第八章)混迷の世界へ “鋼撃”のケルカトル
▪️嵐の前の静けさ⑤
その頃、ガラージは、喧喧囂囂に意見が行き交う部屋で、腕を組んだまま座っていた。
王城の一角、軍部の会議室である。
この場には、将軍たちやガラージに従う重鎮たちが二十六名、顔を真っ赤にし、議論するというよりは、互いに怒鳴りあっている。
議題は当然、国王が抱え込んだ新たな騎士団についてだ。
ガラージは、自分のことを過大には評価しない。
あれやこれやと考え議論をするのは、それに相応しい頭脳を持つものがやればいいのだ。
だから、議論の場では、成り行きを見守り、余計な言葉を挟むことはしない。
ガラージは、自分のことを過小には評価しない。
見方が変われば意見も答えも変わるものであり、完璧に正しい答えなど存在しない。
ある程度意見が集約した段階で、自身で決断する。
全ての選択も、その責任も自らが負うのだ。
「静まれ」
低く、それでいてずしりと重い声。
ガラージが緩やかに右手を掲げ一声発すると、それまで隣の人間の言葉ですら正確に聞き取ることが難しいほどの喧騒を見せていた広場は、途端に静寂に包まれる。
座する一同は、皆総じて顔を青ざめている。
歴戦の猛将であったり、騎士学校を上位の成績で卒業したエリートであったりする彼らが、だ。
その理由は、ガラージその人ではない。
その後ろに控える、室内にも関わらず魔馬に騎乗した、《翡龍騎士団》によるものだ。
ガラージは、決して無能な長官などではない。
むしろ、小国の雄という小さな世界の中で胡座をかくエウルの武官の中からすれば、有能と言っていい資質を持っている。
だが、悲しいかな。
武官をはじめとするこの国の貴族たちは、無能だった。
バルハルト王に取り入り、能力以上の地位についた者達なのだ。
彼らは、こうして目に見える恐怖を振りかざして統率しなければならないほど、王子の能力を嗅ぎとる嗅覚すら持ってはいなかったのだ。
だが、ガラージは、それでも構わないと考えている。
彼らは無能だが、それでも頭はいいし経験もある。
だから、後は自らが導いてやればいいのだ。
果敢に決断し、苛烈に導き、完璧に支配する。
それが、彼の、王たるものの役割だと信じている。
だからこそ、この会議のシステムである。
ここには、三つのルールがある。
一つ、参加者は必ず会議中に一度は発言しなければならない。
二つ、権威を盾に異論を封殺してはならない。
三つ、正論や建前だけの消極的な意見を用いてはならない。
この三つである。
当然、違反者には、《翠龍騎士団》による粛清が待ち受けている。
死の制裁があるからこそ、その会議は、堕落や腐敗はありえず、最上の成果をもたらすのだ。
「ヤローチ、述べよ」
「はっ! 現在、《反逆者》改め《蒼龍の角》騎士団は、ドレーシュ王国にて大盗賊団《密林の蛇王》討伐の任に当たっております」
目の下に大きなクマのできた青白い男が立ち上がって資料を読み上げる。
ここまでは前提である。
ガラージは、ただ黙って会議の成り行きを見ていた訳ではない。
この場には、二十六名の武官や重鎮が首を並べ、その意見もそれこそ人の数だけ存在する。
だが、ガラージの経験上、命をかけてまで真剣になされた議論では、多くとも三つほどの結論に集約される。
すなわち、《攻め》、《守り》、そして《中庸》である。
「これは明らかに陛下による示威行為。救援の名目とはいえ、軍部を差し置き他国への派兵など、我らを軽んじるにも程があります! このままでは、我らの存在は飾りものも同然となってしまいます。ここは、我らも彼の地へ派兵し、殿下のご威光を知らしめるべきかと」
ヤローチの言は、盗賊団の壊滅を契機に国王との対立を本格化することを指している。
ドレージュへの派兵、またはそれに匹敵する武功でもいい。
確かに、国王の手飼に、好き勝手にはさせては、軍の面目は丸つぶれである。
これが成功してしまえば、ことある事に役立たず扱いされることは目に見えている。
「ふむ、次。マオタ」
「はっ! あの騎士団を警戒することについては同意見であります。しかし、それに対抗して動くのはいかがなものかと。一国の戦力に相当すると言われるSランクの冒険者たちです。実際には、眉唾なものとしても、それに真っ向から対立するのは、互いに消耗するだけの悪手かと。密やかに彼らを手助けし、しかる後に懐柔して引き抜くが常套かと」
マオタと呼ばれた文官は、慎重派のようだ。
派兵し対立を煽るのでなく、むしろ手助けすることで取り込み、最終的には、王から引き抜く。
国王派の戦力を奪い、こちらには新たな戦力が加わる。
これは、妙手かもしれない。
「マーロヤ」
「はっ! 国王派の示威行為という解に私も賛同いたします。しかし、それに過敏に反応しすぎるのはいかがなものかと。奴らは元冒険者。民からの支持は侮れないものがあります。こちらから無闇に続けば、いらぬ災いを呼びかねません。さらに陛下は、他の四大国に対し野心をもっておいでです。必ずやノガルド圏外に手を出します。今は雌伏の時と捉え、奴らがボロを出した時こそが我らが好機。さすれば名実ともに殿下の時代となりましょう」
マーロヤの意見は、厳しい軍人の割にはむしろ消極的だと感じる。
だが、目先の結果ではなく、ガラージを王位につかせることを念頭に置くがゆえの戦略である。
それはむしろ、ほかのどの意見よりも苛烈と言っていい。
「ふむ……」
ここでガラージは、次の指名をすることなく、静かに目を伏せた。
対抗。
懐柔。
傍観。
会議を聞いていれば、大まかな意見はこの三つであり、後の意見は、その派生に過ぎないと分かった。
どの意見にも理があり、また、どの意見にも長がある。
ここまで聞けば、あとは選ぶだけである。
議場にいる人間は皆、一様にして静かにガラージを見つめている。
この場で口を開く者はいない。
「聞け」
ガラージは、静かに目を開く。
既にその瞳に迷いはない。
「我らは地を固める。まずは手勢の強化。この先起こりうる国内の乱れを防ぐのだ。《蒼龍の角》については、密かに近づき、こちらへ取り込め。同時に、我らの存在を主張する。いかにSランクといえど、二万の盗賊を四人で相手にはできまい。正規軍一万を派兵。手柄もSランクも、我らのものとする!」
「はっ!」
ガラージの前に、二十六の声が響く。
ガラージは、採用した意見を出した者を優遇もしないが、見送った意見を出したものも冷遇しない。
だからこそ、彼らは様々な意見を出し、それに協力することが出来る。
ガラージは、頷く。
このまま国王の好きにはさせない。
その瞳は、暗く、赤い炎が灯っていた。
「そのぉ、ご夕食の用意は……」
「あ、必要ないです」
今日も町へ情報収集へと繰り出す。
エウル騎士の肩書きを持つ以上、ドレーシュ国王は、僕達を歓待する必要がある。
しかし、僕達としては集りに来ている訳では無いので、晩餐の招きは断っていた。
「リリィロッシュさん、行ってらっしゃい。お気をつけて」
「えぇ、ありがとうございます」
廊下ですれ違う騎士が、リリィロッシュに声をかける。
実は、この国に来て三日目の夜にちょっとしたトラブルがあった。
いくら晩餐を断っているとはいえ、流石に一度も参加しないとなれば、ドレーシュ国王のメンツに関わる。
その日は、王城の広間で盛大な歓待を受けたが、問題はそこで起きた。
僕達のことをよく思わない将校の一人が、料理に毒を盛ったのだ。
毒といっても、多少気分が悪くなる程度の弱いものだったが、これに気づいて激怒したのがリリィロッシュだった。
「あなた達は、これ程の料理を用意するのに、どれほどの苦労があるのか、そんなことも想像がつかないのですか! 作物を育てるのにも、完璧な調理をするのにも、どれほどの年月をかけてその技術を身につけるものなのか。あなた方が行ったのは、私たちに対する嫌がらせではなく、彼らの努力を全く無視する行いなのですよ!」
人間の社会に混じり、人間の文化、特に料理という楽しみをおぼえたリリィロッシュにとって、料理に毒を混ぜるという行為は、とても容認できるものではなかったらしい。
誰にという訳ではなく、素材を仕込む苦労や調理技法の素晴らしさ、料理の完成度などをこんこんと訴え続けるリリィロッシュ。
しばらくの後、一人の騎士が打首も覚悟の上で名乗り出て、参列者の前で農民と調理師に謝罪を入れたのだ。
リリィロッシュの取りなしにより、彼は謹慎のみという処分に収まったが、この一件からというもの、周りの騎士達からの反応が柔らかいものとなった。
エウルの騎士からすれば、国王ですら平伏するしかない弱小国であるドレーシュだ。
だが、少なくとも今度来た騎士達は、国どころか、一介の調理師や農民にすら敬意を持っている。
そんな噂が広まったのだ。
「それにしても、どこから手をつけたものだろうな」
馴れた手つきで町の屋台で串焼きを頬張りながら、ラケインが呟く。
この国へ来て五日。
今日も情報集めに市場やギルドへ向かう予定だが、ラケインが焦れてきている。
そろそろ行動を起こしておきたいところだが、まだ僕達は森の調査すら行っていない。
国王からの命令とはいえ、一度引き受けた依頼である。
全く手付かずでブラブラとしているのも収まりが悪い。
だが、これは予定通りの行動なのだ。
「ラケイン、僕達四人で二万人と言われる盗賊団を壊滅させることなんて出来ると思う?」
「む……。いや、無理だろうな」
不満げではあるが、ラケインも即答する。
実際のところ、ただ二万人を倒せというのならばやってやれないことは無いと思う。
メイシャが結界を張り、僕とリリィロッシュが大呪文で薙ぎ払い、それを耐えるような大物はラケインが仕留める。
リュオやフラウから強力な装備を貰い、それに相応しいだけの力を持った今の僕達ならば、それも可能だ。
ただしそれは、障害物もない平地で相手が最後の一人まで力押しにせめて来るならば、だ。
無論、そんな状態はありえないのだが、今回の指令の最大の障害はそこなのだ。
小さいとはいえ、一国のほぼ全域を占める深い森林地帯に隠れ、いつどこでどんな規模で現れるかも分からない二万人なのだ。
仮に大規模な戦闘になったとして、それでも二、三チームを撃破すれば、残りは散り散りになって潜伏する。
そうしてしばらくすれば元通り。
どれだけ戦闘に長けようと、こんな相手にたった四人で何が出来るだろうか。
森をすべて焼き払っていいというのならそれも可能かもしれないが、無論、そんなことは出来ない。
「じゃあアロウは、この依頼、最初から達成するつもりは無いのか?」
ラケインが訝しげに尋ねる。
こちらにどんな思惑があるにしろ、全く手をつけるつもりもないとなれば、真面目なラケインとしては、面白くはない。
「いや、僕も押し付けられたのがこんな依頼だとは思わなかったけど、やることはやるよ。ちょっと軌道修正は必要だけどね」
ラケインにそう答える。
一応のシナリオと着地地点は構想している。
だが、まだピースが足りない。
関わるものの思惑と隠された事情、それを突き止めなければ、策はうまく進まない。
魔王時代にもよく経験したことだ。
「そうか。確かに暴れれば済むという任務でもない。考えがあるなら従うよ」
ラケインも納得したように頷き、ギルドへと向かう。
実際、バルハルト王は、どんなつもりでこの依頼を選んだのだろう。
いくら一国に値すると言われようと、僕達は四人。
隠れ潜む二万人の盗賊を壊滅させられるなんて思っているのか?
Sランクだと安易に考えるほどの愚か者なのか。
それとも、別の意図でもあるのか。
それに、《密林の蛇王》。
彼らの行動にも引っかかるものがある。
隣国ドルネクで暴れ、ドレーシュに隠れる割に、そのドレーシュでも盗みを働く。
ドルネクでの追撃を躱す狙いならば、こちらで盗みを行う意味はない。
しかも、わざわざ王族の荷物に限定し、義賊まがいのように貧しい地方に財を配ってまでいる。
どちらにしろ、一度は彼らに会ってみないと分からないか。
「ケンカだー!」
ギルドからの帰り、ラケインと宿に向かっていると、酒場の方から喧騒が聞こえてくる。
まだ日も高いが、どうやら酒を過ごした客が暴れているようだ。
「ふぅ、ふぅ。俺は、エウルの騎士だぞ! こんなまずい酒を出しやがって、馬鹿にしてんのか!」
いかにもならず者といった風体の男が、割れた瓶を振り回している。
既に客は店外に避難しているようだが、店主が机を盾に踏ん張っている。
酒場に酒のトラブルは付き物だ。
客が暴れたからと引き下がるようでは、店主は勤まらない。
だが、今回は相手が悪い。
どうせ元がつくか、口からの出任せだろうが、エウルの騎士を名乗る以上、下手に手を出すことは出来ない。
国王ですらあの態度なのだ。
いくら相手に非があろうと、ただの市民が問題を起こせば命に関わってしまう。
「ちょっと……」
男を取り押さえようと踏み出したその時だった。
「そこまでにしておけ」
一人の騎士が割って入る。
短く刈り上げた茶色の髪、深い茶の瞳は猛禽のように厳しく、精悍な顔つきは歴戦の勇姿を物語る。
この国へ来た初日に、僕達の警備、いや監視をしていた騎士だ。
「今なら酒の上の戯れ言と見逃してやろう。だが、これ以上ことを荒立てるようならば、処断させてもらう」
騎士は男を睨みつけて言い放つ。
仮にもエウルの騎士を名乗る男相手にだ。
その胆力、そして、ただそこにいるだけでも放たれる、強者のみがもつ覇気。
「うるせぇっ! 俺はエウルの騎士だぞ。俺様に傷一つでもつけた日にぁどうなるか分かってんだろうなぁ?」
しかし男はそんなことにも気付かず、ますますに増長する。
「騎士様よぉ、どうせ何も出来ねーんだから、大人しくすっこんでろよぉ」
ぺたぺたと、割れた酒瓶を騎士の頬に当てる。
騎士は、睨みを効かせたまま微動だにもしないが、男はそれを恐怖で固まってると捉えたらしい。
だが、
──ガシャン
騎士はその酒瓶を手で払い除け、静かに言い捨てる。
「これが最後の警告だ。大人しく詰所へ行くならば……」
「てめぇ、ふざけやがって!」
それまで見下していた相手が、手を挙げたのだ。
男は激昴し、騎士の言葉を最後まで聞かずに、腰の短刀を抜いた。
「そうか」
騎士が放った言葉はそれだけだ。
──ズンッ
凄まじい破壊音と、地鳴りが響く。
ただの一瞬だ。
無造作に短剣を振り上げた男は、その場で棒立ちになっている。
いや、立ったまま絶命していた。
「す、すげぇ。流石は“鋼撃”だぜ」
「おぉ、久々に見たが、やっぱり迫力が違うよな」
トラブルの解決に、周りのギャラリーがガヤガヤと賛辞を送る。
「あ、あの。あの人は?」
凄まじい技だった。
隣にいた訳知り顔の客に尋ねてみる。
「お、あいつを知らないなんて、あんた旅の人だな? あの人は、この国の騎士団長、“鋼撃”のケルカトルとはあの人のことだよ」
ケルカトル:ケツァルコアトル(アステカ神話の蛇神)




