クレセントムーン・ガーデン
父さんがボクを連れて、ここに越して来たのは秋の終わり。
どうしてこんな不便なイナカにやって来たのか……
理由はさっぱり分らない。でもボクは、初めての『庭のある家』がとても気に入った。広すぎる庭には、たくさんの宝島があるんだ。探険すればいつでも新しい発見があった。おまけに山から流れる小川が横切っていて、小さな池を作っている。池にはサカナやムシがたくさん集まってるし、周りには背の高い葦が群生していて隠れるには最高だ!
1日の過ぎるのは、なんて早いんだろう。
そして秋は駆け抜け、冬も深まると、木々が葉を散して庭の景色も寂しくなった。池にうっすら氷がはる頃には、ボクは庭よりコタツにもぐることが多くなった。そんな姿を見て父さんは『コタツムリ』と呼んで笑った。
ある寒い夜、いつものようにコタツにもぐっていると、父さんがこの家の持ち主だった大叔母さんの話しをしてくれた。
「彼女は聡明で明るくて、みんなをビックリさせるのが大好きだったんだ」
大叔母さんは、両親を亡くした父さんの『コーケンニン』で、大学卒業まで援助して立派な大人にしてくれた恩人なのだ。そしてボクを飢えさせないための父さんの責任感も、大叔母さん譲りなのである。
血の繋がらない関係で『○○譲り』なんてナンセンスと思うかもしれないけど、この二人の間にはあってもおかしくないとボクは思ってる。
だって、父さんは子供のくせに、花を持って大叔母さんにプロポーズしたんだ!!
「叔父さんを亡くして、泣いている彼女を慰める方法なんて、解らなかったんだから」
そのせいか、子供に恵まれなかった大叔母さんは、父さんにこの家を遺してくれた。
「この家には彼女の魔法がたくさん残ってるんだよ、ほら」
そういってキレイな箱を見せてくれた。
「この箱で最後だと思うんだ、鍵が見つかればゴールだ」
『開けてみせてよ』とボクが言っても、笑ってるだけで開けてはくれない。
ゴールには賞品がつきものだ。
それからボクは夢中になって、閉じた箱の秘密を探し始めた。家の中は言うまでもなく、庭も探した。この寒がりのボクが……!
大叔母さんはイギリスからお嫁に来た人なんだって。地図を広げてみても、地球儀を見ても、さっぱり想像もつかない。『遠い外国なのだ』とだけ分った。ボクは会ったコトもない大叔母さんを想像して、鍵を隠しそうなところを隈無くひっくり返した。しかし、どこを探しても鍵が見つかるコトは無かった。
そこでボクは、無理に箱をこじ開けようとしたけど、ダメだった。父さんに叱られただけだった。
結局は冬中探したけれど、箱は開かないままだった。
「今日は遅くなるから、悪さするんじゃないよ」
ときどき父さんはそう言って出かける。ウッドデッキの窓から見送ると、一度だけ振り返って手を振ってくれた。
ボクのゴハンは、いつもより多めに用意されていた。
遅くなるって、ひょっとしたら今日中には帰ってこないってコト?
陽当たりの良い窓辺で、日光浴と昼寝をしながら帰りを待つ。寝ぼけながら、ふと、箱のコトを思い出した。
そういえば、すっかり忘れていたなぁ……
箱は父さんの机の上にある。開かない箱なのに大切にしている。寂しそうに見つめてたりする。
ボクは早く開きますようにと祈りながら、眠ってしまった。
それは本当にかすかな音だった。舞い落ちる花びらか……、それとも月の光だったのか……、それほどに消えそうな気配だった。
いつの間にか辺りに闇が忍び込み、夜になっていた。
冬の寒さの残る静かな夜。庭に出ると満月は明るく木々を照らしている。耳と鼻の先が冷たい。その時、また、奥庭の池から雫が落ちる音がした。足音をさせないように、そっと池に近づいてみる。
池に映るのは満月の光……? 金色の影がゆらゆら揺れている。水面から視線を上げると、そこには知らない女の子がいた。その子の背中は金色の巻き毛がフワフワと渦をまいていた。
見たコトもない女の子。だけれど庭にいても不思議じゃない。まるで庭の欠片みたいに風景に馴染んでいる。
ジッと夜空を見上げて、何しているんだろう? 星座でも数えているのか知らん?
ボクは勇気を出して声をかけてみる。
「キミ、なにしてんの?」
「私……? 私は、探してるのよ」
「探してるって、ナニ?」
「とっても大切なものよ……」
「大切なのって?」
「……Keyよ、大切なキイ」
金色の女の子はボクには目もくれずに、庭木の上をジッと見つめてる。
満月の明りがつくる木漏れ日は、昼間のそれと違って水面のさざ波に似ている。
「キミ、名前は?」
「……リッカ」
「じゃあ、リッカ。ボクも一緒にさがすよ。キミの大切なキイ」
「え……?」
リッカは初めてボクに気づいたように、少し驚いた顔でこっちを向いた。彼女の瞳は森のような深い緑色をしていた。怯えながら伸ばした白い指先で、ボクの頭をそっと撫でる。ボクをさわって安心したのか、ホッと白いため息をついた。
「あなたがしゃべってたの?」
「そうだよ!」
ボクはちょっと胸を張って言った。
「……ここでは、私の言葉は通じないって思ってたわ」
金色のリッカは嬉しそうに笑った。
「あなた、木登りは得意?」
「もちろんだよ!」
「よかったわ。私は木登りができなくて困っていたのよ」
「……わかった! 木の上にあるんだね!?」
リッカは木に登るボクを両腕で支えて助けてくれた。でもその必要はなかった。だって木登りはボクの一番の得意だもの。枝を伝って上へ上へ登ると、先端が折れた枝の先に古い鳥の巣があった。こわれかけの巣を覗き込むと、中はガラクラでいっぱいだった。
「その巣の中にあるはずよ」
ボクはガラクタの中に手を伸ばす。すると小さな鍵を見つけた。
「あった、リッカ、あったよ!」
鍵を口にくわえて、急いで木から降りた。
「ハイ、これだよね?」
「そう、そうよ。ありがとう」
リッカは本当に大切そうに鍵を胸に抱きしめた。鍵を取り戻した彼女は、これからどうするのだろう……? 不思議に思って尋ねようとした時に、家の方からボクを呼ぶ声が聞こえた。
『ジャーーック! 外にいるのかい?』
ウッドデッキの窓から人影が出て来た。彼は裸足でデッキに出ると、もう一度ボクを呼んだ。
父さんだーー!!
『早くうちにお入り、まだ夜は寒いよ!』
「お帰り、父さん! ねぇ、聞いて! あのね、リッカがね、鍵を失くして大変だったんだよ! ボクが見つけたんだ、木の上から取ってきたんだよ!」
ボクは父さんに走り寄りながら話した。
『なんだよ、なに言ってるか分んないよ、ジャック』
父さんは笑いながら、くるっとボクを抱き上げてしまった。
「ほら、あのネコヤナギの下にいる女の子だよ。ほらほら!」
ボクは父さんの腕を押しのけて、リッカのいた庭を見た。ネコヤナギの木の下に立つリッカは、月の光に包まれて金色に輝いていた。
「ありがとう、最後のプレゼントよ」
そう言ってリッカは、冬芽をのぞかせた枝先に鍵を結んだ。
父さんの頭越しに見えたリッカの体は三日月みたいに細くて、月の光を透かしてどんどん見えなくなるリッカは、笑顔で手を振っている。
「大変だっ、キミが消えちゃうよっ! 父さん、父さんってば、リッカがいっちゃう!」
『わ、わっ、イタタタ、爪を立てるなジャック!』
父さんは腕の中でジタバタしているボクを落とさないように、ぎゅっと抱きしめた。
「Farewell、カギしっぽのジャック……」
最後にリッカはそう言って、光になってしまった。
次の朝、リッカのいた場所に行ってみると、そこだけ一足早く、春が訪れたようだ。
ネコヤナギの新芽からは、銀色の綿毛に似た花が顔をのぞかせていた。
枝先にはあの鍵が、金色のリボンで結ばれていた。ボクは爪を立てて木に登り鍵を外した。
それから父さんは箱を開けてくれた。箱の中には、手紙と写真それと枯れた花が入っていた。
古い写真にはリッカがいた。新しい写真には大人になったリッカと、隣には子供の父さんがいた。
突然、手紙を読んでいた父さんが泣き出した。手紙に何が書いてあったかは分らなかったけど、こんな風に父さんが泣くのは初めて見た…… ボクは胸が苦しくなって、父さんの涙を拭った。
「…… ジャック、ありがとう。でも、お前の舌はザラザラでイタイよ」
そう言って父さんは、ボクのおなかに顔を埋めた。お腹はボクの弱点なのに……! おかまいなしにグリグリっと顔をこする。そうするうちに、ボクのお腹は父さんの涙で濡れて、自慢の毛並みもヨレヨレで台無しになった。
あれから、この季節の満月の夜には、ネコヤナギの下でリッカを待っている。
彼女を探すボクを満月は、いつだって優しく照らしてくれる。そして、ボクは水面に映った自分の瞳の中に、三日月を見つけるんだ。
三日月はリッカみたいに金色をしている。