第八章)混迷の世界へ 荒廃
▪️北夷大討伐戦⑩
「そんな馬鹿な! ガラージ様が、俺を、この俺を捨て駒にするはずが!」
ムルムが叫ぶ。
ムルムには、問答の内容は省き、ムルムの軍のみで今回の戦いの趨勢を決すると説明した。
後ろにいると思っていた十万の大軍。
それが当てにならないと分かったのだ。
だが、
「ちょっと待ってよ。ガラージ王子は、お前を捨て駒にするつもりなんかないさ。普通に考えて、こっちに勝ち目はない戦いだった。負けたのは偏にお前のせいだ」
「くっ」
そもそもがムルム自身、勝てると思っていたからこそ単独で進撃してきたはずだ。
そしてそれは、ムルム自身が一番よくわかっている。
「それに、ガラージ王子との盟約は、僕しか知らないし、この戦いに僕は参加していない。彼らは自力でお前達に勝ったんだよ」
正確には、偽魔砲の作り方は教えたし、初撃はその指揮もとった。
また、投石を破壊した風の矢は、僕の指示だったしその守護も僕がしたから、参加していないとは言い難い。
だが、実際に僕が魔法を奮って戦っていないのだから、嘘ではないだろう。
「そ、そんな……馬鹿な……」
ムルムは、ガックリとうなだれ、茫然自失としている。
だが、こいつに対して、そんな感傷に付き合ってやる義理などない。
「まあそんな訳でお前達は負けたんだけど、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうでもいい、だと?」
実際、このドレーシュの戦いがどういう結果になろうと、あまり僕達に関係はない。
立場や感傷はあるが、ドレーシュが滅ぼされたところで僕達にデメリットはない。
そもそもが、形のうえでの主である国王からは、もういいから帰ってこいと言われている。
それに、エウル軍やガラージにしても、決して敵対したい訳でもない。
国王に招集され、リヴェイアと知り合ったことがなければ、ガラージが王になろうと構わなかった。
王として認められない、なんて言ったが、あれは仕えるものとしての言葉だ。
このまま順当に行けば、遠からずガラージは王位についたはずだし、貴族達には息苦しいかもしれないが、一般の民レベルにはいい治世となっただろう。
だから、この戦の趨勢にも、ドレーシュの命運も、リヴェイアの王座も、どうだっていいのだ。
そうなればいいし、ならなくても仕方がない。
だが、
「ああ。だからこれで終わり。ここで死んでもらうよ」
こいつだけは、ここで終わらせる。
「……くくく、あーはっはっは。なるほど、いよいよ俺の命運も尽きたというわけか。だが、舐められたものだな。この“荒廃”を容易く狩れると思うなよ、“魔帝”」
吹っ切れたのか、ムルムはすくと立ち上がり大笑いする。
その瞳には、挫折による暗さも、恐怖による焦りも見えない。
傲慢で不遜。
己以外の全てを食いつぶす、“荒廃”だけが宿っていた。
「だが、一つだけ聞かせろ、“魔帝”。なぜ俺を憎む? 貴様と俺には、それほどの因縁もなかろう?」
魔力を練り、臨戦状態へと己を高めながらムルムが問う。
なるほど、確かにこいつとの因縁など、あの谷間の集落の一件だけだ。
別にあそこに知り合いがいたという訳でもない。
「……確かにね。言われて気づいたよ。だけど、それがそもそも勘違いさ。僕はなにも、お前のことを憎んでいるわけじゃない」
「なに?」
色々と理由はある。
あの集落の一件では、こいつはなんの罪もない民を虐殺した。
そしてこの戦争も、最後の詰めとしてこいつを討つ必要はある。
だが、それだけならば、もっと他にやりようはあったはずだ。
そして、今ここに至るまでにも、わざわざ心を折るような攻め方をする必要もなかった。
憎んでいる、そう思われて不思議ではない。
だが、そうではない。
「お前は強い、そう思うよ、“荒廃”。だけど、ただ、それだけなんだ。求めるもののために他を蹴落としてでも求める貪欲さも、誰かのために命を捧げる信念も、信じるもののために破壊する業も、何も無い。だからお前のあとには、“荒廃”しかないんだ。そして、僕はそんなお前が、大嫌いなんだ。」
「ふはははは。そうか、嫌いか。嫌いというだけで、俺の軍が滅ぼされるとはな。……いいだろう。なら、俺もお前が嫌いだ“魔帝”。俺の“荒廃”が貴様を喰らいつくしてくれるわ!」
そう言って、ムルムは駆け出す。
そして、この戦争の最後の戦いが始まる。
「まずは小手調べよ、“魔帝”!」
駆け出したムルムの手が青く光る。
魔法を発動する準備段階だ。
駆け出したということは接近戦。
腰の剣に手を伸ばしていないところを見ると、射撃魔法による高速戦闘が狙いか。
本来の時間からすれば数秒。
ムルムの動きを観察し、様々な分析をする。
今はケルカトルに預けた〈破邪の小手〉と同様、リュオから貰った〈無月の衣〉の効果だ。
高い対魔法性能に加え、約三倍もの知覚速度向上を可能としている。
仮にも相手は、大国の軍団長。
油断できる相手ではない。
水晶姫を握り直す。
「──え!?」
ほんの一瞬。ムルムを意識するあまり、だからこそ剣に意識をやったその一瞬。
再びムルムに意識をやると、目の前にその姿はなかった。
「──ッ! くぅっ!」
ガギィン!
甲高い打撃音。
ムルムによる攻撃だ。一瞬遅れながらも水晶姫で受けることが出来たのは運に近い。
なにせ、真正面から近づいていたはずのムルムの攻撃が、真横から飛んできたのだ。
「はん。よく避けたと言うべきか? それとも期待外れと言うべきか、魔帝?」
「三尖刀。また厄介なもの持ってきたね」
ムルムの手には、先程までなかった槍に似た武器が握られていた。
手強い。
それが正直な感想だ。
今の一連の攻防で、ムルムの評価をかなり上方に修正する必要がある。
まず、最初の突進。
あれは偽りだと思っていた。
だが、風の魔力で速力を増加させ、一瞬気が逸れたことを見抜き、突如の方向転換でこちらの視界から消えた。
真正面の特攻、そこから急激な方向転換。
ムルムの姿を見失うのも無理からぬことだ。
さらには、そこまで高度な移動をしていた上で、召喚魔法で武器を呼び出し、戦士にも劣らぬ攻撃を繰り出した。
戦闘における機転、技術、力、魔力。
その全てが高度に完成されている。
「いや、流石は“八岐大軍”だね。正直、見くびってた」
「かっ、抜かしやがれ」
ムルムが手に持つ三尖刀を構え直す。
三尖刀とは、幅広の刀が槍の矛先に付いた武器、大刀の一種である。
矛先が上と左右の三つに分かれていることからその名がついている。
幅広の刀部分は重く、いかなるものも切り裂く。
左右に分かれた刃は返しとなり、引っ掛けて切り裂くにも適している。
槍の突く、払う、叩く。
刀の切る、裂く、振る。
その全てを自在に操る、複合兵器なのだ。
人の数が増え、戦力が一人の武ではなく、多くの数で争われるようになり、一人の強力な使い手がいる兵器よりも、多くの兵器が振るう剣が重宝され、時代とともに忘れ去られた武器。
だが、こうして一対一で向き合うのならば、これ以上ないほどに厄介なものとなる。
「まだまだ行くぜ? 俺の“荒廃”たる所以、とくと味わい、絶望して死ねぇ!」
ムルムの言葉通り、さらに攻撃は鋭く、禍々しくなる。
縦横無尽に繰り出される鋭い攻撃。
くるくると柄を両手で回転させ、不可思議な軌道で斬撃を繰り出してくる。
さらに、刃からは黒い魔力が溢れ出し地にこぼれ落ちる。
その魔力に触れた途端、草木は枯れ、どす黒く腐り落ちる。
「ひぃあっはー! 暗黒魔技・黒死無葬!」
三尖刀の刃が迫る。
水晶姫に守りの魔力を満たし、その攻撃を何とか受ける。
腐食の効果こそ抑え込むことが出来るが、三尖刀の威力に剣を飛ばされそうになる。
続いてすぐさまに第二撃。
ムルムは、柄尻と刃の根本と、かなり大きめに柄を握っている。
だから、リーチが短く小回りがきき、さらに両手持ちゆえに強力な斬撃を繰り出すことが出来る。
斬撃そのものは、ギリギリで躱せる程度の速度だ。
高速の斬撃ではあるが、避けきれないほどではない。
だが、それをあえて水晶姫で受け切る。
ギリギリで躱せる速度、それはムルムの罠だ。
強力な斬撃に気を取られ、それを躱すことに意識が向いてしまえば、腐食の魔力が躱したその身を貪り食らう。
だが、鋭く重い斬撃は、受け続けるを許さず、幻惑するような連撃は、それを避けることすら許さない。
躱すことも、受けることも、避けることもできず、いずれはその黒い魔力に飲み込まれる。
実に恐るべき技量だ。
「そらそらそらそらそらぁっ! 四大属性を極めたものだけが使える暗黒系魔法。さらにこの三尖刀が合わされば、俺に喰らい尽くせぬものなどない! どうした“魔帝”、防戦一方かぁ?」
ムルムが愉悦の笑みを浮かべる。だが、我を忘れるようではなく、むしろその思考は冴え渡っているようにも思える。
弱者をいたぶる。
それは、ムルムにとって何よりもの欲求なのだろう。
「……よ」
「はぁ? なにぶつくさ言ってやがる。命乞いなんか聞くわけねーだろ!」
ムルムが止めとばかりに、より斬撃の密度を上げる。
確かにこいつは強い。
「だからお前は負けるんだよ!」
だが、そこに最大の隙がある。
〈無月の衣〉の効果で高速で呪文を思考する。
最強の魔法を、最大の効率を持って、最大の効果で。
それが、
「これが、『魔王』の力だぁぁっ!」
呪文を解き放つ。
「闇夜を喰らう虚無!」
足元から現れたのは、黒い渦。
漆黒のもやが、螺旋を描きながらムルムへと襲いかかる。
「黒……、貴様も“闇”使いか! 面白い。なら、俺の黒死無葬とどちらが上か試してやる!」
魔力を高め、三尖刀に宿る闇が一層濃くなる。
足元から這い寄る黒いもやに、三尖刀を突き入れる。
「なにぃっ!」
もやに実体などない。
だから、ムルムの想像では、三尖刀の魔力でもやを吹き飛ばすはずだったのだろう。
だが、実際には、形のないはずのもやは、まるで柔らかな泥のように優しく三尖刀を受け止め、食らいついた。
ムルムは、慌てて三尖刀を引くが、食らいついたもやは、それを離さない。
「くっ! 離せ!」
三尖刀をつたい、黒いもやは、既にムルム本人も捉えている。
両足の膝まで巻き付く黒いもやは、うねうねとさらに巻き付き、ムルムの動きを完全に封じている。
「ちぃ。なにが『魔王』だ、この“魔帝”め。こんなちゃちなトラップ、すぐに吹き飛ばしてやる。暗黒系魔法・黒き極光!」
暗黒系魔法は、腐食の効果のみではない。
状態異常や吸収など、様々な使いわけがある。
ムルムの放った魔法は、破壊の効果をもった攻撃だ。
単純な魔法としての攻撃ではなく、破壊という効果そのものを持ち、それが物質であれ魔法効果であれ、触れたものを破壊するという恐ろしい魔法のひとつだ。
だが、それすらもやは飲み込む。
優しく包み込む。
ムルムは、重大な勘違いをしているのだ。
「無駄だよ。そんなものじゃこいつからは逃れられない」
既に剣を納め、離れた位置からムルムに教えてやる。
無論、もう勝負はついたという余裕もあるが、何より、こいつは、僕をも喰らおうとする危険すぎるものなのだ。
「“魔帝”! 貴様、このもやはなんだ! 召喚魔法か!」
どちらかと言えば効果はそれに近い。
あるものを呼び寄せた、という意味では。
「違うね。それは召喚魔法でも暗黒系魔法でもない。それは、〈虚無系魔法〉。全てを飲み込む虚無なんだよ」




