第一章)元魔王の復活① 復活の魔王
目覚めて気付いたのは、うっすらと赤み付いた、白い世界だった。
──誰か──
そう声をかけようとしたが、声が出ない。
正確には、口を開くことさえできない。
起き上がろうと手を上げようとするも、体が思うように動かない。
──なんだ、動けぬ? 拘束されているのか? 魔王たる我が?? 否、たしかに布がまとわり付いているが、封じられるほどではない──
今、我は横に寝かされているようだ。
しかし身動きが取れないし、視界も開けない。
これまでも何度か『勇者』により封じられ、その後、長き時を経て、強大な力を持つ『魔王』として幾度も蘇ってきた。
『魔王』は、幾度倒されようと、また『魔王』として蘇る。
生前の記憶は、知識として蓄積され、新たな『魔王』として生まれるのだ。
しかしながら、今回はなにか勝手が違うようだ。
──誰かおらぬか?──
そう声をはりあげようとした瞬間、驚くような騒音が聞こえた。
「んぎゃぁ! んぎゃあ!」
──っ! うるさい!──
と思ったが、どうやらこの声は、我が身から発せられたもののようだ。
──……。──
もしや、この状況は……
認めたくはない。
目も開かぬので、自身の姿を確認する術はない。
確認できぬうちから、そうなのだと認めたくはないのだ。
だが、無慈悲にも、その事実を告げる声が聞こえてくる。
「はぁい。まんまでちゅよー」
そう聞こえたかと思うと、何者かが我を軽々と掬い上げ、何かをくちに押しあててくる。
──むぐっ、息ができんわ! この、無礼者が!──
そう思ったが、我が意思に反してこの身体は、か弱い力で口に当てられたものを吸い付ける。
……まずい。
生ぬるく、えぐみもあり、うまみとは程遠い口にのこるような甘さ。
思わず吐き出したくなる。
しかし、またも我が意思に反し、体は必死にそれを飲み続ける。
──くっ、我が身の分際で、主たる我が意思に背くか!──
そう思いながらも。
否、そう現実逃避しながらも、この状況は、ひとつの真実を指し示す。
そう、元魔王たる我は、赤子として転生していた。
我が新たな名は、アロウというらしい。
「アーたん、よく飲めまちたねー」
まったく、よく飲んだものだ。
派生種どもは、よくもまああんなものを嬉々として飲んでいるものだと思う。
そう、我が身が赤子となってしまい、らしくもなく、我が慌てたのもこの〈派生種〉というやつが原因だ。
我ら魔族は、大きく二種類に分かれる。
〈原種〉と〈派生種〉だ。
魔族は、四大属性の精霊どもと同じく、大いなる自然の魔力から、この身が作られる。
違うのは、それが四大属性を持つか、それとも闇の属性をもつか、ということだ。
〈原種〉とは、自然の魔力から生まれた世界に唯一の存在である。
対して〈派生種〉とは、親から生まれ多くの類似点を持った種族として生まれる存在である。
さらに言えば、原種は、沸いてでる有象無象のように〈限りなく弱い〉か、魔王や有力魔族のように〈限りなく強い〉かのどちらかになる。
例外こそあるが、一般的に支配者級の魔族は、その殆どが原種である。
それが、この魔王たる我が、派生種だと!?
絶大な力を誇る魔王とはいえ、いつかは敗れる。
それは仕方がない。
永遠なるものなどない。
いかにそれが魔王たる我といえどもだ。
しかし、派生種として生を受けたのであれば、此度の復活は短きものとなってしまうのだろう。
我が身の不運が嘆かわしいのではない。
我が率いねばならぬ、眷属たちの苦労を考えればこそ、口惜しいのだ。
その怒りにも似た感情が表れたのであろう。
火のついたように泣き喚く声が我を襲う。
「んぎゃぁ、ぎゃぁ。んぎゃぁ!」
ええい、鬱陶しい。
否、これは我の声だ。
襲うというのであれば、我にではなく、我が親御殿の方であろう。
「はいはい、どうちたの? ママはここでちゅよー」
そう言って、御母堂は、再び我を取り上げ、左右に揺らしてあやす。
我が無為に感情を荒立ててしまったせいで、手間をかけてしまったようだ。
我もなんとか気を落ち着かせ、この自由にならぬ身体が泣き止むよう必死に心に努める。
身体の方も、先程飲んだ乳に満足したのか、ぽかぽかと暖かくなり眠たくなったようだ。
すまぬ、御母堂。
そう声にならぬ気持ちを胸にとどめ、今はこの心地よい眠気に身を任せることとした。
それから幾日かたった。
相変わらず我が身は、我の思う通りにならぬが、御母堂も変わらず我をあやしてくれる。
どうもこの御母堂は、子煩悩であるようだ。
我が泣けば乳をくれ、歌を歌い、そして眠るまで心地よくゆすってくれる。
傲慢なる我が身体は、そんな御母堂のことなど気にも留めず、朝となく夜となく泣き叫ぶ。
──まったく、我でさえ煩わしく思うものを、良くぞここまで面倒を見るものよ──
おおよそ睡眠がまともに取れているとは思えぬが、それでも、我に不快感を持っているようには、一切感じさせぬのだ。
──我がこの身体を支配した暁には、莫大な恩賞を与えねばならぬな──
そう心に決めたのだ。
そうしていると、何者かの気配がする。
未だ目も開かぬ身だが、この身は魔王。
周囲の様子ごとき、気配で察することなど容易い。
いや、それどころでは無い。
前回蘇った時も、魔王不在の間に成り上がろうとした不届き者が、襲いに来たことがあった。
だが、あの時と違い、今の我はただの赤子。
我が身はともかく、このままでは御母堂の身が危ない。
だが、御母堂に危険を知らせようとしたとたんに、我が身体がぐずり始める。
──いかん、このままでは危険を知らせるどころか、我をあやすために気をとられてしまう──
そう考え、心を抑えることに苦心する。
──くっ、御母堂もまた我が眷属。眷属を守ることすらできなくて何が魔王だ、このふがいなき身体よ!──
そうしているうちに、怪しげな気配は、そろりと我が居室に入ってきた。
「こんにちはぁ、パパでちゅよ~♪」
……はい?
まったく、なんと嘆かわしいことだ。
我が今、怒りを覚えている事柄は三つだ。
一つ目は、この軽薄にして知能のかけらも見出すことができないような眷族が、偉大なる我が父であるということ。
いや、実際には、未だ目が開かぬため、見出すというのはおかしいか。
それにしてもだ。
献身的に我をあやし、その慈愛を我に与え続ける御母堂と、この浅薄なる眷属がつりあうとも思えん。
二つ目は、この数日の間、こやつを全く見かけなかったこと。
一日中、我を気づかい、我を甲斐甲斐しく世話をする御母堂とはなんという差であることか。
そして三つ目は、
「ん~、アーたん。今日もかわいいでちゅね~」
そう言って、おそらくは短いヒゲがあるのであろう頬を、何のためらいなく、我に擦り付ける。
チクチク痛い。
眷属の分際で我に害を成すとは、許しがたい。
否、もはや眷属と称することさえ許さぬ。
こやつなど、ヒゲで充分だ。
今後、こやつの事をそう呼ぼうと決意した。
あまりの不快感に泣き喚く我を、御母堂は素早くヒゲの魔の手から奪い去り、暖かく我をあやす。
御母堂、さすがです。
内心で賞賛を贈りつつも、いつしか眠りに落ちたようで、気づくと御母堂とヒゲの気配は、我のそばから離れたところにあるようだ。
おそらくは隣の部屋にでもいるのだろう。
幾分くぐもったような声がかすかに聞こえる。
「あなた。国境の様子はいかがでした?」
御母堂の声だ。
当然だが、いつも我に向ける幼子言葉ではない。
理知的で聡明な雰囲気のする声だ。
「このあたりはまだまだ無事だよ。でも北の国では人と人同士の、戦争が激化している」
こちらはヒゲだな。
「西の国では、まだ人と魔族が戦争をしてるっていうのに、また人と人で争いを始めるだなんて、お偉方の気がしれんよ」
幾分、落ち着いた声で話すせいか、多少は知的にも思える。
……多少、評価を改めるか。
多少な。
とはいえ、その会話の内容には、興味を引かれる。
戦争といえば、眷族たる魔族と人間どもの争いのことだろう。
魔王たる我が滅ぼされた後も、眷族である魔族たちが消滅するわけではない。
魔物をすべる王とはいえ、魔王と魔族は別個の生命だ。
ただし、我から発せられる魔力をうけ、魔族たちは、その力を増す。
今はまだ力及ばぬとはいえ、魔王たる我が蘇ったのだ。
眷属たちも動きを強めているのだろう。
ここで、ふと気が付く。
おかしい。
いままで、我が赤子であるために気づかなかったが、我が体内の魔力が圧倒的に少ない。
否、ほとんどないといっても過言ではない。
いくら派生種として生を受けたとはいえ、これでは、我が復活したとしても、眷族に影響するような魔力は、望めないのではないか?
魔王と勇者は、この世界の影と光。
我が復活している以上、勇者もまた現れているはずだ。
だとすれば、今代の戦は、圧倒的に不利なものとなってしまう。
その不吉な考えに思いをめぐらした瞬間、ヒゲは、恐るべき言葉を発する。
「このあたりでも魔物たちの動きが日を追うごとに強まっている。国王陛下も、いずれ来る魔王討伐のために、民間との連携を強められるそうだ」
……唖然とする。
今、この男は、なんと言ったのだ?
〈国王陛下〉が、〈魔王討伐〉する、だと?
落ち着け、かつて我が赤子だとわかったときのような逃避はしまい。
落ち着け、よもやこの低脳なるヒゲが、世迷言を言っているだけだとは、考えまい。
落ち着け、ヒゲと御母堂は、間違いなく伴侶であろう。
落ち着け、となれば、この陛下とは、自国の領主であるはずだ。
落ち着け、その領主が、魔王を討つという。
落ち着け、魔王とは我だ。
落ち着け、否、自国の領主は魔王ではない?
落ち着け、事実とは至極単純なものであるはずなのだ。
落ち着け……
ここでようやく、我がこのように気を迷わしているにもかかわらず、この身体が泣き喚かないわけにも思い至った。
今、我とこの身体の精神がようやく一致したのだ。
すなわち、我は、いや、僕は魔王ではない。
〈人間〉の赤子なのだ、と。