泡にはならない人魚姫
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皆さんありがとうございますっ!
あるところに美しい人魚のお姫様がおりました。
あまりに鮮麗で優雅な姿に、周りの魚介類からは人魚姫と呼ばれ、それなりに楽しく平和に過ごしておりました。
「……はぁ……何といいますか……退屈ですの……」
しかし人魚姫にはとある悩みがありました。変わり映えのしない海中の生活に飽き飽きしてしまっていたのです。
海の中は平穏そのものでした。住んでいる海底は一年を通して潮の流れが変わることがありません。ゆえに生態系自体もさほど変化することはございません。
ワカメに昆布にウミブドウ、ご飯は身近に沢山生えております。ですが毎日を生きるのには不便がなくとも、こうも何もイベントが起きないのは人魚生においてはとてもつまらないことこの上ないのでございます。
せいぜい出来る暇潰しといえば周囲を泳ぐ魚の数を数えることか、タイやヒラメの舞い踊りを眺めることくらいでしょうか。最近ではあまりに見過ぎて完全コピーできるほどになってしまうくらいでした。
「……暇々の暇の極みですの……」
とにかく何も起きない日常に退屈している可哀想な子――それが人魚姫なのでございます。
で、その人魚姫が、何を隠そうこの私ですの。
あ、まさかのご本人登場に驚いていらっしゃいまして? 語り部なんて存在はこの世界にはございませんのよ。皆誰しもが物語の主人公ですの。語り紡ぐは自分自身の口だけですの。ご認識いただけましたかしら。
さてさて。私、人魚姫は今年で齢十八になりました。今や上の姉たちはとっくの昔に外海へと嫁いで家を出られておりまして、私ただ一人だけがこの狭い海国に取り残されてしまっておりますの。
そろそろ他国の皇太子様からお見合いのお話などが来てもよさそうなのですが、あいにくまだそのような伝達はございません。
ちょちょちょっと誰ですの!? 今売れ残りの半額海鮮などと仰った方は! あいにく幼い頃から美人さんと評判のピチピチ乙女なんですの! ちょっとお胸と運気が足りないだけの、健気で幼気な水も滴るイイ女になりましたの! まったくもう!
……コホン。少々取り乱してしまいました。話を戻しましょう。
常に暇を持て余している私でしたが、吉報ですの。
最近一つだけ楽しみを見つけましたの!
それは海上に浮かぶ大きな大きな船を眺めることです。ボゥー……という船の汽笛が到来の合図です。そしたら波間に顔を出しまして、その全景をうっとりと目に映しますの。今がまさにそのときですの。
ひと月に数回だけ通りかかるそのお船は、お空の星々にも負けないくらいの眩い光を放ち、サンゴ礁にも匹敵するほどのカラフルな装飾が随所に施されております。
それに乗っている方々も皆ミノカサゴもビックリな豪華な衣装を身に纏っていらっしゃるのです。ビシッと整えられた黒いお洋服に、美しいドレスに、髪型も奇抜で大変オシャレですの。この胸に付けたホタテの貝殻なんて比べ物にもなりません。
羨望の眼差しで彼らを見つめます。
皆一様にお手に持つグラスに注がれた液体を口にされては、絶えず赤らんだお顔でワイワイガヤガヤとお騒ぎになっていらっしゃいます。遠目から見ても特別感が甚だしいのです。
うぅう……なんだかとってもとっても羨ましいんですの。あの空間に一度でいいから私も混ざることが出来たらなぁ、なーんて、儚く悶々とする毎日を過ごしてしまうのです。
ほら、耳を澄ましてみてくださいまし。
今にも聞こえてまいりますでしょう?
「俺らと〜? 君らは〜? ァいい波ノってんねー!」
……ズルいですの。私だってたった今波に乗っておりますのに。いったいどんな大波を捉えることができれば、あんな軽快にお喋りできるようになるのでしょうか。
「はァいドンペリ入りましたーッ! ありがとサンキューで〜す! ウェーイッ!」
今日もまたドンペリ……ウェーイ……などという聞き馴染みのない単語がいくつも聞こえてまいります。きっと素晴らしくご教養のあるお言葉なんでしょうね。
だってこの前に人間さんが落とされた辞書なる本には、全然書かれておりませんでしたもの。頑張って一つずつ解読いたしましたが、参考になりそうな情報は何一つ載ってはおりませんでした。
無機質な文字の羅列よりも、塩辛くて広いだけのこの海よりも、船の上の世界の方がずっと面白味と新鮮味があるのでございます。
憧れてしまうのも、仕方がないではありませんか。
「……はぁぁ……どうやったら、あの場に参加できるのでしょうか」
日常に憂いている私には、船上の光景はどんな物事よりもキラキラとしているように感じられます。ホタルイカもチョウチンアンコウもビックリなくらいに光り輝いて見えますの。
あのお船に乗って、あの楽しげな方々と一緒に笑い合えたら……どんなに素晴らしいことでしょうか。この無色透明な日々に何色の彩りが添えられることでしょうか。
私も人間になれたらいいのに――と、そんな淡い妄想ばかりをしてしまうのです。
「……あ、そういえば」
ポンと平手を打ちます。
この海国のどこかに住んでいる老いた魔女さんが〝人間になれる薬〟を作っているという噂を小耳に挟んだことがございます。
そうですの。確か従者のウツボさんがその居場所を知っているとも聞いたことがありますの!
彼なら街中で見かけたことがありましたわよね。暇を持て余しているこの最中に、探してみる価値はありそうです。よし、ならば善は急げですの。マグロもカジキも恐れ慄くスピードで海の中を泳ぎ回って探して差し上げますの!
☆
幸いにも魔女さんのご自宅を見つけるのにそう時間は掛かりませんでした。変わり者のご老人がお住まいだと近海でも話題になっていたようです。人伝いにウツボさんの居所を突き止めまして彼に相談してみたところ、すぐに話を付けてくれるとのことでした。
トントン拍子で進んで本当にありがたい限りです。
というわけで私は今、魔女様のご自宅まで足を運んでおりますの。
光の当たらない岩影にひっそりと構えられたご邸宅は、聞いていたよりもずっと醜悪な見た目をしておりました。
海苔やら海藻やらで全体的にぬるぬるとした装飾が施されているのです。他のお家よりも数段は薄暗くどんよりとしたイメージです。少々ご趣味を疑ってしまいますが……他人の美的センスにとやかく言ってはいけませんわね。
意を決してドアの前に立ちます。
「もし? ごめんくださいまし。私、人魚姫ですの。ご相談があってまいりましたの」
コンコンと数回扉叩いて来宅の合図を送ります。
数秒ほど経った頃合いでしょうか。
「ふーん。アンタかい? 人間になりたいっていう小娘は。僕のウツボたちに聞いたよ」
中から出てきたのは、なかなか恰幅のよろしいタコのお婆さんでした。その触手の一本一本に豪華な金輪を付けていらっしゃいます。傲慢さといいますか、他者に対して威圧的なご様子が一目で見て分かりますの。
しかし臆してはなりませんわ人魚姫。私だって一国のお姫様なんですもの。こちらも堂々としていればいいんですの!
姿勢を正し、まっすぐ彼女を見据えます。
「コホン。話が早くて助かりますの。その通りなのです。貴女がそのお薬をお持ちと聞きましたわ。どうかこの私に、おひとつ譲ってはいただけませんでしょうか」
ペコリと頭を下げます。どんな偏屈なお人でも、礼を尽くせばきっと快くご対応いただけるはずですの。
しかし。
「イーヤ、コイツはとんでもなく高価な代物だ。いくらこの国のお姫様であるアンタにだって、タダでやるってわけにゃあいかないよ」
お口元をへの字に曲げて不機嫌そうにしていらっしゃいます。押しても引いてもダメそうな雰囲気を感じますの。
その指先には紫色の液体の入った小瓶が摘まれておりました。肉付きのよい太指のせいかより一層小さく見えてしまいます。これが件の〝人間になれる薬〟でしょうか。こうして姿を見せていただけるということは、察するに絶対にダメということでもなさそうです。
「うーむ……では、何となら交換していただけますの? 物好きそうな貴女のことですから、普通の品々ではご満足いただけませんでしょう?
もしやこの美しい髪や……私の舌とか!?」
うぅ……喋れなくなるのは流石にご勘弁願いたいですの。ストレス発散に熱唱は付き物なんですの。ちなみに私の十八番は襟裳岬ですの。
恐れ震えながら魔女さんのお顔を見てみましたが、まだ満足そうな表情ではありません。
これ以上の品となると、いったい何を要求されてしまうのでしょうか。思わずごくりと息を呑み込みます。
「いいや、欲しいのはカネさ」
「え、案外普通ですの! ビックリですの! 深読みした私が恥ずかしいですの!」
あまりにも普通過ぎる回答に面を食らってしまいました。
なるほどお金ですか。
それでしたら手立てがございます。
私には難破した船のお宝を集めるのがご趣味のお父様がいらっしゃいます。彼に相談すれば、古時代の金貨の一枚や二枚、愛娘にお譲りいただけることでしょう。それを質に出して公用通貨に変えていただいて……。
肉親の所有物であれ何であれ、使えるものは何でも使う、それが海の中の常識ですの。
「イヒヒ……まぁ待ちな。カネといってもただの海洋銭じゃあいけない。ワタシが欲しいのは人間たちが〝今〟まさに使ってるカネさ。現金とも呼ばれているものさね。もちろん紙製のモノでも構わないよ。乾かせば全然使えるからねぇ、イィッヒッヒッヒ……!」
いかにも下卑た笑い方をなさいます。
どうして海の魔女さんが人間さんの通貨を欲していらっしゃるのかは分かりませんが……少々困ってしまいました。
「うーむ……ですが、さすがにこの海の中では人間さんのお金は手に入りませんの。いかがいたしましょう……」
早速万事が休してしまいました。目的の物がもう目の前にあるというのに、どうしても手に入らないというこのもどかしさ。胸が焼かれてしまいそうです。
「そこでアンタに朗報だ。魔女様銀行は後払いも可能さね。つまり」
「つまり?」
「アンタが、地上で稼いでくればいいんだよ」
ポカンと口を開けてしまいます。
ふぅむ? 稼ぐですって?
私が? 一国の姫君たるこの私が?
毎日ワカメと昆布とウミブドウを食べることしか脳のないこの人魚姫が、ですの?
「そうは仰いましても、私資格も職歴も何もありませんのよ? これまでの人魚生、ただただ甘い汁を吸って生きてきただけですし」
正確にはちょっと青臭くてしょっぱい海藻の汁ですが。
「イヒヒヒ……そんな無能なお前さんでも安心さね。陸に上がったらココに連絡してみるといい。ほれ、働き口のチラシだ。人間に憧れてるんだから文字くらいは読めるだろう?」
そう仰ると、老タコの魔女さんは背中側の触腕で一枚のふやけた紙を手渡してきました。ここは水の中ですからフニャフニャになってしまっておりますの。
細心の注意を払いながら紙を受け取ります。
海水のせいで少々文字が滲んでおりますが、なんとか読めそうです。辞書で人間語を勉強した甲斐がありましたわ。えっと、どれどれ……?
紙切れに書かれている文字を一つ一つ指差しながら声に出してみます。
「えぇと……バニラ……? 求人……? 高収入……? 資格も履歴書も一切必要なし!? おまけに可愛い女性は大歓迎!? 凄いですの! まさに条件ピッタリなお仕事ですの!」
「イィーッヒッヒッヒ。簡単なマッサージさえ覚えてもらえれば、あとは全部お前さんの頑張り次第さね。それじゃあ人魚姫。期待しているからね」
ニッコリとした微笑みと共に、ようやくご満足なさったのか小瓶に入った薬を手渡していただけます。
「ありがとうございますの! 頑張りますの! たっくさん稼いでまいりますの!」
後払いだけでなく、働き口をもご紹介いただけるだなんて!
この魔女さん、なんて人の出来た方なんでしょう! やはり見た目で判断してはいけませんわね! さすがは亀の甲より年の功ですの! 持つべき物は知識のタネですの!
こういう方には誠心誠意お応えせねばなりませんわね!
踏み倒しだなんて以ての外ですもの!
何割か色を付けてお返しして差し上げますの!
小瓶とチラシを手に持ちながら、るんるん気分で我が家に帰ります。
それでは早速明日にでも実行に移しましょう!
やっぱり何でも善は急げですの!
☆
「――はい、じゃあこの契約書にサインして。今日から君の源氏名はヒメちゃんだよ。まずはこの店長が最初のお客さんになってあげるねぇ。手取り足取り優しく教えてあげるから、一緒に奥の部屋に行こうねぇ……♡」
「はい! 頑張りますの! ご指導ご鞭撻のほど! よろしくお願いいたしますの!」
☆
あれから、数ヶ月が経ちました。
「今日も最高の心地だったよ。また来るね」
「はーい♡ こちらこそ♡
是非ともまたいらしてくださいまし〜」
お店の常連様のお背中を見送りながら、後ろ手にいただいたご奉仕代金を数えます。ひぃ……ふぅ……みぃ……さすがはお金持ちの社長様ですの! 諭吉の枚数が他の人より断然多いですの……ッ!
草臥れた若いサラリーマンより、やっぱり脂の乗ったお金持ちのおじ様が最高ですの! 歩くお財布さんですの! あっといけない本音がダダ漏れですの。
どうもこんばんは。人魚姫ですの。地上ではヒメちゃんの愛称で親しまれる、そこそこ人気のお嬢へと成り上がりました。
ご紹介いただいたお店で住み込みで働いているうちに、この潤いある美貌と素直で人当たりの良い性格が幸いしてか、最近は固定客も見込めるようになってきましたの。
まだまだ手取りが安定しているわけではありませんが、ありがたいことに今日もまたこの後ご指名予約が三件ほど入っているのです。海の中に居た頃に比べたら、とんでもなく忙しくて充実した日々を過ごしておりますの。
ねぇねぇそれより聞いてくださいまし! 凄いんですのよこのお仕事! 殿方のお身体をおマッサージして差し上げるだけで本当にお給金がもらえますの……!
お客様の気持ちよさそうなお顔を見ているだけでこっちも嬉しくなってしまいます。それにお客様のご要望に応えれば応えるだけ、お礼も多くもらえてしまうのです。
とにかく最高のシステムなんですの……ッ!
肉体労働は大変ですが一発で気に入りましたわ……♡
殿方のお身体をお洗いするときに、ちょーっと細かいところまでお掃除して差し上げるだけで、まさに湯水のようにご奉仕代金が増えていくのでございます。最近はお店にいらっしゃる殿方のお顔がそのまま諭吉に見えてなりませんの。困った職業病ですわね。
私頑張る、お客様喜ぶ。
お金貰える。キモチイイ。
まさにWIN-WINの関係です。
うふ、うふふ……このままいけば億万長者も夢ではないかもしれません。うふ……うふふふふ……! ズラリと横並びする諭吉を眺めては、少々黒い微笑みが零れてしまいます。
いえ、自惚れてはいけませんのよ人魚姫!
お店にはノルマがございます。それに魔女さんに提示された借り入れ額も決して少ないものではないのです。
後から知ったことですが、人間になれる薬は定期的に飲み続けなければなりません。一回ポッキリではないことに最初は落胆いたしましたが、手取りが増えるにつれてその不安もだいぶ少なくなりました。お金が稼げれば無問題なのです。
安定して人間になり続ける為にも、安定した収入を得続ける為にも、常に人当たりよく、常に抜群のボディとサービスを維持する必要はございます。そして稼げるときに目一杯稼いでおくのがベストなことなのでしょう。
その点から言えばこのお仕事は天職ともいえるのです。だって基本的に、私も気持ち良くなれるのですから♡
身体も満足、お財布も満足。
それってとっても効率的ではありませんこと?
いいんですの。心も身体も汚れたら洗い流せばいいだけの話なんですから。その為のお風呂屋さんなんですの。些細なことは初めの頃に海の藻屑となって消え去りました。今は目標のために奮闘するだけの強気な乙女です。
人間社会に出るようになって、私はお金の重要性というものを再認識いたしました。
お金は生活を豊かにしてくださいます。食べる物も着る物も、とりあえずお金さえあればだいたいは解決できてしまうのです。
あの豪華客船に乗るのにも相当な額のお金が必要になると知りました。魔女さんへの返済額を差し引いても、あと数ヶ月は働き続けなければいけないでしょう。
〝働く女性は、美しい〟
店先に貼られたポスターを眺めながら、いただいた諭吉をしかと握りしめ、それをヒトデの飾りの付いた可愛らしいお財布に、大事に大事にしまい込みます。
「さぁ! 次にいらっしゃるお客様の為に、まずはこのお身体をお清めいたしますのよ〜」
先日、なんだか生臭いと言われてショックを受けてしまいました。仕方がないでしょう元の半分は魚類なんですから。海洋深層水がなければ潤いも鮮度も落ちてしまうんですから。
うふふ。そうですの。せっかくですし今日はお気に入りのシャンプーを使いましょうか。ちょっとお高いだけあって、香りも潤いも抜群なんですもの。
第二の人魚生はまだ始まったばかりです。
今はただ、がむしゃらに頑張るだけですの。
こうして私人魚姫は、魔女さんからの借入金の返済に当てる為、そしてあの豪華客船に搭乗する資金を稼ぐ為――
――今日もまた〝泡姫〟となって、夜の街へと消えていきましたとさ。
めでたしめでたし?
☆
「俺らと〜? 魔女さんは〜? ァいい波ノってんねぇ〜!」
「イィーッヒッヒッヒ……ドンペリもう一本追加するさねぇ〜! カネならココにいっぱいあるのさ。じゃあんじゃんお注ぎなさぁい〜?」
「「「魔女さん最高ー! ウェーイ!」」」
おしまい。
最後までお読みいただきまして
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泡姫の意味を検索しちゃダメだぞっ!
ではまたいつかお会いいたしましょう。
下ネタの世界でな!(*´꒳`*)
ちなみに普段はこんな作品を書いてます
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