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第八章)混迷の世界へ 進軍

▪️北夷大討伐戦⑤


 エウルから続くドルネクの平原を無尽蔵とも思える大軍が進軍する。


第一首・深淵のオールン

第二首・暴虐のキューイン

第三首・蹂躙のシダ

第四首・殲滅のチグルス

第五首・虚無のネルガル

第六首・崩国のヒルミア

第七首・荒廃のムルム

第八首・腐海のユーティリア


東の四大国、エウルが誇る、“八岐大軍(ヒュードラ)”である。


 ムルムが“荒廃”の二つ名を冠するように、その他七名の軍団長もおよそ武勇によるものとは思えない二つ名が付けられている。

一軍で二万。

八軍で十六万。

国内の貴族がもつ領軍はもとより、同盟国から兵を徴発すれば、その総数は百万を超える。

その前に敵足り得るもの無く、無人の野を行くが如し。

故に無敵。

単純な兵力だけで言えば、ノガルド連合国の戦力は、四大王国の中でも随一である。


 とはいえ、実際に百万規模の軍を招集するとなれば、それは国の一大事である。

国内外の治安維持や守備兵力なども考えれば、おいそれと全軍、などとは言っていられない。

すなわち、今この場所にいる二十万人という兵数は、即応できる兵力としては、事実上この世界における最大兵力であると言える。


 野を埋め尽くさんばかりの兵。

木々をなぎ倒し、田畑を荒らし、集落を蹴破り、蓄えを貪り尽くす。

兵が過ぎた後には、もはや何も残ってはいなかった。

ガラージから檄が飛ぶ。


「被害は最小限に(とど)めろ! 我らの目標は、あくまで盗賊団とその一味だ!」

 だがその声は、大軍の前にすぐに消え去ってしまう。

兵の顔つきは、尋常のものではない。

その瞳は血走り、その目尻は釣り上がり、口角は裂けるかと思えるほどに愉悦に歪む。

日頃から暴虐に慣れているエウルの正規兵だけではない。

本来ならば嫌々に従軍する、諸国からの派兵軍達も皆、同様に嬉々と民を食い荒らしているのだ。


 集団心理という言葉がある。

エウル軍は凶悪であり、恐ろしい。

逆らえばひどい目にあう。

いや、今自分はエウル軍なのだ。

じゃあ、自分も略奪していいんだ。

普段は勤勉であり、慈愛と正義感を持った兵士だろう諸国の兵も、十二万という圧倒的兵力に酔いしれ、汚らわしい牙をむき出しにしているのだ。


 エウル北部、ドルネク東部。

そして、ドレーシュ王国へと軍は至る。

それまでとは異なる、起伏にとんだ山岳地帯。

深い森と山々に遮られ、大軍はその手前の平原に留まらざるをえなかった。

それでも、兵は進む。

山間を抜けいくつかの軍に分かれるも、徐々に、徐々に、ドレーシュ王国を飲み込んでいく。

もはや兵達には、《密林の蛇王(ナーガロード)》という名すら頭になかった。

目標は、ドレーシュ王国。

その蹂躙である。




「来たな」


 ケルカトルが急造の砦の上から、遠く離れた山道を見つめている。

道は狭く、数人ずつしか通れないようだが、大きく旗めく軍旗は、紛れもなくエウル軍のものだ。


「一応、長く伸びた隊列を叩くのが、山道の戦闘の定石なんだがな」

「蛇をぶつ切りにするのは、あくまでも普通の軍を相手にした時の定石ですよ。あの細長い軍は、蛇の舌先に過ぎません。蛇の本体が違うルートで回り込むか、それとも山ごと飲み込むかでもしたら、あっという間に潰されます」


 ソワソワとしている側近たちに聞こえるよう、わざと大きな声で会話をする。

本来ならば、山道を潰し伸びた陣形を寸断し各個撃破。

更には輜重部隊を襲い、士気を下げるのが山間部の防衛戦の常道ではある。

だが、こちらの兵力三千に対し、相手は二十万。

六十倍という馬鹿げた戦力差だ。

奇策で打って出たとしても、各個撃破されるのはこちらの方なのだ。

もし、万が一にも勝機などというものがあるのであれば、それは、小さな勝利を重ねることではなく、三千対十二万の正面衝突をおいて他にない。


「貴様ら、死ね! 死んで子を、女を、父を、母を、友を守れ! 死んで三千の砦となれ!」

 ケルカトルが、必死に味方を鼓舞する。

そもそもが正規の兵など三分の一しかいない。

半分以上の兵は、《密林の蛇王(ナーガロード)》の盗賊だ。

既に相手は盗賊と農民も区別もつかない、狂軍と化している。

山狩りならぬ国狩り。

ドレーシュ国民の十倍以上という常識外の兵力で、全てを飲み込むつもりだ。

そんな相手に、勝ちの目などあるはずもない。

醜く逃げ惑って死ぬか、雄々しく国を守って死ぬか、二つに一つである。


 そもそもが落伍者の集団である盗賊たちだ。

一度は戦うと決めても、すぐに逃げ出そうとする。

それでも、ケルカトルの覇気に当てられ、何とか踏みとどまっているのだ。

同じ死ぬならば、せめて最後くらいは人間らしく死にたい。

死ねというケルカトルの言葉に、盗賊たちは魅せられていたのだ。


 やがて、エウル軍のひとつが山道を抜け、ケルカトル達が待つ砦の手前にある狭い平野に集結した。

全体の軍から見れば、ただの先鋒隊に過ぎないだろう。

それでも二万近くの軍隊が悠々と陣を広げる。


 一際大きな軍旗が広げられた。

紫紺色の生地に白の刺繍。

頭の八つある大蛇がその中で暴れ狂う。

白い大蛇の内、七つ目の頭だけが金色に輝き、鮮紅色の瞳がギラりと睨みつける。

今回出陣した八つの軍団のうち唯一、全ての兵力を招集し盗賊団の討伐に向かった、第七首・荒廃のムルムの軍であった。




「畜生が。生意気に砦なんぞ作りやがって」

 ムルムが毒づく。

彼の眼前には、二万の兵が居並ぶ。

だが、その半数は近隣国から徴発した外様の軍だ。


 数ヶ月前。

彼の上司であるガラージ王子から、《密林の蛇王(ナーガロード)》討伐の任務を授けられた時には、笑ったものだ。

冒険者上がりの騎士がたったの四人で同じ任務に向かったというのだ。

相手は二万。

だから、こちらも同数である、自分の配下全軍で向かった。


 部下達にもそろそろ血の味を思い出させねばならない頃合だったこともある。

こそこそと隠れ住む盗賊。

正面から戦ったとしても負けるはずもなく、隠れたとしたら、適当に暴れて楽しめばいい。

そう思っていたのだ。


 だが、いざこの地に着いてみれば、全く思うように行かなかった。

盗賊共は見つからず、そのくせ、四人の冒険者共はぽつぽつと手柄を収めている。

更には、頭目の“蛇王”に襲われ、せっかくの楽しみも邪魔された。

最後には、手勢の三分の一を失い、逃げ帰るハメにまでなったのだ。


 今回の大規模討伐では、先鋒を命じられた。

一度はこの地を通ったものとして、そして、先の失態の借りを返せと言われた。

だが、それだけではない。

先鋒隊とは、決死隊だ。

相手が守りを固めている、その一番初めに突撃する、いわば捨て駒としての一面もある。

まして、相手はたった一夜で六千の軍を屠る、異常な強さを持っている。

魔物らしき姿を見たとの報告さえある。

ともすれば、この二万という数字、決して楽観できるものではない。

後続の本隊まで合わされば、まず負けることはないだろうが、それでも一番被害を受けるのは自分たちだろうし、そこまで待ってしまえば、もはや、汚名の返上など叶うまい。


 道すがら、配下にはいつもよりも激しく暴れるように指示を出した。

これにより、外様(とざま)の兵達も血に酔っている。

練度はともかく、凶暴性でいえば、自分の配下にも劣らないだろう。

そして、索敵の魔法によれば、目の前の砦には、多くても三千人程しか兵はいない。

前もって手に入れていた情報とすり合わせて考えれば、あそこにいるのは、この国の兵の全てと、捕らえた盗賊の一部を動員したハリボテに過ぎない。

そんなハリボテを使う必要がある理由などひとつしかない。

奴ら自身、この戦いに勝てると思っておらず、決死の覚悟で守りを固めているのだ。


 失笑だ。

覚悟だけで七倍の、いや、本体まで含めれば六十倍もの戦力差を埋めれるものか。

であれば、もはや本隊を待つ必要も無い。

ハリボテの砦も、ハリボテの軍も、ドレーシュも蛇王も、全てを飲み込んでやる。

ムルムは、右手を頭上にかざす。


「やれ」


 ムルムの手が振り下ろされる。

ゴーンという、腹の底に響く様な太鼓が打ち鳴らされ、眼前の二万という大軍が一斉に進軍を開始する。

ムルム率いる第七軍団に、諸国からの派兵も混じっているとはいえ、ここに至るまでに散々と血の味を覚えさせてきた兵だ。

戦場での混戦に、兵の練度など関係ない。

全ては量と狂気。

血狂いの軍団が、目の前の獲物に襲いかかろうと、その足を早める。


「魔砲隊! 属性“大地(ストーン)”。三、二、一、放てぇ!」

 初手は、遠距離から魔法による砲撃。

城塞と呼ぶにはあまりに貧弱な砦だが、城攻めの基本は、変わらない。

大規模魔法による殲滅。

その後に、近接部隊による蹂躙だ。

部隊の半数以上を魔法剣士で構成する“荒廃”の軍団だが、無論のこと砲撃専門の高火力魔法使いも多く在籍する。

急造でこしらえた木の砦に、千の岩の砲弾が襲いかかる。




「破砕散弾っ! ()ぇーっ!」


 ケルカトルの号が飛ぶ。

城壁、正確には、囚人達が作った粗末な牢屋の屋上から、弓兵部隊が矢を射掛ける。

僕が使う、時喰み(ゼロ)のような魔弓ですらない、ただの弓矢。

迫り来るは、第二位階(中級)の魔法で打ち出された、ひと塊が人の身長程もある岩弾。

数も、質も、威力も段違いだ。


「投石魔法、着弾。土煙が晴れます! ……な、馬鹿な! 無傷! 敵城壁、損耗見られません!」

 エウル軍の物見兵が叫び、兵士に、そして将に動揺が走る。

既にこの一撃だけでも勝負が決まると、たかを括っていたエウル軍からすれば、目を疑うような光景だった。

ろくな兵士もいない辺境の軍。

それも、囚人達をも駆り出した烏合の衆。

砦を埋め潰す程の岩弾による攻城魔法。

それが、たかが数百人の弓で防がれたのだ。


「馬鹿な! なぜあの程度の、壁と呼ぶのさえおこがましい砦に魔法が届かない!」

 第二波の砲撃も防がれ、エウル軍の部隊長が憤る。


「恐らくは風の魔法を付加させた矢による迎撃かと。こちらが大地系魔法(ストーンスペル)を使用したのを見て、風の矢で撃ち落としたのでしょう」

 そばに控える魔法使いが分析する。

だが、それはありえないことなのだ。


「そんなことは見ればわかる! 問題は、なぜそんなことが出来たのかということだ!」

 魔砲隊による、大岩を飛ばす投石魔法。

いくら強力な術を仕込んだとしても、岩を一本の矢で砕くというわけにはいくまい。

七千の岩弾。

仮にひとつの岩に対し、四発で迎撃できたとすると、およそ三万の矢が必要だ。

それを既に二回。

となれば、この戦闘の開始よりも前に、六万本もの矢に風の守護を与えたとでも言うのか。


 さらに言えば、こちらが初手でどんな攻撃をするかは、無論知る由もないだろう。

四大属性の魔法に、物理的な攻城兵器。

いっそ、兵による物量戦という方法もある。

その全てに対応しうる用意を、あの粗末な城壁と僅かな兵力で用意しているとでもいうのか。


 部隊長は戦慄を覚える。

最前線部隊である自分たちだけでも敵の倍以上。

後方にはさらにその倍のムルムの本隊が、そして、未だ到着していない本軍の兵力まである。

兵の損失すら起こりえない、圧倒的な大戦力。

楽観視していた敵の砦が、急に得体の知れない城壁に感じられる。

だがそれ以上に、それほどの大戦力を有しながら、開戦の狼煙をあげることが出来ずにいる自分を、ムルムが許すはずもないという事実に、膝を震わせずにはいられなかった。


「えぇい、突っ込めぇい! なんとしてもあの城を燃やすのだ!」


 部隊長は、自らも騎乗し戦線へと駆け出す。

前門の虎、後門の狼。

もはや生き残る道は、死力を尽くしてあの不気味な砦を落とすことしかなかったのだ。




「恐ろしいまでに予想通りですな」

「まあね。冷静になってみれば、どれほどの大戦力も対応策なんか出てくるさ。まして、ここには僕がいるんだから」


 眼下の光景にケルカトルが息を呑む。

現状、こちらの想定通りに事は進んでいる。

相手は、圧倒的という言葉すら愚かしい程の大戦力。

無駄な策など不要。

ならば定石の通り、大魔法で砦を破壊し、その後に本隊が攻め寄せるはずだ。


 問題は、初撃の大魔法をどうやって防ぐか。

火水土風の四大魔法にその複合魔法。

攻城兵器を用いた物理的な攻撃手段もある。

だが、これについては問題がない。

相手が用いるのは、大地系魔法(ストーンスペル)による砲撃、それしかありえない。


 まず工作兵による攻城兵器。

これは考えなくてもいいだろう。

起伏の多い山奥にあるこの地だ。

大型の兵器を持ち込むには難がある。

まして相手は、魔法使いが多いムルムの軍だ。

間違いなく初手は、魔法による大規模攻撃となる。


 最も攻撃力の高い火炎系魔法(フレイスペル)

これが一番ありえない。

周りは油分を多く含む樹林。

万が一どころか、ほぼ確実に自身も被害を受ける。

さらに、砦を燃やしたところで彼ら本来の目的は、この地に巣食う盗賊団だ。

進軍の妨げとなる山火事など起こさない方がいい。


 烈風系魔法(ウィンドスペル)も除外される。

風とは、押し出す方向だけでなく、後方にも吸い込む力がかかる。

後方に味方がいる場合、風魔法という選択肢を取るのとはできない。


 冷気を宿す水氷系魔法(アイススペル)もありえない。

土は水に強い。

訓練された魔法使いほど、木と岩の砦に冷気の魔法は使ってこない。

氷塊を用いた物理攻撃ならば有効かもしれないが、これは技術的に不可能だ。

一人二人ならばともかく、それほどの大魔法を使える人材は、それほど多くない。

軍隊という統一した行動を求められる場では、下限の兵に力量を合わせざるをえないのだ。


 同様に無属性の物理魔法も用いることは出来ない。

繋魂(コネクト)のような基本魔法はともかく、無属性魔法は、基本的に四属性複合の高等魔法。

中にはそれを使うことが出来る術者はいるだろうが、今この場では選択肢から外れる。

残るは、大地系魔法(ストーンスペル)による大岩の砲撃となるわけだ。


 相手の初手は分かった。

ならば対策は講じれる。

それは、至極簡単だ。

矢で撃ち落としす。

それだけだ。


 目の前の空間を埋め尽くすような無数の大岩を、たかが弓矢で迎撃できたのには、もちろん種も仕掛けもある。

破砕散弾と名付けた矢には、風の魔力が付加(エンチャント)されている。

土は、風に弱い。

そして用意した矢は、一つ一つ狙いをつけて撃つのではなく、十数本ずつを束ねてばらまくようにして放っている。

高速で迫り来る大岩を一つ一つ狙いをつけて撃つなど不可能だ。

ならば、威力は魔法でカバーする。

さらに言えば、矢も通常の使用ではなく、そこら中にある木の枝を簡単に払ったものでいい。

数百の兵がばらまく数千の矢による、擬似的な風の障壁。

それがことの真相だ。


「さあ、まずは前衛部隊が突っ込んできますよ。ケルカトルさん、出番ですよ」


 地鳴りとともに迫るエウル軍を眼科に置き、ケルカトルを見つめる。


「おぅ。“蛇王”の、そして“鋼撃(スレッジ)”の(いくさ)ぶり、とくと見てもらおうか」

 ケルカトルは、踵を返し階下へと降りていく。

白銀の兜を着けていたが、その表情は分かる。

獰猛な獣。

親友のものと同質のそれを見て、迫るエウル軍に訪れるだろう不幸を哀れんだ。

七人の師団長の名前は、頭文字がそれぞれアカサタナハマヤ行の文字で合わせました。それだけ。

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