒険者というよりはならず者って言うほうに近い集団の頭だったんだ。戦闘も治療もお手の物。相手を散々いたぶり尽くした挙句に治癒魔法で証拠を消すんだ。おかげで今まで憲兵も捉えることができなかったんだよ」
なん、ですと??
「笑紅のリスキィって言えば、当時のスラム界隈では泣く子も黙るってもんだった。それがお前を生んでからデレたんだ」
そんな情報は知りたくなかった。
って言うかデレたって何!?
がっくりとうなだれ、へたり込む。
「もう! アーちゃんにそんな昔の事言わなくてもいいじゃない!」
プリプリという感じが似合う母さんからは、そんな時代が想像できない。
だが、真実を知ってしまった後では、
──おめぇ、あとでどうなんのかわかってんだろうなぁ──
という副音声が聞こえて仕方ない。
「ま、まぁ、それはともかく、俺たちは国に雇われることになるし、そこにお前を連れてもいけねぇ。この方の申し出は、正にいいタイミングだったんだよ」
話を元に戻そうとするヒゲに、母さんが補足する。
「もうひとつ言うと、なにも今すぐ独り立ちしろって言うわけじゃないの。王都には、冒険者育成の学校があるから、まずはそこに通って欲しいのね。で、入学のシーズンはもう少し先になるから、それまでは、リリィロッシュさんが、冒険者の流儀を教えてくださるそうなのよ」
おぉ、これは願ってもない方向に話が向いてきた。
実際、いきなり冒険者になれと言われて村を追い出されても、どうしたらいいのかもわからなかったのだ。
それが、学校に、リリィロッシュが同行!?
両親の元を離れる事にさびしさがないといえばうそになるが、これは、現在考えられる最善の方向なんではなかろうか?
「母さんと離れるのは寂しいですが、リリィロッシュさんがいてくれるなら安心できます。僕は、そのお話をお受けしようと思います」
そうして、復活した元魔王は、世界の大海原へと旅立つ、その第一歩を踏み出したのだ。
母さんとヒゲに見送られ、リリィロッシュと、生まれ育った村を背にする。
「でも良かったんですか? リリィロッシュさん、僕なんて完全に足手まといなわけなんですが」
人間に見えるよう姿をかえ、隣を歩くリリィロッシュに聞いてみる。
かつては魔族として配下だったとはいえ、今の僕たちの関係は、ベテランの冒険者と世間知らずの村人その1に過ぎない。
「えぇ、もちろんにございます。アロウ様。それと私のことなど呼び捨てにお申し付けください」
「そういう訳にはいかないでしょう。少なくとも今後、僕らがどう見えるかなんて、冒険者とその従者以外無いですよ。せめてお互い呼び捨てで落ち着けましょう」
リリィロッシュは、登録上ではヒゲと同じBランクの冒険者だという。
駆け出し以前の子供冒険者と一緒にいれば、どう見えるかは想像に難くない。
「そうですね。それでは不肖の身ですが、今後はアロウ、そう呼ばせていただきます」
双子の太陽が中天にかかるまで歩き続ける。
荷物はそれほど多くない。
ナイフ、マント、皮のポーチ、回復薬と水筒、それと、母さんのお古の魔法の杖だ。
ちなみにナイフはヒゲがくれたが、あえてスルーだ。
最低限というにも軽すぎるが、これが一般的な冒険者の装備なのだそうだ。
冒険者の第1歩、それは生きること。
それは、これからリリィロッシュが教えてくれる。
「さて、アロウ。これから、生きるために冒険者となって糧を得ていくことになるのですが、その前に根本的な方向性を打ち合わさせていただきたい」
「根本的な方向性?」
長く歩き続け、若干息を乱しながら振り返る。
リリィロッシュの意図が分からずに聞き返す。
「はい、まず前提として、あなたが元魔王である以上、私は何があろうともあなたを見捨てません。有り体にしていえば、このままどこかに拠点を作って稼いでこいと言われれば、この冒険はここまでなのです」
おぉ、なるほど。
女性に貢がせて自分は家で寝るだけ。
これが俗に言うヒモという奴か。
そして魔王であった時代には貢ぎ元と税という差はあれ、魔王城で過ごす日々だったのだ。
しかし、これは、
「却下」
無論なしだ。
魔王とは、遍く魔族の最強の存在であり、象徴であり、誇りだ。
ただ、そうであった、と言うだけで傅かれるものではない。
「リリィロッシュ、君にとって恐らくそうであるように、僕にとっても、魔王とは誇りある存在だ。それを汚したくはない。魔王に戻りたいわけじゃないし、新たに魔王になりたいわけでもない。今は、人間アロウとして、元魔王の名に恥じない生き方がしたいんだ」
その願いはどのように届いたのだろう。
少なくとも魔族として生まれたはずのリリィロッシュに、なんの障害もない言葉とは思うまい。
しかし、
「あなたが私の敬愛する魔王様でよかった」
彼女はそう、涙を浮かべて喜んでくれた。
「アロウ様、私も申し上げておきましょう。私がお慕いしたのは、魔王という存在ではなく、誇り高い貴方でした。こうして身体こそ違えど、そのお心の高さを今一度目にすることが出来て、私は幸せです」
その涙に、見覚えがあった。
あれは──、
百年ほど前、魔王としての地位が確立してまだそれほど立つまでいない頃。
表向きには、魔王としての鍛錬の一環として、そしてその実は、魔王の武勇を知らしめるために開催した、大御前試合。
魔王対千人超の魔王軍兵士との総当たり戦。
実に三日に渡り戦い抜き、完全な勝利を納めたのだ。
その中に、あの涙はあった。
無論、全数万もあった剣筋の一つ一つを覚えているわけではない。
その中でも異質なもののいくつかは、記憶にあった。
強さを羨望し、強さに餓えた迷いの剣。
その内容までは分からない。
しかし、彼女は己の剣に迷いがあるようだった。
実際、剣を受けた感触は悪くは無い、が、それだけだ。
決して一流の剣ではないし、凡庸に過ぎない。
それでも、声をかけた。
「迷うな。いい剣だった」
彼女の資質はあるように思えた。
今の迷いを捨てきり、がむしゃらに剣を練習する。
それだけでもう1段上の剣士になれるだろう。
確かに、後押ししてやるつもりで声をかけたが、その反応は想像の外だった。
「……はいっ!!」
一瞬の間の後に号泣。
その涙にこれまでの迷い全てを洗い流させているような。
「そうか、リリィロッシュ。どこかで見たとは思っていたんだが、君は、あの御前試合の時の戦士か」
「──っ! うそですっ! まさか、あんな百年以上も昔の、あんな一瞬の事を!」
僕が覚えていたことが、それほどに意外だったのか。
普段の凛々しい顔が見る見る赤くなっていく。
「しかもあの時の私なんて下級の騎士に過ぎなかったのに、ご記憶にあったとは。やだぁ……恥ずかしい……」
普段クールな人ほど、壊れると幼児化するというのは本当らしい。
顔を真っ赤にして両手で覆い、ウロウロと歩き出す。
木の方へ向いてしゃがみこみ、よく見れば変化も溶けかかっているのか、蛇のような尻尾もブンブンさせている。
五分ほどその当たりをじたばたした後、おもむろに立ち上がり、真っ赤なままの顔を精一杯取り繕い、
「取り乱しました。汗顔の至りです」
きりっとした表情をみせる僕の騎士は、可愛らしい人のようだ。