十八話 自覚症状無し
謎の男の眼光は鋭い。極限まで飢えた肉食獣のような、鬼気迫る目だ。
「…その口にしている物はなんだ?」
「飴だけど」
喧嘩腰にも聞こえる声音だ。向き合う俺と男を、通行人が一瞥して通り過ぎていく。
野次馬にまでは発展しないがそれなりに目立つ光景になっているのだ。
「味は?」
「”乳牛への感謝が抑えきれなくなる濃厚ミルク味”だ」
「それを、まだ持っているのか?」
「まあ、あるな」
「おい」
男が興奮した様子で一歩踏み出すと同時に、カルスが俺を庇うように前に出てくる。
男を制するカルスの声は、会ったばかりの時のような刺々しい声だ。威圧感たっぷりの声がこの長身から放たれれば、戦闘に身を置かない人間ならば命の危機を感じずにはいられないだろう。
というか、俺でもカルスのことを知らなかったり、不意打ちでこの態度をとられれば本気でビビると思う。
だか、相手の男は眉ひとつ動かさない。これだけの敵意を向けられているにも関わらずだ。
肝が据わっている。と言うより、襲われても対処可能とでも言いたげな余裕が感じられた。
それがカルスの実力を正しく評価したうえでなのか、ただの慢心かまでは分からないが。
「急に詰め寄ってくるんじゃねぇよ。安心してみてらんねぇ」
「すまない、こちらも必死でな。で、だ」
カルスの牽制を受けながらも視線を俺から外さない。雰囲気が僅かに変わるのを感じた。
カルスが身構える。俺は棒立ちのままだ。
そして、カルスが反応できなかった。
「頼む!それを譲ってはくれないだろうか!」
深い、深いお辞儀だった。
腰を九十度ぴったりに曲げ、手は太腿に当てたまま。
百点満点中百二十点をつけたいぐらいの美しいお辞儀だ。
「無礼は承知!できる限りの返礼もしよう!なにとぞ、なにとぞぉ!」
…うん、予想はしていたけどさあ。
何がここまでこの人を突き動かすのだろうか。
通行人はドン引きだしカルスに至っては見たことも無いレベルで怖がってる。
「―――やめんか、みっともない」
さっさと飴を渡してこの場を離れようか、いっそカルスを囮にその隙に逃げようかと企んでいる時だった。
その声は大きい物ではなかったが、はっきりとその場にいる者の耳に響いた。
子供、いや、幼児の声だ。呂律のしっかり回らない高い声。
それでもその声からは凛とした印象が伝わってくる。人格が完成しているというか、異様に圧力を感じるというか、声と人格が噛み合わないというか
うまくは言えないが、ただの子供じゃないことだけは確かだった。
声の方に目を向けると、先ほどのベビーカーを犬が引いてくるところだった。
ベビーカーの中は見えない、幕で中を隠している。
「しかし…」
「やめろと言っておる。これ以上、儂に恥をかかせたいのか?」
「も、申し訳ありません!」
さっき見た百二十点のお辞儀をベビーカーに向かってしている。
この二人はどういう関係なのだろうか。
地位の高い者の護衛だとしたら人数が一人なんてことはなさそうだし、子供のおもりだとしたら、この敬意の払い方には違和感がある。
「君達も迷惑だったろう?申し訳ない、これは必死になると周りが見えなくなる。注意しているつもりだったんだがなぁ」
などと考えていると、今度はこちらに話しかけてきた。
「いや、気にしてない。大丈夫、です」
無意識に敬語になっていた。声は子供なのに、自分よりずっと目上の人間を相手にしている気分だ。
その底の見えなさに恐怖すらある。
『なんでそこまで萎縮してんの?』
「分からない。けど、絶対に敵に回したく無い」
ラウニの能天気な質問に小声で返す。
機嫌を損ねたらどうなるか想像もつかなかった。
「そんなに縮こまらんでもいいのに、ん?」
犬が動き出し、ベビーカーごと近づいてくる。気づいた、犬じゃ無い。
外見は犬そのものだが呼吸をしていない。目をこちらに向けない。匂いがしない。生きていない。
魔法だ。魔法でこの犬に似た物を動かしている。魔法に詳しくは無いが、土魔法だと思う。
関節の動きや筋肉の収縮まで、動きが完璧すぎる。何だこの絶技は。こんなことが人間に可能なのか?
遠くから見ていたら絶対に気づかなかっただろうそれが、目前に迫っている。
ベビーカーの中を覗き込む。ベビーカーの中の誰かも俺の顔を覗き込んでいる。
「…お前さん、呪われてるね?」
そう、告げられた。
「そうなんですか?」
「自分で分からんのかい」
『分からんのかい! え、嘘⁉︎』
私でも分かんないのに、とラウニが言う。無理もない、俺本人でも全く気付いてなかったのだから。
しかし、そうは言われても思い当たるものは無いし、いまいちピンとこない。
「強い呪いだよ。儂に出来ることはないぐらいにな」
「いや、知れただけですげえありがたい、です」
「そうかい、じゃあ、また縁があれば」
そう言うと犬もどきがまた歩き出していく。
飴くれ男が慌ててついて行って声を掛けた。
「待ってください。飴は諦めるんですか?」
「…我慢するしかなかろうよ。なに、我慢できるわい」
我慢する子供の声を聞くと、どうしても心にくる。
「…あの」
気付いたら呼び止めていた。男が振り向く。
「飴なんだけど、もともと買いすぎてて消費期限までに食い切れるか危ないんだ。よかったら貰ってくれるか?」
「いいのか?」
「飴に悪いからな、受け取ってもらえると助かる」
もちろん嘘だ。五分もあれば食い切れる。
「…助かる。代わりと言ってはなんだが、これを受け取ってくれ」
そう言って男は脇から何か取り出すと、その上を魔術師用の小さい杖でなぞってから渡してきた。
手のひらから少し出る程度の白い板だ、裏には精密な彫刻があり、表には男の名前のようなものが書いてある。
「これ…うおっ、思ったより重い。なんだこれ?」
「もし困ったことがあれば、ゴアル王国の魔術師ギルドに来てこれを見せてくれ。手間はかけるが、大概のことなら力になれるだろう。顔は広いんだ」
「…もしかして、結構偉い人?」
「あまり言いたくない。目立ちたくなくてな」
ベビーカーの方を見て言うと、男が苦笑した。
* * *
「なんて事があったんだけどさ、結局なんだったんだろうな」
ロープを買い、シルリスと合流した俺たちは白岩羊を探しに森に入っている。
「その人の事も気になるけどさ、ボアさん呪われてたの?大丈夫?」
「自覚がなかったぐらいだからなあ」
「なあボア、まさかその腹って…」
「呪い関係無いから深刻そうにすんな。これは俺の幸せの証だ!」
『返しがおかしい!』
実際に目にしないと違和感はあまり分からないだろう。シルリスは呪いの方が気になるようだった。
「じゃあその呪いどうにかしないとだよね」
「うーん、あんま気になんないし、後回しでいいと思う。羊肉見つかった?」
「いやまだ…羊って言おうよ」
シルリスに呆れられた。
依頼で必要なのは岩だけで特に量の指定はなく、出来高制の報酬になる。
持ち帰るのも大変だし一体でも倒せればいいと思っている。
とはいえ肝心の白岩羊が見つからなければ何もできない。
周りにはそこそこの距離を開けてよく育った木が生えている。白岩羊ならば簡単に薙ぎ倒すのだろうか、中には倒れている木もある。
白岩羊がやったかは知らないけど。
「…お」
カルスが何かを見つけた。見ると地面に大きくえぐれた跡がある。
それが等間隔で並んでいる。足跡だ。ここまで深くえぐるには相当な重量が必要になるだろう。
「ここはもう白岩羊の生活圏だ。気を引き締めていこう」
シルリスとカルスが頷いた。




