第二章)冒険者の生活⑫ 真実を知って
ここまで、一気に語り尽くした。
人間が唯一の大地と信じ、魔族が〈クィメール大陸〉と呼ぶこの大陸は、神の力でねじ込まれた偽りの楽園であるということ。
そのために、世界が崩壊の危機に頻していること。
そして、それを救うために魔族がこの大陸へやって来ていること。
いずれも、人間である二人には、初めて聞くことで、また、理解が追いつかないでもいるはずだ。
「……私は、『神』を信仰する僧侶ですが、そのような話は初めて聞きますね。そして、その話が事実なら、この世界が『神』によって滅ぼされつつあると?」
全てが真実とは信じられないまでも、僕の話を本気で聞いてくれてるのだろう。
エレナ先生は、顔色を青ざめて聞き返す。
「半分は正解ですね。僕の認識が正しければ、エレナ先生の信仰する神は、僕の言う『神』ではありませんけど。この世界で信仰される神の多くは、魔族も信仰する神と同じですよ」
「ちょっと待ってください。神の多くとは? それに魔族が神を信仰しているって!?」
どうやらこの話題も人間にとっては禁忌だったらしい。
「ええ、魔族も神への信仰はありますよ。先生の信仰しているのは、魔族でいう慈愛の女神・ラヴィーネです」
「……神は、存在する?」
ここでラケインも口を開く。
どうやらラケインは、魔族に育てられたと言っても、常識の部分は人間に合わせて教えられたらしい。
「魔族にとっての神々は、あくまで信仰上の存在だよ。女神・ラヴィーネと同様ね。聖職者の先生の前で言うのもなんだけど、大勢の思念の結果として、そういう存在が、現象として発生することはあっても、存在するとは言えないね。……ただし、この世界に降り立った『神』、あいつは別物。あいつは本当に存在する。まったく、神々と同じ次元の存在のくせに、現世に実在して力を振るっているなんて、馬鹿げているとしか言いようがないよ」
「……言葉も出ませんね。私たちの教えでは、神は唯一無二の存在で、私たち人間を見守る大いなる父であり母です。それが、私たちの信仰する神が別の存在だと?」
「そうですね。断っておきますが、あくまで魔族の認識では、の話です。僕はこの話を信じていますが、ここに至っては、魔族こそ偽りの歴史を信じ込まされている、という可能性も捨てきれませんし」
そうなのだ。
人間にとっては有史以来三千年前、魔族に至っては一万年前からの話なのだ。
今や、そのどちらが真実かという証拠などない。
「……魔族の目的は、この世界に魔力を流すこと、か」
ラケインがつぶやく。
「……もし上手くいったら、濃すぎる魔力がこの世界に流れ込むわけだな。強靭な魔族が変質してしまうほどの」
ラケインの危惧は正しい。
「確かにね。その結果、人間に被害が出ることは間違いないと思うよ。だけど、そもそもこのままだとこの世界そのものが終わってしまうんだよ。それが、何千年後か、何百年後か、それとも今この瞬間に訪れるかは分からないけど」
「でも、それが人間を犠牲にしていい理由にはならないじゃないですか!」
エレナ先生が叫ぶ。
勇者パーティとして、人間を守護してきた身だ。
その憤りは分かるが、僕は首を横に振る。
「いえ、それは魔族の国の惨状を見てないから言えることですよ。それに、もう何千年も前の話にはなりますが、魔族は人間と話し合いを持とうとしてきました。それを神に唆されて、一方的に攻撃してきたのは人間の方です」
そう、そして魔族にも多大な被害が出た。
もはや、魔王の言葉でさえ、人間への恨みは止められない。
そして人と魔族の戦争が繰り返されているのだ。
エレナ先生は青ざめた顔のまま項垂れている。
無理もない。
これまで信じていた教えや常識が根こそぎ崩れ去ったのだ。
まして、これまで悪と断じてきた魔族が、単なる破壊者でないと分かったのだ。
僕も、これまでの悩みや重責を言葉にしてしまって、力が抜けてしまった。
数秒、沈黙が流れる。
ここで口を開いたのは、やはりラケインだった。
「アロウ。魔族に理由があるのはわかった。だけど、今、実際に俺達は魔族に襲われている。そしてもし人間が敗れれば、魔力が押し寄せて人間が破滅する。その事になんの変わりもない」
確かに、魔族の理由を話したところで、このままでは結論は変わらない。
人間が誤解している。
いや、なにも理解していなかった。
それがわかった今、新たにやるべき事がある。
「ラケインの言う通りだな。でも、以前の魔王だった僕ならどうしようもなかったけど、今の僕は人間だ。人間と協力して、汚染された魔力を浄化しながら、この地に魔力を行き渡らせる。そうできたら、問題は開けるんじゃないか?」
そうであればいいと思う。
ただの子供の冒険者である僕がどうしたらいいのかなんてわからない。
その方法があるのかも分からない。
それでも、もし、この状況を変えられるとしたら、その方法しかないと思った。
しかし、
「待ってください、アロウ。あなたの考えは分かりました。ですが、それは以前の話でしょう?今は、小魔王の時代なのです。彼らは正しく暴虐の限りを尽くしています。これについて、あなたはなにか知りませんか?」
そうだった。
エレナ先生の言葉で思い出したが、今は、かつての魔王が一人だけ生まれていた時代とは違う。
何故か、前世の僕が倒れてすぐに、新たな魔王が誕生したのだ。
それも複数。
こんなことは、知る限り歴史上にもなかった事なのだ。
「こちらの問題を解決しない限り、今人間に訴えかけても、誰も取り合いませんよ?」
「……エレナ先生の言う通りですね。失念していました。すみませんが、あの小魔王については、魔族側でも初めての経験なんです。原因も目的も今はわかりません」
まいった。
これでまた降り出した戻ってしまったか。
「そうですか。魔王でも知りえないとなると、本当にイレギュラーな存在なのですね、彼らは。もしかしたら、私たちの問題も解決するかと思ったんですが」
エレナ先生が、そう呟く。
「問題? そう言えば、エレナ先生は、今は『僧侶』でなく、魔法使いを名乗ってるんでしたね。他の勇者パーティたちも今はどうなっているんですか?」
そう言えば、そんな話も聞いていた。
実のところ、予想はついている。
だが、仮にも魔王が認めた彼らがそんな状況になっているとは思いたくなかった。
「魔王を倒してから三年。新たな魔王を名乗る、小魔王が誕生しました。焦りましたよ。これまでの常識では、一度倒した『魔王』は、最低でも六十年は、復活しなかったのですから」
そうだ。
記憶はないが、僕もそう知っている。
「私たちパーティは、小魔王の討伐と調査に向かいました。そうしているうちにも、次々と新たな魔王が誕生したのです。私たちも驚きました。多少強いだけの魔族が魔王を名乗っているだけかと思えば、その覇気は、明らかに魔王のそれでしたから。しかも、それが何人もいるですよ」
そして、ぐっと拳を握る。
その表情は暗い。
「次第に世界は、私たちを疑い始めました。魔王の討伐に何らかの不正があったのでは、この最悪の状況は私たちのせいなのでは、と。そして、私たちは小魔王の討伐を義務化され、王国からのサポートも受けられなくなりました。国や教会からは裏切り者扱いされ、戦いだけを強いられる。私たちは、あるクエストを利用し、死んだフリをして身を隠していたんです」
そう、告白した。
やはり、という思いだった。
それ以外に、救世の英雄である勇者パーティが身を隠す理由などない。
誰よりも困難な道を歩いた英雄は、このかつて無い異常事態の怒りのやり場として、世界の生贄となったのだ。
「勇者や他のパーティはどうしてるんです?」
あの英雄達だ。
先生同様にどこかで平穏に生きていてほしい。
そう願って聞いてみた。
しかし、現実は残酷だった。
「ある小魔王の討伐に向かった時でしたが罠でした。王国の支援も受けられず、私たちは逃げる事しかできませんでした。その時に『勇者』が亡くなり、私たちのパーティは解散しました。以来、私たちも連絡を取っていません」
エレナ先生は悔しそうに唇を噛む。
せめて、王国の支援があれば、下位の魔物相手に体力を削られることもなかった。
違和感を感じて罠を察知することも出来た。
何より、『勇者』の心が折れることもなかった。
そう、涙したのだ。
「そうですか。あの『勇者』が……」
僕としても忸怩たる思いがある。
彼は誰がなんと言おうと、『魔王』の宿命のライバルだった。
永遠の宿敵だったのだ。
既に敗れた身だが、彼が死んだなど、聞きたくなかったのだ。
しかし、そうすると疑問がわく。
「そうすると、今代の勇者はいないということになりますね。これだけ魔王が発生しているのなら、勇者もまた誕生していていいと思うんですが」
「……? 魔王の誕生と勇者と関係があるのか?」
ラケインが尋ねる。
そうか、勇者の仕組みを人間は知らないのか。
「大ありだよ。さっき言っただろ? 『神』は魔族が嫌いなんだ。だから、『魔王』がいれば、それを倒す『勇者』を作る。『勇者』は、『神』が作った『魔王』討伐の装置なんだよ」
故に、神の代弁者。
神は、魔王を、魔族を排除したいのだ。
人間にとって『勇者』とは、『魔王』を討つべく、『神』が教会を通じて神託で定めるものである。
ある日、どこどこの村の誰が新たな『勇者』なのだと、神託が降りるのだ。
勇者は旅立ち、押し寄せる魔族を倒す旅に出る。
そして数々の苦難を乗り越え、仲間たちと共に『魔王』を倒す。
これが過去何度も繰り返された歴史だ。
「今のところ、新しい『勇者』誕生の神託は発表されていません。私自身は教会と縁を失いましたが、情報をくれる協力者はいるので」
エレナ先生がそう言うのであれば、新たな『勇者』は、まだ誕生していないのだろう。
しかし、そうすると、小魔王たちが誕生してすでに十年。
しかも今回は、箱庭であるこの大陸に勢力を持っているのだ。
いくら何でも、あの『神』がこの状態を見過ごすとは思えない。
謎は深まるばかりだ。
ここでの会話は有用だったが、これ以上の情報は出てこないだろう。
となると、次に話を聞くべき相手は限られてくる。
……まともに話を聞いてくれるかは、甚だ疑問だが。
「『勇者』不在の今、これ以上の話を聞こうとするとなると……」
そう呟くと、ラケインが声を重ねる。
「『神』と小魔王、か」
僕は頷いて返した。
それから一週間後、学校に一人の臨時教員が赴任した。
褐色の肌に漆器のような艶を持った黒髪。
否が応でも目を引く美貌の高位冒険者。
無論、リリィロッシュである。
エレナ先生に相談した結果、著しく戦闘技術の高い学生の為の特別教員、という名目で学校へ招聘されたのだ。
「お初にお目にかかります。リリィロッシュです。先生のお話はアロウからよく聞いています」
「初めまして。エレナ=クレスケンスです。宜しくお願いします」
互いに初対面ということもあり、見た目には、にこやかに挨拶を交わしているが、その空気はかなり張り詰めている。
かたや魔族、かたや勇者パーティなのだ。
リリィロッシュに、先日の内容を改めて伝える。
手紙には、危険すぎてその内容を書くことが出来なかったのだ。
「……そうですか。小魔王たちの台頭に、人間達もかなり混乱しているようですね」
直接、勇者達と接触のないリリィロッシュにとっては、勇者パーティの解散は、情報以上の価値はなかったようだ。
「そうだ、リリィロッシュ。君の意見も聞きたいんだけど、小魔王達は、旧魔王軍と対立しているのかい? リリィロッシュといい、以前遭遇したガイハオルもそうだったけど」
ガイハオルというのは、《“紅”の魔王》と遭遇した時に殺された、獅子頭の軍団長だ。
あれで、軍団長の中でも武闘派でならした剛のものだったのだが。
「そうですね。私たちにも理由は分かりませんが、小魔王たちのうち半数ほどは、旧魔王軍の残党刈りを行っているようです。残り半数も協力的ということもなく、静観しています」
「そうか。ということは、小魔王のほぼ全てが敵とみて間違いなさそうだね」
人間も、魔族も、当然『神』も敵。
世界の全てが敵となってしまった。
唯一の救いは、まだ向こうがこちらを敵と見なしていないことくらいか。
このままこちらも静観するなら、さしあたっての危険はなくなる。
だが、そんなことは許されない。
世界の崩壊は、もはや予断を許さないところまで来ている。
ましてや、現状でも小魔王たちと人間は争っているのだ。
その中には、ヒゲや母さん達もいるはずだ。
人間との争いを回避し、小魔王たちをまとめ、『神』からの干渉をなくす。
味方がいない中で、世界の全てを相手にする。
やれるか、ではない。
やらなければ、世界が滅ぶのだ。
「今の段階で、話を聞けそうなのは、小魔王《“紅”の魔王》だ。リリィロッシュ、なんとか彼に会いたいと思うんだけど、方法はあるかい?」
冒険者として一線で活躍するリリィロッシュをあてにして聞いてみる。
しかしリリィロッシュは横に首を振る。
「アロウ、気持ちは分かりますが今は時期尚早です。かの魔王の居城は分かっています。会おうと思えばいつでも会えますよ。しかし、今はまだ実力不足です」
リリィロッシュからストップが入った。
「戦うにしろ話をするにしろ、力がなくては、対面することすらできませんよ。アロウは確かに強くなりました。しかし、相手は仮にも魔王です。最低でも、勇者と同レベルまでには強くならないと話にもなりません」
言っていることは正論だ。
しかし、勇者と同レベル……。
簡単に言ってくれる。
「私も同意見です。全力を出してないとは思いますが、先日の立ち合いを見るに、アロウもラケインも、一線級の冒険者と変わらぬ実力を持っているとは思います。ですが、まだまだ強くなれるし、ならなくてはいけません」
エレナ先生も同意する。
「アロウ。色々な事実や問題が表面化して焦る気持ちは分かります。それでも、アロウは一人しかいないし、まだ成長途中なのです。今は、出来ることを、力を付けることをすべきです。あれで、ギルドの評価は正確ですよ。アロウが正しく力を付けたのなら、黙っていても魔王と関わることになりますよ」
気持ちがはやり過ぎていたのか。
確かに、魔族と人間の認識の違いや、勇者パーティの顛末。
ラケインの意外な過去など、いろんな問題が目の前に来たことで焦っていたのかもしれない。
「わかったよ。この話は一旦保留と言うことにして、今は学校で力を付けることにするよ」
そう同意すると、エレナ先生とリリィロッシュが、笑顔になる。
あれ?
この笑顔、どこかで見覚えが……。
「分かってもらえたようで嬉しいです。せっかくアロウの教官となれたのです。明日からみっちりといきますね」
「そうですね。勇者様と同レベルを目指すのですからね。私も不肖ながらお手伝いしますよ、アロウ」
戦々恐々とする僕を横目にして、腕がなると言わんばかりに、二人はニコニコと笑うのだった。