三十二話 トマトとストレス
ああ、めっちゃ悔しい。
油断したつもりはないが、それでも気を抜いていたらしい。
体中が悲鳴を上げているとか、精神削り切った後だとか、そういった言い訳ばかり思い浮かぶ自分にもイライラする。
そういや、なんで俺は動けたんだろう。
スキルの理論上、あそこで死んでもおかしくないと思うんだけど。
って、聞いてみた。
『さすがにそこら辺の安全装置はつけたつもりだって。まあ、ほんとに”死なない”ところで止まるだけだし、あんま当てにされっと普通に死ねるから』
「ああー、そういう。意外と抜け目ないな」
『でしょ?分かったなら早く崇めて信仰して痩せて?」
「痩せるのだけは絶対に断る」
何とか口は回るようになったが、やっぱりしんどいな。
もうちょい休もう。
「なんか、デザイア王国戻んなくていい気がしてきた。それよりもっと勇者としての経験を積みたい」
「あぁ。つってもよぉ、具体的には?なんか目的とかあんのか?」
「取り敢えず、俺の呪いが魔法関連のものかだけでも知りたいんだよな。勿論解けるなら解きたいけど」
「じゃあさ、他の勇者のいる王国に行ってみようよ。魔法とか呪いの事ならデザイア王国より進んでるし、呪いがだめでも他の勇者と交流できるのって結構得じゃない?」
ほかの王国か。
そういえば、便利そうなものをもらっていた気がする。
最善の道かは分からないが、着実に進みたいと思う。
俺は強くなりたい。
勇者はもっと強くならなければならない。
* * *
勇者はもっと強くならなければならない。
ライトはボアをそう評価した。
勇者になってから日は浅く、未熟なのはしょうがない。
だが、今の小細工大好きなまま、正面から戦えるようになれば、もっと経験を積めば。
そう考えれば考えるほど楽しみになる。
今その芽を摘むには勿体ない。
ライトとしては、放っておいたほうが都合がいい。
「ひどい有様だね」
「む、魔王陛下様じゃないか」
「だから元だって言ってるじゃないか。きみも意地が悪いな」
命からがら二人の勇者と元同僚から逃げ出したライトは、ルイスに出くわした。
地面の、間違っても魔法で掘り出されないような深い部分を掘り進み、森の奥深くへ。
ここに来るときにも使った【扉蜘蛛】(空間魔法を使う魔物)を探す途中に、扉蜘蛛を連れたルイスに声をかけられた。
とはいえライトとしてはここで会うのは予想外だった。自分の保身を第一に考えているだろうルイスが、わざわざ因縁の相手であるボアもいるこの場所で待ち構えているとは。
「予想外だな。元魔王陛下のルイス様はボア含め外が怖くて引きこもっているものとばかり思っていたが。自分の保身が一番大事じゃないのか?」
なので思ったことを正直に言ってみた。
嫌味や皮肉ではなく思ったことを言ってみただけだ。
「酷い事言わないでよ。ぼろぼろの上司を労わって迎えに来たのにさ。その腕って油断したの?」
「違うな。ボアが隙を作ろうとして我が引っ掛かった。我より奴のほうが上手だっただけだ」
「へえ、まあ、ぼくにとってはどっちでもいいんだけどね?別に」
不自然な小さい足音が、木の陰から聞こえた。
一つではない。ライトとカルスを囲うように、威圧するように、脳に爪を立てるように不快な音が鳴る。
「今ってピンチじゃないの?—――例えば、ぼくに襲われでもしたら抵抗できないんじゃないかな?なんて」
「―——ああ。なぁんだそういうことなら早く言え」
何より、ルイスの表情が悪意に満ちている。
不潔に伸びた髪から覗く瞳が、ライトの死を望んでいる。
「”土よ、集え”」
淡白な詠唱により、ライトの足元から土の柱が立ち上がり、腕の断面を無理矢理止血していた土の蓋に集まる。
時間にして三秒に満たないうちにライトは腕を引き抜いた。
土でできた腕は、色以外本物と何の遜色もない。
ついでにタキシードも形だけは元通り直していることが妥協のなさを表している。
「気に食わないのならもっと早く挑めばいいものを。『すみません。憎いので少々お時間いただいて殺し合っていただけませんか』と言えばいつでも受けて立つのになあ?」
出来立ての右腕の調子を確かめつつ。周りの気配を探る。
大きい伏兵は十匹にも満たないだろう。
小さい者がいればわからないが。
ライトは状況を整理する。
相手は元魔王プラス数も能力もはっきりしない伏兵。
対するこちらはそこそこの疲弊、切れかけの魔力、付きたての大怪我、生やしたての腕。
―――だが、今回は敵の実力を図る必要もなければ、正面から戦ってやる必要もない。
ライトは逆境は大好きだ。
それが大きければ大きいほど覆した時が美しい。
「さあ、始めようじゃないか!上司として上下関係を叩き込んでやろう!!」
「やだなあ、例えばだっていったじゃん。不快な言い方しちゃってたならぼくが悪かったよ。ごめん」
先ほどの雰囲気が一転。伏兵の気配はなくなり、カルスが頭を下げた。
「じゃあ行こうか。あまりここで話してても怒られそうだし」
「……お前……」
明らかに自分が傷つくのを恐れて引いたのだ。
思ったよりライトに余裕があったのが誤算だったのだろう。
ここで文句を言おうが適当に言いくるめられるだろう。そういう時ばかりうまく口が回る者だという事を理解していたので。文句を言うことは諦めた。
代わりにルイスの隣にいる扉蜘蛛に声をかける。
「では、頼んでいいか?そこの小さな同輩殿」
それを聞いた扉蜘蛛が糸を垂らす。
空間をつなぐ扉が現れ、二人の魔王軍幹部は森から姿を消した。
* * *
「知ってる?こう見えて期待してたんだよなー君に」
直属の上司のラウディに睨まれる。
「まあ全部完璧にやられても面白みに欠けるけど、木海月もやられて何日も時間かけて、腕まで失って、何の成果もありませんって舐めてる?」
凄まじい重圧を目の前の男から浴びせられる。
それもそのはず、ライトにとってラウディは自分の創造主だ。
自分より強い魔物を作ることは邪神にもできない。
つまりだ、ライトはラウディに天地がひっくり返っても勝つことはできない。
抵抗は無意味だ。
ラウディの、右腕のついていない右肩を見る限り、既にライトを殺す準備は完了している。
「まあ、返す言葉もないな!我ではあの三人に勝つことはできなかった。言い訳などない」
ならばせめて、背筋を伸ばそう。胸を張り、堂々と声を出そう。
今はそれが一番美しい。
「……はあ。いいよもう、やりたいこともあるし、君の廃棄は今度にする」
溜息をつき、ライトに背を向けて歩き出す。
右肩が波打ち、元通りの右腕をはやしたラウディにライトが問う。
「で、その目的とは何なのだ?我を生かすという事は、それなりにでかい事をするのだろう?」
「うーん詳しい内容は後で話し合って決めるとして、あ、そうそう。これルイスも参加させるからね」
それを聞いてあからさまに嫌そうな顔をするルイスの顔を見てざまあと思いながら、ラウディの後ろを付いていく。
「トマトってストレスで美味くなるっていうじゃん?人とかも同じでさ、えっぐい刺激が成長につながる、みたいな?そういうの定期的にやりたいわけ。でさ、今回の勇者ってちょっと面白いじゃん。ちょっとだけど、様子を見てみたいわけ」
説明を聞きながら歩き、いくつかの扉蜘蛛を抜けてたどり着いたのは、黒いテーブルとイス以外何もない部屋。
話し合いをするためだけに作られた部屋だ。
一番大きく、刺繍で飾られた背の高いソファーにラウディが座る。
一番シンプルな、オークの木材だけで作られたスツールにルイスが座る。
そして一番美しい、目の眩むような彫刻の施されたアンティークチェアにライトが座る。
一つ、空いた席があるのを無視して、ラウディが言った。
楽しみを見つけた子供のように。
「デザイア王国に刺激を与えて、美味しい勇者を育てようか」
笑って自分の欲望を語った。




