第十章)そして北へ スラムでの興行
▪️北の大地③
各部各所の思惑が入り乱れているので、一旦整理しよう。
まずはコール聖教国。
教主であるワーゲン=フォルクスを頂点とした宗教国家だ。
この中で派閥は二つ。
まずは、国教である聖クルス教に基づいた徹底した管理を行ってきた〈旧体制派〉。
そして、教皇を旗印として国民の完全管理を脱し、宗教は弱者の保護のみを行い、国としての主権を国民に返すという教皇派改め〈新体制派〉。
根本的には、国と宗教がひとつとなっている現在の状況が生み出した対立だと言える。
ここにエティウ王国の思惑が加わる。
大陸の西側を掌握している強国であり、軍部の権力が強い。
ご多分に漏れず様々な派閥があるが、今問題となるのは、〈軍部派閥〉と〈新女王派〉の二つ。
新女王派は、現在のエティウの主流である。
好戦的な前王に代わり、数年前に王位に就いた若き女王は、それまで武力により押さえつけていた勢力下の小国に対し、様々な援助を行った。
それを悪く言うものは、小娘が属国に媚を売っていると言うがそうではない。
勢力下の国々を援助することで、間接的に国力を上げ、また怨恨による後顧の憂いを絶とうとしたのだ。
それに対し、軍の首脳部が主導する軍部派閥は稚拙で、エティウの実権を握りたい、それだけである。
彼らとしても、魔王軍からエティウを、ひいては人類を守ってきたという自負があり、また王族もその点で彼らに強く出られない部分もある。
そして勢力拡大の策として、コールの分裂を画策し、新体制派を支援しているのだ。
「何とか分かったが、こういう話は苦手だ」
ラケインが頭を抱えながら、面目なさそうに顔を伏せる。
ラケインのいい所は、分からないことを棚上げにして全部任せ切りにする訳ではなく、分からないなりに真剣に話に参加しようとしてくれるところだ。
こちらとしても、謀に関してラケインにどうこうしてもらおうとは思っていない。
だが、それでも意図をきちんと理解してくれるのか、指示をこなすだけなのかでは、重要度が全く変わってくる。
魔王時代もそうだった。
能力は高くても、命令を聞くだけでその本質を全く考えない、考えようともしないものは重用しなかった。
逆に、こちらの意図を見極めようとするものに対しては、その解釈の正誤に関わらず、役職を与えるようにした。
そうでなくては、集団を率いることなど出来ないのだ。
「まぁまぁ。今の僕らがエティウ女王派の代わりに来ているってことだけ覚えといてくれればいいよ。最終的にはエティウに花を持たせないとリュオさんに申し訳が立たないけど、王国軍派と競合することだけ注意しておいてね」
味方もエティウ、敵もエティウ。
ややこしいことだが仕方がない。
今は教皇が待つ場所へと馬車で移動しているところだ。
リサの表向きの部下だという事務員に先導され、馬車で後をついて行っているのだ。
「あれ? 私たち、教皇様に会いに行くんですよね?」
メイシャが辺りを見回して首を傾げる。
大聖堂から離れ出したときには、密会なのだからと疑問にも思わなかったが、確かに周りの景色がどんどんと寂れていっている。
リサとは、先程の建物で別れている。
待ち合わせの場所は、自分が立ち入れないところだと言っていたが、教会の職員である彼女が入れないとは、一体どこなのだろう。
「芸人さん方、着きましたよ」
「えっ、ここは·····」
馬車から降り、辺りを見渡して驚く。
教皇との面会なのだ。
聖都の中央にある大聖堂の一室か、それとも周囲に点在する小教会かと思っていたが、そこは街の裏手にあるスラムだった。
「おおーい、お客人。こっちだ」
中年の男が声をかけ手を振っている。
被っていた黄色の縁どり帽子を手に取り、脂で固まった髪を手で払いながらこちらへ手を振る。
男の周りでキャッキャと笑う子供たちもまたそれを真似て手を振る。
明らかにスラムの人間なのだが、人違いでもあるのだろうか。
「あんたらが、幻想魔団とかいう大道芸人だな。バックスの爺さんから話は聞いてるよ」
確かに、旅芸人として扮した幻想魔団の名は合ってるので人違いではなさそうだが、いや、こちらは話が聞いていない。
バックス?
誰のことだろう。
「俺はこの集落のまとめ役をしているローハットってもんだ。なんでもここらで芸を見せてくれるそうじゃないか。こんなスラムだ。みんな退屈していてなぁ。おれも楽しみにしてるんだ」
ローハットと名乗った男は、満面の笑みで僕らを迎える。
訳の分からないままなのだが、こうも期待を込めた顔をされるともはや断れる状況ではない。
「えぇ……。おーい、皆、設営の準備だ。ローハットさん。劇は夕方から始めるよ。集落の人達にそう伝えといてください」
「聴け、人間の勇者よ。我々の世界は、荒れ果て生きていくことさえ難しいのだ。だから、我らはこの世界へ逃げてこようとしたのだ」
「魔王よ、ならば戦わずに手をとりあえばよかったのだ。これ以上、罪を侵さぬなら見逃そう」
やんややんやの喝采を受けてショーをやり終えた。
仕込み道具の用意もないままだったが、魔法を調整し何とか形を整えたのだ。
まとめ役というローハットも、顔を紅潮させて興奮し、誰よりも大きな拍手を送ってくれている。
楽しみの少ないスラムの生活。
その中でまとめ役としてみなに娯楽を提供できたことに、感極まっているようだ。
そうしていると、スラムの住人達の中から一人の老人が現れ、声をかけてきた。
「やぁ、お疲れ様でした」
「お、バックスの爺さん。あんたいい人呼んでくれたよ。最高だったぜ!」
住民達からそう声をかけられた老人を見てはっとする。
身に纏う衣服は、服と形容するのをはばかられるようなボロきれだ。
顔はすすで汚れ、手に持つ杖もただの廃材を多少加工したものに過ぎない。
だが、しっ、と口元に指を当てるその人物には見覚えがあった。
バックス老、改め、教皇フォルクスは、穏やかに頷き手を差し出した。
「少し、話しをしましょうか」
「改めて皆さん、お疲れ様でした」
教皇フォルクスの招きにより、スラムでも比較的まともな小屋にお邪魔することになった。
まともな、とは言ったが、見た目はただの瓦礫の山だ。
廃材らしき木材で骨組みを作り、石を積み上げて固定し、壁は薄い木の板や瓦礫を泥で固めただけ。
家と呼ぶことが戸惑われるような、いかにもスラムの小屋だ。
「これは……」
だが、一歩その中に入った瞬間に世界が上書きされる。
石造りの壁。
厳かな彫刻。
金色の刺繍で彩られた壁掛け。
ようやく風雨がしのげるかどうかという程の小屋が、決して広いとは言えない迄も、僕達六人とフォルクス猊下の七人が腰掛けてもまだ余裕がある部屋となったのだ。
「空間転移·····、いや、虚数世界構築の術式ですか」
「ほぉ。ひと目で見破るとは。なかなかに優秀な魔法使いのようですね」
フォルクス猊下が目を細める。
術の正体を看破したことで、僕達に対する意識を一段上げたようだ。
現実構成要素の反転式である、虚数構成要素を利用して、特定の空間に別次元の世界を作り出す魔法なのだが、理屈としては分かっていても、それを実践するとなれば話は違ってくる。
古代文明の転移罠などには稀に見かけられる術式だが、魔族の間でさえ既に術式が失われたとされている。
それをまさか人の身で習得したものがいるとは驚きだ。
「いえ、もったいないお言葉です。猊下におかれましては、ご尊顔を拝しまして恐悦の極みに存じます」
「いや、楽にしなさい。ここでは教皇フォルクスではなく、ただの老人、バックス=オルツォを名乗っています。あなた方もただ私に拝謁に来たわけではないでしょう」
よく言う。
ただ身分を隠して僕達に会おうというのならば、虚数世界構築など使わずとも、このままの小屋で問題なかったはずだ。
外界と隔絶された隠密性もそうだが、こちらに対する精神的優位も狙っての魔法なのだろう。
騙されてはいけない。
目の前の老人は、味方でも、まして見た目通りの好々爺でもない。
相手は交渉相手であり、世界中の人間達の信仰の頂点たるクルス教教皇なのだ。
「あなたがたのことはリサ=ヴァルゴから聞いています。あれは私の子飼いの中でも目をかけている逸材でしてね。君たちとは、冒険者学校の同期だと聞いています。四校戦の鎧巨人、覚えていますよ」
現在、西国王国軍派によってコールに脱宗教の動きが出ている。
今回僕達は、表向きは旅芸人の一座として、そして表向きの裏の顔としては、エティウ新女王派の使者として、ここに来ているのだ。
「はっ。過分なお言葉、恐縮にございます」
最初から掻き回すつもりで仕官した東国の時とは違い、堅苦しい言葉を崩さない。
こういう天上人の楽にしろとは、下々の者への一種の社交辞令でしかない。
本当に礼を失すれば、交渉などままならない。
まして、威圧のために異空間までつくるこの老人が相手なのだ。
こういった対応ひとつも値踏みされている可能性が高い。
「さて、リサからは君たちから何かの話があるとのことだったが」
話がある、とは言っても、今の状況だ。
既にその内容は知れている事だろう。
だが、こういうものには儀礼が大事なのだ。
「恐れ入ります。西が四大国、エティウ女王フェルム陛下より、ご挨拶の品と親書をお預かりしております」
目で合図し、ペルシから荷物を受け取る。
演劇で僕とペルシが端役だった理由の一つだ。
仮にも他国とはいえ女王から預かった品を手元から離せるわけもない。
だから、今のメンバーの中で最も魔力感知に長ける二人で、常に保管していたのだ。
最も、まさかスラムに連れてこられて突然教皇と面会するなんていう展開になるとは思いもしなかったのだが。
「さて、お預かりしましょう」
ここでふと、違和感に気づく。
本来ならば手紙一つ渡すにも直接猊下ご本人に手渡すなどありえない。
侍従に渡し、侍従から猊下に渡されるのが常だ。
いくら身分を隠しての行動としても、全人類の信仰の頂点たる教皇が、こうして一人きりになるなどということが可能なのだろうか。
そんなはずはない。
すっと視線で探るが、それらしい感覚が見つけられない。
となれば、可能性は低いが、本当に教皇一人でいるのか、それとも、僕の魔力感知すらくぐり抜けるほどの使い手が潜んでいるのか。
恐らくは後者であろうが、恐ろしいものだ。
魔王時代も含め、高位冒険者となってからも様々な人間に出会ってきたが、まだまだ人の世界も奥が深い。
「なるほど·····。ふむ、大義でした。確かに親書は受け取りました。別ルートより陛下には返事を出しておきましょう。今日のところは、こちらで宿を用意させます。演劇の許可も出させておきますから、しばらくは聖都で興行を行っていくのもいいでしょう。後はリサの指示に従いなさい」
「畏まりました。猊下の御名に神の光あらんことを」
教皇の言葉を受け退出する。
今日は挨拶だけ、ここまでという事だ。
回りくどいし時間も無駄になるが、何事も初手から直球勝負では進まないのだ。
とかく身分の高い方々の間では。
エティウ女王の手紙に何が書かれているかはわからないし、知る必要も無い。
それでも、これでフォルクス教皇との繋がりが細いながらもできたのだ。
あとは、この滞在の期間にどうするか。
その後にもどうアプローチするか。
そう思案して、馬車に戻った。
「ルナ。これをどう思う」
アロウ一行が去った虚構の応接間の中、フォルクスが虚空に向かって呼びかける。
現れたのは黒い人型。
何らかの魔術を纏っているのか、目に見えるようにしてでさえその存在が朧気にしか見えない。
だが、それでも顔かたちは辛うじてわかる。
整った顔。
切れ長の瞳。
流水の如く細くしなやかな髪。
その姿は、アロウ達の前に現れたリサ=ヴァルゴに瓜二つだった。
「有り得ません。ですが、小魔王の台頭に新たな魔王の出現。有り得ないことが当たり前のように起こる今、それもまた有り得ないことでは無いのかと」
「·····うむ」
フォルクスの手元には、エティウの女王からの親書が握られている。
だが、その手紙の余白に小さく文字が書き込まれている。
恐れ多くも女王の親書に書かれたその文字は、荒々しく力強い筆跡で書かれており、女王に信のある武官によるものだろうことは想像がつく。
その内容の真偽はともかく、気になるのは、これを書いた者の立場だ。
はたして、この言葉は、彼らを援助するためのものなのか。
それとも、彼らを牽制するためのものなのか。
そこにはこう書かれていた。
『こいつは魔王だ』




