第九章)最後の魔王 断罪
▪️本当の脅威①
リリィロッシュと鬼の軍団との戦いに決着が訪れた頃、もう一つ、戦いが終わろうとしていた。
「死ねい! 暗黒系魔法・怨嗟の嘆きっ!」
上空に浮かぶ巨大な暗黒球で目を引き、足元に病魔の呪いを宿した闇を這わせる。
そして、身動きの取れない相手に黒球を破裂させる。
ほんの一雫でさえ意識を奪い、二雫で命を奪う致死の滝を浴びせかけるのだ。
メイダルゼーン最大の魔法。
だが、それを目にし、勝利を確信する。
「……はぁ。これを待っていたよ」
そして、それが再び姿を現す。
「責めよ四天、嘆け呪殺の乙女! 再臨せよ、嬌声に抱かれし虚無!」
突如、闇に覆われた地が裂ける。
そして、裂け目から吹き出す黒き極光。
引き裂かれた闇から姿を表したのは、漆黒の女の顔。
「ば、馬鹿な! 虚無だと!? 病魔の呪詛を受け、そんなモノ、喚べるわけが無い!」
狼狽えるメイダルゼーンをよそに、色欲の乙女が放つ光線が、致死の滝を飲み込む。
「当たり前だろ? 派手な黒球に意識を奪わせ、足元を病魔の闇で固めて、行動権を封じた上で致死の滝をふらす。そんなの分かっていれば、足を防御魔法でかばうに決まってるさ」
そう。
メイダルゼーンが勝利の一手に繰り出すのは、この技だと確信していた。
だから、足元を常に防御魔法で守っていたのだ。
「知るはずがない! この技は、今まで誰にも見せたことがない。そして、魔族でもこの技を使えるのは、俺しかいないはずだ。それが何故! 初見でこの技を見破れるわけが無い!」
メイダルゼーンが叫ぶ。
使い手がいない初見殺しの魔法。
確かに、この怨嗟の嘆きは、強力な魔法だが、なにも最強の魔法という訳では無い。
だが、相手の死角を付き罠にはめるその効果は、知らない者には、絶対の必殺技となる。
「何もおかしくなんてないさ。それに、この魔法を使うのがお前しかいないって? それは正確じゃないだろ? こいつは、効果が回りくどいって幹部に不評だったから広めなかったが、お前だけがこの術を覚えた。確かに、騙し討ちなんてお前が好きそうな魔法だよ」
「ど、どうして、どうして貴様が、人間ごときがそれを……。ま、まさか、まさか、まさかまさかまさか、そんなはずがぁぁぁ!?」
狼狽えるメイダルゼーンを見下し、それを告げる。
「なぜこの魔法を知ってるかって? だって……、なぜならば、我が発明した魔法だ。知らぬはずがあるまい?」
「ま、『魔王』様ぁぁぁ!!!」
「ギィィアァァァァァァっ!」
数瞬遅れ空間を引き裂くほどの叫びが響き渡る。
色欲の乙女の叫びとともに、飲み込まれた致死の滝が、津波のようにメイダルゼーンへと押し寄せた。
「ぐげ、げはぁぁっ!」
嬌声に抱かれし虚無によって反射された怨嗟の嘆きがメイダルゼーンを飲み込む。
しかし、致死の呪詛を文字通り滝のように浴び、それでもなおメイダルゼーンは死ぬことを許されない。
腐っても“王”級の最上位魔族。
暗黒系魔法の呪詛といえど、即死させてもらえるほど、魔力抵抗が弱くないのだ。
「あ、熱い、寒い、痛い、苦しいぃぃ」
しかし、この場合はそれが災いする。
明らかに致死のダメージを受けても、自らの魔力がそれに抵抗する。
そして僅かながらに回復した途端に呪いが上書きされるのだ。
メイダルゼーンにもはや抵抗など考えるだけの余裕はない。
思考の全てを膨大な苦しみによってのみ支配されている。
にもかかわらず、死ぬことを許されないのだ。
「ぐ、ぐひぃぃ。お、鬼共よ! 俺を助けろ! ぐ、阿修羅よ、癒しを! 癒しをぉぉ!」
あまりの苦しみに、召喚した下僕達を呼ぶ。
自らに比する程の高位魔族をこの場に召喚できたのは僥倖だった。
確かに彼らならば、完全治癒とは行かなくとも、その呪いを軽減させることが出来る。
今でさえ、自身の治癒力とその呪いと拮抗しているのだ。
多少なりとも呪いが軽くなれば、復活することも容易い。
しかし、先程まで鬼の軍勢がいた方に視線を送り、メイダルゼーンはその目を疑う。
奇しくもまさにその瞬間、リリィロッシュが阿修羅の魔法をかき消し、斬り伏せたところだった。
「なぁぁっ!? 阿修羅が、俺の鬼の軍団がぁぁ!?」
メイダルゼーンが絶叫する。
無理もない。
メイダルゼーンは、これまでも危険が少ない戦場のみを選んできた。
今回も、激戦地である西国や南国を避け、わざわざまだ戦火の遠い東国までやってきたのだ。
自身が敗れたのには、まだ納得もしよう。
理屈は分からなくとも、相手は元魔王なのだ。
だが、絶対に負けぬはずの軍団すら名も知らぬ人間に敗れてしまったのだ。
「ばかな、ばがな、ばがな゛ぁぁっ! はっ、
オグセ! ブルーガ!」
メイダルゼーンが、もはや藁をも掴む気持ちで、呼び寄せていた牛巨神の兄弟の元へと駆ける。
「待て! 行かすか!」
「ひぃぃ。百鬼夜行!」
逃げるメイダルゼーンは、鬼の召喚を撒き散らす。
もはや固有能力など制御できる訳もなく、録に身体を構築できてもいない小鬼が湧いてでる。
しかし、それでも足止めには充分だ。
「くそっ、赤扇! ラケイン! メイシャ!」
爆炎の魔法で吹き飛ばし、メイダルゼーンを追う。
村の反対側で牛巨神と死闘を繰り広げているはずの二人の名を叫び、必死に駆ける。
「おおぉぉぉぉぉっっ!!」
そこで見たのは、牛巨神の兄、《蒼炎》のオグゼが放つ必殺の一撃を、ラケインが押し返している姿だった。
オグゼの持つ巨斧は、強力だ。
豪炎を纏ったあらゆるものを打ち砕く一撃。
戦士でなければ斧を防げず、魔法使いでなければ炎を打ち消せない。
その双方を兼ね備えなければ、オグゼの必殺技は、耐え切ることが出来ないのだ。
それをラケインは、真正面から受け止めている。
義父であるレイドロスから受け継いだ、剣技・大斬撃だ。
体内で練り上げた膨大な闘気。
それを剣に宿すことで、巨大な刃と化す。
遠く離れた敵を斬ることも、硬い岩の塊を砕くこともできる無敵の剣。
そして今は、オグゼの豪炎を弾こうとしている。
オグゼの魔力、そしてラケインの闘気がぶつかり合う。
既に技量は互角。
残るは、双方の気力の勝負であった。
「いかん、ダメだダメだダメだぁぁっ!」
しかし、それを許せるメイダルゼーンではなかった。
既に二度の敗北。
残る唯一の切り札である、牛巨神兄弟までも失う訳にはいかない。
呪詛で焼ける思考の中、必死に練り上げた魔弾をラケインに向けて放つ。
ラケインも、そしてオグゼも、それに気づくだけの余裕はなかった。
「やらせるかぁぁっ!」
間に割って入ったのは、《朱風》のブルーガ。
兄とラケインの衝突からメイシャを守っていたが、いち早くメイダルゼーンの凶行に気付き、身を張って魔弾を受け止めたのだ。
武人として尊敬する兄と、その兄と互角に撃ち合うラケインとの戦いに、些末な横槍を入れさせる訳には行かなかったのだ。
そして、
「邪魔を……」
「するなぁぁっ!」
高潔な武人である二人が、それを許すはずもなかった。
なんの合図もない。
無論、打ち合わせていたはずもない。
それでも、二匹の獣達が考えたことは同じだった。
オグゼの煌焰・神殺破。
ラケインの大斬撃。
二つが衝突する力場を、邪魔者へと打ち出したのだ。
「ハァァァァッ!?」
メイダルゼーンは、力の奔流に飲まれ、その姿を一粒たりとも残すことは無かった。
「ちっ。興が削がれたわ」
戦斧・神獣を肩に担ぎ、オグゼがぶふぅと鼻息を荒くする。
「上官が消し飛んだからには、勝負はここまでだな」
ラケインも剣を納め、停戦の意を唱える。
「ブルーガさん、大丈夫ですか?」
「いちち。あぁ、これしきどうということは無いさ。回復ありがとな、アルメシア」
メイダルゼーンの魔弾から兄を庇ったブルーガは、メイシャの回復魔法を受けている。
強者との戦いを誉れとする彼らも、好き好んで殺し合いをしている訳では無い。
戦闘の結果、命のやり取りとなることは覚悟していても、他人から押し付けられた殺し合いを是とするわけではない。
むしろ、命をかけたやり取りの中で、強い友情を築いていた。
つい今しがたまで、どちらかの死をもってしか決着がないだろうと思われた死闘を繰り広げた間柄ではあったはずが、むしろ旧知の親友同士であるかのような感覚を、四人ともが持っていたのだ。
「しかし、あれでもメイダルゼーンは、魔王軍の幹部。それをあそこまで追い詰めるとは、お前の仲間も大概なものだな」
オグゼがメイダルゼーンが駆けてきた方向に視線をやる。
純粋な興味もあったのだろうが、照れ隠し混じりの独り言だった。
すると、ラケインの仲間らしい人間の青年と、恐らくは魔族なのか、黒い装束を身につけた女が駆けつけてきた。
「万が一、とは考えたけど、思った通りの結果になったみたいだね」
アロウが苦笑する。
指揮系統がある状態ならばともかく、完全に戦いに熱中したオグゼとラケインならば、メイダルゼーンの横槍を許すはずがないとは思っていたのだ。
「ほぉ、このチビか。ラケインの友よ。人間の魔法剣士なのだろうが、貴様もやるもの……。む、むう? この魔力、どこかで……」
賞賛を送ろうとアロウに近づいたオグゼが目を丸くする。
目の前にいるのは、どう見ても人間の若者。
脳裏をよぎる、かの人物であるはずはない。
それでも、身に覚えのある魔力の雰囲気に、どうしても疑念を持たざるを得ない。
「ん? どうした兄貴……、ん、んん? おい、チビ。お前、ひょっとして……」
ブルーガも、同様の感想を持ったようだ。
しかし、牛巨神から見れば人間なんてみんながチビだろう。
この兄弟、失礼極まるのは、相変わらずのようだ。
「ほほぅ。この我をチビ扱いとは、面白いことを言うな、《蒼炎》に《朱風》よ」
「ま、『魔王』様じゃねーか!」
だから精一杯脅かしてやろうと思ったのだ。
「ほお、転生とは、噂には聞くが……。くくくっ」
「兄貴、笑っちゃ悪いって。あの『魔王』様が、ひっ、に、人間のチビに。ひっ、腹が痛てぇ」
最後まで気づかなかったメイダルゼーンに比べれば流石と言うべきだろうが、この二人からの扱いは、尚更に失礼な感じになってしまった。
そうだ。
この兄弟は、昔からこんな感じだった。
実力だけ見れば、充分に幹部を任せられるのだが、命令は聞かない上に、部下の統率など知ったことかと単独行動ばかり。
他の牛巨神に比べても抜きん出た力を持ちながら、作戦に組み込むことが出来ず、何度歯がゆい思いをしたことか。
この兄弟が率いた牛巨神と牛鬼人の軍団があれば、それだけで国の一つや二つを落とすことが出来たはずなのだ。
それでも、『魔王』としての力を認めてもくれていたようで、友としての頼みならば、二言を言わずに協力してくれた。
だから、正規の魔王軍とは別扱いで、直属の部下という扱いにしたのだった。
「しかし『魔王』様よぉ。あんたが人間になっちまったのは分かった。だが、あんたは今、どっち側の立場なんだ? 俺達も魔王軍なんぞ知ったことじゃないが、それでも人間が仇敵なのに変わりはない。返答次第では、いかに『魔王』様と言えど、見過ごせねぇぞ」
すぐ前まで笑っていたブルーガだったが、目付きを険しくし、あからさまな殺気を向けてきた。
魔王の命令すら聞かない二人だが、それでも人間に対する恨みは深い。
正確には、人間の世界全てを敵と見定めた時間が長すぎた。
敬服も親愛も比較にならぬほどに、魔族にとって人間とは敵なのだ。
だが、その答えは決まっている。
以前、リュオに問われて以来、その答えを心に決めている。
「悪いけど、今の僕は、『魔王』じゃない。だから、魔族の味方ではない。ただ分かって欲しい。『魔王』であったことも忘れたわけじゃない。今の僕は、魔族の味方でも人間の味方でもない。世界を救う。ただそれだけだ」
「へぇ。『魔王』様、ねぇ」
不意にかけられた声に、思わず総毛立つ。
確かに、難敵を倒し窮地を脱した安堵感はあった。
油断していたと認めよう。
それでも、数メートルしか離れていない屋根の上に現れたその女性に、この場の誰一人として気づかなかったのだ。
まるでこれまで倒した亡者の嘆きかこびりついているかのような、苦悶の表情を刻みつけた、漆黒の鎧。
背負う大剣は、返り血がこびりついてでも居るように赤黒く不気味に脈動する。
全身鎧を身にまとっているが、本人の小柄な体格のせいで、さほど大きくは見えない。
にも関わらず、一言声を発した後、もはや隠す必要も無いとばかりに放たれる存在感は、先程までのメイダルゼーンなどと、比ぶべくもない。
何より、その鎧には見覚えがあった。
精悍な表情に似つかわしくない、むしろ幼ささえ感じる整った素顔は初めて見るが、あれほど禍々しい鎧など、魔族の地にあってさえ、二つはないだろう。
「……いるなら声をかけてくれよ、“断罪”」
「あら。隠れて様子を伺っているのに、声をかける阿呆はいないでしょう? 『魔王』様」
そこにいたのは、かつての、そして現在の魔王軍四天王。
“断罪”のアンリエッタだった。




