三十三話 スース・ドメスティック 1
私は現教皇、十一代目デザイア王国教皇のライゼル・ジーメントルだ。
そして今目の前には、教会に隣接した孤児院の庭があるはずだ。
「番号」
「イ班、1!」「2!」「3!」「4!」「5!全員います!」
「ロ班、1!」「2!」「3!」「4!」「5!全員います!」
「ハ班、1!」「2!」「3!」「4!」「5!全員います!」
「ニ班、1!」「2!」「3!」「4!全員います!」
「イ班、ロ班は昨日に引き続き畑づくり。物置から道具を持って行って各自働くこと」
「はい!!」
「ハ班は十時まで休み。十時十五分からキッチンに向かって私と料理です」
「はい!!」
「ニ班は十時まで私と院内の掃除をしますので道具を持ってきたらまたここに集合です」
「はい!!」
「各班、報告や質問はありますか?」
「ハ班班長、リッドです!懐中時計が調子悪いんですけど…」
「じゃあ、見ておきますので、一旦私の物と交換しましょうか」
「はい!」
「他にはありませんね」
「はい!!!」
「心得三条」
「楽しく!!!適度にサボりつつ!!!出来る範囲で全力で!!!」
「では作業を開始してください」
子供達が各班纏まって走り去って行く。
四歳から十一歳までの子供達をここまで規律正しく、組織的に纏め上げられていることには感動するが。
何これ。
説明してくれ、特に車椅子に乗って指示出していたそこの女。
少し前まで鼻水垂らしながら「見てこれおれの鼻くそ!」と泥団子を見せてきたリッド君。君でもいいから何があったのか教えてくれ。
雇っていた使用人たちは終始苦笑いでスースの傍に立っているし、子供たちは数日前とは打って変わって聡明な顔つきをしているし。
「どこから、口出せばいいんだ……っ」
「あれ、どうしたんですかライゼルさん。ライゼルさんにばれないようこっそり子供達に社会性や計画性や教養を植え付け、かつ子供らしい探求心や活発さや発想力を伸ばす私のたくらみを見て。なにやら、目をそらしたくてたまらないみたいな顔ですけど」
「白々しいにもほどがある!もう聞きたい事残ってませんけど!?」
頭が痛くなり、眉間をもむ。
たちが悪いのは、結果的にデメリットが無い事。勝手にした以外にやり方についても文句なし。
怒りづれえ……。
そのくせ、正式に雇おうかという話をした時は。
『あ、それだと好き勝手出来なくなるのでいいです』
とかいう始末。
「だってお金を受け取る立場って弱いじゃないですか。今なら一応孤児の立場ですし、もっと色々やりたい仕事ありますので」
小賢しい。
あと、私ってそこまで心読みやすいですかね?
一応表情はそこまで変えないように意識して言うつもりなんですが。
「まあ、顔以外にも表情は出ますし、経験による予想や慣れもありますから」
「……そうですか」
半ば諦めていたことだが、この少女には敵いそうもない。
今の私は全く表情を変えてはいないが、完全に会話が成立していた。
その技術、私には出来ないだろうか。
今度教えてもらえないか頼んでみよう。
いや、その前に現実逃避してしまったが、せめてこれから何をする予定なのかを聞いておかなければ。
また知らないうちに『偉大なる勇者ボア・スクローファ像』とか作られても困るし、この少女ならやりかねない。
否、私の想像の範疇に収まらない何かが起こる可能性すらある。
否、可能性というか、絶対に起こると断言する。
そう思い、問いただそうとしたのだが、スースはおもむろに何かに振り向いた。
「あ、ちょっと呼ばれたので行きますね」
「? そんな声ありました?」
「若いので、耳良いんですよ」
「あ、ちょっと待……」
なぜ少し私を傷つけた。
まだ話したい事はあったので、背を向けたスースの肩に私は手を伸ばした。
しかし、触れる前に、強烈な反応があった。
スースはこちらまで驚くほどに体を跳ねさせ、車椅子から落ちそうになりながら大げさに私の手を避けた。
その時私は初めて、私個人に向けるスースの”表情”を見た。
どれも、普段よりわずかにではあったが、眉を寄せ、目を見開き、唇を震わせる。
それは紛れもない、『恐怖』だった。
私は動揺した。
しかし、私が何かを言う前にスースは顔を隠すように伏せてその場を去っていく。
車椅子の車が土の上を転がる音に紛れ、すみません、という消え入りそうな謝罪が確かに聞こえた。
* * *
誰に相談しようか、とは微塵も悩まなかった。
事情を知っているだろう相手は推定二人。
一人は出先でもう一柱は眠るだけで対話可能。
つまりは『神の声』を利用する。
といっても、流石にすぐには寝付けなかったので、一日しっかり働いて、今日は大人しく引き寄せた眠気に従った。
今夢の中で座っている机は現実で身体を預けた仕事机と同じ物だ。
今回も、違う点は向かいに座る女神だけ。
「ーーーそういう訳で、あれは普通の反応には見えませんでした。事情でもあるのかなと思いまして、貴女なら知っていると思うのですが」
「え゛ぇ゛〜〜っとぉ…。言うのは、え、どうしよ」
女神ラウニは左腕で頬杖をつき、右手で乱暴に頭を掻き毟る。
言い淀む姿を含め、つくづく人間的で神には思えない。
本当は何か、凄い悪霊だったりするのだろうか。
歴代の教皇の手記が無ければ。悪霊と言われれば即座に納得しただろうし、少なくとも神とは信じないだろう。
「大分ナイーブなアレだし、てか、どこまで想像ついてる?」
「本当に想像の範囲内ですが、きっかけは私だったと思いますが、根底の原因はもっと別にあるんじゃないかなと。彼女はほら、あまり表情が豊かではないので自信はありませんが、嫌われてはいなかったと思います」
「その根源については?」
「トラウマがあるのかもとは思いますが、これは完全に何の根拠もない予想です」
実のところ、彼女スースとの距離は測りかねていた。
脚を失った理由どころか、趣味嗜好や出身、私と会う前の彼女の全てを私は知らない。
何せ表情が全く変わらない。どこまで踏み込んでいいのかが分からなかったし、スースもライゼルに雑談を振ったことは一度もない。
「まあ、私から言うのって違う気ぃしない?兄貴呼ぼうぜほら」
貴族が執事を呼ぶように、ラウニは二度手を叩く。
何もなかった場所に、空気椅子をしたボアさんの姿が現れた。
いや、実際は何かに座っているのだろうが。
「これは…」
『…?』
恐らく今のつぶやきはボアさんにとって幻聴のようにに届いたのだろう。
教皇の夢は神と繋がり、神の声は勇者も聞くことが出来る。
その力の応用だと前に聞いた。
私にとってはライゼルさんの姿、言動、声がその場にいるかのように感じ、ライゼルさんにとっては私と女神ラウニの声のみが聞こえる状態である。
「ライゼルには何度かやったっしょ?へぇいボア聞こえるぅ?今目の前にライゼルがいると思ってね」
『ラウニ、酒でも飲んだのか』
「神を何だと思ってんだコラ。天罰で奥歯虫歯にすっぞ」
「ボアさん、今はただ女神ラウニを通して私と会話が出来る状態だと認識してください」
「じゃ、私あんま聞かないほうがいいだろうし、ちょい外れる。ボア、こっからは真剣な話ね」
場の雰囲気が締まり、私とボアさんとの会話が始まった。
* * *
目を覚ますと、懐中時計を脇に置き、いつも通り私の書類に手を出すスースと目が合った。
高速に動かす手を止めずに私に話しかけてくる。
「先ほどはすみませんでした。少しびっくりしてしまって」
「いえ、スースさんは悪くありませんよ」
すぐ隣にいるスースは、体を起こした私を見て心なしか体を固くした、気がする。
自分の椅子をスースから少し離し、スースに体をまっすぐ向ける形で座りなおした。
「勝手に女神ラウニと、ボアさんに原因について聞きました。申し訳ありません。話がしたいので、一度手を止めていただけたら嬉しいです」
「ええ、かまいませんよ。いつまでも隠せるとは思っていませんでしたし。まあ、思ったより早くばれちゃいましたけどね」
まず、トラウマについて。
「ええ、お察しの通り、私は男の人、もしかしたら人間全員が怖いのです。貴方が聞いたであろう出来事が起きてからは、兄さん以外が人じゃない別の生き物にしか見えませんでしたよ」
スースのいう出来事とは脚が無くなってから、何とかボアさんと支えあって生きるために仕事を見つけた時の事。
パン屋で働く初日、店長の男に襲われかけた。
幸いにもボアさんが一度引き返したことで事件は未遂に終わったが、ボアさんには前科が付き、スースは今もなお消えない恐怖が植え付けられた。
「足が無い事を見れば、ろくに抵抗できないと分かっていての行動でしたからね。頭では理解しているんですよ?全ての男性がそうではないって。でもダメなんです。身体に刻まれた恐怖が今でも根強く残っているんです。ほら」
スースは見せつけるように右手を伸ばしてくる。
日が落ちた暗い部屋でも分かるほどに、その手は震えていた。
「気を抜くとすぐこうなるんです。本当に、ばれたくなかったんですけどね。私が警戒しているのに、ライゼルさんが信頼してくれる訳ありませんよね」
私が口を開こうとすると、遮るように口をはさむ。
「もう一つの秘密については、聞いているかもしれませんが、私から言ってもいいですか?」
「わかりました」
それはおそらく、
「私の特異魔法について、です」




