九話 希望
赤腕は、左手に作った握り拳で殴りかかり、右手の鉤爪で切り裂きに来る。
一発一発が岩熊の比じゃないぐらい鋭い。でも、避けられる。
牽制で軽めに攻撃を与えながら最小限の動きで回避に集中する。
こちらの攻撃は大体かわされる、当たってもろくに痛そうに見えない。
しかし今は身を守れればいい。
僕が攻勢に転じないのは、まだ使ってこない魔法を警戒してのことだ。
魔法を使ってこないのは、使う必要のない取るに足らない相手だと思ってるからだろうか。
それならいいさ。使われる前に倒してやる。
攻勢に移る。今まで避けていた左の拳の一撃に、こちらの拳を衝突させて砕きにかかった。
「うおっ!」
しかし赤腕はメリケンサックとぶつかるのを嫌い、すんでのところで軌道をずらした。お互いの拳が空を切る。
赤腕は、無理やり軌道をずらしたせいで左腕が伸びきり、わき腹がむき出しになる。
そこに僕は左手を引き戻し、腰の回転を最大限利用して右の鉄拳をたたき込む。
それは今までやってきたこと。かわして殴る。
なぜなら本気で攻撃にかかれば攻撃があたり、躱そうと思えば躱すことが出来たから。
しかし、この時の相手は違った。
今まで戦った強敵の中で、一番小さく、一番非力で、
「なんだ、攻撃しようと思えば出来たのか。気ィ抜きすぎた」
―――今までで一番賢く、戦闘技術という面で一番恐ろしい存在だった。
完全に隙をついたと思っていた僕の右手は相手の右手に抑えられていた。
あの鉤爪を立てられたら手が使い物にならなくなる。
そう判断し、大きく飛びのき距離をとる、しかしそれも失敗だった。
赤腕の口元を見ると、何かをつぶやいている。そこで自分の愚かさを再確認した。
開いた距離は、赤腕が詠唱を唱えるには十分すぎるらしい。
「―――体に脈打つこの激情よ、矛となり渦巻き燃えろ」
赤腕の魔法が完成してしまった。
「”火焔籠手”」
その時、やっと本当の意味で”赤腕”の呼び名の意味を知った。
腕から赤い炎が発生し、それが渦巻いてまとわりついている。
松明の光が気にならないほどに燃え上がり、薄暗かったこの場を隅々まで照らした。
赤腕が雄叫びを上げながら向かってくる。距離があるにも関わらず熱が伝わってきた。触れた時のことは想像したくもない。
今までぎりぎりで避けたり受けたりしてたのが出来なくなった。
すれすれでかわせば炎が身を焦がす。受け止めるなんて論外だ。
「があァッ!」
「うぁっ!」
わき腹を炎をまとった爪が掠める。強い熱量が皮を炙る。
燃える腕に気をとられ過ぎると蹴りが飛んでくる。
こちらの攻撃はかえって当たらなくなった。
拳が頬を焦がし、爪がわき腹に傷の線を描く。
このまま打ち続けるのは意味がない。消耗するだけだ。
この流れは良くない。仕切りなおすために赤腕の左手の殴打をかわしながら距離を広げた。
「なんだよ。手加減してたの?」
「そうだな、あまり圧勝して超強い奴が出てくると困るからよォ。接戦で勝つようにしてたんだがな」
赤腕は一度言葉を切って続けた。
「おめえ強いし、本気でやらせてもらう」
肩をぐりぐりと回しながらそう言う赤腕に、恐怖を覚えた。
ここまで頭が回る魔物は初めてだ。おまけに人の言葉まで話す。
ここまでくれば、もう容姿以外人と変わらないじゃないか。
「さぁて、もう呼吸は整ったか?休憩はいいのか?」
「…待っててくれたとでも言うの?」
「俺の創造主は卑怯とかあんま好きじゃあねぇからな」
情けをかけられているようで恥ずかしくも思えてくるが、これは実力の差から来る余裕だろう。
クラウンが話しかけてきた。
『シルリス、もう十分だ。使えるぞ』
「早いね、岩熊に会えたのはむしろ良かったかもね」
神器スキルを使う。
神器スキルは、登録した神器によって変わるスキルらしい。
奥の手、必殺技と言うのが正しいだろう。
ただ、使うには条件があり、そう簡単に何度も使えるわけではない。
赤腕との距離を詰める、さっきと同じ拳のやりとりを行う。
攻撃を躱しながらチャンスを待つ。
それではさっきと同じだ、流れを変えるには意表を突くのが一番だ。
振り下ろされた右腕の手首の部分を、ダメージ覚悟で腕で受け止める。
燃え盛る右腕をだ。
「はぁっ!?」
赤腕が戸惑う。
痛いし熱いが、歯を食いしばって耐える。左手はもう今は使えないかもしれない。
だが、強引にだが隙を作れた。
身を焼く痛苦に耐え、右手を握り締めながら神器スキルの名前を叫ぶ。
「 ”破城槌”ッ !!」
腰を捻り、全身全霊の力を込めて拳を突き出した。
巨大な魔力の塊が赤腕を襲った。
”破城槌"、命名クラウン。
体を動かすのには魔力を使う。
その使った魔力は大体が大気中に混ざるが、その一部をこの神器は吸収することが出来る。
”破城鎚”は、そのため込んだ魔力を殴打の勢いで一気に放出する技だ。
その破壊力は絶大で、岩熊でも一撃で粉々にしていただろう。
ただし、弱点もたくさんある。
使えるまでの時間が長い事こと。一発撃てばそれっきりなこと。魔力を纏うだけなので、威力は拳の速さに左右されること。
魔力の塊なので、魔法で防げること。
「―――あああぁぁっ!!」
それが自分の叫び声だと気付くのに時間がかかった。
失敗だ。
一瞬前とは見違えて激しく燃える剛腕が、恐ろしい速さで僕の拳をつかんだ。今まで見た動きの中で一番素早い。
こいつ、まだ手を抜いてたのか!?
炎の魔法は”破城鎚”の威力を激減させ赤腕の手に収まるころにはろくな威力が残っていなかった。
炎が一瞬吹き飛ぶが、文字通りすぐ再燃し、赤腕に掴まれている僕の腕に伝わって這いずり回った。
「ああぁぁぁぁああ!!!」
意図せずに口から漏れ出した自分の絶叫を耳にしながら腕を引きぬこうとするが、がっちり掴まれていて炎から逃れられない。
左手を強引に利用して後ろに転がるようにしてようやく脱出する。
掴まれた右腕は一部が白く乾燥し、あれだけ熱かったのにもかかわらず今ではもう感じなくなってる。
手先の感覚が鈍り、拳すらうまく握れない。
両腕が使えなくなった。
『シルリス!ここは…』
逃げろ。
そう聞く前に出口に向かい走り出した。
しかしその企みは、部屋から出ることも叶わずに終わる。
「うあぁっ!!」
左足を裂かれ、力を入れられずうつぶせの体勢で二メートルほど地面を滑る。
腱を断たれた。
逃げられない。
残った右足を使ってなんとか仰向けになると、赤腕が炎をおさめ、歩きながら向ってくるのが見えた。
「あ、ああぁぁ…」
「逃がすわきゃねぇだろうがよ」
絶望と恐怖に支配された頭でどうすれば生きられるかを考える。
考える。
考える。
考えた。
無理だ。
ここから勝てるわけがないし、片足で逃げられるとは到底思えない。
「死に、たくっ」
「死にたくねぇってか、そりゃ無理だろうがよ」
ここで僕は死ぬのか。
まともに傷すらつけることが出来ず犬死にするのか。
そんなのっ、嫌だなぁ。
力が入らない両腕と左足をだらりと垂らしたまま右足だけで立ち上がる。
『おい、何をする気だ、シルリス!』
「少しでも赤腕を消耗させる」
あの太った人が言ったことが本気なら、すぐに僕が依頼を失敗したことがギルドに伝わるだろう。
その時のために、僕が出来るかもしれないこと、残せる物、最後まで勇者らしくできる方法。
「この命を使いきって、齧りついてでも赤腕に手傷を負わせる」
後に続く人のために、最後まで戦い抜く。
『無茶だ、逃げろ!可能性が低くても、全力で!』
もう言葉は返さない。
意識を赤腕に集中させる。
…そう言えば、あの太った人の名前、聞いてなかったなぁ、
「違う、違う!俺はそんなこと望んではない!お前が、お前は俺の―――』
その先は聞こえなかった。
赤腕が何かを避けるように後ろに飛びのく。
その直後赤腕と僕の間に割って入るように、砂を飛ばしながら何かが落ちてきた。
違うな、着地した。
「あ、ごめッ」
飛んでくる砂と着地の時に揺れた地面のおかげでへたりこんでしまった。
「なんとかっ間にッ、ゔぇぇえっ!吐くっ痩せちまうっ!」
ぜえぜえと乱れた呼吸をしながら言った。
痩せるのはいいことなんじゃないの?
つっこむ余裕もない僕に、心配そうに話しかけてくる。
「大丈夫…じゃないよなぁ。ゲフッ、ごめん、遅くなって」
咳き込みながら謝る、斧を担いだ太った人が目の前に立っていた。
その人は涙目になりながらも、僕に強い言葉で言った。
「まあ休んでろ、助けに来た」
小さな希望が転がりこんできた。