第八章)混迷の世界へ 敗戦そして廃位
▪️キュメール共同国①
ノガルド北部戦争、北の奇跡、北夷大討伐戦。
後にそう呼ばれる内戦は、こうして、わずか四十分の一という戦力にも関わらず、ドレーシュ王国の劇的な勝利で終わった。
歴史家が語るには、これで十分かもしれないが、現実にはそう簡単に終わらない。
歴史的な勝利の裏には、歴史的な敗北があるのが道理だ。
仮にも四大王国の一つである、エウル王国が大敗したのだ。
それも、本来ならば庇護の対象である同盟国に、それも圧倒的戦力差にも関わらず完敗したのだ。
無論、その影に元Sランク冒険者である《反逆者》、もとい《蒼龍の角》の活躍があったことは、周知の事実である。
それでも、これまでの悪評がたたり、エウルに盟主たる資格などないのではないか、という気風が広まるのに、時間はかからなかったのだ。
「貴様、この愚か者がぁ! この失態、どう責任を取るつもりだ!」
怒号が響く。
王城の一角、謁見の間である。
上座に座るバルハルト王は、かなり憔悴の様子で、頬はこけ、目の下にはクマが濃く現れ、髪も艶を失い乱れている。
こうして王の前に呼び出されるのは三度目になるが、傍付きの高官はまた顔が変わっている。
全く、おべんちゃらすらまともに出来ない間抜けを取り巻きにして、何ができるというのだ。
「南国の女狐めが何を言ってきたと思う。『北の対応に苦慮されているなら、南半分をもらって差し上げましょうか?』だと! あの忌々しい魔法使いめが!」
ロゼリア導師、いや、これは本体であるフラウだな。
まったく、余計なことを言って煽ってくれる。
恐らく、僕たちがバルハルト王にいいように使われていたことに対する意趣返しだろう。
だが、聞くに値しない愚痴も、これくらい聞いてやればもう十分というものだろう。
「恐れながら陛下。私共は、陛下のご指示を忠実に遂行したまで。陛下のご命令通り、事態にケリを付けて帰還致しました。その際、これも陛下の思惑の通り、ガラージ殿下に苦杯を飲ませました。……なにかご不満でも?」
「たわけが! エウル軍と敵対する所まではいい。ガラージに灸を据える必要もあった。だが、それを負かしてしまいどうするのだ! エウルとは、即ち儂じゃ。そのエウルの名に傷をつけよって!」
バルハルト王が目を剥き、射殺さんばかりの憤怒の形相で睨みつける。
だが、それこそ南国のフラウに比べれば役者が違いすぎる。
こんな爺さんが吠えたところで、フラウから受ける圧に比べれば、春のそよ風のようなものだ。
「ああ、それと。北の大盗賊団を壊滅させよとのご命令でしたね。それもご安心を。諸悪の根源である陛下が失脚すれば、北の盗賊も消え去りますよ」
「貴様……! もうよい。冒険者風情などに温情をかけてやったのがそもそもの間違いよ。栄えある騎士に取り立ててやったものを、無にしおって。《蒼龍の牙》を呼べ! この不届き者共を討ち取るのだ!」
王が叫び、控えていた高官達が慌ただしく駆け出す。
「驚く程にのんびりとしたものですね、陛下。上にふんぞり返っているだけだと、こうも愚鈍になるものとは」
まったく、失笑ものだ。
「なにぃ」
「討ち取る、とまで言われて、なぜ私が騎士達が来るのをただ待っていなければならないので?」
僕の言葉を聞いてようやくその事に思い至ったようだ。
王の顔色はみるみると青ざめ、僅かばかりに残った理性で何とか平静に努めようとするが、膝はカタカタと震え、左手は顎髭や腹の辺りを忙しなく行き来している。
「あぁ、ご心配なく。何もこの場で陛下に危害を加えようなどと思ってはいませんよ。それと、《蒼龍の牙》も……」
「既に待機しております。陛下」
現れたのは《蒼龍の牙》の中でも最精鋭である部隊の長、ヒゲである。
部屋の外で待機していた団員たちも続けて入ってきて、先程彼らを呼びに出た従者達は、傍らで青ざめてガタガタと震えている。
「貴様ら! 儂を裏切るつもりか! このような真似をしてどうなるか……」
「恐れながら、どうなるというのです? 我ら、そしてここにいる《蒼龍の角》の多くは元名うての冒険者。騎士号などあって邪魔になるばかりで、城から出られると言うなら願ったりですが?」
慇懃無礼にも程がある態度で王に恭しく語りかけるヒゲ。
元々、冒険者として慎ましくも楽しく暮らしていたのを、権力で無理矢理に招集されていたのだ。
さらにここに来て、肝心の権威が揺らいできたとくれば、王に遠慮する必要など微塵もない。
「くっ。しかし、貴様たちがいかに精強といえど、数十万のエウル軍が貴様たちに襲いかかるのだぞ!」
思いもかけぬ裏切りに、バルハルト王は、目に見えて慌てふためく。
だが、今更エウル軍の威光に頼ろうとするとは、もはや笑い話にもならない。
「陛下。俺たち《蒼龍の牙》は、そのエウル軍を抑えるために陛下が組織した騎士団ですぜ? その陛下ご自身がエウル軍を頼ろうなんざ、エウル軍が耳を貸すわけもなければ、俺たちの力を測り間違えているにも程がある。さらに言えば、ここにいる俺の息子の仲間たちは、たった三人でそのエウル軍の軍団を壊滅させちまったバケモンだ。今更、瀕死の軍が出てきてどうこうできるとは思えんですな」
ヒゲの言う通りだ。
僕がムルムと戦っている間、リリィロッシュ達にはエウル軍本隊の牽制を頼んでいた。
だが、まさか一軍団を壊滅させているとは思いもしなかった。
リュオからもらった装備の効果もあっただろうが、いつの間にか驚く程に力を付けていたもんだ。
「ま、“魔帝”! 貴様も、貴様も儂に剣を捧げたではないか。騎士が自らの剣を裏切ると言うのか!」
王が不乱に叫び散らす。
もはや、拾えるものは藁だろうが小石だろうが掴みたいのだろう。
だが、ケルカトルと話した時にも言ったが、騎士である前提など、僕たちにはなんの意味もない。
「ええ、我が剣にかけて、でしたっけ。ですが、私は魔法使いですので、剣に誇りも何もありませんので。……それでは、そろそろ失礼します。陛下にはご健勝であらせますことを」
そう言って踵を返す。
その翌日。
バルハルト王は、自らの体調不良を原因として、王の地位を退いた。
時期国王の指名も何も無いままの突然の逃走劇。
暫定としてガラージを国王代理とする勅令が発行されたのは、それから三日後の事だった。
「まったく、親父殿にも困ったものだ。厄介事を全部押し付けていったわ。それもこれも貴様らのせいだぞ」
「ははは……」
王城の一室。
青の神殿と呼ばれたその広間は、前王によるけばけばしい装飾品が取り払われ、かつてのように、その名にふさわしい荘厳さを取り戻していた。
ただし、それは今のこの城の主、国王代理となったガラージの狙ったものではなかった。
先の大討伐戦では、周辺国の兵を無理矢理に徴発し、挙句大敗したのだ。
いかに盟主国として絶対的な権力を持つエウルといえど、まただからこそ、相応の賠償を支払わなければならず、その費用の工面のために王城内の様々な宝物を売りさばく必要があったのだ。
バルハルト王退位から明けてひと月経ったのだが、もうかれこれ二時間ほどもガラージの愚痴を聞かされるはめになっている。
先日の一件以来、ガラージと僕との関係は、決別するどころか、それなりに親しい間柄となっている。
元より武人気質のガラージは、僕達の力を深く認めてくれたのだ。
僕としても、正直なところ国王候補としてのガラージはともかく、彼自身については親しみを感じている。
王たらんとしてもがくその様子は、どこか親近感を覚えるのだ。
だが、何も世間話をしにここへ来ている訳では無い。
形の上とはいえ、未だ国王付きの騎士団であり、何よりガラージ率いる王国軍を退けた仇敵でもあるのだ。
できることならば王城など近づきたくはない。
それでもここにいるのは、
「まあまあ、兄さん。ここは僕に免じて……」
「やかましい! 元凶の貴様に言われたくはないわ!」
リヴェイアの名代として訪れているのだ。
「まったく。おい、“魔帝”。今からでもこんな阿呆を捨てて俺と組まないか? 悪いようにはせんぞ」
「ちょっと兄さん、本人の目の前で堂々と引き抜きしないでよ」
手に持つ水晶玉が喋る。
まだ動きは本格化していないとはいえ、これから起こること、そして今から話す事は、この国にしてみれば反乱に等しい。
その主役である二人がこうしてあっているとなれば、ややこしい話になる。
だからこうして、リヴェイアは、偽・繋魂の水晶で念話をしてもらっている。
「ちっ。まぁいい。……でだ。もうこの流れは止められん。戦争をするよりはマシだろうが、それでも少なくない血が流れる。その覚悟はあるんだな?」
それまでの弛緩した空気とはうって変わり、ガラージの気配が突如濃くなる。
軍の引き締めに諸国との対応で疲弊していた先程までとは、表情が違う。
気迫が違う。
そして何より、目が違った。
それは、かつて王を目指したものとして、そして、それを託すものとしての厳しい眼差しだった。
「えぇ。当たり前じゃないですか。……後の世の万の血を止めるために、今の世の千の血を。その罪、受け止めますよ」
これだ。
いつもと同じ軽い口調。
だが、それに秘められた、隠すことの出来ない熱量。
正直なところ、ガラージのことを気に入っている。
血と暴力による統制も理解はできる。
それが彼なりにこの国を思うが故の苦悩であったことも。
彼の治世ならば、この国は殺伐としてこそいるが、より豊かに栄えただろう。
だがしかし、リヴェイアに出会ってしまった。
彼は、人を見る。
国ではなく人を。
そして、人の為に血を流し、泥をすすり、清も濁も飲み込む度量を持っている。
彼の言葉に虚言はない。
それが分かるのだ。
ガラージが十年後の国を栄えさせるのならば、リヴェイアは百年後の国を栄えさせる。
そんな才能と覚悟を持っていたのだ。
「そうか」
ガラージもその言葉に納得したのか、それ以上言葉を重ねることはなかった。
「さて、それじゃあ本題だが……」
しばらくの沈黙の後、ガラージが再び口を開く。
これまでのことはただの確認だ。
そうでなくては、わざわざ盗聴防止に自前の通信用水晶を持ち込んでまで、王城に足を運んだ意味が無い。
これまで、四大王国の一角として、東部諸国の覇権を握ってきたエウルだが、今回の敗戦で周辺国からの信用が消え去り、溜まりすぎた不満を押さえつけるだけの余力もなくなった。
もはやこの国が消えることは確定している。
ならばと、少しでも平穏に時代を変えられるよう、旧体制の王と新体制の王、二人が予めその道筋を作るのだ。
これから起こる反乱は、二人の王によって決められた筋書きをなぞる舞台劇となるのだ。
それからのことには、僕達は直接関わっていない。
結果から言えば、反乱は成った。
まず、王位を退いたバルハルト前国王は、エウル中央部にある王族保有の地方都市へ隠遁。
国政の要となっていた、第二王子ザハクも、南での失策を罪に問われ、地方都市へ出向となった。
ガラージの手足となっていた“八岐大軍”や《翠龍騎士団》は、北での敗戦を機に解体。
理由を付けて地方へ赴任させられるが、それで大人しくしているはずもなく、その尽くが解任。
軍を除籍させられるか、処断されている。
そして……
「エウル軍の横暴を許すなー!」
「今こそ地方国の独立を果たすのだー!」
エウルの弱体化により立ち上がった反抗勢力により、一部の民が暴徒化。
それを抑えるべきはずのエウル軍も既にその機能をほぼ停止させており、エウルの混乱が加速度的に広がる。
そんな中で、比較的治安が乱れることがなかったのは、エウル王国内の辺境都市。
すなわち、リヴェイアが好を通じていた、“まともな貴族”の治める土地だった。
自然と周辺国からの期待は彼らへと集まり、そして本人の意思とは無関係に、その頂点にリヴェイアが立つ。
「皆さん、私はこの身に流れる血こそエウル王家の人間です。ですが、だからこそ、今のエウル王家を許すことが出来ない! 今こそ、自分たちの手に自由を、自分たちの手で独立を、自分たちの手に未来を! さぁ、立ち上がりましょう!」
「国王不在の国などあってはならん。故に、国王代理としての権限に基づき、この国の歴史を閉じるものとする」
民の反乱が最高潮に達した頃、ガラージにより突如、エウル王国解体の宣言が出される。
名目としては、ガラージは王位を正式に継いだ訳でなく、国の根幹たる王が存在しないことを理由としている。
だが、それがエウルに残った最後の王族の逃亡だということは、誰が見ても明らかだ。
そしてガラージの宣言により、暴動から約一年という異例の早さで、エウル王国の反乱は成された。
しかし、話はそこで終わらない。
盟主国を失い迷走するノガルド連合。
小国同士が次の覇権争いの準備に勤しむ中、まるで予め準備されていたかのような新たな勢力が、直ぐにその事態を収めることになる。
同盟による〈連合国〉ではなく、人民の総意による〈連邦議会〉。
国ではなく民たちの集まりという新たな組織が、瞬く間に旧エウル王国の地のみならず、旧ノガルド領そのものを取り込み、建て直していったのだ。
〈連邦議会〉という考え方は、すぐに近隣諸国にも受け入れられるようになる。
各小国も、自らの力だけでその身を守ることが出来ないのは先刻承知であり、かと言って、大国にへつらった結果もこれまで散々に味わってきた。
何より、今回の一連の流れの最大の功労者である、ドレーシュ王国からの全面的な後推しがあったことが大きかった。
旧ノガルド領を取りまとめた〈連邦議会〉が、ノガルドの地を統括する国家として承認された。
エウル王国は、世界の地図からその名が消え去り、新たな国名が記される。
国王による絶対的な支配をよしとせず、多くの地方都市による交流と自治に由来した連邦国家。
それは、まるで小さなノガルド連合国のように、互いに助け合い競い合う、新たな国の形。
そして、目指すのは、国という垣根を越えた、全人類共存国家。
新たな国の名は、〈キュメール共同国〉。
リヴェイア=セイルを総議長とした、国王のいない国が生まれたのである。




