氷の剣士の辿る道
リヴァルを背負って歩くリアンの表情は至って無表情だ。何の感情も宿さない。それがリアンの通常仕様である。
リアンは自分の故郷ケセドに、リヴァルとのことがきっかけで逃げてしまった。しかし、このフロンティエール大森林で迷子になってしまい、そこをこの森の守護者である土の民という魔物に助けてもらったのだ。
必ず何か恩を返そう、と思いながら、ずっと焦がれていた故郷ケセドに一度足を踏み入れたリアンだが……
ダートの使い手としてゲブラーで研鑽を積み、セカイを救う力となるために送り出されたリアンは、帰ってきてはいけなかったのだ。
勇者となる役目を放棄したとして、軽蔑の目を向けられ、帰れ、と石まで投げられた。
優しかった故郷の人たちのそんな変貌が、リアンは悲しくて仕方がなかった。けれどこれは、自分が悪いのだ、とリアンは森に戻り、助けてくれた魔物への恩返しをしようと切り替えた。
そこでこの森を守るのを手伝ってほしいと言われて見回っていたところ、ゲブラー方面が荒らされていると聞いて向かうと、リヴァルがいたのだ。
ゲブラーの滅亡、というのに、何も衝撃を受けなかったわけではないし、罪悪感がなかったわけでもない。むしろ、罪悪感にまみれていた。けれど、自分にもう勇者の道に戻る資格もないと思っていた。
けれど、きっと、リヴァルは違う。リヴァルは勇者の使命に生きなきゃないんだと、リアンは思っていた。
故に、ちゃんとしたところで怪我を診てもらわないと、とケセドに運んでいるのだ。リヴァルのことなら、きっと優しく介抱してくれるだろう。そう思い、リアンはリヴァルをケセドに向けて運んでいた。
ケセドはセフィロートの十都市の中で最も小さな土地で、民は主に農耕を営み、自給自足の生活を送っている。長閑な田舎都市だ。
隣が大都市ケテルということもあり、ケセドはケテルの一部と勘違いしている者も多いが、ケセドとケテルの街中の違いを見れば、別都市であることは一目瞭然だ。
何故セフィロートの都市は十に分けられたか、というのは諸説あるが、最も有力とされているのが、始まりの十人の話だ。
始まりの十人はそれぞれ、現在の都市と同じ名前をしており、各々が一つずつ個性を持っていた。
ケテルは何事も長く保つ、安定性を。
コクマは膨大な魔力を。
ビナーは魔力を生かす魔法を。
ケセドは人を思いやる心を。
ゲブラーは何者にも負けぬ圧倒的な武力を。
ティファレトは誰もが焦がれる美しさを。
ネツァクは未来を冷静に推測し、当てる目を。
ホドは奇跡をもたらす手を。
イェソドは魔法以外の知識を。
そしてマルクトは、何人も及ばぬ、惹き付ける力を。
始まりの十人は広い広いセフィロートの地を分け合うことにした。全員仲良く平等に、というわけにはいかなかった。各々管理できる範囲が異なるし、好みも違った。
十人の相談の結果、現在の配置、規模、特性となったのである。
ケテルは広範囲であっても長く保つことができるため、自身の都市を大都市にした。心の広いケセドは必要最小限しか求めなかった。それがこの奇妙な都市分けの由来とされている。
他の都市もそれぞれの特性を持つが、それより今はケセドである。
獣道であるが、ゲブラーとケセドは森を直線で突っ切っていくと、かなり短距離で結ばれるのだ。
とはいえここはフロンティエール『大森林』。大森林と冠するだけあり、短距離でもまだ子どものリアンやリヴァルにはなかなか長い道程である。道を知っているリアンは、今回はすんなり辿り着くことができたのだが。
さて、ケセドの門の前に着き、リアンは足を止める。
背中のリヴァルは少ないとはいえ負傷している。できるなら直接人に引き渡したいところだが……先日石礫を投げられるレベルの洗礼を受けたばかりのリアンとしては、さすがにその門をくぐるのには俊巡した。
けれど、ゲブラーでの戦いもあったからか疲労の色濃く、目覚める様子のないリヴァルを見て、やはり直接診てもらおう、と意を決して踏みいる。残念ながらリアンのダートは怪我や体力の回復には向かないし、ダートという異能を持つが故の代償か、魔法を使うために必要な魔力が潜在的に足りないリアンでは初歩の回復魔法すら使えない。森の知り合いに回復魔法を使える子がいるが、リヴァルが目を覚ましたときに徒に刺激してしまうことになるだろうからやめた。
ケセドの門をくぐる。リアンにとっては故郷だというのに、先日の一件があったため、なんだか息の詰まる思いがした。
こじんまりとして田舎都市と称されてはいるが、ケセドにはそれなりに人はいるし、今は何より昼間だ。畑仕事のために外に出てきている住人が多く、声をかける相手には困らなかった。
「……すみません」
それでも躊躇い気味に、リアンは一人に声をかける。
リアンはこの都市から出たダートの持ち主として、顔は知れ渡っている。一目でその住人もリアンとわかったらしく……案の定あまりいい顔をしない。何か言われて揉め事になる前に、と本題を切り出した。
「森で、勇者さまが倒れているのを発見したため、皆さまに介抱をお願いしたく、お連れいたしました」
嘘はあまり吐きたくなかったが今回の場合は方便である。
しかしこのときリアンは決定的な一言を放っていた。それはリヴァルを指して言った『勇者さま』という言葉。本来なら自分がそうあるべきなのに、わざわざ敬称まで着けて……自ら、「自分は勇者にはならない」と断言してしまったも同じだ。
まあ、当のリアンが、今更自分の立場で『勇者』に戻れるわけがないと諦めていたのもあるが。
住人は『勇者』と聞いてざわつかずにはいられなかった。急ぎリアンからリヴァルを受け取り、治療へとリヴァルは運ばれていった。
やはりケセドの人々は優しい、と胸を撫で下ろしたのも束の間、リアンの頭に鈍痛が走る。固いものが、こめかみの辺りにぶつかったような。ぽて、と地に落ちたそれを見れば、それは石礫。少し赤黒い色を纏っているので、リアンはそっと痛みの部分に触れる。傷ができて、ぬらりと血が垂れてきた。
それに呆ける隙もなく、四方八方から、徐々に増え、投げられる感覚を狭め、数多の石礫がリアンにごつごつと当たっていく。リアンは無抵抗だ。
半刻ほど続いた末、リアンは服も体もぼろぼろになり、よたよたとケセドを出た。ぺこりと頭を下げ、立ち去った。