第八章)混迷の世界へ 秘密兵器★
▪️北夷大討伐戦⑥
森がざわめく。
国を覆うほどの大軍の一部、そのまた尖兵に過ぎない七千の部隊が進む。
ただそれだけでだ。
山間部に点在する僅かばかりの平地。
その狭い土地を挟み、エウル軍とドレーシュ軍が、互いに歩を進める。
エウル軍から突撃の合図となる太鼓が打たれる。
木々の隙間から見え隠れする兵達の影がみるみるうちに濃くなる。
エウルの部隊は、大きく三つに分かれているようだ。
左右に二千ずつと、中央に三千が横並びとなる横陣。
それぞれは前衛に戦士・魔法剣士部隊、後衛に魔法使い部隊を置いた基本の方陣だ。
基本中の基本と言える陣形ではあるが、だからこそ攻撃・防御の双方に長ける陣形と言える。
「行くぞ」
もはや、この場に言葉はいらなかった。
白銀の鎧を纏ったケルカトルは、凶悪な闘志をむき出しにしてなお、ただただ、美しかった。
兵も、元盗賊達も、その眼差しに魅せられ、その声に心を奮い起こさせ、その覇気に闘志を重ね合わせる。
今、三千の烏合の衆は、正しく、三千の軍隊となった。
まずぶつかったのは、左翼の兵たちだった。
相手は横並びの陣形。
本来ならば大波に飲み込まれるように、一気に押し潰される。
だが、それはこの地が何も無い平野だった場合だ。
実際には、木々や山地の起伏がその行く手を阻む。
しかし、それでも相手は大軍。
僅かばかりの隊列の乱れなど気にする様子もなく、一気に詰め寄せる。
対するドレーシュ軍は、魚鱗。
少数の部隊を多重に配置し、交代と回復で相手の攻撃を凌ぎ切る、攻防双方に長けた陣形だ。
とはいえ、一枚の鱗は二十人、五段までしかない薄い守りではあった。
まずはエウル軍からの魔法。
先程の砲撃では、全軍が揃っての攻撃であったため、来る手も読めていた。
だが、乱戦の体を成してきた今となっては、相手からくる攻撃も様々だ。
氷の散弾、炎の礫、風の刃、石の雨が降り注ぐ。
「〈大盾〉立てろ! 後衛、破砕散弾を撃ち尽くせ! 三、二、一、放てっ!」
いくら辺境の小国といえど、仮にも国家といえば隠し玉のひとつくらいはあるものだ。
これはそのひとつ。
簡易移動要塞〈大盾〉。
北国との境界に位置するだけあり、北方の技術を一部取り込んだ品物がある。
守護系魔法を刻み込み、対魔対物に非常に高い効果を示す巨大な盾だ。
人が運用できるギリギリのサイズであり、優に人の身長を超えるサイズの壁とも言える両手盾。
さらに、破砕散弾で威力を削ぎ落とすことで、エウル軍の魔法攻撃を凌ぐ。
だが、そうしているうちにも、魔法剣士部隊の進軍は止まらない。
林の中からまばらに出てきていた残りの部隊も、平地へと姿を見せ、部隊長の号令で突撃を開始した。
押し寄せる軍。
それは、人の集まりというよりは、なにかに取り憑かれた塊、そう、蜜にたかるアリの群れのようにも思えた。
整然とした進軍。
残り100、80、60、50、45、40。
近づく距離と比例するように、進軍の速度が上がる。
「来るぞぉ! 大盾、構え。……押せえっ!」
「おおぉぉっ!」
エウルの兵が魔法剣を振り上げ、襲いかかる。
大盾の隙間から飛び込もうとする兵を、盾を閉じて防ぐ。
逆に開いた隙間から炎剣を振るう兵を、槍で突き倒す。
体を強化させて突撃する兵を、盾を押し出して強打する。
なんとか最初の衝突を凌ぎきったが、エウル軍の圧力は増していくばかりだ。
「押せぇぇっ! しがみついてでも盾を倒すなぁ! これが俺たちの命綱だと思え!」
「もっと兵を集めろ! 倒せなきゃ削れ! 人だ、人数で押せ!」
双方の兵と将校が、大盾を挟んで声を張り上げる。
片や、衝突に負けまいと盾を押し支えるドレーシュ。
片や、とにかく突破口を開くため押し倒そうとするエウル。
一見互角にも見えるが、勢力を増すエウルに対し、人的な被害こそまだないが、披露を蓄積していくだけのドレーシュ。
考えるまでもない。
ドレーシュは、防ぐだけで手一杯で、攻勢には出られない。
だが、戦闘とは、どちらかが攻めて勝たなければ終わらない。
だとすれば、結果はもう見えているのだ。
そう、こちらの手が防ぐことだけならば、だ。
地を揺るがす轟音が響く。
続いて押し寄せる魔法剣士達の後方、エウル軍の後衛部隊から悲鳴が上がる。
立ち上る土煙と響く叫声。
よく見れば、逃げ惑う人混みの中に、先程までは見られなかった柱が立っている。
再び、三度、轟音。
その度に、エウルの陣営に柱が屹立する。
否。
それは柱ではない。
五m程の高さの木が逆さに突き刺さっているのだ。
「狙い、仰角追加六。風爆充填。行くよ、……放て!」
僕の号令で木が飛んでいく。
枝を払い、矢というよりは柱となった木を撃ち出す対軍兵器。
名を〈偽魔砲〉と言う。
いくら周りに木が無尽蔵にあるといっても、それをそのまま撃ち出すというのであれば、それこそAランク相当の術者でなければ不可能。
木を魔法でへし折るのならば簡単だが、魔法で押し出すとなると、瞬間的な圧力が必要だ。
そして、それほどの力を持つ魔法使いなど、この地には僕しかいないはずだ。
それを解決するのは、酒や水を貯めておく大瓶だ。
理屈としては単純で、底を抜いた大瓶を用意し、その前に射出物を用意する。
そこに風の魔法を叩き込むと、出口に行くに従い口径は狭くなり風は収束し、元の数倍もの威力を持った突風となる。
もちろん、ただの大瓶を使ったのでは風が収束する前に壊れてしまう。
だから、小粒の魔石を振りまいて強化させるなどの小細工は必要だが、魔法を魔力ではなく物理的に強化させる、魔法学的には邪道と言える荒業だ。
数百年前、まだ人間の軍隊の主力が魔法ではなく火薬だった頃、他国に先んじて魔法の有用性に気づいた南国が、その効果を最大限に利用するために編み出した秘密兵器だ。
その後、魔法学の発達で、純粋な魔法の運用に取って代わられたとはいえ、少ない魔法出力で最大の効果を出したこの攻撃は、当時では秘匿技術だった。
魔王として知識としてのみ継承しているが、当時の魔族はこの大質量かつ、ほぼ無尽蔵の砲撃に、手痛い打撃を食らったらしい。
砦で出来ることは出し尽くした。
相手は途方もない大軍とはいえ、出鼻をくじき、場も混乱させた。
ここからは、兵と兵との戦いとなる。
大盾で固める本陣の影から、深緑の外套を羽織った一団が抜け出す。
皆それぞれに魔馬を駆り、森の中へと入っていく。
恐るべきはその練度。
魔馬も嘶きひとつさえさせず、また、根が張り出し大小様々な木々が行く手を遮る森の中にも関わらず、その隊列は一切の乱れを起こさない。
数にしてたったの五百騎。
目の前の七千の軍に対して、あまりにも頼りない数字ではあるが、今この場においては、最強の五百騎だ。
「さあ、俺たちの出番だ!」
その一声で“鋼撃”ケルカトル率いる騎馬隊が敵の集まる平野へと躍り出る。
「おおおおぉぉぉぉぉっ!」
ケルカトルの雄叫び。
突如現れた白銀の騎馬隊に慌てふためくエウル軍。
蛇頭を模した大槍“多翼の赤蛇”を振りかざし、勢いを落とすどころか、ますます速度を上げ、エウル軍の横腹へと突っ込んだ。
ケルカトルの持つ大槍に闘気を込める。
白銀の槍先に絡みつく赤蛇の瞳が怪しく光る。
「はぁっ!」
敵軍へぶつかると同時に、右脇に抱えた大槍を大きく振るう。
右後方からすくい上げるようにして前方へ。
そして、手首を返し、頭上で旋回してもうひとすくい。
魔馬の猛烈な速度により、エウルの大軍の中を通過するのに奮った槍は、たったの二回。
だが、その二撃による被害は甚大なものだった。
大槍〈多翼の赤蛇〉。
これこそ、〈大盾〉に並ぶドレーシュの秘密兵器。
その白銀の槍の刻印は、持ち主の闘気に反応し、繰り出す攻撃そのものを強化、巨大化させる。
ある意味、ラケインの大斬撃と似た効果を持つ、魔法槍なのだ。
圧倒的不利の戦場。
国を守るという騎士としての矜持。
そして、長い歴史の間、虐げられてきたエウルへの怒り。
昂るケルカトルの闘気に呼応し、槍から延びる見えざる刃は2m以上にも及び、ただの二振りの間にその刃にかかったエウル兵の人数は、三十三に及んだ。
そして、あとに続く五百騎ももまた、それぞれに敵を突き、叩き、斬り。
この数分の間に六百人余り、実に一割近くものエウル兵が血の海へと沈んだ。
「なんだ! 何が起きた!」
「化物……、蛇の化物……」
その兵士は、阿鼻叫喚の地獄の中、ただうろたえることしか出来なかった。
弱者を蹂躙するためだけに集められた軍である。
そもそもがドレーシュとはなんの遺恨もない、エウルの強権によって集められただけの近隣国の兵がほとんどなのだ。
ここに来るまでのあいだ、虐殺と略奪を繰り返し、血に酔っていた知性が目を覚ます。
祖国では、第一の軍でこそなくとも、魔法剣士としてエリートと称される兵士だったのだ。
前線にいる部隊だけでも敵の倍の人数を擁し、後方にはその二倍。
そして本体はそのさらに五倍という馬鹿げた戦力差をもった、もはや結果の決まった任務であったはずだ。
エウルの将軍に強要されたとはいえ、弱者を蹂躙し、兵士としての獣の部分を解き放つのに、快感があったことも確かだ。
だが、それがなぜこうなったのか。
ほかの兵も皆、士気は高かった。
一方的な勝ち戦なのはずだった。
ようやく見えてきた城は、砦というのもおこがましいような木と石で組まれた即席の拠点だった。
規模から見て、ここが最後の防衛戦であることも分かった。
楽な制圧戦。
だったはずなのだ。
それが、どうだ。
あんな粗末な城、最初の砲撃だけで充分に方がつくはずだった。
仮に相手にも魔法使いが多くいて、岩塊を防いだとしてもそれまでだ。
そこまでの防御魔法を連続で使用出来るほどの人数は、この国にはいないはずだ。
それどうだ。
風の障壁なのか岩塊は全て砕け散り、巨大な盾が行く手を遮り、すり抜けた仲間たちは長槍に貫かれた。
そうこうしていたら、今度は後方に地響き。
すぐにはそれがなんなのか、分からなかった。
否、見て、何かは分かっても、それがそうなのだと認識出来なかったのだ。
再び地響き。
第二射が終わり、土煙の影からそれが姿を見せる。
木だ。
つい先程までそこにはなかった木が生えていた。
急に木が生えた?
いや違う。
よく見れば、急に現れたその木は、枝が払われた丸太の状態で、逆さになって地面に刺さっているのだ。
馬鹿げている。
この長さが5m程もある巨大な丸太を矢のかわりに飛ばしたのか。
恐るべきスピード。
恐るべき質量。
恐るべき破壊力をもって。
目の前には越えられない城壁。
後方には、恐ろしい味方の本隊。
前にも後にも動くことが出来ない自分たちに、この恐るべき巨大な矢が降り注ぐのだ。
ならば、と横に視線をやったのは、単なる偶然だ。
自分たちの集まる平地の奥。
木々の間から騎馬隊が現れる。
援軍か、いや、それにしては人数が少なすぎる。
奇襲──
その考えに至った時には、既に叫ぶ間もなかった。
その暴虐が眼前に到達するまでには、あまりにも時間がなかったのだ。
先頭の白騎士の雄叫び。
背中の芯に稲妻が走ったかと思うほどの覇気を纏い、神々しいまでの美しさを放つ白銀の鎧が煌めき、怪しいまでの輝きを持つ赤眼の蛇槍が唸りを上げる。
一陣の風。
兵士は、魔法剣士という職業上、魔法だけでなく闘気の扱いにも慣れていた。
だからそれが何なのかすぐに分かる。
圧倒的な闘気。
いや、鬼気だ。
人ならざるものとしか思えない純度の気が、地を、空を、人を切断する。
兵士は、立ちすくんでいただけだ。
その暴虐の風から逃れられたのは、ただ単にその軌道上に存在しなかった、ただそれだけの事だ。
続いて麾下の兵士が通り過ぎる。
その進行上にいたものは、ことごとくが彼らの槍に貫かれた。
兵士は呆然とその死の一団を見送る。
圧倒的な死の気配だけを残し、その一団は、過ぎ去っていく。
仮にもエリートと呼ばれていた兵士が、その戦ぶりに魅入っていた。
恐怖、絶望。
そして命が助かった今、その美しさに見惚れていたのだ。
だが、戦場は優しくはない。
すぐさまに現実へと引き戻す轟音。
振り向くとすぐ目と鼻の先にあの柱のような巨矢が新しく生えている。
絶望的な死そのものと言うべき暴虐の風が目の前を通り過ぎたかと思えば、さらに別の絶望が降って現れる。
この地は、地獄である。
そう確信する。
「ちくしょう、……ちくしょう」
兵士は誰にと言うでもなく、悪態をつく。
誰かに、見えざる誰かに文句を言わずにはいられなかった。
巨矢を避ける。
爆ぜた小石が、仲間だったものの欠片が顔を打つ。
ふと、顔を上げると、遠くから白い輝きが近づいてくる。
あの暴虐の風だ。
──あぁ、そうか。
なぜ先程、あの騎士達に目を奪われたのかがやっと理解出来た。
あれは、この地獄から自分を救ってくれる死の御使いだったのだ。
赤眼の蛇槍が煌めく。
兵士は、その風が自分へと向かってくるのを、静かに受け入れた。




