第八章)混迷の世界へ 蛇王の正体
▪️エウル王国の北伐④
「今日も外れ、ですね」
メイシャが地面に突き立てた銀賢星にしなだれかかり、頬をふくらませている。
あの山間の集落での戦いから一週間。
僕達の出撃も三回目だが、今日も《密林の蛇王》は現れない。
読みが外れているということではない。
事実、こちらが張り込んでいる場所以外にも、盗賊たちは現れていないのだ。
「アロウは念の為、と言っていたが、警戒を緩めるわけにもいかんしな」
ラケインも手持ち無沙汰だ。
右半身のみとはいえ、全身鎧を着込んでいるのだ。
ただ待つだけでも体力が奪われる。
武器の手入れも鎧を脱ぐこともできない状況は、不得手ではある。
「ふぅ、あっちは上手くいっているんだろうかな」
ラケインが呟くと、遥か上方から声が聞こえる。
「ええ。アロウなら心配いりませんよ。二十年前、人間の国々を震え上がらせた魔王の知略ですよ? 世代ではないあなた達でも、その噂は聞いているでしょう?」
上を見上げると、リリィロッシュが魔法で浮遊させた魔杖刀・黒桜昇狼に腰掛け、宙に浮いている。
今日は、ラケイン、メイシャ、リリィロッシュの三人で国境近くの街道を見張りに来ている。
だが予想の通り、今日も空振りに終わるようだ。
「……とはいえ、流石に退屈ですね」
リリィロッシュもまた、ラケイン達に見えないようにあくびを隠しながら、脚をブラつかせるのだった。
「陛下はお忙しい。城へ何の用だ」
ドレーシュの王城へ着き、国王への取り次ぎを申し出る。
衛兵がバタバタと駆け込んで行っている間に、応接間へと通され待っていたが、やってきたのは国王ではなく、いつしかの騎士、“鋼撃”のケルカトルだった。
初日に僕達を監視していた時には、儀礼的な意味もあっただろうが、白銀の全身鎧を身につけていたが、今日は簡素な胴鎧となめし皮の前垂れ、そして白く染められた鉄槍を身につけている。
ラケインの半月の魔鎧にしてもそうだが、全身鎧というのは、そう日常的に身につけるものではない。
今の軽装が彼が普段身につけている装備なのだろう。
応接間に入るなり、そこで待つ僕の前に立つ。
右足を半歩引き、机との間に空間を作る。
王は来ない。
さっさと帰れ。
彼の無言の声が聞こえる。
最初の頃よりは幾分態度が柔らかくなってあたとはいえ、とても他国の使いにとる態度ではない。
思えば、国王ですら低頭するこの国で、影でコソコソとするならばともかく、面と向かって不機嫌を露わにするのは、彼くらいなものだ。
「そうですか。でも用があるのは、貴方の方なんですよ、ケルカトルさん」
「なに?」
ケルカトルの顔がより厳しいものとなる。
それはそうだろう。
理由はともかく、彼を騙したことには違いない。
「貴様、陛下の名をダシにしたのか」
「すみません。でも、あなたを直接呼んだところで会ってはもらえないと思いまして」
声を荒らげる騎士に、正直に打ち明ける。
王に面会を申し出たのは偽りだ。
だが、本来の目的である彼を訪ねても、会ってはくれなかったはずだ。
そこで王という手札を切ることにした。
この国の王は、初めて応対した時のあの様子では、よほどのことがない限り僕たちに会おうとはすまい。
しかし、大国エウルの騎士を袖に振っては、どういう難癖を付けられるか分かったものではない。
それならばと、誰か代理を立てて要件だけでも聞いておくほかはないのだ。
そうして選ばれるのは誰か。
それなりの役職にあり、王の信任厚く、荒事にも対応ができる程の胆力と武力を持つもの。
それは、騎士団長でもある彼をおいて他にはいまい。
「……ちっ」
その言葉に心当たりがあったのだろう。
ケルカトルは、苛立たし気な素振りを見せるも、どかりと向かいのソファーに荒々しく腰を下ろした。
「で、何の用だ」
その言葉はふてぶてしく、僕達以外のエウルの騎士であれば、即刻首をはねられているだろう。
だがそれは、虐げられるこの国を思う信念と、強い胆力と、自分の力に対する揺るぎない自信から来るものだ。
だからこそ、僕は彼に好感を持っている。
「先日はお疲れ様でした。見事な手腕でしたね」
「……何の話だ?」
だから言わねばならない。
この国の攻略は、彼にかかっているのだ。
「今日は、〈黒の蛇槍〉ではないんですね」
「……貴様!」
ケルカトルが狼狽える。
黒の蛇槍。
それは、先日の戦いである人物が手にしていた武器だ。
「はじめまして。《反逆者》のアロウ=デアクリフと申します。……《密林の蛇王》の“蛇王”さん」
彼こそが、二万人もの配下を従える大盗賊団、その長。
“蛇王”なのだ。
「……なぜそう思った?」
しばらくの沈黙の後、ケルカトルが呟いたのは、それを言外に肯定するものだった。
静かに、ただ静かに呟いた。
もし、ここが街中であったなら聴き逃してしまいそうなほどに小さな呟き。
だが、それと同時に放たれた殺気は、これまでに感じた誰のものよりも強大だった。
──ミシリっ
机が、ソファーが、床が、壁が、空気が軋むように錯覚する程に濃密な殺気。
気の弱い人物ならば、それだけで絶命してもおかしくない。
「いくつかの違和感。そして、先日の戦いですよ」
全身が総毛立つ。
だが、それを悟られぬよう、穏やかに微笑みうけながす。
今ここは戦場だ。
剣や杖は持たないが、僕と彼との一騎打ちの場である。
この戦いの趨勢により、この先の展開が決まると言っていい。
腹に力を入れ、笑顔で彼を見つめる。
「まず、僕達が違和感を感じたのは、この国の民の笑顔です」
「……何?」
ケルカトルの表情がぴくりと動く。
鬼神のように凄惨な顔つきから殺気が僅かに弱まる。
「知っての通り、僕達はたったの四人。二万人とも言われる大盗賊団相手を相手にするには、何もかもが準備不足でした」
すっと席を立ち、少し離れた暖炉の上に置かれた水差しを手に取る。
「どうぞ」
「む……」
カップを二つ手に取り、ケルカトルの分も水を渡す。
待ち合い客に茶も出さないとは、まったく嫌われたものだ。
とはいえ、それは少し正確ではない。
待っている間に茶が出なかったのはその通りだが、ケルカトルがやってきた段階で、この部屋には人払いの結界を貼ってある。
それなりに魔法の耐性を持つものでなければ、無自覚レベルの意識に働きかけ、この部屋へは近づくことが出来ない。
探知も働かせているが、念の為だ。
「そこで、僕達が最初に行ったのは、城下町の探索です。すると不思議なことに、街の人々の表情が皆明るいんですよ。国民の総数に倍するような盗賊団が、すぐ近くに潜んでいるというのに」
そうなのだ。
いくらこの国自体での被害がすくないとはいえ、全くのゼロではないし、ならず者というかだけで過剰に反応してもおかしくはない。
それなのに、城下町は明るく賑わっていた。
「盗賊団は、一部の民に施しを行っているとも聞きますし、国内で襲われた荷の半分以上ほどは、この国へ納める税としての荷物だったとか。そして、エウルへ支払う上納金についても、納めるものがなければ今のエウル国王は、無理な徴収は行わない」
これが、希代の悪王などならば、そんな事情は知ったことではないと、規定の上納金を何としてでも回収しただろう。
だが、バルハルト王は、支援こそしないが過度な徴収も行わない。
つまり、支払うための税が回収出来ない以上、その幾らかが減免出来るのだ。
「それじゃあ、黒幕は誰か? 上納金を惜しんだ国王陛下? いや、先日の応対を見る限り、陛下にそんな器用な真似は無理だ。それならば誰か? そこに先日の戦いですよ。“鋼撃”の拳。あれを見てすべてが繋がりました」
一撃に全てを込め、全身ごと拳を突き出す動き。
そして、あの日、“蛇王”の槍さばきに同じものを見た。
あれは剣術のものでも、まして無手の拳に由来するものでもない。
そう例えば、騎士のように馬上での槍術を元にしたような動きだった。
「《密林の蛇王》とは、ドルネクを中心に集まった盗賊を手懐け、被害を最低限に収めるための組織。加えて、ドレーシュの財を奪うことでエウルへの上納金を低減。そして、無駄にエウルへ送られるはずだった財を民へ返還する。そんなこと、国の内部に精通し、ある程度の権限と実力を持った人でしかなし得ない。違いますか?」
いつしかケルカトルが放つ殺気は、ほとんど無くなっていた。
その代わりに、表情は益々の凄惨さを帯びる。
先程までの殺気は、威嚇の意味もあったのだろう。
そこにあるのは決心。
事がここまで露見してしまえば、もはや最後まで決着をつけざるを得ない。
だが、それは僕の望むところではないのだ。
「ならば……どうする」
ケルカトルが腰を浮かす。
机を挟んだ位置で向かい合っているのだ。
傍らの槍では間合いが近すぎるが、懐に伸びた手には、刺突用の短槍でも忍ばしてあるに違いない。
「取引きをしましょう」
「……なに?」
ケルカトルの動きが固まる。
前垂れの中に差し込んだ手から、すでに柄が見えているが気にしない。
「取引きをしましょう。ケルカトルさん」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
その意味を測りかねているのだろうケルカトルは、それでも話しを聞いてはくれるようだ。
右手を外に出し、ソファーに座り直した。
「エウルから物資を送ります。必要な物は奪ってください。但し、商人達に被害が出ないようにお願いします。時期を見てそういう偽装ではなく、普通に援助できるようにしたいと思っていますが」
ケルカトルの目の色が変わる。
ここの数週間ほど、僕達の妨害によりろくな成果を挙げられていないはずだ。
直接の配下たちはともかく、元々の盗賊たちを抑えるには厳しいはずだ。
「……それで何をさせるつもりだ?」
「《密林の蛇王》は、盗賊団ではなく、反エウル組織、というのはどうでしょう?」
「ば、ばかな! 貴様、エウルの騎士だろう!」
ケルカトルが激昴する。
やっていることは盗賊行為とはいえ、その本質は国を想うが故のことである。
騎士でありながら、反エウルを誘う言葉が信じられないのも無理はない。
だが、
「あれ、先程名乗りませんでしたか? 《反逆者》のアロウだと」
そうだ。
そもそも僕は、騎士ではない。
正確には、騎士としてここに来てはいない。
雇い主のいる冒険者としてここにいるのだ。
「……なるほど。たが、騎士としての貴様はどうする。《蒼龍の角》は、《密林の蛇王》の討伐を命じられたのだろう?」
ケルカトルの疑問ももっともである。
冒険者のそれとは違い、騎士にとって任務とは必ず成し遂げなければならないものである。
それも王命とあっては、失敗とは命に関わるものなのだ。
だがその答えはもう決まっている。
「ええ。僕はこの剣の誇りにかけて、国王の騎士となりました。……なりましたが、そこはほら、僕は魔法使いですし。剣に誇りはありませんよ」
そもそもがエウル王家自体には、義理も何も無い。
ギルドに迷惑がかからないように城へ赴いただけで、騎士という地位に未練などない。
僕達はSランク。
エウル軍を相手としてもなんとでもなる。
いざとなれば南国でも西国でも頼ればいいのだ。
「くっ、ふはははは。……いいだろう。どのみち正体がバレてしまった以上、他に打つ手はない。その甘言、ひとまずは聞いてやろう。ただし、乗るかどうかはそれから決める」
“蛇王”ケルカトルは豪快に笑い、手に持った水を一気に飲み干した。
聞いてから決める、とは言ったものの、その答えはもう決まっているようだ。
その証拠に、先程まで険しかった顔つきは穏やかに晴れわたっている。
この日、《反逆者》は、ドレーシュ王国という後ろ盾を得ることとなる。




