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第八章)混迷の世界へ 斜陽の兆し

▪️北夷大討伐戦①


「はぁ!? そんなわけがあるか!」


 その夜、ある町の町長の家を徴発した幕舎に怒号が響く。

エウルの軍団長、ムルムである。

報告した伝令兵は、ただ顔を青くしてガタガタと震えている。


 第三師団、壊滅。

六千人もの軍である。

ムルム率いるエウル王国軍第七軍団、二万。

他の軍団もそうだが、エウルの軍は、兵站や装備の補充などを加盟国からの徴発を前提とし、最低限の医療・輸送部隊の他は全て戦闘兵という、極めて攻撃性の強い軍隊である。

中でも、ムルムの第七軍団は、魔法剣士が多く所属する、近接戦闘に特化した殲滅用の軍だ。

ムルムは、それを近衛部隊である千五百と、三つの師団に分けて運用している。

そのひとつが壊滅したという。


「ちぃ、師団長はなにをやっていた!」


 ムルムがダンっと机を叩く。

その音に伝令兵は、ビクリと肩を震わす。

ムルムの前では、人の命など銅貨よりも安い。

伝令兵自身もこれまで、何人もの同僚の首が飛んでいくのを見てきた。

無論、言葉の通りに、だ。

今回、彼はただの伝言役に過ぎない。

壊滅したという第三師団の見聞役からその報告書を受け取り、ムルムに伝えるだけの役目である。


「ちっ、損耗分の兵はこの国から徴発して補充させろ。どれだけだ?」

「そ、それが……」

 伝令兵は、まるで剣でも突きつけられているかのように言い淀む。

報告書をただ渡す。

ただそれだけの仕事なのにだ。

彼には、それが出来ない。

これまでの経験から、この報告書を渡せばどうなるのか、よく分かっているからだ。


「おい、どうなったか聞いているんだ」

「ひ、ひぃぃっ!」

 だから逃げ出した。

伝令兵は、手に持っていた報告書を投げ捨て、一目散に飛び出したのだ。


「おい、……ったく、なんだってんだ」

 ムルムは、床に散らばった報告書を手に取る。

これまでにも、何人かの伝令兵が逃げ出してきた。

自分の気性の荒さには、自覚がある。

だから、こうなった時の報せが、良くないものであることは、容易に想像がついた。

師団長が死んだか。

奴はそれなりに有能だったが、いつもあと一息のところでミスをする。

奴の代わりの人材などいくでもいる。

それとも貴重な魔法具でも奪われたか。

魔法具は高価だが、兵達に支給している程度のものなど、すぐに揃えられる。

無論、その代金はこの国から奪ってやればいい。


 ムルムにとって、兵達など代わりのきく道具に過ぎない。

だから、そんなことに執着はしない。

ただ、自分の所有物が壊された。

ただそれに(いきどお)るのみだ。


「はぁ。…………なに?」

 だが、それでも。

それでもその内容は、あまりにも強烈過ぎた。


「壊滅ではなく、全滅? そんな馬鹿なことがあるか!」

 ムルムは、部屋の椅子を蹴りあげる。

無意識にも魔力で強化されたその蹴りは、椅子を浮かせることなく、その場で爆砕させる。

ムルムは、もう一度、その報告書を読み直す。

今度は、ざっとした流し読みではなく、一文字一文字をつぶさに検分するようにして読み込む。

そんな馬鹿なことは無い。

そんなことがあろうはずがない。

なにか見落としたはずだ。

なにかを見間違えて勘違いしたはずだ。

だが、余程の緊急の場だったのだろう。

報告書に記載された文字は、乱れてこそいるが簡潔だ。


 エウル王国軍第七軍団第三師団、6032人。

昨夜、一七零三。

密林の蛇王(ナーガロード)》と思われる一味に遭遇。

開戦。

逃亡、ゼロ。

負傷者、ゼロ。

生存者……ゼロ。


 撃破され、ただ敗走したのではない。

通常の戦闘ならば、敗色濃厚となった時点で兵士たちは散り散りに逃げ出す。

いくら戦場での敵前逃亡が死罪に相当するとはいえ、本当に死んでしまう前にいくらかの兵は逃げ出すものである。

そして、敗戦の折にはそんな有象無象を全て処罰していくのも不可能だ。

だから、数十ほどの舞台ならばともかく、六千もの大軍が壊滅したと言えば、常識的には戦線が崩壊し潰走することを言う。

それならば、まだ新たに指揮官をたて、軍を再編すればいいのだ。


 だが、全滅。

それも一晩で。

それは、ありえない事だ。

いくら二万の大盗賊団といえど、それは森に隠れ住む、ちんけなならず者を含めた数だ。

仮にも大国であるエウルの正規軍を相手に出来るほどの訓練が行き届いている訳では無い。

まともに動かせる人数は、綿密に準備して千。

それがムルムの読みだった。

だからこそありえないのだ。


 そして、これはもうひとつの事実を物語る。

ムルムの兵の三分の一が、一晩で失われた。

つまり、ほぼ無抵抗に蹂躙されたのだ。

残りは12000。

更に倍とはいえ、今回の惨劇に対してあまりに心もとない。


「本国に……応援を出さなくては……。くつ、“蛇王”、この屈辱、必ず返させてもらうぞ!」




 それから数日後。

エウル王国南方の小国、リューホ王国の街で。


「なんだありゃ」

「ぷはははは。見ろよあれ、ひでぇツラだぞ」

「おかあさーん、おじちゃんたち、なにしてるのー?」


 南国リューホで起きた内乱は、エウル王国軍の介入により、数日のうちに沈静化した。

流れた血も少なくはなかったが、これにより更なる暴動を誘発することは食い止められた。

エウル王国は、この超短期間で解決するために、異例の戦力投入を行ったのだ。


第二首・暴虐のキューイン

第三首・蹂躙のシダ

第四首・殲滅のチグルス


 三つもの軍団、近隣国からの徴兵部隊も含め、延べ十万の兵による徹底した殲滅を行ったのだ。


 当然、畑は荒され、家屋は燃え、反乱した民は元よりその地の住民達の多くが焼け出された。

それでもなお、民のこの明るさには理由があった。

王家から外れたエウルの元第三王子・リヴェイア男爵の指揮により、速やかに食料や生活用品の支給がなされたからである。

同時に、リューホ王国に対して、第二王子であるエウル・ザハク宰相より多額の寄付がなされ、復興が加速度的に進んでいることも大きな要因の一つである。

だが、ここにまだひとつ、特大の火種が残っていることを、多くの人物は知らなかった。


「ぎゃははは、このツラから察するに、よっぽどの悪党だろこいつら」

「どこぞの酒場で揉めでもしたのかよ」


 リューホ王国のとある町で、数人の男達が木の幹に縛り付けられていたのだ。

そしてなぜか、その男たちの顔には酷い侮辱の言葉が殴り書きに書かれ、女物の服を着させられていた。


「ん? こいつ、首からなにかぶら下げてんな。おい、だれかこの木札読めるやつはいるのか!」


 縛られた男達のうち、一人の首から文字の書かれた木札が下げられているのを、見物人の一人か見つける。

がやがやと見物人たちが集まる中、文字の読めるものが名乗り出て得意げに木札の内容を読み上げた。


「えぇ、なになに。……『今回、この国で起きた混乱は、』……、なにぃ!? おい! こいつらがこの騒ぎの元だって書いてあるぞ! なんでも、エウルのお偉いさんが手を回した芝居だったって!」

「なんだと!」

「このやろぉっ!」

「おい、誰か衛兵呼んでこい!」


 途端に喧喧囂囂(けんけんごうごう)の騒ぎとなる。

町の者達は、少なからず今回の内乱で被害を受けているのだ。

血気盛んな若者が石を投げつける。

頭や腕に包帯を巻き付けた大男が殴りつける。

まだ冷静な者が、衛兵に引き渡すために皆を宥める。


 そして、その光景は、リューホ王国の各地で見ることができた。


「ふざけやがって!」

「誰に雇われた! 吐きやがれ!」

 全部で六箇所、三十人以上ものならず者が、各地の村に縛り上げて打ち捨てられていたのだ。


 同盟国への調略とその失敗。

その報せはすぐにリューホ王国を飛び出し、ノガルド連合国全土へと広がることとなる。

そして、北の地での敗北という報せも。

ノガルドの地で強大な権力を欲しいままにしていたエウル王国に、不穏な空気が漂い始めた。

そしてこのことが、後の世に“北夷(ほくい)大討伐戦”と呼ばれる事件のきっかけとなるのだ。

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