第九章)最後の魔王 暴鬼・メイダルゼーン
▪️魔王軍の襲来⑥
「さて、これで二対一となったか」
ラケインに召喚の短剣を投げつけ、二人の相手は十分だと判断したメイダルゼーンは、アロウとリリィロッシュの方へと向き直り、不敵な笑みを浮かべる。
「この俺の名を知っているのなら、アイツらのことも分かるだろう。《蒼炎》と《朱風》。頭への魔力の巡りは悪いが、魔王軍でも名うての豪のものよ。」
あの二人をも馬鹿にしたようにこめかみをとんとんと叩きながら笑みを浮かべる。
なるほど。
確かにあの二人ならば、最強クラスの人間でもなければ、敵うはずもない。
こちらの戦力の分断、最低でも足止めとしては十分だろう。
「ふん、まだ僕達のことを過小評価しているようだぞ、メイダルゼーン。それにお前の言う通り、まだ二対一だ」
そう言って、メイダルゼーンの前で水晶姫を抜く。
リリィロッシュもまた、黒桜昇狼を構え、魔力を循環させる。
「なるほどなるほど。確かに貴様らからは、俺に届くほどの力を感じる。それが四人も揃うとは。まったく、わざわざこんな辺境にやってきたというのに、とんだはずれを引いたわ」
メイダルゼーンは、やれやれとぼやき、心底面倒だという感を隠そうともしない。
そもそも、高位の魔族にとって、人数の差というのはあまり意味をなさない。
並の人間の攻撃など、数百と重なろうが全く効果をなさないのだ。
だからこそ、魔族は自分に届きうる高位の人間を危険視する。
それが四人も集まれば、確かに面倒な事態だ。
特にこのメイダルゼーン。
残忍で陰湿。
だがそれ以上に、慎重で狡猾な性格で、リスクを追う手柄よりは、安全に利益だけをかすめ取るような奴だ、
いくら人間を見下しているとはいえ、こいつが二人を同時に相手をするはずもない。
だが、大魔法で凪 なぎ払おうとするけでもなく、かと言って逃げるような素振りもない。
更には、このにやけづらの余裕振り。
何かがおかしい。
「……おい、なにを企んでいる」
水晶姫を突き出し、一歩前に出る。
何かをさせる前に斬り捨てても構わなかったが、間違いなく何らかの罠を張っている。
その行動が引鉄とならないとはかぎらないのだ。
「ふん。流石に俺の切り札までは知らんようだな。ならば覚えておくがいい。俺の種族は、暴鬼。“王”階級の魔族は、魔法ではなく、固有の能力を持っているのだ。そして、これこそ我が固有能力。くらえ、我が眷属の怒涛! 召喚技法・“百鬼夜行”っ!」
その瞬間、メイダルゼーンの背後の空間が歪み、現れた紫紺の歪みから醜い脚が飛び出す。
ずりずりとそこから姿を表したのは、一匹の小鬼。
否、一匹では無い。
一匹、また一匹と、歪みから湧き出るように次々と現れる。
“百鬼夜行”
自ら系譜の魔物をローコストで召喚するメイダルゼーンの切り札である。
次々と現れたのは百体を超える魔物の群れ。
しかも、下位種族と言っても馬鹿にはできない。
中にはAランクオーバーの高位魔族の姿もチラホラと見える。
小賢しい小鬼術士、屈強な大鬼。
涎を垂れ流し舌なめずりする人喰鬼、一際巨大で異様を放つ単眼鬼。
双貌双腕の阿修羅まで数体召喚されている。
そもそも、物を呼び寄せる移動式の召喚と違い、眷属とはいえ、新たに魔物を生み出す創造の召喚とは、それほど容易いことではない。
例えば、フラウが影武者としてロゼリアを生み出したように、高位魔族であれば、自らの魔力を糧に使い魔や下位魔族を生み出すことは可能だ。
だが、物質化する程に濃密な魔力を必要とする為、費用対効果の面からすれば悪手である。
単純な戦力とさせるならば、そんな面倒なことなどせず、ただ魔法として放った方が余程効率的だ。
具体的には、この場にいる最下級魔物である小鬼一匹を顕現させるのにさえ、第三領域魔法と同等の魔力量が必要であり、その難易度は第五領域魔法にも匹敵する。
それほどの難事をこともなげに行い、またその数も百を超え更に生み出し続ける脅威。
それが、高位魔族の中でもさらにひと握りしか存在しない最高位、“王”という階級に許された力、固有能力だ。
「さあ、やれ。下僕どもよ。この人間どもを駆逐しろ」
メイダルゼーンが愉快そうに言い放つ。
呼び出された鬼の軍勢は、一様に頷き、ぎらりと瞳に光を灯し、進軍を開始する。
「ぐはははは。さて、二対……なんだっかな?」
メイダルゼーンは、もはや勝負するまでもないと、さも愉快そうにあごに手を当て、茶化したようにして首を傾げる。
それはそうだろう。
下はEランクの小鬼から、Aランク上位に位置する大鬼まで、その数は既に二百を超えており、今なお新たに生み出されている。
自らの手を汚さず結果だけを得る、メイダルゼーンに相応しい能力と言えた。
だが、
「はぁ。驚かせといてその程度か。リリィロッシュ。悪いけど任せるよ」
「ええ。問題ありません、アロウ」
すっと前に出たリリィロッシュが、その絶望的な大軍を前に優雅にお辞儀をする。
「それにしても、鬼系列の魔物は苦手なんですよね。不細工過ぎて気が萎えます」
そう、つまらなそうに吐き捨てたのだ。
「ぐふははは。おい、まさか貴様、この軍勢を女ひとりに押し付ける気か。目の前の現実が見えておらんようだな」
メイダルゼーンが愉快げに笑う。
その様子からは、もはや自分が戦うだろう姿を想像もしていないと見える。
Aランクまでもを含む二百体以上の魔族の軍団だ。
普通ならば、勝負はついている。
そして、普通ならば命乞いを始めるか、二人で共闘して立ち向かうかという所だ。
だが生憎、こっちはそんな普通ではないのだ。
「そうだね。面倒な雑魚の相手を押し付けてお前を片付けるんだ。彼女には悪いと思うよ」
「いえ、アロウ。こちらは気にせずに。鬼共といえど、処刑の相手には事欠きませんから」
そううそぶくリリィロッシュを残し、立ちはだかる鬼たちの横へとずれる。
鬼たちが進路を防ごうと反応するが、リリィロッシュが魔力でそれを牽制する。
「さて、頼りの手下共も忙しいようだ。そろそろ始めようぜ、鬼の王よ」
「くくっ、まぁいい。確かにあれは奥の手ではあるが、まさか呼び出した鬼共より俺の方が弱いなどとは思わんよな?」
戯言もここまで。
そして、剣戟の音が弾ける。
「さて、アロウの手前、いい格好をしましたが……」
鬼兵の軍団を前に、悠然と佇むリリィロッシュだったが、実のところ、そのセリフに反してさほど余裕があるわけではなかった。
それが証拠に、笑みすら浮かべるその表情とは裏腹に、剣杖・黒桜昇狼を握る手の内は、じっとりと汗ばんでいた。
《蒼炎》と《朱風》の二人のことは知っている。
というより、魔王軍に籍を置く者ならば、知らぬほうがおかしい。
かの牛巨神が相手となると、ラケイン達では荷が重いかもしれない。
だからこそ、この鬼達をアロウと二人で相手取る訳には行かなかった。
そうすれば、手の空いたメイダルゼーンがあちらへ加勢しに行くだろうことは目に見えている。
それぞれに手一杯。
そこに援軍などあれば、もはや手の打ちようはない。
ならばこそ、ここでこの鬼達を足止めし、メイダルゼーンは、アロウに任せるしか無かったのだ。
「ふははは。女ぁ、この数の魔族を相手にその態度をとるだけでも褒めてやるよ。だが、喚ばれたばかりで俺らも腹が減っていてなぁ」
人喰鬼の一人が舌舐めずりする。
思わず総毛立つ。
単純な魔力量だけで言えば、この人喰鬼一人ですら、リリィロッシュと同格の力の持ち主なのだ。
それが三人。
その上、更に上位の魔族である単眼鬼や阿修羅まで控えている。
正直なところ、勝ち目があるとは思えないのだ。
「まったく。王様もお人が悪い。我らをこれ程に喚んでおいて、餌がたったの二人とはな」
「いや、多少の在庫はあるようだが、いずれにしろ、全くもって足りておらんわ」
「おい、人間の娘よ。とっとと死ぬか、仲間を連れてくるかせんか」
そう口々に悪態をつく鬼共だったが、逆にその罵声が、リリィロッシュにある決意をさせる。
「人間の娘、ね」
リリィロッシュは、苦笑する。
確かに、人間に見えるように擬態し、蝙蝠の様な翼も、触手のようにしなる尻尾も隠しているとはいえ、本来の彼女は、高位の魔族、淫魔なのだ。
アロウと出会い、十年以上も人間として過ごしてきたとはいえ、本来の彼女は、人間に対して否定的である。
《反逆者》のメンバーやあの獣人姉妹と関わり、多少その考えも和らいだのだが、彼女にとって人間とは仇敵であるはずなのだ。
それがいまや、こうして人間を守り、魔族と敵対する立ち位置にいる。
その事に違和感を感じていたのだが、彼らの罵声でその迷いも消え失せたのだ。
「ふっ、それもまぁいいでしょう。元より人間に与するつもりもありませんでしたが、今この時のみ、人間として魔族を討ちましょう!」
そう言って、黒桜昇狼を構え駆け出した。
「烈風系魔法・嵐龍牙!」
リリィロッシュが放ったのは、横向きの竜巻から成る龍の顎。
凄まじい速度で突進しながらも自在に動く暴風の龍は、巨大な鎌首をもたげ、鬼の群れへと食いついた。
「ほう、『同時詠唱』持ちか。少しは楽しませてくれるか?」
そう言ったのは、先程舌舐めずりした人喰鬼だ。
アロウやリリィロッシュが当たり前のように使う、魔法と戦闘の二重行動、同時詠唱だが、これを使える人間は多くはない。
魔法使いの役割とは、つまるところ生きた大砲であり、当たれば決まる、当たらなくても仕方がない、と言った所なのだ。
すなわち、同時詠唱を使える時点で、リリィロッシュが第一線級の能力を持っていることはしれたはずだ。
だが、鬼達にそれで動揺する様子はない。
確かにリリィロッシュの魔法は、彼らに直撃した。
だが、それで削れたのは、小鬼が数匹、血溜まりに変わっただけだ。
あるものは目の前の小鬼を盾に、あるものは自前の魔法で防ぎ、最後列の大型の連中など、身動ぎすらしていないのだ。
これが鬼族の恐ろしさである。
Fランクとされる粘魔を除き、最下級の魔物とされる小鬼を擁するだけに、人間は鬼の種族を格下に見る。
単眼鬼などの大型種を前にしても、でかいだけの愚図と言って憚らない。
だが、真実は異なる。
一般に魔族は、高位で強力なものほど人間に近い姿を持つ。
人間達が知らぬこととはいえ、角や体躯こそ違え、殆ど人間と同じ姿を持つ彼らが、弱いはずもないのだ。
大柄で強靭な肉体。
狡猾で慎重な性格。
そして、魔法を自在に操る知能と、膨大な魔力。
鬼とは、魔族で最も数多く、最も凶悪な戦闘種族なのだ。
「さて、先手は終わりだな。それじゃあ、間違っても小鬼共如きに喰われるなよ? 貴様は俺が喰らってやるからな」
人喰鬼の合図をもって、小鬼たちが吠える。
数百という爪牙が、リリィロッシュを一斉に襲うのだった。




