第九章)最後の魔王 最強の迷い
▪️魔王軍の襲来②
「水氷系魔法・散弾っ!」
アロウが爆炎の魔法を放つ様子を、リリィロッシュは上空から俯瞰して見ていた。
そうして、かろうじて直撃を避けた取りこぼしを狙撃する。
鉄火場となっている地上を見下ろし、魔杖・黒桜昇狼に腰掛け、優雅に空中浮遊をしているのだ。
無論、戦闘をさぼっているわけではない。
そもそも、空中浮遊自体、地味な技ではあるが、大魔法と呼ばれる高位の術の一つだ。
空中飛行であれば、推進力による補助もあり、ある程度の力量を持つ魔法使いならば難しいことではない。
だが、小さな物体を浮かせる物質操作とは異なり、自らや大質量の物を高高度で静止する空中浮遊を扱えるものは、魔族でもなかなかに少ない。
魔力量はもちろん、安定した魔法出力や繊細な力場の調整に、かなり緻密な操作精度を要求されるためだ。
実際のところ、リリィロッシュにとってはさほど難しいことではないのだが、それでも空中に留まる理由は、上空からの情報量の重要性にある。
地形の把握や伏兵の有無、遠方の監視などはもちろん、戦場を全体的に俯瞰することによる戦況の把握、さらには敵の陽動などの罠の看破にも繋がるのだ。
「……アロウ、右方向から敵援軍。高位魔狼種が三。その後、正面から大型魔族。大炎球の投擲が来ます」
さらに言えば、仲間が対応しきれないような窮地となった際の予備戦力、及び上空からの制圧・援護射撃が彼女の役割である。
「──了解。右、それから正面っと」
リリィロッシュからの指示を受け、アロウが完璧なタイミングで敵を迎撃する。
自分より上手の敵に対して策を用意するのは至極当然の発想だ。
フェイントや陽動、偽の敗走。
または予め用意していた魔法罠や伏兵。
相手にとって最悪なのは、リリィロッシュの存在によって、用意した策のほとんどを事前に知らされてしまうことだ。
奇襲、陽動、設置罠、長距離砲撃、大魔法。
その全てが無意味となる。
「それにしても……」
なるほど、と思う。
しばらく前からアロウが高熱で寝込んでいたのだが、その理由がやっと分かった。
あれが噂に聞く魔人化と言うやつなのだろう。
魔族と人間、いや、魔族を含む魔物や龍族など、元からこの世界に存在する種族と、神によってもたらされた人間や亜人などの新しい種族には、根源的な違いがある。
それは、物質としての身体の有無である。
魔族は、この世界の生命力である魔力そのものから生まれた、半エネルギー体である。
だが、人間達は、石や気などと同じく、物質としての身体を持ち、その中に魂や魔力を内包している。
だからこそ、人間には、予め決められた能力の上限というものが存在する。
メイシャ達、吸血族がそうであるように、過ぎた力は身を滅ぼすのだ。
だが、魂由来の力を操る魔法使いに限っては、さらなる高みが存在する。
人間という種からの進化。
魔人化、という状態だ。
伝説に残る仙人や聖人といった人物のほとんどは、魔人だったのだろう。
つまり魔族同様、肉体という殻を捨て、魂と同質の存在へと昇華したのだ。
「これは、私もうかうかとしていられませんね」
そもそもが高位魔族であるリリィロッシュは、今でも《反逆者》最強を自負している。
微細な魔力制御や術式の構築速度はアロウに分があるものの、大容量の魔力量と圧倒的な出力量では、完全にアロウの上をいっている。
剣の腕でも、一撃必倒のラケインの大剣、高速機動のアロウの長剣、そして、流麗な剣舞のリリィロッシュの大剣と、その性格こそ違え、それぞれが一流といえる技量を備えている。
二百年を超える歳月を戦いに捧げてきた経験も、他のメンバーとは比較にならないはずだ。
だが、今のアロウはどうだ。
魔力を練り上げるスピード、放出量、そして魔力量も以前とは比べ物にならない。
それこそ、人間にはありえない、魔族である自分に迫る勢いである。
それでこそ、アロウだ。
昔とは違い、元魔王としてではなく、今のアロウを愛している。
だが、かつて抱いていた、元魔王への敬意と信奉がなくなった訳では無い。
そして今まさに、アロウは、かつての力を取り戻そうとしているのだ。
知らず、肌が総毛立つ。
いつか見た、あの雄々しく荘重たる、かの魔王が伴侶として目の前にいるのだ。
だが、それと同時に微かな焦燥感にも苛まれる。
かの魔王に魔法の腕でかなうわけがない。
剣の腕でも、引けばとらないまでも確実に上かと言われれば、断言はできかねる。
ならば自分の、《反逆者》の一員としての、そして、アロウの伴侶としての存在意義は。
そんな葛藤を知ってか知らずか、アロウから支援の要請が入る。
「リリィロッシュ、こっちはこのまま北側の増援を叩くから、南の群れを頼むよ」
そもそも魔力感知に長けるアロウには、上空からの情報支援もそれほど必要ない。
視覚情報での裏付けのためにこうして上空待機をしているのだが、今もこちらが伝える前に敵の援軍を察知している。
それでも、頼ってくれる。
知らず、笑みがこぼれる。
「分かりました。アロウ、そちらも気をつけて」
つまり、そういうことなのだ。
一番である必要などない。
無論、二番手に甘んじるつもりもないが、居場所とは、資格では無い。
共に在る。
それだけでいいのだ。
「魔力固定。空中魔法陣展開。──行きますよ。火炎系魔法・閃熱の慈雨」
黒桜昇狼を中心として空中に魔法陣が浮かび上がる。
炎という枠を超え白い閃光と化した灼熱の雨が、上位小鬼の群れを貫く。
だが、すぐさまに次の群れがやってくるのが見える。
「ふふ、私もアロウに負けられないのです。さあ、どんどん来なさい」
リリィロッシュは、中空のまま魔杖を構え直し、新たな敵へ微笑みかける。
居場所は自分で作る。
それが、アロウからの信頼に応えることだからだ。




