第九章)最後の魔王 亡国エニウス
▪️破滅の序章②
「まったく、ちったぁ落ち着けよ」
砂漠の中にそびえる巨城、エティウ王宮、白亜宮の中は、ごった返していた。
文官は夥しい量の報告書と格闘し、武官は戦の支度に追われ、研究者は書庫から古文書をひっくり返している。
右往左往する重鎮たちを横目に、リュオは無作法に肘をつきカップの紅茶をがぶ飲みする。
始まりは、東国の内乱だった。
噂に聞く大盗賊団討伐からことが大きくなり、ついには、東の雄、エウル王国が倒れた。
それだけでも数百年来の一大事であるが、実のところ、その流れはある程度予想がついていた。
アロウとラケイン達がSランクともなれば、エウルは囲い込みをかけるだろう。
だが、あの二人、いや《反逆者》をエウル王国などが飼い慣らせるわけがない。
実際、Sランクの冒険者とは、個人で十二人、パーティでも十組しか到達していない。
正しく世界最強クラスの力を持つ者達なのだが、その中で国に所属しているものは、リュオを含め三組しかいない。
リュオの場合は、生家のしがらみもありエティウ軍に所属したが、一人で一国の武力に相当するとまで言われるSランクが、およそまともな精神の持ち主だなどと考える方がおかしい。
あるものは純粋に武の道を極めんとあらゆる縁を断ち、あるものは正義を志し周囲の被害も顧みず正義をなし、またあるものは己のためにのみその力を振るい巨万の富を得た。
自由気ままに行動し、いつもメンバーに怒られている手前、《白き刃》のメンバーは不服かもしれないが、これでもSランクとしては至極まともな方なのだ。
ましてあの二人、いや、嫁達も含めてあの四人は、かつての魔王にその四天王の息子。
更には高位魔族までいるうえに、もう一人の僧侶も並々ならぬ力を持っていた。
それが大人しく国に従うとは、到底思えなかったのだ。
案の定、北方の小国を隠れ蓑にして、エウル王国を崩壊させ、自分たちに都合のいいように国の仕組みそのものを変えてしまったのだ。
だから、エウルの崩壊とキュメール共同国の発足の報を聞いても、なるほどなとしか思わなかった。
だが、もうひとつの報せは、まさに耳を疑うものだった。
エニウスの消滅。
戦争が起きて滅んだのではない。
文字通り、一夜にして国が消え去ったのだ。
エニウス王国は、エティウ帝国の支配領域内にある小国だ。
西端の地にある魔王城からも近く、度々魔族による侵攻を受け、庇護を求める形でエティウに降った。
以来、エティウ軍の部隊も常駐し、ここ十数年は栄えているとは言い難いものの、砂漠の中に穏やかな暮らしを送る国だったのだ。
ある日、エティウに行商からの報告がもたらされる。
エニウスが消えた、と。
その言葉の意味がつかめぬまま、確かにエニウスに派遣されていた部隊と連絡がつかなくなっていたこともあり、調査隊が派遣される。
彼らが見てきたもの。
それがこの騒ぎの元凶である。
エティウからたったの数日、砂漠の先にあったもの。
それは、もぬけの殻と化した、元エニウスの姿だった。
砂漠の中のオアシスを中心として造られた街並みは確かにあった。
特に荒らされている様子もなく、街並みは整然として美しいままだった。
中心部の湖は、清らかな水を湛え、その周囲の木々は生い茂っている。
街のあちこちには、洗濯物らしい衣類がかけられ、飲食店では料理が皿に盛られている。
商店街では、多くの商品が並べられ、街は大いに賑わっているように見える。
だが、誰も、いない。
湖に小舟が浮かぶも乗り手はおらず、洗濯物の一部は干す前の籠に入れられた状態で放置され、食器の料理は食べかけのまま取り残され、品物が溢れる商店街に人影は見えない。
それだけではない。
民家で買われていただろうチフミも、軍の詰所のユサも、砂漠の周囲にいるはずの魔物でさえも、ありとあらゆる生物の姿が見えない。
放置された火による火災や魔道具の誤作動による破損の跡はあれど、目立った被害もないままに、生命の痕跡だけがそっくり消えて無くなっていたのだ。
エティウではすぐさま情報を封鎖。
この様な変事、他国、勢力を拡大する南国や、調略を仕掛けつつある北国、新勢力となった東国に知られるわけにはいかなかった。
その結果が、今、リュオの目の前で起きている喧騒の正体だった。
「はぁ。そんな真似、人間にできるわけがねぇだろうに。となりゃどこかの小魔王の仕業。すぐさまに各国の連携を取らなきゃやばいっつーの」
そう毒づくが、その言葉を聞くものはこの場にはいない。
将軍という地位を持ってこそいるが、エティウの重鎮たちにとって、リュオはSランクという名の兵器にすぎない。
そして、兵器の言葉を聴くものなど、この場にはいないのだ。
「やれやれ。となりゃ勝手に調べるしかないな」
リュオは気配を絶って席を離れる。
一流の武人であるリュオが、本気になれば、気配を放ち威圧することも、逆に気配を消して存在を隠すことも容易いことだ。
そして、誰一人その事に気付かせぬまま、密かに自室へと戻り、通信用の水晶を起動させる。
「よお、派手にやってるみたいだな、アロウ」
突然、頭の中で響く豪快な声に目が覚める。
繋魂の術式は、連絡を取り合う分には大いに役立つが、こちらの都合など構わず受信してきまうのが難点だ。
「……おはようございます、リュオさん。すみません、今具合悪くて。こっちも水晶出すのでちょっと待っててください」
「お、なんだ悪かったな。大丈夫なのか?」
普通に起きているときならば、受信の前に起こる事前波長で身構えることが出来るのだが、就寝時にはなかなか察知しきれない。
おまけに風邪でも引いたのか、ここのところ微熱が続いて体調は最悪だ。
こうした応答ですら頭の中にわんわんと響き、胃の中で粘魔が踊っているようだ。
「すみません、一度切ります」
傍らで休んでいるリリィロッシュに、偽・繋魂用の水晶を取ってきてもらい、自身の魔力を移し込む。
水晶での通信は、貯めておいた魔力を利用して魔法使いでなくとも念話ができるだけでなく、こうして魔力を同調させることで、自分に来た念話を水晶で受信することもできる。
「……あ、リュオさん。すみませんでした」
「お、きたか。どうした、顔も赤いな?」
水晶に映るリュオが心配そうに顔を大きくする。
思わず苦笑する。
恐らく、向こうの水晶に映る僕を覗き込んでいるのだろう。
「顔、近いです。えぇ、数日前から体調を崩していて、熱がだいぶ高いんですよ。それでも落ち着いてきた方なんですけどね」
ドレーシュの一件以来、暫く体調がおかしかったのだが、ここ数日の間、高熱にうなされている。
色々と無理を推して来たせいなのか、この体になって以来、これほどに体調を崩したのは初めてのことだ。
ノガルド解体以降、各地で治安が悪化し《砂漠の鼠》含め冒険者ギルドは、連日満員御礼状態なのだが、僕達《反逆者》は、ルコラに無理を言って休暇をもらっている。
元より、街道警備や旅行者の護衛など、Sランクが動くほどの高難度依頼は、さほど多くないというのも理由の一つではあるが。
事のついでとばかりに、ラケインとメイシャは南国方面へ新婚旅行に出かけている。
僕も体調が悪くてダウンしているとはいえ、久しぶりにリリィロッシュと二人きりの生活を楽しんでいるというわけだ。
「そりゃあ間の悪い時に連絡しちまったな。すまん。だが、どうしてもお前さんに聞きたいことがあってな」
片目をつぶり茶目っ気たっぷりに片手を顔の前で立て詫びるリュオだったが、あまり得意ではない偽・繋魂を持ってくるあたり、余りいい話ではないのだろう。
それを踏まえ、リュオからの次の言葉に身構える。
「アロウ、木や物を傷つけず、国単位で生物を滅ぼせる兵器に心当たりはあるか?」
「ち、ちょっと、リュオさん、待ってください!」
全身が総毛立つ。
続く言葉を待つまでもなく、まずは念話を切る。
内容の真偽はともかく、戦略級の破壊兵器についての会話だ。
魔法使いではない彼だから仕方ないのだが、普通の繋魂回線で話す内容ではない。
実の所、念話というものは、精神間で通じるだけに秘匿性が高いと思われがちだがそうではない。
精神世界に時間も場所も関係ないとはいえ、実際には物理的な距離を念話が飛んでいる。
かなり高度な術式にはなるが、その念話を傍受する術もまた存在している。
ましてリュオさんは、西国最強の将軍である。
どこの誰がマークしていてもおかしくはない。
こういった話の場合、実際に会うか、かなり秘匿性を上げた特別な念話術が必要となる。
「……リュオさん、突然繋魂を切ってすみません。ですが、通常の念話では、盗聴の恐れがあるんです。そちらに信用のできる高位魔法使いはいらっしゃいますか?」
「む、そうだったか。それはこちらの不注意だな。じゃあジーンを呼んでおくから今夜また通信することにしよう」
そう言って、念話を切る。
だが、生物だけを滅ぼす兵器、か。
いくつかの可能性はあるが……、まさか……。
その夜、水晶にリュオからの秘匿通信が入る。
傍らにはリュオさんの相棒であるジーンが映っている。
個人でのSランク冒険者、“白刃”のリュオ、そして同じくSランク“氷主”のジーン。
もう数年来の付き合いになるが、この世界で最強の戦士と魔法使いのコンビである。
「待たせたな」
「いえ、ジーンさんもお呼びだてしてすみません」
リリィロッシュとジーンによる秘匿回線の念話だ。
余程の間違いがない限り、外部からの傍受は出来ないだろう。
「さっそくだが、昼間に話していた件だ」
そうだ、前置きを話している余裕はない。
もし、万が一、限りなく低い可能性として、魔王としての記憶の片隅によぎったあれが使われたのだとしたら、状況は最悪だと言える。
「その事ですが、まず前提として、国が滅びるレベルの事件が実際に起こった。そういう認識で間違いないですね?」
「ああ、その通りだ。一週間前の話だ。言ってもわからんかもしれんが、エティウ領内のエニウス王国が滅んだ。軍の諜報員も確認済みだ」
エニウスという名には心当たりがある。
南国と西国の間にあるオウコ大砂洋。
そのすぐ北側にある、言わばエティウの南端に位置する小国だ。
この大陸に作った魔族の拠点、魔王城は、オウコ大砂洋にあるため、魔族の侵攻時にはまず始めに攻め入る国の一つである。
「エニウス王国なら知っています。ですが、大規模な戦闘や小魔王の侵攻という事はないのですか?」
大きな街程度の規模しかない小国とはいえ、それが全滅しているもなれば、その手段は限られる。
一番に有り得そうなのは、《密林の蛇王》クラスの集団による略奪か、活動的な小魔王による破壊、または大規模な魔物の突然発生などなのだが。
「いや、ありえないな」
だが、リュオからは否定の言葉が発せられる。
その言葉は重く、被害が尋常のものでは無いことが伺える。
「国ひとつ滅んだんだ。どれほど過小評価しても異常事態だ。だが、そんな当たり前の状態じゃない。街も、木も、湖も傷一つなく、街には生活の痕跡が残ったまま、人と動物だけが消えた。食べかけの料理や干しかけの洗濯物が残ったまま、人がいなくなった。死体さえもない。本当に、いなくなってしまったんだ。そんな悪夢のような話、人間には聞いたこともない」
「……っ」
本当に人が消えたのか。
だとすれば、考えたくもないが、ありえないはずの可能性が高まる。
「一つだけ。あれが持ち出される可能性なんてほとんどないはずなんですが、そんなことを引き起こせるのは、僕の知り得る限り、あれ一つだけしかありません」
「知ってるのか! あの、元凶を!」
リュオが食い入るように近づく。
いつもおおらかで、飄々として、豪快な彼ではない。
あまりの奇異さに、僅かながらに恐怖の色を伺わせる、その声に、気迫に、水晶の映像越しにも圧倒される。
「封印された兵器。昔の『魔王』ですら、使うことを諦めた太古の兵器があります。……破戒級広域殲滅兵器『魔眼の王』。ですが、あれが持ち出されたのならば、その意味はひとつ。旧魔王軍、その本隊の侵攻が再開されます」




