二十五話 正しい答え
その後、俺はすぐに宿に戻り事情を話して二人を連れだした。
シルリスはどうしようか迷ったが、まあ連れてくるなとは言われていない。
別に連れてってもいいだろうと思う。
カルスの顔は真っ青だった。
自分のせいで周りの人間に危害が加わるかもしれない。
それだけでカルスの心を、罪悪感を煽るには十分だった。
宿を出ると、にぎやかな話し声が俺たちを包んだ。
ここ最近で聞き慣れた出店の騒がしさだ。
それを聞いてカルスがまた身を震わせる。
今のカルスにとって人の目線は糾弾のように感じられた。
もちろんそんな訳が無い。しかしそれほどに神経質になっているのが見て取れる。
―――なぜ平気な顔をして歩いている。と、
―――お前がいるからここは危険にさらされたんだ。と、
―――お前はここにいてはいけないんだ。と、
―――魔物が、なぜここにいるんだ?と、
民衆の笑顔は、カルスの目を通すことで鬼の形相に変わる。
脳内に響く幻聴が、カルスを責め立てる。
耳をふさいでも、カルスの優しさが、そして魔物である事の劣等感がそれを許さない。
罪悪感が、目をそらす事を許さない。
―――出ていけ。出ていけ。魔物は、出ていけ。
村から逃げ出すようなカルスの足取りを、俺とシルリスは追った。
* * *
村を出てから真っ直ぐに森に入り、木の間を歩き続けると、変化の無かった視界に変化が生まれる。
振りかえり村の方を見るが、もう自然物以外の物は見当たらない。
そして生まれた変化はというと、その真逆。
不自然がそこにあった。
開けた場所、森の中だと言うのにこの場所には草一本も生えていない。
畑で見るような耕された土だ。土が視界に広がっていた。
視線を右に、そして左に移す。
少し前まであっただろう木々が、土と森の境界線になるように盛られていた。
例えるなら、巨人が森に手を当てて力任せに押しやったかのような、そんな印象を受ける。
そしてそんな異常な空間の中に、異常を作りだした張本人が立っていた。
いや、そうだ。人じゃないんだった。
やわらかな土に足を取られながら、そいつに近付いて行く。
「よう、待った?」
「いや、おかげで話し合いの準備は済ませられた」
「嘘だろ。これ、話し合いの後の準備じゃないのか?」
「なに、細かい事は気にするな!で、来たようだな。来なくていいのも来たが」
兎耳の、違うな。
兎の魔物のライトの一瞥に、カルスが竦み上がる。
「よう、痴れ者。我が迎えに来てやったぞ」
「……っっ!!!誰が、そんなこと頼んだ……!」
関係の無い俺達がゾッとするようなカルスの視線も、絞り出すような声も、虚勢以上の意味を持たない。
いらついた声でライトが言葉を返す。
「お前に頼まれたわけじゃないと決まっているだろうが。上の者の命令だ」
「ざけんじゃねぇぞ!一人にして、やりたくねぇ事強制させておいて、ほったらかして!何今更仲間扱いしてやがる!」
「……愚か者の醜さもここまで来ると吐き気よりも先に怒りが沸くな」
一歩近づいてくるライトに対して、カルスが一歩遠のく。
あのカルスが、心の底から怯えている。
「人間に生まれたものが人間のために、魔物に生まれたものが魔物のために働くのは当然だろうが。楽しい仕事ばかりだと思うな。我だってこんな愚か者、会話だってしたくなければ、連れ帰る価値だってあるようには思えんよ。許されるならさっさと殺処分している。我慢しているのは仕事だからだ」
「でも、それでも俺は……っ」
「……呆れた、失望した。お前はまだ、断るとどうなるか分かっていないのか?」
顔を落胆で染め上げたライトが、カルスに答えを教える。
「まずお前の仲間二人を殺す。絆が惜しいなら元から断つしかなかろう。それでも言う事を聞かないなら、ふぅむ、そうだなぁ」
わざとらしく、もったいぶるように悩むしぐさを見せながら言った。
「サリア村の人間でも殺すかな」
「は……それ、何の関係が?」
「特には無いが、脅迫として丁度いいと思っただけだ。もう一度言うぞ、カルス」
またライトが一歩近づく。
カルスは今度は足を動かす事が出来ない。
「言う事を聞かなければ、そこの二人とサリア村の人間を殺そう。嫌ならさっさと来い」
ちらりと、村であった時とはまるで違う凍りつくような視線に射抜かれた。
この言葉は俺にも向けているのだと気づく。
俺が嘘が分かるという事を、おそらくこいつは知っているんだろう。
嘘偽りない言葉だと、それを理解させるために宣言したのだ。
「ちょっと待って欲しいんだけど」
強い言葉が割って入った。
「む、美しい上に動きが無さ過ぎてそういう類の彫刻かと思っていたが、喋ったか」
「喋るよ!そうじゃなくて、そっちこそ分かってるの?」
威圧感があるわけでも、恐怖を煽るような内容でも無かったが、その言葉にはぶれない強さがあった。
怖気づかず、堂々とした態度で啖呵を切った。
「三対一で、そのうえでこんなこと言って、僕達が生きて返すと思っているの?」
「ラウニ、これ駄目なパターンだと思う」
『大体数頼りの方が負けるよね』
「な。完全に負ける側のセリフ言っちゃったよあいつ」
「ねえガヤうるさいよ!真面目にやってよ!」
あまりにも負けパターンのテンプレすぎて声を出してしまっていた。
「少年も威勢はいいが、それだけだ。前提が間違っているな」
「前提?」
「ボアの言うとおり、数で勝っているだけでは我に勝てるわけ無いだろう。言っても問題が無いから言ったんだろうが。阿呆」
「この…っ」
「まあ待て、それよりもカルスの答えを聞く方が先だろう。どうする?カルス。お前が来れば、ここは一度引いてやろう」
シルリスを口で煽りながら手で制す。
そして皆の視線がカルスに集中する。
カルスは、悩んでいた。
答えを出せないでいた。
脅迫が怖いのだろう。ここで抵抗したところで勝てる保証は無く、負ければ大勢が死ぬ。
失望が怖いのだろう。ライトについて行ったら、俺達と築き上げた関係は全て無に帰す。
カルスは魔物にしては優しすぎた。
人間を殺すことに疑問を感じ、やがて奪うなら奪われる方がましだと思い始めた。
それは俺達の仲間になってからも変わらなかったんだろう。
白岩羊と目があった時、カルスは間違いなく疑問を感じたはずだ。
俺は魔物なのに、なぜ人間と行動し、魔物を殺さなければならないのだろう。
殺したくないはずではなかったのか。
それが嫌で悩んでいたのではなかったのか。と、
だからカルスは、ライトの言葉に納得をしてしまっていた。
『人間に生まれたものが人間のために、魔物に生まれたものが魔物のために働くのは当然だろうが』
納得した。
では自分はなんだ?
魔物の身で人間のために行動する、歪な存在。
嫌でも仕方が無いのか?
それが”正しい”選択なのか?
分からない。分からない。答えが出ない。
カルスは悩んだ末に出した結論は、
出なくて、
「なあ、ボア、ラウニ。俺はどうすればいい?」
考える事を、放棄したいと思った。
俺とラウニに、絞り出すような声で問いかけてきた。
”正しい”答えが欲しくて、それでも考えたくなくなったこの姿に、俺は見覚えがあった。
『ボア、言ってやんな』
そこで俺も、答えは出さず、答えを出す手伝いだけをしようと思う。
「俺が答えを出すことは出来ないよ。自分で選べ」
「…ぇ」
「お前が決めなきゃいけない事だろ。ただ、助言を一つやるよ」
ラウニに言われた事とは違う、俺なりのアドバイスだ。
「これ、百点の正解なんて無いと思う。だったらもう、好きな方に決めちまえ」
「でも、それじゃ」
「どっちの答えでも尊重する。戦うって言うんなら一緒に戦うし、お前があっちに行きたいなら追わない。それでも、失望はしないよ」
「…一つだけ聞いていいか?」
そんなことを言いながら、カルスは聞いてくる。
「俺は、お前のなんだ?こんな半端で、どうしようもない俺を、どう思っている?」
声に混じっているのは、不安だった。
魔物である以上拭えない不安がその質問に込められていた。
その言葉に、短く答える。
「気のいい友達」
それを聞いて、カルスは口を開く。
カルスの、答えは―――




