二十一話 ぜってぇ勝てねぇ
白岩羊はロープの罠に首を通した状態でなおもがいていた。
ロープを三重にしていたため、ちぎれる事は無かったものの、くくりつけていた木はへし折れる寸前だった。
しかしそれ以上の破壊が木に加わることも、ロープがちぎれる事も無い。
木が折れたのは馬鹿でかい質量が勢いを持って突っ込んできて、その衝撃がロープを通じて木に伝わったからだ。
したがって、助走が出来ないこの状態から白岩羊が逃れるすべは無い。
あとは仕留めるだけである。
「で、なんでカルスは見つめ合ってんの?」
この疑問は当然だろう。
俺がここに駆けつけてからずっとカルスは白岩羊と見つめ合っていた。
それが何か考え込んでいるようにも見えたからそう声をかけたのだが、
「いや、なんでもねぇ。なんでもねぇよ」
そう言われてしまう。
正直なところそれが嘘である事は分かったが、踏み込むことに躊躇したため、聞きだすのはまた別の機会にする。
考えている内容は想像できなくもないが、本当に想像の範囲を出ないものだ。
そう考えている間にも白岩羊は足掻き続ける。生にしがみつこうとする。
当然見逃す気はないが。
斧を構えて白岩羊に近付く。一層激しく暴れ始める。
狙うのは首だ。
苦しめる趣味なんて無い。
筋肉に包まれた屈強な首ではあるが、関節部分は岩が無い。
これならば俺の〈気力操作〉で底上げした力ならばなんとか斬り落とせるだろう。
斬り落とせなくても致命傷にはなる。
やがて観念したかのように白岩羊は動きを止め、一点を見つめるようになった。
その視線の先にいるのは、カルス。
白岩羊と同じで、魔物だ。
その事にカルスが何を思ったかは分からない。
ただ、俺が斧を振りおろした時、小さく呟いたのが聞こえた。
「……いただきます」
はたしてカルスは、どんな気持ちで言ったのだろうか。
* * *
場面は変わるが、ボア達が白岩羊の解体を終わらせた頃の話だ。
「……はぁぁ」
ボアの悩みの元凶
魔物、ルイスは歩みを止めた。
ルイスの目の前に生えた木は他と比べて何もおかしな部分は無い。
もっとも、その幹にとまった生き物の存在を無視すれば、だが。
人間の幼児ほどのサイズのそれは、大きな蜘蛛だった。
腕をピクリとも動かさずにその場にたたずむ様は彫刻のようだった。
派手な警告色に染め上げられた体毛はその生物が有害な毒を蓄えていることを示す。
宝石のように光る八つの眼球すべてがルイスを捉えていた。
普通の人間ならば鳥肌が立つ状況だ。
あいにく、ルイスは普通でも人間でもないが。
「いいから、開けてよ」
荒々しく蜘蛛に語りかけると、蜘蛛は地面に一本の糸を垂らした。
その糸が地面に触れると、地面が融けるように大穴が開いた。
その穴は人が二人は同時に入れる大きさではあったが、暗く底の見えない穴だ。
ルイスは迷わずにその穴に飛び込んだ。
この穴が自分の目的地へ通じていると知っているからだ。
瞬間、穴が塞がる。
蜘蛛だけがその場に残った。
ルイスは光の満ちた部屋にいた。
間違っても穴の中とは思えない場所だ。
もし穴の中ならなぜ窓があるのだろうか。
心地よい日の光が窓を通ってルイスの腕に触れるが、どうでもいいのでさっさとその部屋を出る。
さっきの部屋とは与える印象がまるで違う、金属に覆われた通路に出た。
数あるドアの中から目的の部屋の前まで迷うことなくたどり着く。
ルイスがこの場所での生活にある程度馴染んでいる事は誰の目から見ても分かるだろう。
「おッッかえりなさいませ魔王陛下!」
舞台の役者のようなよく通る、それでいて不快感を与えない透き通るような声が茶化すようにルイスを迎えた。
声を発したのはドアの前に控えていた、タキシード姿の男だ。
二つ穴のあいたシルクハットを手に一礼してくる。
一見人間のようだが、無防備に差し出された頭を見ると兎の耳が生えている。
当然、この男は魔物だ。なので多少の個性は驚くに値しない。
「魔王陛下はやめてほしいな、ライト。元の話だし」
「まぁまぁまぁまぁ。いつもの戯言だなと聞き流せばいいさ。で、仕事の報告だろ?さあどうぞ!」
ライトと呼ばれた魔物は、開いた二つの穴に器用に耳を通してシルクハットをかぶった。
そして勢いよく右手をルイスの肩に回し、左手をこの部屋のもう一人に向けた。
「我らが創造主、ラウディ様に。おっとルイスは違うか。まあいい、どうぞ!」
創造主、と呼ばれた男は椅子の上で本を読んでいた。
創造主という単語の通り、彼は魔物を作り出せる存在ではあるが、邪神などでは無い。
数少ない魔物を作り出せる魔物という訳だ。
ラウディが口を開く。
「で、どうだった。見つかった?あの犬結構自信作だからなー」
「ああ、見つかったよ」
「ちゃんと戻って来いって伝えた?」
その言葉が意味する事は簡単だ。
ルイスの現在の主であるラウディは、カルスを殺せなどと命令してはいない。
カルスの創造主であるラウディはカルスの居場所が手に取るように分かっていたが、それが途切れたため不審に思いルイスに命令を出した。
カルスを探すことと、連れ戻すことである。
この期に及んでルイスはボアに嘘をついていた。
白岩羊をボア達にけしかけたのもルイスだ。
カルスとボアが共に行動していたのを見た時、カルスとの話し合いを早々に諦めたルイスは独断でボアを殺そうとした。
ルイスにとってボアが都合の悪い存在だからだ。
「いや、それについて言う事がある」
「面白い事?我らが邪神様が喜びそうな事?」
「稀有な事例だって言う意味ならそうかな」
そう言えばどんな失敗も勝手も許されると知っての言葉だ。
ルイスが第一に考える事は自分の保身であり、他に対しては無関心とさえ言っていい。
そしてラウディはその生涯を邪神を喜ばせるためだけに捧げている。
「あいつ、勇者に仲間入りしていたよ」
「なんと!あの駄犬は父に後足で砂をかけた挙句他の主に尻尾を振っている訳か!」
いち早く反応したのはライト、兎の魔物だ。
「美しくない。まッッことに美しくないなそれ!どうするラウディ様、処分してしまおうか?」
「えーもったいない。出来るだけ説得はして行く方向でいこう。その後の判断は任せるから」
「ほう!言ってみるものだな!任せてくれるという事でよろしいか?」
「よろしいよ。あの犬がついているなら妥当な戦力だろうし。にしても、久々に邪神様に面白い報告が出来そうだ」
ライトが兎耳を振りながらうきうきした様子で準備を始める。
カルスに会うため、及び勇者に会うための、敵に会うための準備だ。
この集団について、カルスが勘違いしていたことがいくつかある。
元魔王と呼ばれるルイスも、カルスの生みの親であるラウディも凶悪な力を持った魔物である。
しかしカルスは、そのどちらとも顔を合わせていない。
生まれてすぐに見た顔はライトであり、デザイアの近くに潜み人を襲えと命令したのもライトだった。
なので、カルスはライトの事を自分の創造主であると思っている。
そしてカルスは、即行動に移そうとしたボアに対してこう言ったのだ。
「会えたところで俺らじゃぜってぇ勝てねぇ」
それはライト一人に向けて放たれた言葉だった。
そのライトが、ボア達の所へ向かう。
「まー、このぐらい勇者らしく乗り越えるよね。楽しめるといいね」
「ああ!では!行ってきます!」
ラヴディの言葉に適当に返事をして、ライトが出発した。




