第八章)混迷の世界へ その頃、ノスマルクでは
▪️キュメール共同国②
「やぁあっ!」
大剣が振り下ろされ、動く木が縦に真っ二つとなる。
「遅いですっ!」
双剣が舞う。
一陣の風のごとく振るわれる剣舞を前に、樹人形が粉微塵となる。
「消し飛びなさいっ!」
異質な連続音が鳴り響き、食人花が石の弾幕を浴びて穴だらけとなる。
「貴方たち、そろそろ行くわよ」
詠唱すら省略したはずなのに、その足元には強大な魔法陣がいくつも展開し、大量の水で形作られた水蛇が鎌首をもたげ、周囲の魔物達を残らず飲み込んでいく。
キュメール共同国の成立に東の地が湧いている頃、南国で猛威を奮っているのは、四人の冒険者たちだった。
彼女たちが暴れたあとには、元の地形は見る影もなく、魔物達は素材どころか魔石すら残すことなく殲滅させられていたという。
「はぁ。お疲れっス」
「お疲れ様です。でも、まだ暴れ足りない」
「うん。もっと魔力が枯渇するくらいまで暴れたいです」
ノスマルク帝国の帝都デルの一角にひっそりとたたずむ小さな酒場の片隅で、うら若き乙女達がだらだらとくだを巻いている。
それなりの規模の討伐依頼だったにも関わらず、彼女たちに疲労の色は見えない。
大剣を背負った猫耳の少女は、大勝だったにも関わらず、暗い顔のままその荷を下ろす。
メイド服の少女は、高めの椅子に飛び乗り、地につかない脚をぶらぶらとさせながら頬を膨らませる。
白いローブをまとった猫耳の少女は、依頼報酬である巨大な魔石を指先で転がしながらため息をつく。
《月の羽根》。
元々同じCランクの冒険者たちから頭一つ抜けていた彼女たちだが、数ヵ月前に加入した二人の力により、付近に巣食う魔物達にとっては、自然災害もかくやという程の被害をもたらしている。
それというのも……
「はぁ。アロウさんもラケインさんも結婚しちゃいましたね」
「言わないでよ、ペルシ」
つまるところ、失恋による八つ当たりである。
「はいはい、そんな暗い顔してないで」
そう言ってカウンターの奥から軽食を手に戻ってきたのは、かつての四天王、“堕天”のウォルティシアだった。
《花咥える水蛇》亭。
一輪の薔薇を口にくわえたキザな蛇顔のバーテンダーが壁に描かれたこの小さな酒場は、なんとウォルティシアが経営している。
もっとも経営とは名ばかりに、店の運営は人を雇って任せたきり。
日がな一日タダ酒を飲んでいるだけではある。
元々、王宮に入り浸り怠惰な生活を送るウォルティシアを追い出すためにフラウが用意した店だ。
多少の赤字などは、フラウがなんとかするはずだったのだが、不思議と店は繁盛している。
妖艶どころか神々しいまでの美しさを持つ妙齢の女性が、いつも訳あり気に酒を重ねているのだ。
これで男心をくすぐられないはずもなく、彼女目当ての常連が多い。
また、酒の肴にと占いの真似事もしており、若い女性のリピーターも多い。
結果、彼女の無銭飲食を差し引いても儲けが出るようになり、フラウと店員から飲み食い無料のお墨付きを得たのである。
もっとも、流石に最近では自分の肴くらい自分で準備するようにと、使用人に怒られているらしく、時々こうしてカウンターへ入り、適当な肴と酒を勝手に作っている。
「すみません、ウォルティシアさん」
「あ、私、お茶用意しますね」
同じくフラウの配下とはいえ、完全に格上であるウォルティシアを働かせてしまったことに、ペルシとエアロネが恐縮する。
フラウの従者であるエアロネだったが、彼女たっての願いで冒険者となり、《月の羽根》に加入した。
そして、そのおもり役としてウォルティシアが同行しているのだ。
ちなみにこの間、メインは片付けた依頼の精算と、次の依頼へ向けた準備をしている。
事務仕事にはとことん向かないほかの三人とは真逆に、そちらを得手とする代わりに家事全般が苦手なことを自覚しているのだ。
「そんなの気にしないで。失恋同盟の仲間じゃない」
「そんな同盟に入った覚えはありません!」
「そんな同盟に入った覚えはないっス!」
メインとペルシが机をバンッと叩いて抗議する。
失礼な話である。
《反逆者》のメンバーには、大恩がある。
彼らが幸せになったというのに、なんの不満があるものか。
ただ、ほんの少しだけ胸が痛くて、そのイライラを魔物討伐で発散しているだけなのだから。
「私は否定のしようもないですよ。ご主人様が結婚されたと聞いて、憂さ晴らしに冒険者になったんですから」
エアロネは、苦笑しながら酒の肴の用意をする。
魔王の一人であるフラウに造られた彼女にとって、主人と言えば当然フラウのはずなのだが、未だご主人様と言えばラケインの事のようだ。
軽やかにリンゴを剥き始めるが、キッチンナイフではなく戦闘用の小刀でザクザクと切り分ける辺り、相当重症である。
「まぁもう一年経つんだし、いい加減踏ん切り付けるっス」
四人の中ではリーダーを務め、ムードメーカーでもあるメインが切り出す。
バンッと机を叩き、立ち上がったかと思うと、勢いよくグラスの酒を飲み干したのだ。
「そんなメソメソしててもアロウの兄さん達は降ってこないっスよ。明日も張り切って魔物を切って切って切りまくって……切りまくっても兄さんはいないんスよぉぉぉ。ペルシぃぃ」
「ああ、はいはい。姉さんお酒弱いのに無理しようとするから」
勢いよく立ち上がったかと思えば、急に泣きだしペルシにしなだれかかる。
この一年でお約束となった光景だ。
結局のところ、メインもダメダメなのだ。
「はあ、面倒な事。まあメインのこの姿見れば呆れてしょんぼりする気もなくなるから丁度いいけどね」
琥珀色の酒を手の中で弄び、一人いつもの席でグラスを傾けるのは、ウォルティシア。
その哀愁漂う姿に、同性である三人も思わずドキリとする。
「そう言えばウォルティシアさん。前から気になってたんですけど」
「ん? なぁに?」
泣き崩れるメインをあやしながら、ペルシが尋ねる。
「失恋同盟……、ええ、そんなものに入ってませんけど、そう言うならウォルティシアさんもどなたかいい人がいたんですか?」
「ぶっ!?」
ペルシの思いがけない質問にエアロネが紅茶を吹き出す。
フラウ配下、言わばフラウ版四天王としては同格とはいえ、本物の元四天王であり、かつては神と同格にあったとまで言われるウォルティシア。
エアロネとですらその格の違いはあまりにも大きい。
気の合う仲間であり、才能溢れる冒険者でこそあるが、間違ってもただの亜人ごときが絡んでいい相手ではない。
「ち、ちょっと、ペルシさん?」
「え? だって気になるじゃないですか」
無邪気とは時に危険で、無知とは時にとんでもない災厄を招く。
エアロネは、恐る恐るウォルティシアの方を伺う。
「う、う……」
「う?」
前髪がはらりと落ち、ウォルティシアの表情は伺えない。
だが、グラスを持つその手は震え、今にもその怒りが天と地を貫きそうにも思える。
だが、
「うわぁぁぁぁん! 私だって、私だって辛いんだからぁ!」
まさかの本泣きだった。
見た目こそ三十代前半ほどに見える清廉な淑女のウォルティシアが、数千年の時を生きるウォルティシアが、輝く涙を振り撒き、ペルシの胸へと飛び込んだのだった。
しかし、事件はまだ終わらない。
一同はこの後、自身の耳を疑う発言を聞くこととなる。
「うわぁぁぁん! フラウ様ぁぁぁ!」
「ええぇぇぇぇっ???」
今日も賑やかに《花咥える水蛇》亭に少女たちの声が響き渡るのだ。
「わかった、わかったスから」
人間とは、思いもよらぬ人物が取り乱した時ほど冷静になるものらしい。
先程まで泣きじゃくっていたメインが、すっかりとシラフに戻ってウォルティシアをあやしている。
実年齢にして数万歳。
見た目の年齢ですらメンバーの中では一番の大人であるウォルティシア。
あの、魔王軍の元四天王であり、かつては神と同列にいたとされるウォルティシアの、まさかこんな姿を見る日が来るとは、誰もが夢にも思わなかった。
だが、必死にウォルティシアをあやすメインを横目に、エアロネとペルシは、その顔を引き攣らせている。
「ウォルティシア様って……」
「そっちの人だったんだね……」
「だって、フラウ様は、私に勝った初めての人間だったのよ」
ひとしきり泣き終えたウォルティシアは、今度は酒を片手にしんみりと語りだした。
カラン、と、その手の内にあるグラスから氷が傾く音が響き渡る。
その姿には哀愁が漂い、彼女の美貌も手伝い、女性であるペルシですらドキリとする怪しさを醸し出している。
ただし、その傍らにある数十本の空き瓶がなければ、だ。
「私は誰にも負けなかった。あのリオハザードですら、私の前に膝をついた。それが、幸運と策略があったとはいえ、魔人化していたとはいえ、ただの人間に私は負けたわ。その瞬間、私はフラウ様の虜となったの」
魔族ですらごく一部のものしか知らされていない極秘事項がさらりと語られる。
実は、『魔王』リオハザードは、“堕天”ウォルティシアに敗れている。
元々、調停の女神であったウォルティシアである。
争いごとを好まず、魔王軍への参入を拒んだのだ。
実のところ、リオハザード、当時のアロウ以前の魔王も、度々ウォルティシアを勧誘している。
打倒『神』を目標とする魔王たちにとって、元神であるウォルティシアの力は、必要不可欠だった。
だが、その尽くを断り、力ずくで参加に加えようとする魔王を全て返り討ちにしてきたのだ。
リオハザードに説き伏せられ、争いを防ぐための争いに身を投じ、魔王軍に加入したが、それまでのウォルティシアは、正しく無敗であったのだ。
「あの冷めた瞳。その深奥で静かに、だけどとても強く燃える炎。傷だらけになって、血まみれになってもなお気高い魔力。あの時のフラウ様は、どんな神よりも美しかったわ」
グラスを傾け、一人語りを続けるウォルティシアだったが、その横にいる三人は、全力で引いている。
「で、でも、フラウさんて女性じゃないですか。見た目だけなら私より子供だし」
「それがなに? 見た目こそ女の私だけど、同種が存在しない“原種”魔族にとって、性別にどれほどの意味があるというの。それがなに、ぽっと出のあの魔王。結局、勇者に負けたくせして。フラウ様も、口を開けばリオハザード、リオハザードと。ノガルドの政情も不安定なようだし、こうなったらいっそ……」
「ち、ちょっと! ウォルティシアさん!」
ウォルティシアの妄想が危険な方向へ行きだしたのを察して、ペルシが声を荒らげる。
このままでは、姉と自分の想い人に危険が及ぶ所だ。
「私たちの前で言っていい事と悪いことがありますよ!」
「やだ、冗談じゃない」
「いやぁ、ウォルティシアさんの場合、シャレにならないっス」
そんなことを言って四人でじゃれあっていると、カランと入口の鐘が客の訪れを知らせる。
「ちょっと、入口の看板見たでしょ。今日の営業は終わった……わ……」
「いやぁ、悪いね。看板は見えたが、懐かしい気配を感じてな」
無作法な客に毒づこうとしたウォルティシアだったが、訪れた客の顔を見て言葉を止めた。
「ふん。女の園に誰が来たかと思えば。むさくるしい『戦士』と引きこもりのじじいじゃない。少しは会話ができるようになったの、“魔剣”?」
「ふむ。孤独にての研鑽も悪くは無いが、俗世での見聞も悪くないと思ったところだ、“堕天”」
入口に立つ二人組。
それは、かつての勇者パーティ『戦士』ラゼルと、元四天王の一人である“魔剣”レイドロスであった。
「ふーん、エアロネを負かしたあの坊やのねぇ。昔の貴方からは想像も出来なかったわ」
「ふむ。最初は、絆の力とやらを学ぶためだったがな。今や息子と呼ぶことになんの躊躇いもない」
グラスを傾け合う二人を、四人は少し離れた席から見つめる。
「あ、あの。あのおじいさんがラケインさんのお義父さんなんですか?」
「ああ。元四天王の一人だがな。ラケインの育ての親だ」
尋ねるエアロネにラゼルは苦笑する。
聞けば、この少女は、噂に聞く小魔王となったフラウが生み出した使い魔の一人らしい。
そして他のふたりも、フラウの下で修行をする冒険者だとか。
レイドロスに負けず孤独を愛したかつての仲間が、丸くなったものだ。
「なるほどね。お尋ね者の『戦士』と一緒に山篭りしていたとはね。そう言えば、他の二人がどうしているのか、貴方知ってる?」
「ふむ、貴様が知らんものを儂が知るはずもなかろう。だが、あやつらほどの豪の者だ。あの決戦の後にも生き延びているのは間違いなかろう」
「私はともかく、貴方も含めて四天王が生きていることの方が驚きだけど、まぁ言われてみればそんな気もするわね」
“堕天”と“魔剣”の会話は夜更けまで続く。
──一方、その頃。
とある古城の深奥で、いかにも恐ろしげな人影が、薄明かりの中で揺らめいていた。
「ご用意が整いました。『魔王』様」
「ああ、君に雑用なんて頼んで悪かったね。さぁ、そろそろこの茶番を終わらせようか。例のものを始動させてくれ。それを合図にまずは西にうってでる。行くよ、“断罪”、“龍王”」
「はっ! 『魔王』様の御心のままに」
全部で108柱あるとされる小魔王。
その最後の一人がようやく動き始めたことを、まだ誰も知らなかった。




