第十章)そして北へ 幻想魔団
▪️そして北へ④
「アロウ。だからってこれはないのでは……」
ため息混じりに今日何度目かの、そして、エティウを発ってから毎日のように繰り返されるボヤキを聞きながら、なんとかリリィロッシュを宥める。
コール聖教国に入り、既に一週間になろうとするが、僕達は、冒険者でもエティウの息がかかった間者でもなく、大道芸人《幻想魔団》として旅をしている。
コールでは、冒険者という職業に需要がないのだ。
コール聖教国、いやクルス教の教えでは、個人での資産の所有を認めていない。
全ては平等に。
小さくは家族で物を分かち合い、村単位で分かち合い、街で、そして国全体で全てを分かち合う。
生活は原則として自給自足で完結し、国民の多くは、特定の職業というものを持たない。
あくまで分業という形で専門の仕事をし、配給はそれぞれのグループ単位で振り分けられる。
村の若手が森へ入り、老人や女衆は作物を作る。
水車や家が壊れれば村総出で直し、子供たちは皆で野草を詰んでくる。
そうして生まれた日々の恵みは、村長の代わりとなる司祭の監督の元、各家庭に平等に分配されるのだ。
一応、村同士の交流や移動商人とのやり取りのため、貨幣の流通こそあるものの、一般的には物々交換が一般的だ。
では、村で対処しきれないような魔物が出た時にはどうするのか。
他国ではそれを冒険者に依頼するのだが、コールでは労働に対し報酬を支払うという概念が乏しい。
魔物の討伐も出来るものがやり、特別な報酬はない。
その恵みも困難も、皆で分ち合うという考え方なのだ。
冒険者にしてみれば、命がけで魔物と戦っても感謝も報酬もない。
皆で分かち合う恵みとして食事程度は出されるが、売り物となる素材も村の財産として持っていかれてしまい、生活が成り立たない。
そこで派遣されるのが、母も所属する《黒法衣戦団》となる。
逆に言えば、《黒法衣戦団》があるからこそ、冒険者という職業が不必要なのだとも言える。
コールに存在する冒険者学校も、その卒業生の殆どは戦団に入団するのだ。
「まあまあ。リリィロッシュもその格好の必要性はわかってるんでしょ?」
「それはそうなのですが、やはり……」
話は戻るが、そんな訳で今は冒険者ではなく大道芸人の一座として旅をしている。
そして、普段は何ひとつ文句など言わないリリィロッシュが、こうまでブツブツというのにも理由がある。
「えー、でもリリィロッシュさん、とってもかわいいです」
メイシャからフォローが入るが、リリィロッシュの姿を見れば自然と笑いが込み上げてしまう。
極太の尾は、馬車を引く魔蜥蜴のものよりも大きく、その頭には自身の顔よりも巨大な巻角が一対、天を突くように生えている。顔や肌にはおどろおどろしい紋様が刻まれ、身を覆う衣服は、これまたあざとすぎるまでに悪趣味極まりない。
簡単に言ってしまえば、人間が百人いたら百人がそう想像するだろう、『魔王』の姿なのだ。
幻想魔団の芸は、至ってシンプルだ。
魔王であるリリィロッシュが村人を襲い、勇者であるラケインがこれを撃退するというストーリーの下、魔法や宝具を使って派手なショーを行う寸劇仕立ての見世物だ。
無論、報酬こそ出ないが食事を提供してもらう代わりに余興を見せる、聖地巡礼中の旅の一座という触れ込みで各地を巡っているのだ。
問題は、その魔王の姿だ。
名誉のために、元『魔王』として一言断っておくが、魔王時代にこんな悪趣味な格好をしたことなどない。
これは四代前、既に七百年近く前の魔王の姿だ。
当時の魔王は、自らが魔王城の維持ではなく、自前線に立つ武闘派だった。
だからこそ、人間が魔王と言えばこの姿を想像するのも無理はない。
また、当時はこの姿もさほどおかしいものではなかった。
だが、それから時代は移り、人間も魔族も装いの流行りは変わっていく。
さらに言えば、リリィロッシュの見た目の美しさと相まって、滑稽きわまりない姿となってしまっている。
「魔王ならアロウがやればいいのです。私だって勇者側がいい!」
演劇とはいえ、魔族としてそれは如何なものかとも思うが、この配役にも理由がある。
「それもみんなで相談して納得したでしょ。ここはクルス教の勢力圏。リリィロッシュが魔族だと見破られる可能性もある。だから、万が一バレた時にも、力の弱い下位魔族をアピールできるように、あえて魔王役になってもらってるんだから」
人心の統制、そして『勇者』の神託を告げるために『神』が作り出したクルス教だ。
その神聖魔法は、対魔族の色合いが強い。
リリィロッシュの変化魔法ならば、まず問題ないと思うが、念には念を入れて置いた方がいいだろう。
まさか魔族が、それも最上位魔族の淫魔が、こんな滑稽な魔王姿をしているなど誰も信じないはずだ。
「ですが……、屈辱です」
そう言って頬を赤らめるリリィロッシュを皆で慰める振りをしつつ、笑いを堪えるのだった。
とある村。
「我こそは、魔界の支配者。人間どもよ、恐怖に震えるがいい!」
視認できるほどの濃密な魔力が吹き荒れ、魔王が逃げ惑う村人達に火の雨を降らせる。
家屋が吹き飛び、大木はへし折れ、馬車が燃え出す。
木立の影を縫うように走る小さな影。
それは小柄な青年とその妹であるようだ。
「兄さん、待って……。きゃっ!」
「立つんだ! 早くしないとあいつが!」
足元をとられ倒れる妹に兄が肩を貸すようにして逃げようとしたその瞬間、それを嘲笑うかのように、禍々しい杖を持つ魔王が兄妹の前にたちふざがる。
「妹に手を出すな! 僕が相手だ!」
兄は震える手で木の枝を剣代わりにして魔王に立ち向かう。
その光景に目付きを鋭くした魔王は、再び火球の魔法を使い、火の雨を降らせる。
あたりに響く炸裂音。
だが、先程のものよりも明らかに威力が強い。
「いい加減にお仕置きが必要なようですね」
「あ、あれ? あちっ、ちょっとリリィ……、うわぁっ!」
みなまで言うまでもなく、演劇の話である。
もちろん、火の雨というのも炎の魔力を活性化させただけの発光体。
木も馬車もただのハリボテである。
だが、妹の手を引く兄に当たる火球だけなぜか本物のようだ。
今日もコールの村で演劇を交えたショーを行っている。
勇者の活躍を描く物語は、それこそ星の数ほどあり、昨今では魔王が主人公となるものまであるようだ。
だが、共通して言えるのは、魔王及び魔族は悪役であり、最後には勇者の活躍により敗れるという点だ。
僅かながらに魔王を主人公とする演劇の中で、人間を悪役としたものもあるにはあるようだが、さすがに不謹慎だとして人気の出た試しはない。
「待て! 罪のない村人に手を出すな!」
大剣をゆっくりと振り上げ、颯爽と登場する勇者ラケインに、観客から盛大な拍手が送られる。
僕達が選んだのは、平和な村に現れた魔王を勇者が倒す古典的なものだ。
王道の物語を背景として、各場面ごとにそれぞれの得意とする芸を披露していく。
強大な魔法を操る魔王リリィロッシュに対し、豪剣を操る勇者ラケイン、素早い身のこなしで軽業を魅せる剣士メイン、そして魔法で場を和ませる聖女メイシャによるパフォーマンスショーである。
ちなみに村人役の僕とペルシは、そうそうに退場して司会進行と魔法効果による演出役となる。
魔王により召喚された小型の魔物を、メインが目にも止まらぬ早業で投げナイフで撃ち抜く。
聖女メイシャが魔力で操った水で水流のダンスを見せたかと思えば、小屋ほどもある巨岩を勇者ラケインが切り裂いた。
時に光を撒き散らし、時に影で恐怖を煽る。
炎が舞い踊れば、水流がそれを追いかけ、一陣の風が吹去った後には、土のゴーレムがダンスを踊る。
観客からどよめきと歓声が上がる。
ショーの受けは、好調のようだ。
「おのれ、勇者どもよ。だが、魔王の力はこんなものでは無いぞ」
数々の危険をかいくぐり、いよいよクライマックスへと突入する。
魔王リリィロッシュが小瓶を地面に叩きつけたかと思うと、そこには巨大なドラゴンが現れた。
地を震わすほどの咆哮。
実際のドラゴンもかくやという迫力に観客から小さく悲鳴が上がる。
馬をも飲み込もうかという巨大な顎。
凶悪な風邪をはらんで振るわれる尾。
しかし、剣士メインの動きに翻弄され、ドラゴンの攻撃は、空を切るばかりだ。
そして、やぶれかぶれの一撃は、勇者ラケインによって大きく弾かれる。
「縛れ、封印の呪文! 今です、勇者様!」
聖女の魔法により、光の鎖がドラゴンを封じ込める。
そして勇者の剣も神の加護により光り始め、ついにドラコンを打ち倒すのだった。
「これで終わりだ」
「おのれぇ、人間め」
闇のチリへと帰ったドラゴンから、魔王が転がり出る。
ドラゴンは魔王の変身した姿だったのだ。
「最後に聞いておく。何故、人間の世界を襲うのだ」
勇者ラケインが、魔王リリィロッシュに剣を突き付け尋ねる。
「聴け、人間の勇者よ。我々の世界は、荒れ果て生きていくことさえ難しいのだ。だから、我らはこの世界へ逃げてこようとしたのだ」
「魔王よ、ならば戦わずに手をとりあえばよかったのだ。これ以上、罪を侵さぬなら見逃そう」
魔王は、勇者に感謝の言葉を述べながら逃げざる。
そうして、世界は平和となり、未来永劫に栄えていくのだった。
そう、これこそがこの演劇の目的。
魔王が人間を襲い敗れる典型的な物語。
言うまでもなく、それは数千年もの間繰り返された、人間たちの知らぬ現実の出来事。
誰も気にとめないショーが終わったあとのフィナーレ。
それでも、僅かにだけでも数千年の間に忘れ去られた何故という種を植え付けたかったのだ。
今はまだ、その種が芽吹くことを祈るより他にはないのだが。
「やぁ、お疲れ様でした。この小さな村では、娯楽に乏しくてね、皆、大いに楽しんでもらえましたよ」
ショーの後、村を取り仕切る司祭から労いの言葉と食料が届けられた。
個人での蓄財を認めないコールの文化では、演劇に対する報酬はない。
その代わりに寝床と食事が振る舞われ、逆に不足物資なども供給される。
あくまで皆で平等に、というわけだ。
「いえ、以前からの夢だった、大聖堂への巡礼が叶うのです。こちらこそ助かってますよ」
クルス教徒にとって、コール聖教国の中心部であるクリスタリア大聖堂、通称・白神殿への巡礼は、憧憬の象徴である。
だが、収入を得る手段が限られるコール国内の移動は、貨幣経済に慣れた他国の人間には、精神的にも肉体的にもかなりの困難が伴うのだ。
「いやいや。皆さんの芸も実に見事なものでしたよ。旅芸人の一座は、時折立ち寄るんですがね、魔法をあれほど派手に見せることが出来るとは。私も楽しませてもらいました」
司祭は、満面の笑みで最大級の賛辞を述べる。
楽しんでもらえたのならば、それはそれで幸いだ。
「しかし、あの話の結末は斬新でしたなぁ。魔物は敵と神殿も教えていますが、魔王もまた被害者とは。神の慈悲により、現実もああやって丸く収まれば良いのですが」
「ええ……。そうですね」
そうしてみせる。
必ず。
まだ先が見えぬばかりか、ますます混迷を極めるこの世界だが、必ず、魔族を、人間を、世界を救ってみせる。
そう改めて誓うのだった。




