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第十章)そして北へ 聖都、その闇

▪️北の大地②


 待ち合わせた事務所は、多くの人でごったがえしている。

外にはあまり人通りが見えなかったようだが、どこにこれほどの人がいたのかと思えば、どうやらここは、国外からの巡礼者のための関所のような場所らしい。


 原則として個人での財産の所有を認めていないコールでは、貨幣の流通がそれほど多くない。

それでもさすがに聖都などの大都市では、それが成り立つはずもない。

例えば、大きな建造物を作るには専門の職人が必要で、打ち合わせには会議室が必要で、事務職もサービス業も専門のスタッフが必要となる。

彼らの生活を保証するには、どうしても対価となる金銭でのやり取りが必要となる。

そうして貨幣の代わり、いやこの都市専用の貨幣となるのが、教会の発行する聖札である。


 中身はまったく通貨そのものなのだが、建前の上では、この聖札は個人の所有財産ではなく、労働や喜捨に対する分配ということになる。

客はこの、聖札を店に支払うことで対価を得る。

店は聖札を教会への納めることで食料などの配給を受けることになる。

この事務所は、外部からの旅人や商人達が、金銭や売り物を聖札に交換するための税関なのだ。




 リサの案内でまずは聖札を手に入れる。

納める金銭は、教会への喜捨という名目なので、払い戻しは効かない。

少なければ交換の手間がかかり、交換しすぎれば丸損となる。

よく出来ているものだ。


 今後も演劇は続けるので、多少は収入の目処もついている。

聖札への交換は最低限に留め、リサの案内で上階にある事務室へと通される。


 個人用の事務室が与えられているあたり、リサはそれなりに上位の役職にいるのだろう。

よく見れば、室内のいくつかには、クルス教を象徴する陽光を表す十字が置かれている。

だが、それ以上に感じるのは、酷く寒々しい無機質さだ。

私室ではないとはいえ、とても同年代の女性が身を置く職場とは思えない。

そうして、やや面食らっていると、リサが戻ってきた。


「お待たせしました。ここは私の部屋です。それなりに防諜対策はしてありますので、どうぞおくつろぎ下さい」

 そう言って、どこかの会議室から持ってきたのか、大きなソファーを片手で鷲掴みで持ち上げ室内へ入れる。

流石は高位の僧兵(モンク)である。

細い身体の線に騙されそうになるが、メイシャ並の怪力も納得である。

冷たい汗を背中に感じながら、ソファーに腰掛ける。


「改めまして。聖札発行事務局一等事務官、リサ=ヴァルゴです。私は普段は一階の事務所にいますので、今後御用の際は、ヴァルゴ一等事務官をと呼んでいただければ結構です」


 リサが改めてそう名乗る。

その肩書きにもちろん嘘はないだろう。

だが、それだけでは無いはずだ。

一等事務官というのがどの程度の役職なのかは分からないが、冒険者学校の首席が、そしてエティウから教皇へと繋ぐパイプ役が、一介の事務官とは考えにくい。

恐らくは、クルス教暗部の工作員だと考える方が自然か。

リサ=ヴァルゴ。

教皇にすら通じるコール聖教国の裏の門番。

それが彼女なのだろう。


「さて、具体的な話に入る前に、皆さんはこの国のことをどの程度までご存知ですか?」

 質問の内容は分かるが、抽象的すぎて質問の意味がわからない。


「さて。一般常識程度のことと、村から旅をしてきた日常程度なら」

 コール聖教国。

クルス教の教会組織〈聖十字教会〉が母体となる宗教国家で、教会が国の組織運営を行っている。

社会の物流は、金銭による授受ではなく、教会の管理による配給制。

そのため貧富の差はなく、国民全てが平等である国家である、というのが一般的な認識だ。

もっとも、自分以外の社会に目を向けることが出来るほど上流階級の常識ではあるが。

だが、リサの求める回答は、こういったことでは無いだろう。


「なるほど。その辺りはクーガ将軍からも聞いていないのですね。……では、少しこの国の話から始めましょうか」

 そう言ってリサは席を立ち、窓にかかっていたカーテンを開ける。


「これが、平等と博愛の国、コール聖教国の全てです」

 目の前に広がっていたのは、荒れ果てた瓦礫の山と広大なスラム街だった。

聖都の街並みとの境界には、区分けの壁が設けられている。

聖都に入って直ぐに見えた当たりは、壁の建造が追いついていなかったのだろう。


「彼らは、〈労働奉仕民〉です」

 リサは表情も変えずに説明を続ける。

彼らは、スラムの貧民ではなく、労働力を教会に納めることで保護(・・)されている民であり、国民ではないのだという。

そして定期的に郊外の農場や鉱山へと送られ、僅かな食料を引き換えにして暮らしている。


「それって……」

「ええ、奴隷ですよ。コールの聖薬は高く売れますから」

 リサはこともなげにそう言い捨てた。


 これまで通ってきたように、地方の運営は、それなりに治まっている。

村人が自給自足の生活を行い、それぞれに不足する部分を司祭の管理で互いに補いながら暮らしているのだ。

だが、人が多くなれば、必ず搾取する人間が現れる。

搾取が起これば、当然のようにそこに貧富の差が起こる。

そしてこの国は、富はともかく、貧などその存在すら容認しない。

神の下、貧しいものなどあってはならないのだ。

だから排除する。

壁を造り、徹底的に無かったことにする。

この国には、富める心正しきものしか存在しないのだと。


「国外へ輸出する聖水や聖薬、聖術具などは、クルス教で作っていますが、その材料調達までは、自給自足のコールでは、賄いきれませんから。その点、国民でない(・・・・・)彼らへの救済にはちょうどいいのです」

「それなら、普通に農民や鉱夫として受け入れればいいじゃないですか」

「さて。それでは困るどなたかがいらっしゃるのでしょう」

 王国の貴族たちと同じだ。

スラムの彼らから搾り取り、利を得ている者がいるのだろう。

他にも様々なところで、こういうことは起こっているのだろう。


「私は、クルス教の教えが間違っているとは思いません。ですが、それは現実を無視してまで強制されるべきではないと思っています。今この国では、教会の教えを第一とする旧体制保守派の〈教会派〉。そして、より現実に即し、庇護と自立支援を行うべきだと考える新体制改革派の〈教皇派〉に別れているのです」


 リサの説明で納得する。

確か、西国(エティウ)軍部の介入で、コールに政変が起こりそうだという話をフラウからも聞いていた。

つまり、この新体制派の思想こそ、エティウからの工作の結果なのだろう。

不自然な平等を重視する社会に、自然な不平等を意識させ、その過渡期の混沌の中でコールの首脳部に間者を紛れ込ませたり、自国に有利な条約を取り付けたりを狙っているのだろう。


 しかし、この流れは、こちらとしては喜ばしいものではない。

コールのみならず、世界中に影響力のあるクルス教を利用することで、魔族との対立を抑えようというのだ。

そのクルス教自体が揺らいでいるようでは、話にならない。




「なるほど、分かりました。それで、リサさん、そして教皇猊下自身はどちらの派閥なんです?」

 僕の問いに他の皆が首を傾げる。

今の話を聞いていなかったのかと。

リサは旧体制に納得が言っておらず、また、新体制もその名を教皇派なのだと言っていたのだから。


「ふっ。なるほど。“魔帝(マギスタ)”の(あざな)は、伊達ではない、ということですか」

 しかし、皆の予想に反し、リサは初めてその澄ました表情を崩す。


「ええ。私、そして教皇猊下は、旧体制派ですよ」

「えぇ!?」

 僕を除く一同は、驚きの声を上げる。

これはリサからのテストだったのだろう。

いくらリュオからの紹介とはいえ、自国のデリケートな問題について、他国の人間をいきなり信用出来るはずもない。

そもそもが協力していると言っても、リサとリュオも他国同士、つまりは敵対関係と言っても過言ではない。

今は、互いに目的と利益が合致しているだけということなのだ。


 それを踏まえて考えてみれば、この状況は想像がつく。

メイシャのご両親からの情報では、エティウ軍部の画策により、コールに新勢力が生まれたという。

つまり国民に主体を持たせる新勢力、教皇派がエティウが支援する派閥のはずだ。

だが、同時にその作戦にリュオは組みしていなかったはずだ。

エティウもまた、一枚岩ではない。

リュオもエティウの新勢力、親女王派に属している。

だからこそ、エティウ軍部が支援する教皇派の作戦に僕達を送り込めるほどの発言権があるはずもないのだ。

つまり、エティウ軍部と繋がりのある教皇派ではない、教会派である可能性が高かったのだ。


 教皇自身が、旧体制側であると睨んだ理由は、勘としか言い様がない。

あえて言えば、二つほど根拠はある。

一つは、ここが『神』の根城であるクルス教の国だからだ。

『神』は、クルス教を隠れ蓑として人間の動向を管理している。

ならば、自分が作ったこれまでの体制に逆らうような人物を、教皇に据えるわけがない。


 もう一つは、以前の四校戦で見たイメージだ。

心身に疲れ、覇気のない陽炎のような初老の男性。

それが教皇だった。

言ってしまえば、お飾りなのだ。

意識しているかどうかは別とし、『神』の傀儡となる人形。

そんな男が、旧体制を壊して新しい世界を作るなど、思うはずがない。


「教皇派とは名ばかり。教皇の庇護の元、自分たちがこの国を支配するというのが、新体制派の目論見です。わたし自身としては、現在の国の有り様に思うところが無いわけではありませんが、教皇様に忠誠を誓った身です。彼らの思うようにする訳には行きません」

 つまり、リサ自身の考えとしては、教皇派、いやもう混同しないよう新体制派と言おう。

彼らの表向きの(・・・・)目的に同意しているのだろう。

クルス教による完全管理は、どうしても不都合が生じる。

それが先程見たスラムの隔離などの歪みなのだ。

だが、それとは別として、クルス教徒としてのリサは、教皇を傀儡として自分たちが支配しようとする、彼らの本当の(・・・)目的に対して忌避感を感じている。

現在のリサの立場としては、後者に重きを置いているという訳だ。


「今の私は、教皇直轄の軍事行動部隊、黒法衣戦団(ノアルオルドール)の工作員です。普段はあの事務所で換金作業の事務員として情報収集の任務に当たっています」

 黒法衣戦団(ノアルオルドール)とは、母さんも所属する、クルス教の武装集団だ。

その任務は、民の救済の他に、クルス教に対する外敵の駆除も存在する。

リサは、後者側の任務にあるのだろう。


「そうしていると、見えてくるんですよ。外国から見たこの国の歪さ、醜さが。それでも、それよりもなお醜い、権勢に群がる害虫などよりも幾分ましなのです。だからこそ、クーガ将軍からの教皇との橋渡しを取り付けました」

 既にリサの顔には、いつも通りになんの感情も映っていない。

だがその瞳には、明らかに燃えるような熱意が輝いている。


「私の目的は、コールに巣食う私欲に溺れる亡者達の駆除です。そのために利用するのは、エティウだろうとあなたがた冒険者だろうと構いません。ただし、あなた方がクルス教を害するものだと判断したら、その時には国が動くまでもなく、私があなた方を処分する。それだけは覚えておいてください」

 感情の込められていない表情は、いっそ酷薄な雰囲気を纏う。

ギラついた熱意と冷徹な殺意を込めた瞳だけが僕達を抉る。


「了解した。僕達の目的は、人心の保護。それがクルス教と教皇に害するものでないよう、僕達も約束します」

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