第九章)最後の魔王 色欲
▪️魔王軍の襲来⑧
ちらとリリィロッシュの方に視線を送る。
よくやっている。
それがアロウガひと目見た感想だ。
最高位の鬼を含め、数百もの魔族を相手に、こちらへと意識が向かないよう牽制をしながら立ち回っているのだ。
高位魔族の彼女とはいえ、本来なら無茶な話だ。
メイダルゼーンを挑発するために先程はああ言ったが、この戦力差は、およそ絶望的だ。
魔王軍でも屈指の実力を持つ牛巨神の兄弟。
無尽に生み出される魔族の兵士。
正直にいえば、そのどれもが一国の軍が総力を挙げて対応すべき相手だ。
そして、こちらの目の前の敵も、決して侮れるような相手ではない。
暴鬼・メイダルゼーン。
第十軍団、第三部隊長。
それが奴の所属だ。
魔王軍の頂点に君臨する四天王、そのそれぞれに三つの軍団を配し、さらにその下にいくつかの部隊が存在する。
そのうちの一つ、鬼種を統括する部隊の長が、このメイダルゼーンだ。
残忍で狡猾。
その部隊が通り過ぎた後には、血と怨嗟しか残らないという。
魔族としての誇りも、戦士に対する敬意もない。
あらゆるものを蹴散らし喰らい尽くすそのやり口に、魔王軍の中でも彼を毛嫌いするものが多い。
それでも、排斥されることなくこの地位にあるのは、ひとえにその実力によるものである。
四本腕の剛力と堅固な体躯。
膨大な魔力量に高度な魔法技術。
自らが戦うことを嫌うが、その実力は正しく魔王軍幹部の名に相応しい。
「ほお、あの数の兵を相手取るか。やはりなかなかにやるわ」
メイダルゼーンもリリィロッシュを見てそう呟く。
そう言うと、“百鬼夜行”による召喚を中止し、こちらへと向き直り、これで詰みだと言わんばかりにニヤリと笑う。
やはり、手強い。
その下卑た口元、人を見下す曇った瞳からは、こちらを警戒したような様子は全く見られない。
事実、ハッキリと舐められているだろう。
それでもなお、固有能力の発動を止めた。
それは、今の戦力でもリリィロッシュを倒すのに充分だと判断したという事。
そして、万が一にも自分に危険がないように、その力をこちらへと向けた。
慎重、堅実。
そして、その戦力差を余裕と捉えるのでなく、相手を絶望させるために容赦なく全力を尽くす。
残忍かつ傲慢なその性格こそが、メイダルゼーンの強みなのだ。
「さて、小僧。貴様が何者なのか……。その体にゆっくりと尋ねてやるとするか」
そう言って無造作に放たれたのは、火炎の魔弾。
大きさはただの炎弾程度。
だが、一目見て肌が総毛立つ。
分析も何も無い。
ただ、全力で距離をとる。
瞬間、地を震わす轟音と、空を焼く熱波とともに、視界を巨大な炎の壁か覆う。
あれは、違う。
一瞬だが、解析できただけの術式を思い起こす。
恐らくは、第三領域にも相当する「炎爆」の大魔法を「凝縮」の風魔法で封じ込め、炎弾に似せて放り投げたのだろう。
冷や汗が、頬をつたう。
僕とて、第三領域の魔法を無詠唱で放つ程度のことは出来る。
事実、得意とする赤扇も難易度としては、第三領域に属する。
だが、無詠唱と無挙動では、話が違う。
詠唱を省略したとしても、その発動には、術式の構築、固定、魔力の溜め、そして発動と、様々なプロセスが必要となる。
だがメイダルゼーンは、正しく無挙動で、それこそ息を吸って吐くが如く、これほどの大魔法を放り投げたのだ。
さらに言えば、魔法と魔法は通常反発する。
にも関わらず、わざわざ別の魔法を使ってまで擬態することまでしてのけたのだ。
いくら魔族と人間では、内在する魔力量の桁が違うとは言え、これは、あまりにも……。
“暴”と“魔”の権化。
メイダルゼーンには、その二つ名があったことを今はっきりと思い出した。
「ほぉ、よく分かったな。だが、こんな子供だましで必死ではないか」
そう言うメイダルゼーンの両方の両腕には、計四つの炎弾が、いや、爆炎弾が揺らめいている。
魔力を吸って吐くだけ。
つまり、これほどの大魔法もメイダルゼーンにとっては、言葉の通り児戯にも等しいのだ。
詠唱も、ましてや技の名前すらないただの魔法。
それが、必殺すら超えて絶殺の威力を持っているのだ。
爆炎弾が投げられる。
無価値に、無慈悲に死ねとても言うように、放つのではなく、ぽい、と投げられた。
立ち上る巨大な火柱。
四つの豪炎によって、火災旋風が巻き起こる。
「げはは。なんだ、存外にたわいなかったわ。……ぐあっ、なんだ!」
だから、火災旋風を目くらましに、その大笑いする口を目がけ射掛けてやった。
ダメージは狙っていない。
魔力を察知されないよう、こちらも無挙動での速射魔法を使ったからだ。
「そんな馬鹿笑いして何が面白いんだよ。火遊びが上手に出来て楽しかったのか?」
すなわち、狙うのは精神。
実力では圧倒的に向こうが上なのだ。
舐めて増長させるか、怒らせて激昴させなければ勝機などない。
「き、貴様ぁぁ! クソのような人間の小僧の分際が! この、俺様に、なにをしやがったぁっっ!」
普段は、無尽蔵に喚べる手下に暴れさせて自分で戦うことなどしない奴だ。
格下に見ている人間からの攻撃など受けたこともなかったろう。
さて、それじゃあゆっくり料理してやるか。
「がぁぁぁっ!」
炎弾の連射。
もはや風の魔法で大きさを制御することも無い巨大な炎弾を、文字通りに雨のように投げ捨てる。
「ほらほら、どこを狙ってるんだ」
壁のような火柱が立ち上る中で、わずかな隙間を縫うようにして身を躱し、合間に魔法で射掛ける。
豪炎によってメイダルゼーンからは、こちらが見えないだろう。
それは僕も同様だ。
だが、問題ない。
奴の馬鹿げた魔力を辿れば、方向は察知できる。
元よりダメージを狙った攻撃ではないのだ。
方向さえ分かれば問題は無い。
それよりも、この灼熱地獄の方が問題だ。
この炎弾の雨から逃れ切れているのは、何も全て避け切っているという訳では無い。
フラウから貰った、“破邪の小手”のおかげだ。
かつて『勇者』が使っていたもののレプリカだが、長老粘魔核を仕込んだ対魔装備で、ほぼ無尽蔵に魔法を吸収できる。
だがそれとて完全に魔法を打ち消してくれる訳では無い。
むしろ、防御としては不完全だ。
破邪の小手が吸収するのは、あくまでも魔法そのもののみ。
例えばこの炎弾の場合、直撃して炸裂することは防いでくれるが、その直前まで発生している高熱までは防ぎきれない。
まして、周囲に降り注ぐ炎弾には対応しきれない。
結果、直撃こそしないが、超高熱の炉の中で爆風に晒されるという地獄が発生している。
それを風の魔法で身を守り、真空の壁で極力熱を防いで身を守っているのだが、地に足をつけている以上、地面からの熱には抗えない。
熱で溶け始めている地面を、氷の魔法で固めながらの移動となっている。
全身に風の防御、足元に氷の足場、一歩間違えればあっという間に炭と化す灼熱地獄の中、そこからメイダルゼーンに射掛けるという荒業を行使させられているのだ。
「くそっ、くそがぁっ! 下等な人間の分際でぇっ!」
ダメージにならない地味な攻撃。
それがどれほどに腹立たしいものなのか。
鬱陶しい。
それに尽きる。
明らかな劣勢、明らかな攻撃であれば、逆に冷静さを呼び起こさせるかもしれない。
だから、本当の攻撃のチャンスは一度きりだ。
それまでは綱渡りのようなこの地獄の雨をしのぎ切らなければならない。
だが、時間が経つほどにメイダルゼーンは焦れ、攻撃の密度こそ上がるが、その動きはより単調になっていく。
「くっ、人の気も知らないでバカスカ打ちやがって……。ほらほら、どうした! 全然当たらないぞ、このへっぽこ!」
「しねぇぇ!」
溶けた地面でぬかるむ足場を、必死に氷で固めながら走り抜ける。
それでも飛沫一つ一つを避けきれるはずもなく、頬に、腕に、足にと火傷が増えていく。
それでも走り続けるのは、決して時間稼ぎが目的ではない。
リリィロッシュも、ラケイン達も、自分の相手と死闘を繰り広げている。
助けを待つのでなく、むしろ助けに行かなくては行けない状況なのだ。
「ええぃ、小賢しい。……唸れ砂塵の暴風、起れ流転の大地!」
まずい、詠唱呪文!
「暗黒系魔法・虚城の尖塔っ!」
メイダルゼーンの目の前で空間が歪み闇が吹き出す。
闇は螺旋を描き、さながら破城槌の様に突撃してくる。
それは、先程までの炎弾とは違う、最高位の魔族が魔力を練り上げ、術式として固定して放った大魔法だ。
しかも暗黒系魔法。
人間が扱いきれる程度の魔法では、防ぐことは不可能だ。
普通ならば、だ。
「嬌声に抱かれし虚無!」
水晶姫を地に突き刺し、空いた両手を闇の尖塔へと突き出す。
両手に漆黒のもやが宿り、盾を形作る。
否、次第にそれはさらに姿を変えていき、ついには両の瞳を閉じた巨大な女性の顔に変化した。
「くっ、ここが限界か……。頼むぞ、《色欲》!」
もやから生まれた女の顔が動きを止める。
顔だけだが、問題ないはずだ。
何より、これ以上は制御できる自信が無い。
伏せられていた瞳が開かれる。
そして、溢れる赤みを帯びた黒き極光。
それが、闇の尖塔にぶつかる。
女の両目から放たれた黒い光線は、闇の尖塔に触れるや、真綿でできた触手のように、それを柔らかく飲み込み、霧散させてしまった。
「な、なんだと!?」
メイダルゼーンがあまりにも不可思議な光景に狼狽える。
それはそうだろう。
人間如きに抗えるはずもない大魔法を放ち、それが意味もわからないままに打ち消されてしまったのだ。
だが、この魔法の真価は、それではない。
「キィィィィィアァァァァァァァっ!!」
「クッ!」
突如、女の放つ、断末魔にも似た咆哮。
術者である自分自身、聞いただけで胃の内側が捻れ、腸がせり上がろうとする。
「な、なんだ、この不快な声は!」
メイダルゼーンもまた、女の咆哮に顔を歪める。
この嬌声には、呪詛の効果がある。
耐性のないものなら、とっくに死んでいるはずだ。
だが、まだこれも本当の効果ではない。
嬌声と共に、女の口から暗黒の闇が吐き出され、それは次第に、闇の尖塔を形作る。
「ば、ばかなっ!」
放たれたのは、紛れもなく先程自身か放った魔法、虚城の尖塔だ。
嬌声に抱かれし虚無。
彼女の嬌声は、放たれた魔法でさえも魅了し、我がものとして打ち返す。
それは、八つある虚無系魔法の一つ。
攻撃魔法を吸収反射する、魔法攻撃に対する絶対防御。
それも、精神汚染のおまけ付きでだ。
これほどの大魔法をいつ用意したのか?
無論、種も仕掛けもある。
ひとつは、高速思考・高速詠唱を可能とする無月の衣の効果。
リュオから貰った最高の魔法補助装備だ。
そしてもう一つ。
足元に散らばる魔石で作った補助魔法陣だ。
伊達に長い時間、炎弾から逃げ回っていただけではない。
逃げながらも要所要所に魔石を配置し、この時に備えていたのだ。
「ぐ、ぐぅおおぉぉぉぉ」
必殺の魔法を自身へ返され、メイダルゼーンが苦悶の声を上げる。
だが、さすがにそれで倒しきれるほど甘い相手ではない。
四つ腕のうち、右の一本をだらりと下げながらも、しっかりと立ち上がってきた。
「……貴様、“魔帝”と言ったな。本当に、何者なのだ?」
メイダルゼーンが問う。
その言葉は、戦いの前にも投げかけられた。
だが、その重みは全く異なる。
いまや、メイダルゼーンには、能力に胡座をかき、こっちを格下と侮った傲慢さはない。
最高位魔族として、明らかにこちらを敵と見定めたのだ。
「言ったろ? 言っても信じないって。それでも知りたければ、自分で確かめるんだな!」




