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第七章)混沌の時代 吸血

▪️vs吸血の王⑥


 眩い光が視界を覆い、静寂が訪れる。


 剣技(けんぎ)(ぎょう)”。

夜明けを意味するその技は、闇に覆われた地平と明けの空を分かつ光のように、敵を大きく薙ぎ払う。

上段に剣をとる八双の構えから袈裟斬りにする“雷豪(らいごう)”に対し、深く腰を下ろし下段に構えた剣を大きく薙ぎ払う“暁”。

ミラーカの身体だけではなく、彼女に付きまとうカーミルの邪気を根こそぎ祓うための広域殲滅剣技だった。


──ゴシャッ


 メイシャの施した浄化の光が収まると、そこには、横たわる少女・ミラーカの姿があった。

崩れ落ちる白き神域(カシドラル)の中、メイシャがミラーカへと駆け寄る。


「ミラーカさん!」

「う、うぅ……」

 メイシャは、ミラーカを抱き寄せる。

幸い、ミラーカに傷らしい傷は見当たらない。

ラケインの剣は、見事、破邪の力のみを飛ばし、ミラーカを救ったようだ。

その様子に安心すると、メイシャは、自らの法衣の肩口を引きちぎる。

先程の戦闘で、ほのかに赤く上気した白く華奢な肌が(あら)わとなる。


「ミラーカさん、早く!」

 メイシャがミラーカを抱くようにして、自らの肩口をミラーカの口元へとあてがう。

ラケインの目にも、それが何をしようとしているのか分かった。

メイシャが涙を浮かべて必死の形相となる。


 ピシリ、ピシリ。

枝の掠れる音も、動物の鳴き声もない死の林の中、微かに聞こえるその音は、少女から聞こえてくる。

ピシリ、ピシリ。

カーミルの支配によって、なんの修練もないままにSランクにも至る魔力を引き出された反動が少女を襲っているのだ。


 吸血(ヴァンキュール)族の(ごう)

魔人化(スタンピード)した後にやってくる、塩化(ソルトピラー)

無理矢理に引き上げられた魔力に体が耐えきれない為に起こる末期の生命エネルギー(エーテル)欠乏症状だ。

見れば、ミラーカの指先は、雪のような白色はそのままに、白磁のような艶やかさを失い、乾いた泥のようにひび割れてきている。

今まさに、ミラーカは塩の塊へと姿を変えようとしているのだ。


「ミラーカさん!」

 しかし、ミラーカは、力なく首を横に振った。


「ごめんなさい……。私、嫌なんです……。私、人間の血を飲む、化け物じゃない……」


 ミラーカは、血のように赤い瞳からぽろぽろと涙を落とす。

魔人化(スタンピード)後に襲う、他者の生命エネルギー(エーテル)に対する欲求、それは、尋常なものでは無い。

本能に強く働きかけ、発狂レベルの飢餓感を伴っている。

それでも、ミラーカはメイシャの血を飲むことを拒む。


 幼い頃から母親に吸血(ヴァンキュール)族として教育されてきたメイシャとは違う。

ただの領主の娘として、養父母に育てられてきたミラーカだ。

人間の生き血をすする行為に対する忌避感は、人間ではなくなるという恐怖と同義だった。

ピシリ、ピシリ。

そうしてる間にも、塩化は進む。

肌はザラつき、ひび割れは既に腕と脚の全体に及んでいる。

これが全身へと広がった時、彼女は、塩の塊として崩れ落ちるのだ。


 メイシャには、その苦悩がよく分かる。

その吸血衝動が意志の力だけで抑え込めるような代物でないことを、自身の体験として知っている。

それでもなお、吸血を拒否する程に、吸血行為に対する忌避感に耐えきれないのだ。

その苦しみがわかってしまう。

だからこそ、メイシャにはそれ以上の言葉が出てこない。


「ミラーカだったな」

 だが、それを許さない男がいた。

ラケインは、メイシャに向かい合うようにして、ミラーカの側へとしゃがみこむ。

その目は厳しく、怒りに燃えていた。


「それは許さんぞ。俺の血を飲め。僧侶のメイシャより、戦士の俺の方が回復にはいいはずだ」

 そう言ってラケインは、鎧を外し、メイシャ同様に下の服を引き裂く。


「でも……」

「聞け。お前の恐怖を理解できるとは言わんし、その嫌悪感は察してあまりある。だが、お前は決して許されないことを言ったんだ」

 ラケインは、メイシャから左手でミラーカの身体を受け取り、そして、右手でメイシャの手を握りしめる。


「俺は、メイシャの伴侶だ。既に俺の血も与えた。俺の仲間たちもメイシャに血を与えた。だがお前は、血を飲むことを、メイシャのことも、化け物だと言ったんだ」

「あ……」


 ミラーカは、メイシャの瞳を見つめる。

メイシャもまた、その瞳を見つめる。


「ミラーカ、メイシャは化け物じゃない。最高の女性だ。もちろん、お前も化け物なんかじゃない」

「ラク様……」

 メイシャの青い瞳には、涙が浮かんでいる。

ラケインもまた、ミラーカを支える左手にも、メイシャの手をとる右手にも力が入る。

もう、これ以上かける言葉はない。

あとは、この少女が決めることだ。

ラケインとメイシャは、祈るように、そして、信じるようにミラーカの瞳を見つめる。


「……お願い……します」

 ミラーカのかすかな声。

その声を聞き、ラケインは小さく頷き、ミラーカの身体を引き寄せる。

ミラーカは、小さな口をめいいっぱいに広げる。

その犬歯から、隠された薄い牙が伸び、ラケインの首筋へと突き立てられた。


「ぐっ……」

 思わず小さく(うめ)く。

前回、メイシャとふざけ半分に血を飲まれた時とは違う。

それは吸血などという生易しものではなかった。

血に飢えた亡者からの簒奪。

つい今しがた、化け物じゃないと言ったはずだが、思わずそんな感想が出る。

それもそのはず。

本来、吸血(ヴァンキュール)族の吸血行為とは、自分で抑え込めるようなものではない。

溺れたものが水面に空気を求めるように、それ以外のことを考える余裕などない程の強い欲求なのだ。

まして、カーミルに乗っ取られて以来、初めての飢餓状態。

一度血を口にしてしまえば、ラケインの事を気遣うなどできようはずもない。


「くっ……」

 血の気が引く。

ラケインを襲うのは、単なる貧血ではない。

生きる力そのものである、生命エネルギー(エーテル)が急激に失われているのだ。

生命力溢れるラケインの血によりミラーカの塩化は、ようやくその進行を止めるが、未だ回復には至っていない。


「ラク様、そろそろ変わります」

 ラケインの顔色から限界を感じたメイシャが申し出る。

だが、ラケインは右手でそれを制する。


「ダメだ。メイシャ、君も今回強く覚醒した。本来なら君も血が必要なはずだ」

 途中からこの周囲の生命力を吸収し支配していたためにミラーカより程度は軽いが、メイシャの瞳も、いつもの澄んだ青色ではなく、やや紫がかっている。


「でも、このままではラク様の身体が」

 極限の飢餓状態にあったミラーカは、二人の会話が耳に入っていない。

吸血を止めさせるには、強引に突き放すしかない。

だが、いま吸血を止めれば、ミラーカの塩化は再び進行するだろう。

そうなった時、もはや彼女を助ける術はない。

ラケインも、多少の縁を得たとはいえ、見ず知らずの少女のために命を差し出すつもりは無い。

だが、彼女の否定はメイシャの否定にもなる。

ラケインは唇をかんで耐える。


「お待たせ。まあそうなってるとは思ったよ」

 そこへ、アロウとリリィロッシュが戻ってきた。

カーミルの消滅と同時に、マラーカの身体と白き神域(カシドラル)は、骨の塊に戻っていた。


「僕達は二人とも魔法使いだからラケインよりも効率は悪いと思うけどね。さ、交代して」




「なんてお礼したらいいのか……」


 落ち着いたミラーカが、涙を滲ませてメイシャとラケインに礼を言う。

その口元は血に濡れ真っ赤になっているが、彼女の瞳は美しい黄金色になっていた。


 何とか、間に合った。

実のところ、まずは僕の腕から血を飲んでいたが、やはり戦士であるラケインとは自力が違うのか、すぐに限界が来る。

ひどい喪失感と生命を削られる恐怖。

なるほど、あれは吸血というよりは捕食なんだとはっきりわかる。

メイシャのストップにより、リリィロッシュに変わる頃には、塩化していた手脚もほぼ回復し、ミラーカの意識もはっきりとしてきたようだった。

かなりの脱力感を感じるが、ようやく、彼女を助けることが出来たのだ。


「さぁ、そろそろ外に戻ろうか」


 そう言って出発しようとしたその時。

バタっ。

ラケインが倒れ込む。


「むっ、おかしいな」

 バタっ。

ラケインは、立ち上がろうとするが、手を膝に置いたまま、膝ごと崩れ落ち地面に転がる。


「ラク様っ!」


 メイシャが駆け寄る。

メイシャに膝枕されたラケインは、仰向けのまま手を握っては開き、自分の状態を確かめる。


「おかしいな。それほどダメージがあるように感じないんだが」

 だが、それが深刻な状態であることは、誰の目にも明らかだった。

やはり、ラケインは限界を超えてしまっていたのだ。


 自覚症状がない。

それが生命エネルギー(エーテル)欠乏の恐ろしさだということは後から知ることになる。

普通の怪我や疲労とは違い、身体自体に損傷がある訳では無いから、その深刻さに気がつけない。

これは、言ってみれば肉体の損傷ではなく魂の摩耗に近い。

そして、肉体のダメージではないから魔法による治癒や回復薬は効果がないし、精神エネルギー(マナ)ではなく生命エネルギー(エーテル)の枯渇なので魔力薬では意味が無い。


「ラク様っ!」

「どうしよう、私が、私のせいで……!」

 メイシャとミラーカがラケインを囲みボロボロと涙を流す。

僕やリリィロッシュも、必死に考えを巡らせるが、僕達自身、生命エネルギー(エーテル)はギリギリの状態だし、そもそもがそれを与える術がない。


「くっ、どうしたら……」

 その時だった。


「わぁ、ユー君の言った通りですねぇ。これ、使ってみます?」

 救いの女神が現れた。

カーミル、マラーカ、ミラーカの名前は、吸血鬼伝説の「カーミラ」からの出典です

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