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第八章)混迷の世界へ 王の問答①

▪️北夷大討伐戦⑨


 一週間ほど前。


「何奴だっ!」

 ドレーシュ侵攻の為に張られた陣営。

ガラージの幕舎の中、垂れ幕の影に潜んでいた影が姿を現す。


「お初にお目にかかります、ガラージ王子」

「貴様は……」

 人影は二つ。無論、それは僕と、


「“魔帝”。それにリヴェイア、やはり貴様か」

 王位の継承権を放棄し、放蕩の限りを尽くしていた第三王子、リヴェイアだった。




「やはり、ですか。やはりというのならば、こちらこそ。ラー兄さんは、気づいていると思っていましたよ」

 リヴェイアがおどけるような軽口でガラージに答える。

だが、それには僕も同意見だ。

能力だけの話をするのであれば、三人、いや、現国王も含め四人の中では、ガラージは別格なのだ。

その圧倒的な才覚で人を従え、よく見、よく聞き、支配する。

彼ならば、《密林の蛇王(ナーガロード)》がエウル軍を出し抜いた一連の騒動の影に、リヴェイアと僕達の協力があったことを見抜いていてもおかしくはない。


「貴様と“魔帝”が一緒にいるところをいると、やはり貴様ら、最初から組んでいたか」

 ガラージは剣を納め、改めてベッドへ座り直す。

自分の幕舎に潜んだ不審者を前にしてこの余裕。

なんとも豪胆なことだ。

周りには兵がいると言っても、こちらは幕舎に潜んでいた侵入者だ。

それも、こちらの目的がなんなのか、分からないほどの無能ではないだろう。


 こちらの考えている事がわかったのか、ガラージがつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「ふん、その気があれば、俺が剣を抜くより早くこの一帯を焦土に出来るのだろう? そんな相手に警戒をすることになんの意味がある?」


 なるほど。

幾分過大評価があるようだが、その認識は概ね間違いではない。

それでも、刺客を前にしてのこの胆力、やはり並のものではない。


「さて、お前達がこのタイミングで俺の前に現れる理由。予想がつかん訳では無いが、一応聞いてやろう」

 ガラージが手元の杯を手に取り、僕とリヴェイアに酒を注ぐ。

不敵な笑顔で構えるが、その瞳には、ありありと闘志の光が宿っている。

そう、恐怖や殺意、侮蔑などではなく闘志。

僕達、いやリヴェイアのことを同格の敵として認識しているのだ。

だからこそ、彼とは交渉するに値するのだ。


「ええ、では……」

 僕がそれを語ろうとすると、リヴェイアが左手をかざしそれを制する。

なるほど、この場で僕は確かに部外者だ。

放蕩の堕落した王子。

彼の価値を今一度確認するにもいい機会だ。

ここは彼に任せよう。


「ラー兄さん。兄さんは、この国をどう思う?」

 リヴェイアが切り出した。

その瞳は真っ直ぐにガラージを見つめ、いささかくもりもない。


「リヴェイア、お前はいつも回りくどい。お前の悪い癖だ」

 対してガラージは、そんな問答など無用、早く本題に入れと急かす。

柔和なリヴェイアと剛直なガラージ。

血を同じくする二人の王子の性格は、対局と言っていい。


「ははは。相変わらずだね。でも、僕に言わせれば、兄さんこそせっかちに過ぎるよ。それこそ悪い癖だ」

「む……」

 ガラージが顔をしかめる。

本人としても、ある程度自覚はあるらしい。

僕自身、どちらかと言えば回りくどいタイプの人間だ。

交渉とは、戦争のようなものだ。

大剣で一刀両断するような本質ばかりの応酬では、ことの本質は測れない。

まずは弓矢でいかけ、敵を揺さぶってから総攻撃を開始するものだと思う。


「いいだろう。戯れ言に付き合ってやる」

 今回は、リヴェイアの牽制が効いたようだ。

場には、流れというものがある。

今は、リヴェイアにそれがある。


「まず、この国はダメだな。このままではそう長くはない」

 仮にも世界で最も強力な国の一つである、東のエウル王国、その第一王子から発せられる言葉ではない。

だが、逆に感心する。

驕らず、慢心せず、客観的にこの国の実情を把握しているのだ。


(トップ)は、権力に固執し平安にも繁栄にも興味が無い。臣下は、その利を貪るばかりで(とみ)を還元しない。あるのは、四大国という名だけ。そんな過去の財を食いつぶすような国など、持つ訳がない」

 そう吐き捨てるように言う。

魔王城があり、常に脅威に晒される西国(エティウ)南国(ノスマルク)と違い、大陸の反対側に位置するエウル王国は、比較的平和な時代が長く続いている。

その長い年月の間に、国が腐る。

そう断じたのだ。


国王(オヤジ)はダメだ。あいつこそこの国の歴史そのもの。国を食いつぶし、自分だけが肥え太る害虫だ。何としてでも排さねばならない害悪だ」

 ガラージの断罪は続く。


「ザハク、あいつもダメだ。あれは、親父の子だな。富を産ませる手腕、それだけは大したものだ。だが、金儲けだけしていればよかったのに、あれは欲を出した。経済の根本は信用。自らを信じさせ、相手を信じる。その上で保険をかければ上策だ。だが、その全てがあいつにはなかった」


 ガラージは、くいと杯を煽る。

長く話して喉を湿らせたかったのか。

それとも、酔わずにはいられないほどに、国の頂点に立つもののひとりとして、不甲斐なさを感じているのか。

僕は、その様子を杯を持ったまま、微動だにすることも出来ず聞き入っていた。


「なるほど。それで、兄さん自身はどうなのです?」

 リヴェイアが、杯を煽り問いを重ねる。

ぐびりと喉を鳴らし飲み込んだのは、酒だけか、それともこの場の空気だったのか。


「ふん、さてな」

 ガラージが口元を歪め自嘲するようにして笑う。


「俺のやり方が強引だということくらいわかっているさ。だが、腐りきったこの国を律するには、血と暴力による拘束が必要だ。」


 それはそうだろう。

自らの身を危険に晒すことなく、弱者から富を搾り取り、財を蓄えることだけに固執したこの国の重臣達が相手なのだ。

そんな彼らが、最も大事にする財。

それは、自らの命にほかならない。

だから、翠龍騎士団(ナーガナイツ)による粛清を決行したのだ。


「さぁ、俺がここまで話したんだ。今度はお前がどう思っているのか。お前の国づくりがどんなのなのか、聞かせてもらおう」


 ガラージが空になったリヴェイアの杯に酒を注ぎながら訊ねる。

ガラージは分かっている。

今回の戦い、その本質。

それは、大盗賊団の討伐などではない。

まして、ドレーシュなどという辺境の国の破壊でもない。

Sランク(僕達)というきっかけを始まりとした、次期王位の争奪戦となっているのだ。


 時代が見えず、己の地位のみしか見ていない国王は、既に眼中に無い。

余計な欲に走り失策を犯したザハクも、もはや再起の芽はない。

残るは、この国を恐怖により支配するガラージと、王族からさえ外れたリヴェイアだけである。

この戦いを終えた時、次の時代の趨勢は、決していると言っていい。


「さあ、お前は、どのように王となり、どのように国をつくるんだ」

 ガラージが挑むようにして睨む。

リヴェイアは、一口、酒を口につけて杯を置く。


「私は……」




「なに?」

 明らかに怒気をはらんだ声。

彼を推すと決めた僕でさえ、正直耳を疑った。


「ええ、ですから僕には分かりませんよ。この国をどうするのかだなんて」

 リヴェイアは、恥ずかしそうに、だが迷いなくそう答えた。


「バカにしているのか!」

 ガラージが杯をダンっと置き、声を荒らげる。

周りの衛兵たちに届かないように声は抑えているが、相当に怒っている。


 当たり前だ。

この国のことを真剣に想う。

だからこそガラージは、血で自らの手を汚してきた。

ガラージは、決して残虐なわけではなかった。

仕方がないから、その方法をとったのだ。


 だが、リヴェイアから聞かされた言葉は、“分からない”。

これでは、ガラージが怒るのも無理はない。


「ふふ、そうですね。ですが、これが僕が真剣に考え、真剣に悩み、真剣に選んだ答えなんですよ」

「なに?」

  リヴェイアは語る。


「そもそも、ラー兄さんは、この国をダメだと断じた。この国は、腐りきっていると。でも、そうでしょうか?」

 軽薄な口調、柔和な笑顔はそのままだ。

だが、その瞳は深く澄み渡り、その奥にある知性の光は、先程までと別人かと思われるほどだ。


「僕は、成人と同時に早々と王位継承権を放棄して、各地を巡ったよ。北も南も、ノガルド連合国内は、あちこちね」

 リヴェイアは、正式には王子ではない。

ソリューンの姓を捨て、今は、リヴェイア=セイルが正しい名前だ。


「その中で、色々な人と出会ったよ。エウルの重税に苦しむ農民。権力を笠に着て圧政をしく貴族。確かに酷いものだった」

 実際リヴェイアは、そういった地域を巡り、微力でもその改善を促すように動いていた。

その中で、ビルスと出会ったのだという。


「でも、そんな土地ばかりじゃなかったんだ。貧しくとも明るい人々。正しくあろうとする貴族。貴族の目を盗んで施しをする役人。この国は、いや、この世界は、まだまだ腐ってはないんだよ」

 リヴェイアの目に宿る光は、さらに強さを増す。

燦々と、爛々と。

それは、信じるという力。

信じるものは、また自身も信じられる。

それは、つまり……


「なるほど、この国はまだ死んでいない、か。ならばもう一度問おう。お前はこの国を、どうしたいんだ」

 ガラージが問う。

先ほどと同じ質問。

だが、その答えは先程とは違うものになると確信している。


「僕は、終わらせる。この国を終わらせる。そして、ゼロから始めるよ。みんなと」

 それが、リヴェイアの答えだった。




「この国を……、終わらせる」

 ガラージがその言葉を反復する。

そうだ。僕がリヴェイアと初めて出会った日、彼はそう言った。

ソリューン王家には興味が無い。

つまり、このエウルの地に、新たな王国を建てると。


「兄さんは言ったね。この国はもう長くはないって。それは、僕も同感だ。だったら、なぜそれを守ろうとするんだい? 腐った幹を倒し、新たな種をまく方が、余程まともな思考だ」

 それは、リヴェイアと話し合い、僕達が目指した未来。

だが、こうしてリヴェイアの口から改めて語られると、衝撃が走る。

このエウル王国は、四大王国のひとつだ。

長い歴史と、勢力と、決められた地位がある。

それを壊すというのだ。


「リヴェイア。お前は、国を木に例えた。俺は、腐った幹を守るため、より腐らぬように害虫を削ぎ落とした。だが、お前は、木そのものを切り倒し、次の木を植えようというのだな」

 ガラージは、リヴェイアを見つめ続けている。

その未来を、リヴェイアを値踏みするかのように。


「リヴェイア。その方法で、その木に住むいく百もの実や葉、そしてそれに連なる鳥や虫たちが傷つき、少なくない数が死ぬ。それを分かっているのか?」

 実際に人は死ぬ。

ドレーシュとエウルの戦争がそうであるし、エウルを倒せば少なくとも今の貴族達は、今まで通りの生活は送れなくなるだろう。

それだけではない。

これまであったエウル(中央)周辺国(地方)の軋轢が、一気に弾ける。

それに巻き込まれるのは、名もない平民たちだろう。


「そうだね。だから、分からないんだ。僕が作る国がどうなるかなんて。僕は壊し、めちゃくちゃにするだけ。そして、新しい国を作るのは、ほかのみんななんだから」

 それはひとつの理想だ。

皆が協力し、皆が競い合い、誰も抑圧されず、誰もに希望がある。

負けることもあるからこそ勝ちもある。

最初から勝っている者、負けている者の存在しない国。

それが、僕達の目指す国だ。

そして、そこに王は必要ない。


「全てを壊した後、僕は王位を廃する。それが、僕の国造りだ」




 沈黙が続く。

王を戴く者として、国を壊し、国を棄てるという異常。

ガラージは茫然自失とし、それを知っている僕ですらあっけに取られる。


「幾多の屍の上に後の世を作る、か。俺よりもよほど残酷な話ではないか。まるで〈魔王〉だな」

 暫くの後に口を開いたのはガラージだった。


「知っているか? 噂では、魔族が人間を襲うのは、向こうの国が滅びかけているからだそうだ。それでこっちが滅ぼされたんじゃ、今住んでいる俺たちは迷惑なものだな」

 思わずぴくりと反応する。

正確には、この世界そのものが滅びかけていて、魔力の逃がし先としてこの大陸の核を手に入れたいのだが、大筋は間違ってはいない。


「“魔族”は滅ぼす。それが俺の答えだ」

 相容れない。

リヴェイアの目指す未来は、受け入れられない、という意味だ。

交渉は決裂か。


「……だが、」

 だが、ガラージの言葉はさらに続く。


「新しい世界。お前の作る世界を見てみたくもある」

 ガラージは、天を仰ぎ、目を伏せる。

その姿は、何かの審判を仰ぐ罪人のようでもある。


「おい、“魔帝”」

 その姿のまま、ふいにガラージは、僕に問いかける。


「貴様、何故こいつと組んだ。俺ではなく、こいつを選んだんだ」


 なるほど。

待つのは、答え、か。

自分は王にふさわしいか。

その答えを問いたいのか。

ならば、答えはひとつだ。


「ただの冒険者風情がお答えするのも滑稽ですが、あえて申し上げましょう。私は、とある王(・・・・)を知っています。」

 (こうべ)を垂れ、跪いて答える。


「その王は、苛烈でした。より良き世のため。より多くの民のため。多くの人々を殺し、君臨しました」

 ときには謀略を、ときには虐殺を行い、目的を果たそうとした。


()が、最良の王であったかなど、私には分かりません。ですが、かの王にあって、殿下に足りないものがあります」

「ほぉ?」

 ガラージは、顔を下ろし、こちらを見つめる。


「王の治世など、千差万別。ならば方法ではなく、王そのものの資質が要と考えます。殿下に足りないもの、それは、カリスマです」


「人を引きつける力。多くはそう思うでしょう。ですが、王のカリスマとなれば、意味合いは異なります。『その王の為に命を捧げられる忠誠心』、それが王のカリスマです。ガラージ殿下は、それを血と恐怖で補おうとした。その一点をもって、私は殿下を王と認めることができません」


 なんと無礼な物言いであることか。

本人を目の前に、お前は王にはなれない、などと。

だが、こうして顔を合わせ、気づいたのだ。

きっと、ガラージ本人も、その事に気がついているのだ、と。


「ふふふ、ははははは。なるほど、リヴェイアにふさわしい家臣だ。実に面白い。この俺に向かって、王と認めぬとはな」

 ガラージが笑う。

それまで、凄惨な覇気を身にまとい、鬼のような形相をしていたのが嘘のように、まるで子供のような表情で笑うのだった。


「いいだろう。貴様たちを“敵”と認めてやる」

 その表情は晴れやかだ。

だが、“敵”とは?


「王の座を争う敵だ。俺も俺のやり方を諦めるつもりは無い。お前達のやり方を否定もしない。だから、ドレーシュの戦、それで決めてやろう」

 やはり、話が早い。

僕は、ガラージを“王”の器ではないと思った。

だが、間違いなく、“将”としては、一流の器を持っている。


「予定どおり、全軍で向かう。だが、実際に攻めるのはムルムの軍団だけだ。あいつはお前達に因縁がある。それを退けたら、残りの軍も引くと約束しよう」

 本来なら同数での決着が望ましいが、そこまで譲歩を引き出すのはおこがましいだろう。

三千対二万。

それで雌雄を決すると決めたのだ。

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