第九章)最後の魔王 蒼炎と百鬼夜行
▪️魔王軍の襲来⑦
「グォォォォっ!」
その字の通り、蒼き炎のようにたてがみを震わせ、地を振るわさんばかりの雄叫びをあげる。
その手に握られるは、巨大な両手持ちの戦斧“神獣”
紅い宝玉の瞳を爛々と燃やし、持ち主同様に視認すら出来るほどの魔力を咆哮するその戦斧は、魔界の刀匠によって鍛えられ、幾万の魔族をも喰らい尽くしてきた必殺の武器である。
先日の邂逅の折に持っていた戦斧も、かなりの業物であったが、それでもこの神獣に比べれば枯れ枝に等しい。
この斧を人間の世界で振るったことなどなかった。
強者との血湧き肉躍る戦いを求めるオグゼにとって、指先で弾いただけで爆散し、睨みつけただけで白目を剥くような人間などに、この神獣を振るう必要がないどころか、その血で汚すことすら忌避していた。
魔界の地においてでさえ、この斧を振るう程の敵に出会えることは滅多にない。
オグゼにとって、敵とは舐めてかかるものだったのだ。
だが、目の前のこの戦士は違った。
人間としては、そこそこに大柄ではあるが、自身の半分程度しかないこの戦士は、互いに準備が不十分な状況とはいえ、一度は自分を退けたのだ。
資格は充分。
否、この神獣を振るうに相応しい好敵手なのだ。
「ちっ! 楽しそうな顔をしやがって!」
ラケインが黒い長刀で迎え撃つ。
先の戦いの最後に見せたあの重く硬い武器だ。
オグゼのように、相手の力を計っていたという訳では無いだろうが、それでも秘するには充分な威力の業物だ。
振るう戦斧に合わせ、長刀がその剣筋をいなす。
正確には、ラケインの全力でたたき落としにいって、ようやく刃先の狙いを逸らせることが出来たのだ。
あまりに非力。
だが、それでも構わない。
オグゼが放つ一撃を、僅かにでも逸らし、生き延びることが出来る人間など、それまで想像だにしていなかった。
その一撃を、もう何度も凌ぎ切っているのだ。
これが破顔せずにいられようか。
「くははは! 貴様こそ! 貴様こそその笑みはなんだ。やるなあ、おい、ラケインよ!」
「ふっ、ああ。認めよう。これほどまでに純粋な気持ちで力をぶつけることが出来る。この至福を!」
二匹の獣が凶悪に口角を歪め、獰猛に吐息を吐き、地を揺るがす轟音と、空を歪ませるほどの衝撃を撒き散らしながら幾度も武器を合わせる。
オグゼが戦斧をうち降ろせば、ひらりとラケインが躱し、高速の二連撃を放つ。
それを左手一本で受け止め、戦斧を槍のようにして突き出す。
ラケインもまた、身をひねったかと思えば、その動きのままに遠心力に任せた強力な一撃で返す。
だが、今度はオグゼが、躱す素振りすら見せず、その斬撃ごと突き出した戦斧で切り払う。
既に空中で攻撃態勢に入ってしまっているラケインに、それを防ぐ手立てはない。
だが、その流れを読んでいたかのように、放たれた剣筋を変化させ、迫り来る斧を穿ち、その反動で距離を撮ることに成功する。
この間、約三秒。
瞬きはおろか息をする隙さえ決定的な隙となる攻防を終え、二人は大きく息を吐く。
こうしたやり取りを数十回。
既に三十分ほども続けているのだった。
よく持たせている。
それがオグゼの正直な感想だ。
確かに類まれなる戦士だ。
確かに一流という枠すら超えた、第一級の戦士なのだろう。
これほどに自分と打ち合えるものなど、魔族にもそうはいない。
だが、それでも、決定的に足りないものがあるのだ。
「素晴らしいぞ、ラケイン。……だから、これを凌げ。絶対にくたばってくれるなよ?」
そう声をかけ、戦斧を高々と掲げた。
「あ、やべ。兄貴のやつ、アレをやるつもりだ」
少し離れたところで様子を見ていたブルーガが、腰を浮かす。
既に形だけの交戦状態すら解き、メイシャの作った即席の観覧席に着いていた二人だったが、ブルーガが急に慌てふためく。
「おい、アルメシア。俺の後ろに隠れろ。ここじゃ巻き添えを食らう」
「え、なんなんです?」
急に慌て出すブルーガに、嫌な気配を感じて逆にラケインの元へ近づこうとする。
「行くな! 今からじゃどうにもならんし、お前もあの二人を邪魔したくはないだろう? だったら番を信じて、今は隠れろ!」
ブルーガがそれまでとはうってかわり、激しい剣幕でメイシャを叱咤し、小柄なその体をつまみ上げて自分の後ろに隠す。
「ラク様っ……!」
メイシャのそのつぶやきと、蒼い閃光が放たれたのは、ほぼ同時だった。
「吼えろ、神獣! 煌焰・神殺破ィッ!」
オグゼの魔力が膨れ上がる。
人間と魔族の圧倒的な違い。
それは、内在する魔力量の差だ。
確かに、一流の魔法使いであれば、魔法の扱いにも長け、魔力も相当なものがあるだろう。
だが、それでもなお、高位魔族のそれは、人の上限を軽く上回る。
そして、そんな魔法使いでは、オグゼの前に立つ事なと出来ない。
そして、オグゼにしても、魔法を不得手としているだけで、魔力に劣るということは無いのだ。
こうして魔力の式を形作り、放つことの出来る魔道具があれば、その問題は解決する。
彼の持つ戦斧、神獣は、先の戦いの戦斧同様、持ち主の魔力を吸い炎を放つことが出来る。
だが、その最大の違いは、放出する熱量だ。
あまりの高音に炎は赤から青へと変わり、立ち上る上昇気流によりその蒼炎は、高く、まるで巨大な剣のように高くそびえる。
オグゼの心に、若干の曇りがかかる。
これほどの戦士、実に惜しい。
人間の戦士だ。
これほどの腕を持ち、魔法もまた長けるなどということはあるまい。
ならば、これでもはや詰みなのだ。
実力での差ならばともかく、種族という根本的なところでの決着に、心か揺れないわけがない。
だが、相手に全力を尽くす。
それが出来ぬほどの不義理が他にあるだろうか。
それが、まさにこれほどまでの相手ならば尚更のことだ。
オグゼは、一度だけ目を伏せる。
次の瞬間、
「さらばだ、豪剣士」
《蒼炎》が振り落ろされた。
ラケインが牛巨神と激闘を繰り広げている頃、リリィロッシュもまた死闘を展開していた。
「烈風系魔法・西方の烈風!」
巨大な風の刃が魔族の集団を襲う。
だが、大型の魔族の一撃によって、それも霧散する。
リリィロッシュの前に立ちはだかるのは、百を超える高位魔族の群れ。
メイダルゼーンの固有能力によって召喚された、鬼族の軍勢だ。
一時は三百ほどまでもその数を増やしたが、アロウの方でも戦いが激しくなっているようで、それ以上の増員はなく、およそ半数になるまで敵を減らすことが出来た。
「くっ、少しはこたえてくれると嬉しいんですけど」
だが、それもただ数の上だけの話。
最初の数度で、小鬼をはじめとする下級魔物を消し飛ばすことには成功したが、その後ろに控える高位魔族たちには、ほとんど痛痒を与えていないのだ。
「ゲハァァ!」
大鬼が飛び出す。
その手にはおよそ人間一人分はありそうな巨大な曲刀が握られている。
鋭い斬撃。
それを、たたん、とステップを踏み軽やかにかわす。
顔のすぐ横を、それだけで身を削られそうな暴風が吹き抜ける。
曲刀を振るったことによる風圧だ。
剣を扱う技術は、さほど高くはない。
だが、それでも、ただ振るうだけでこの脅威である。
「……っ!」
慌てて身をかがめる。
曲刀をかわしたその先に襲いかかるのは、まるで大蛇のように鎌首をもたげる、砂塵の触手だ。
一本。
二本。
次々と襲いかかる触手を避け、三本目の触手を魔杖・黒桜昇狼で打ち払う。
わずかに一瞬にも満たぬ刹那、動きが止まる。
その間隙を狙い済ましたかのように、無数の魔法がリリィロッシュを狙い撃つ。
鋭い氷柱。
燃え盛る火球。
圧殺するように迫る石壁。
降り注ぐ下向きの竜巻。
「なめるなぁぁっ!」
だが、リリィロッシュとて負けてはいない。
黒桜昇狼を上に掲げ、魔力を高める。
「吹きとばせ! 烈風系魔法・暴風魔障壁っ!」
リリィロッシュを激しい竜巻が瞬時に包み隠す。
襲いかかる数々の魔法を防ぎ、更には相手へと跳ね返す、攻性障壁の魔法だ。
「ほぅ、その程度の詠唱と魔法で我らの魔法を防ぎきるか。なかなかに楽しませてくれるわ」
そう言ったのは、先程、砂塵の触手を操った阿修羅だ。
その程度の魔法。
その通りではある。
先程リリィロッシュを襲ったのは、おおよそ第四領域級魔法。
対して、暴風魔障壁は、第三領域魔法に属する。
それを宣言と術名だけの超短文詠唱で防ぎ切ったのだ。
領域で劣る魔法で、出力で打ち勝つには、並ならぬ集中と実力が必要となる。
阿修羅のこの言葉は、リリィロッシュに対する最大の賛辞とも言えた。
「あらそれはどうも。ふふ、貴方、不細工な鬼にしては見どころがあるわ」
リリィロッシュは、それまでの苦戦などなかったように、高らかに、柔らかに笑う。
自分はお前達よりも格上だ。
自分はお前達よりも強大だ。
この程度の相手、容易いものだ。
そう自分に信じ込ませる。
そうでなければ、戦う気力が失せてしまう。
これまでの戦いで、相手の実力の程は把握出来た。
まず、一番数が多いのは2mを超す巨体を持つ大鬼。
そして、大鬼より一回り小さいが、首どころか肩口まで開く大きなあごを持つ人喰鬼。
こいつらは、怪力だけが取り柄の雑兵だ。
それでもAランクでも中位にあたる高位魔族。
凶悪な物理攻撃だけではなく、高威力の魔法も操るまさに破壊の申し子。
それが百体。
これだけでも既に絶望的な戦力ではある。
だが、それだけならばまだ希望はある。
確かに能力こそ恐ろしいものがあるが、その技術は拙く、いくらでもさばきようはあるのだ。
だが、本当に厄介なのは、その後ろだ。
3m近くある巨体に大木を引き抜いたかのような大槍を携える、一つ目の巨人。
この場に六体いるAランク上位の怪物、単眼鬼。
彼らはその巨体ゆえに動きこそ緩慢だが、そんなことを問題としない剛力と硬い表皮を持つ。
そして、体躯こそ大柄な人間程度と、この中では最も小さいが、頭の前後に二つの顔を持ち、腕は左右二対の四本。
そして何より、冷徹な眼光と視認できるほどの濃密な魔力を宿す、Sランクの最高位魔族、阿修羅。
この七体は、恐らくは単体でもリリィロッシュより強いはずだ。
「ふう。それにしても、ふざけた能力ですね。百鬼夜行。いくら系譜の下位種族とはいえ、ほぼ自分と同じ力量の最高位魔族をノーリスクで召喚するなんて」
思わず悪態をついてしまうほどに、メイダルゼーンの能力は凶悪だった。
本来、使い魔として召喚される魔物は、小動物程度の場合がほとんどである。
それが術者に危険のないギリギリの範囲。
高位の魔物を召喚するとなれば、膨大な触媒を用意するか、自身の生命すら危険にさらさねばならない。
それを、ノーリスクで、しかもSランクの魔族までもを召喚したのだ。
その異常さは、推して知るべきである。
だが、だからこそだ。
そんな能力の一端を、自分が引き受けるからこそ、今の膠着状態がある。
他の三人もそれぞれに激戦。
誰か一人でも、叶うならば自らが戦いを制し、他のメンバーの元へ駆けつける。
それしかないのだ。
「おい、女」
不意に阿修羅がリリィロッシュに呼びかける。
「貴様、そこそこにやるようだ。どうだ? 俺が飼ってやるから降伏するがいい」
腕組みをしたまま、尊大な素振りで降伏を呼びかける。
リリィロッシュは、目を点にする。
彼は何を言っているのだろうか?
いや、無論その意味も、意図するところも理解できない訳では無い。
だが、彼らはメイダルゼーンの生み出した使い魔。
それこそ、メイダルゼーンの意思なしに、そんなことを決めるだけの自由などあるはずもない。
「ふん、不思議そうな顔だな。なに、心配せずとも、悪いようにはせんさ。いくらあの頭の鈍そうな我らが主人も、この俺程の戦力の言うことを無碍にはせんだろうし、貴様ほどの腕ならば、小鬼ども千匹よりも価値がある」
ここまで話を聞き、リリィロッシュにある仮説が思い浮かぶ。
なるほど。
もしそうならば、なんとかなるかもしれない。
「ふふ、いいでしょう。ただし、先程産まれたばかりの子供にどうにか出来るものならば、ですが」
リリィロッシュは、黒桜昇狼を構え直し、魔力を高める。
その口元には、妖艶な笑みが浮かべられている。
勝機はある。
なるば、あとはそれを成すだけなのだから。
「ふん、その言葉、覚えておけよ。やれ、鬼共。腕の一本や二本ならば引きちぎっても構わん!」
阿修羅の号令により、再び鬼の軍勢が動き出す。




