十三話 待っている人達
今は夕暮れ時。太陽の放つ光に赤みが混ざる時間帯。
デザイア国にある教会の中で、教皇、ライゼルは机に向かいとろとろと筆ペンを走らせていた。
すでにスースとの話し合いは終わらせており、場所を女性職員の家からライゼルの管理する教会に場所を移した。あとはボアを待つだけだ。
ボアには勇者証を渡す際に教会で待っていると伝えてある。道案内はラウニがしてくれるはずだ。
今ライゼルがしているのは、教皇になってからの日課である。その日の出来事や、考えたことの中で重要なものを紙を媒体にして次の教皇のために残すのだ。
いつ何が身に起きても問題ないように、かつての教皇たちがそうしたように。
神の声の内容や、新しい勇者とその人格。会話の内容などを記憶をたどりながら記していく。
ただし今はその筆の歩みが遅い。理由は一日を振り返るとすぐにわかる。
神の声に溜息をつく。朝早くから監獄に向かい、そのけして狭くはない内部で勇者を探し回る。女性職員の家に向かう途中はボアとの、着いたらその妹との会話に振り回される。妹、スースに至ってはそれが教会に移動してもしばらく続き、ライゼルの体力を削り続けた。
おまけに、スースを教会まで運ぶ手段は背負うしかなく、人目を引きながら肌に大量の汗を浮かべてきた。
簡単に言おう。今、ライゼルは心身ともに尋常じゃないほどの疲労感に襲われている。
瞼はまるで石でできているかのように重く、手元ではだれにも読めないような暗号を量産している。
睡眠に対する今のライゼルの抵抗力は猫や赤子より弱い。
抵抗するための精神力はスースとの会話で極限まで削られているからだ。
それでも人を待っているため寝るのは忍びない。その相手が命をかけていると思えばなおさらだった。
そして待っている間に雑務をこなすため、なんとかスースを言いくるめて引き剥がすまではできたが、このざまである。
(昨日…ちゃんと寝ておけば…)
加えてここ数日でライゼルがまとまった睡眠はとっておらず、一時間に満たない仮眠で済ませていたのが仇となった。
失った時間を後悔するも時すでに遅し。ここまで寝なかったことを後悔したのは人生で初めての経験であった。
もっとも寝たら寝たでラウニによってまた違う疲れ方をすることになるのだが。
(せめて…ボアさんが…来る…ま―――)
抵抗もむなしく、ついに頭の重みも支えられないほどに脱力する。
頭をかくんと落とし、しばらく上がってくることはなかった。
机に忍び寄る人影に気づくことなく、ライゼルと神との対話が始まった。
* * *
「こんばんは」
「…どうも」
夢を見ているようで、それにしては意識がしっかりした奇妙な感覚を味わう。それも教皇である自分にとっては慣れた感覚だ。
夢の中の私は起きていた時と同様に、机に向かい椅子に座っていた。
起きていた時と違うところは、机の上の小物や握っていたペンがないこと。机を挟んで女性が座っていること。今いるこの場所が上記のもの以外なにもない真っ白な空間であることである。
神の声は、夢の中で女神と話すことを指す。つまり寝ることが条件になるわけだ。
という事は、今自分は寝てしまっているのだろう。自分の怠慢に苛立ちが生じる。
頭を抱え、目の前の女神に目をやる。この世のものとは思えないほどの、というより文字通りこの世のものではない美しさを持った女性だ。
それも劣情を抱くことすらおこがましいと思える、一つの芸術品のような美しさであった。
女神、ラウニは私の視線に気づくと、見る者に呼吸を忘れさせるような、神秘的とさえ言える笑みをこぼし口を開いた。
「まーまー気ぃ落とすなって!朗報あっから!」
---先ほどまでの神々しさはどこへやら、違う意味で呼吸を失うような神秘的もへったくれもない砕けた口調で。
なんでこの女神口を持って生まれてきてしまったんだろう。
「…で、その朗報を聞かせてくれますか?」
ともあれこのふざけた現実を受け止めないことには話を進められない。
朗報というのはタイミングを考えてボアさんのこと以外あり得ない。
そう、朗報である。この女神にとっての、不安しかない。
ラウニは何もない空間を指差した。すると何もなかった空間から一匹の魔物が現れる。
犬の顔に黒い毛皮、右腕には鉤爪。顔つきからは知性すら感じる。危険な魔物だという事はすぐにわかった。
ただし今は危険がない。これがラウニの見せる夢だと分かっているからだ。
こういう口では説明しづらいものを見せるために夢の中で話すらしい。
「まさかこれが…」
「そ、赤腕。勝てたよ」
それを聞いてつい頬が緩んでしまう。
「んで、ボアの初めての仲間でもある」
緩んだ頬が強張ったのが分かった。
「…経緯、教えてくれますよね?さすがにあなたが何も考えていないとは考えたくないので」
「信頼してくれているようでなにより。まず理由その一」
ラウニは笑顔を崩さず、ぴっと指を立てた。
「赤腕が全く抵抗できない状況だったから、作り変えちゃえって思って」
耐えろ私、仮にも女神であるこいつに拳を振るうのはさすがにいただけない。
握りこぶしに走る青筋をにらみつけ気持ちを抑え、質問をする。しかし出てきた声に不信感を隠し切ることはできなかった。
「赤腕が裏切らない保証は?軽はずみにそんなことをして大丈夫な保証は?」
「理由その二」
ラウニが二本目の指を立てながら説明を足してくる。
「抵抗できないってのは心身両方のことで、神器を伝って普通は見えないところまで赤腕のことを見れたのよ」
仮想の存在である赤腕が仰向けになり、そこに傷だらけのボアさんが追加された。
そのボアさんが寝そべった赤腕に斧を当てる。
作り変えたという時の再現だろう。
「神器を通じて性格とか覗いて、その上で判断しようと思った。この時赤腕は何を考えていたと思う?」
ラウニの言葉が次第に熱を帯びていくのが分かった。
「まさに自分が死ぬ間際、自分を殺す存在を前にして頭を支配する感情は、恐怖でも絶望でも、ましてや殺意ですら欠片もなかった!」
ラウニは立ち上がり、机に手をつき身を乗り出して、二つの感情を口にした。
「殺したことの『罪悪感』と、殺される『安堵』。それだけ」
最初はその言葉の意味を理解することができなかった。それでは、まるで赤腕が、
「心の底から、人間を殺したくなかったとでも?」
「そうゆーこと」
「じゃあなぜ大勢殺した?説明してください!」
「してあげるから、落ち着きなさい」
椅子を飛ばして立ち上がり声を荒げる私に対して、子供をあやすようになだめられる。
「…失礼しました」
「いいよ。で、殺した理由なんて分かり切ってるでしょ?」
椅子に座りなおしながら口にした謝罪を受け止められる。そしてこの問いかけは私自身に気づいてほしいために出されたものだろう。
自分の意志と関係なく、盗賊団を壊滅させた理由。
本能ならば知性と理性があれば制御できるだろう。それでもわざわざ盗賊団に攻め入った理由。
たまたま着いたとは考えづらい。目的があったのか?
目的を与えられた?誰に?
「赤腕をつくった物の命令ですか?」
「そ、単純でしょ?デザイア王国の近くに脅威として居座って、来るものを受動的に殺すため、呼び水として盗賊団に攻め入った。それが赤腕の受けた命令」
つまり、まんまとはめられたわけだ。結果として国の抱える討伐隊やギルド団員の一部に犠牲者が出た。
「それもわざと接戦を装って、急に強いのが来ないように戦わせていた。じわじわ戦力を削る作戦だったんだと思う」
なるほど、間違った危険度を設定させることで小・中級者をおびき寄せるわけだ。
今回ボアさんは、赤腕の長期にわたるはずだった計画を早々に食い止めたことになる。
「魔物って上司に逆らうと死ぬよりひどい目にあうように設計されてるのよ、趣味悪いでしょ?」
その言葉には若干の怒りが含まれており、ラウニはそれを隠そうともしていなかった。
「結果、理性では戦いたくないのに、本能と命令のせいで逆らえず、開き直ることもできなかった赤腕は、こう思った」
気付けば聞き入っていた。この時のラウニは普段のおちゃらけた雰囲気を微塵も見せない。真面目な顔で言う。
「『だれか、止めてくれ』って」
「……」
なるほど、それで『罪悪感」と『安堵』というわけだ。
「だから、どうせ要らない命なら貰うことにした。抵抗する力はなかったし」
要は、私情も混ざっているという事だ。
なるほど、この女神らしい。うちの女神は熱いのだ。
「そして三つめ。ボアに稽古をつけさせる。あの腕力だよりで技術はひっどいから、ちょうどいいし」
加えて、口調からは考えられないほど真剣で、よく考えている。突拍子のないことを言うが、それも思考の末に出した答えだ。
「いっちばん大きい理由が、その四。情報をたっぷり持ってる。これからのボアの方針にできるし、もし今回駄目でも次に生かせるでしょ?」
私にはできない判断ができる。本当はこの人を心から尊敬している。
ただ、もっと前もって相談するとか、理由の説明をするとか、口調を治すだとかしてほしい。切に願う。
「どう?納得した?」
「はい。説明ありがとうございます」
「じゃあ後は細かい説明なんだけど」
そう前置きをしてそこまでの経緯を話し始める。
シルリスと言う勇者の事や、脱力狼の事。自分がいかに心配しただとかいうどうでもいいことまで。
「んで、治療してからここに来るっぽいから、まだ寝ててもいいよ」
最後にそう締めくくった。
正直に言ってその提案は助かる。
ただ、この状態は寝ているというより、夢を見ている状態に近い。
この状態から脳を完全に休めるには、ラウニの手助けをもらうのだが、肝心のラウニは少し戸惑っているような顔をしている。
「…あの、ラウニ様?」
「えっと、言おうか迷ったんだけど」
そう前置きをして、言葉を続ける。
「今あんたのとなりにスースがいる」
私は飛び起きた。




