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ショートショート集

ひとりぼっちの博士

作者: 青樹空良

 世界は人で溢れているのに、僕の周りには誰もいない。

 僕を生んだ母親は、僕が成人したすぐ後に死んでしまった。村から外れたこの場所に、朽ちかけた屋敷と僕を残して。

 父はいない。生まれた時からそうだったから、そういうものだと思った。

 屋敷にある蓄えは細々と浪費し続けているが、僕が一人死ぬまでは持つくらいならある。無駄なことに使いなどしなければ。

 この財産は母が残したものなのか、その前の代が蓄えていたものなのか、僕は知らない。

 

 ある日、僕は何を思ったか村の祭りに出掛けた。母がいる間は村に行くことを止められていた。幼い頃に行ってみたいと訴えたが、楽しいものではないと言われた。それでも、今になって行きたいと思ったのは、あの頃の記憶がまだ残っていたからだろう。

 なるほど、祭りは楽しいものではなかった。

 珍しいものでも見るように、遠巻きに僕を見ている村人たち。

 楽しそうに笑っている娘たちが、僕が近付くと談笑を止める。笑い声がひそひそ話に変わる。

 僕の世界ではなかった。遠い世界だった。

 当たり前に人々が生活している場所は、僕のいる場所なのではないと屋敷へと引き返した。

 僕が暮らせる場所は、やはりここだけだ。


 その日から僕は一つの考えに取りつかれた。

『とても淋しい』

 僕は淋しかった。本当に、とても。

 どうしてなのか、考えた。

 そして、答えに辿り着いた。

『僕が淋しいのは大勢の人がいるのに、僕の周りには誰もいないからだ』

 僕は考えた。

『ならば僕もその中に入ってしまえばいい』

 けれど、それは難しいことだった。

 だから、また考えた。

『みんなが一緒になってしまえばいい』

 とてもいい考えだと思った。

 僕が僕でなくなってしまえばいい。みんながみんなでなくなってしまえばいい。

 全てが一つであれば、僕はきっと淋しくない。

 そうして僕は研究に取り掛かった。幸運なことに、屋敷の中に本は沢山あった。これまで開いたことのないような本まで、僕は隅々まで読んだ。

 歳月は流れ、僕は研究に没頭し続けた。研究に足りない分は、屋敷にあったものを売り払った。調度品は意外と高く売れた。これは無駄なことではない。だから、浪費とも思わなかった。


 書庫で本を読んでいると、玄関の方で音がした。

 玄関へと向かうと、そこには湯気の上がった鍋が置かれていた。蓋を開けるとトマトのスープが入っていた。横にはパンの入ったバスケット。

 中に入っているものがなんなのかは、毎日変わる。空になった鍋を置いておくと、次の日には新しい食べ物が置かれている。

 定期的に部屋も綺麗になっている。ローブを目深に被った人間が掃除をしているのを見たことはあるが、言葉を交わしたことは無い。

 母が生前に僕が一人になったら、と頼んでおいたことらしい。確かに、僕一人では家の中はさぞ暮らしにくいものになっていただろう。

 

 ついに装置は完成した。

 世界中の人たちの意識が統合される装置だ。

 ボタンを押せば装置は動き出し、誰もが同じになる。隣にいる人のことも、自分のこともわからなくなる。意識という壁が無くなってしまう。

 僕は僕ではなくなり、大きな意識の一つになる。

 つまり、僕は一人ではなくなり、もう淋しい思いもしなくて済むようになる。

 僕はボタンに指を置いた。後は、ほんの少しの力を掛けるだけだ。


 その時だった。

「待ってください!」

 振り向くと、ローブを目深に被った一人の人間が立っていた。そのローブには見覚えがある。

「何故、僕を止める。これが何か知っているのか?」

「……はい」

「僕は研究のことを誰にも話したことがない」

「掃除をしているときに装置についてのメモを見てしまったんです。見るつもりはなかったのですが、目に入ってしまって申し訳ありません」

 一度下を向いてから、その人は決心したようにフードを脱いだ。現れたのは女性だった。僕と同じくらいの歳だろうか。

「それを起動するのはやめてください」

「どうして」

「起動させれば、私はあなたがわからなくなってしまいます」

「別に僕は構わない。君がわからなくなっても」

「私が困ります!」

 淡々と話していた彼女の声が、スイッチを押そうとした僕を止めた時と同じように大きくなった。

「私には……、私もあなたと同じように家族がいません」

「君も淋しいのか?」

「……はい」

「だったら、何故僕の考えがわからない?」

「私とあなたが同じになったら淋しくはなくなるのかもしれません。でも……」

「でも?」

「そうなったら、あなたとこうして話すことが出来なくなります。今日やっと声を掛けることが出来たのに、それを起動させればもう二度と出来なくなってしまいます」


 僕はスイッチに手を伸ばす。これ以上話していることが有益とは思えない。

「やめてください!」

 彼女が駆け寄って僕の手に、その小さな手を重ねる。僕の手はスイッチから引きはがされた。彼女の力が強かったからでは無い。あまりに彼女が必死だったからだ。

 彼女の手は小さくて温かかった。

「せめて今日の食事の後にしませんか? 今日も持ってきましたから。台所お借りしてもいいですか?」

 僕の返事を待たずに、彼女は部屋を出て行こうとする。

「もう出来ているのに何故台所へいく必要がある?」

「何故って、スープを温めるんです」

「ああ、そうか」

 そのまま食べられるものばかりだったから、面倒なことはしていなかった。スープを温める、なんてことも考えつかなかった。

 しばらく台所で何かをしている音が響いていた。久しく聞いていなかった音だ。

「居間に来てください!」

 彼女の声が響いたので、僕は仕方なく居間へと移動した。確かに腹は減っている。

 僕がボタンを押さなかったのはそのせいだ。


 お盆を持った彼女が現れる。部屋の中に、ふわりと温かく鼻をくすぐる香りが漂う。テーブルに次々と皿が並べられていく。

「……これは」

「温め直しただけですが、どうぞ。私もご一緒させて頂いて構いませんね?」

「ああ」

 目に前にあるのは、いつもと同じ、同じはずの野菜のスープとパン。けれど、皿の上からは白い湯気が上がっている。

 スプーンを取って一匙すくう。小さな湯気が僕の顔に当たる。メガネが曇る。

 いつもと同じはずのスープを口の中に入れる。

「……美味しい」

 思わず彼女の顔を見た。

 彼女は嬉しそうに笑っていた。

「明日も、持ってきますね」

「ああ」

 僕はただ頷いていた。


 彼女はそれから毎日、僕と食事をするようになった。

 なんだか、それだけで家の中が明るくなったような気がする。明かりを変えたわけでもないのに、不思議なことだ。

 彼女と話をするようになった。

 彼女もまた、家族に先立たれたのだと知った。そんなとき、僕の母に声を掛けられたのだと。母がいなくなった後の僕のことを頼まれたのだと。

「何故、あなたのお母様が私を選んだのかわかりません。ただ、私は余程放っておけないような状態だったのでしょう。声を掛けられたのも、ふらふらと森の中を彷徨っていたときでしたし」

 彼女は笑う。笑うようになった。僕と初めて言葉を交わした頃には、こんな顔は見たことがなかった。

 僕の母は放っておけない二人を、まとめてなんとかしてしまおうと思ったのかも知れない。僕の面倒を見られる人間なら誰でも良かったのかも知れない。

 もう、どちらでもいい。


 いつの間にか、僕の作った装置は埃を被っていった。

 僕はもう淋しくなかった。

 彼女がわからなくなってしまうことの方が怖くなった。僕がスイッチを押そうとしていたあの日の、彼女の温かくて小さな手を、僕は今でも忘れない。


「夕食が出来ましたよ!」

 彼女が僕を呼ぶ。美味しそうなスープの香りが漂ってくる。


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