芽吹く時
ジェルムの宣言に頭に手を当て、項垂れる母親。リヴァルたちは何一つ悪くないのだが、何故だか罪悪感が湧いてくる。
「た、旅……? こんな見も知らない人たちと、旅……」
「そう、魔王を倒す旅」
「魔王!?」
母親が大きな目を剥く。取れるんじゃないかと思われるくらい見開かれた目と、その恰幅のよさから蛙のように見える。言わないが。
まあ、突然息子が「魔王を倒しに行ってくる」なんて言い出したら、驚かないわけがない。リヴァルのようなダート使いならまだしも、ジェルムは一介の魔法使いだ。他の魔法使いと違うところといえば、知識の泉の謎に迫っているところくらいだろうか。だが、知識の泉を調べている魔法使いなんて、ごまんといる。
何が彼を旅へと決断させたのだろうか。同行されるリヴァルたちにも皆目検討がつかない。
「僕はもう十五歳。母さんが気を悪くしたらいけないと思って今まで言わなかったけど、母さんのそのいきなり抱きついてきて僕を撫で回したりする子ども扱いのせいで、周りはずーっと僕のこと子ども扱いしてきて、僕はその殻から脱出できないでいるんだ。大賢者を目指すって言ってるけど、魔法はいつまで経っても人並みだし」
自覚があるのか、と思わずリヴァルとリュゼは感心した。
ジェルムの言葉に母親が反論する。
「ほら、ジェルムはきっと、大器晩成型なのよ」
「五月蝿い。テキトーなことばっかり言わないでよね」
「でも、ジェルムみたいな可愛い子が旅なんてしたら、魔物じゃなくて、人間の盗賊なんかに襲われてもおかしくないわ」
この過保護は根が深い、と所詮は他人事のリヴァルは思う。というか、同行する自分たちへの信頼はないのか、とリュゼは内心で突っ込んだ。
そこで知り合いらしいうさぎの子がフォローする。
「おにいちゃんもおねえちゃんもうーんとつよいんだよ。だからしんぱいないよ」
「うーんとってどのくらいよ。大体どこの馬の骨とも知れない……」
「一応、ダート使いなんすけど……」
他人事と思って構えていたリヴァルが、さすがに耐え兼ねて名乗る。すると、ジェルムの母はふんと鼻を鳴らした。
「名乗るだけなら誰でもできるわ」
「何をぅ? この家燃やしてくれようか」
「こらリヴァル」
今にも飛びかかりそうになるリヴァルをリュゼが止める。
そんな横で、ジェルムが全身を使って主張する。
「この人たちは強いんだよ! 僕より詠唱速い魔法使いと、本物のダート使いなんだから」
「ジェルムを凌ぐなんて寝言は寝て言ってちょうだい!」
再びめらめらと怒りを燃やすリヴァルをリュゼが宥める。
仕方ない、とリュゼが息を吐いて、小さく「風よ」と詠唱する。
するとどうだろう。辺りの家具が風によってふわりと浮く怪現象が起こった。おまけに、ジェルムの母まで風で浮き上がる。
「わわっ、いきなり何?」
「この人の魔法だよ」
浮き上がった母にジェルムがリュゼを示す。
「は、早く戻してー!?」
悲鳴を上げるジェルムの母、その他家具諸々を、リュゼは再び「風よ」の詠唱だけできっちり元通りに戻した。
「ね? すごいの、わかったでしょう?」
「いきなり人の家に来てこの仕打ちはなんですか! こんな人にうちの可愛いジェルムは任せられません。出て行ってちょうだい!」
「ジェルムのおかーさん、ちょっとまほーつかったくらいでおおげさだよー」
「うさちゃんは泊めてあげるわよ」
「そういうもんだいじゃなくてー」
頭の固い母親にうさぎの子もうーん、と悩む。
ジェルムがそんな母を白い目で見る。
「可愛い子には旅をさせよっていうでしょ」
「お母さんはどうせブスだわ。だから置いていくのね。うわーん」
「いや、そうじゃなくて……」
面倒くさい事案になってきたぞ、とリヴァルが顔をしかめる。うさぎの子の様子からすると、今夜はここに泊めてもらう予定だったようだが、無理そうだ。
「リュゼ、宿を探そうか」
「そうね」
「待って、僕も連れてって」
ジェルムの必死な様子に、リヴァルたちは止まる。
ジェルムは語った。
「僕は一番になりたかった。だから、大賢者になるとか言ってたんだ。でも、それがそんなに簡単なことじゃないってことが、今日、よくわかった。あなたたちが教えてくれた。今日会ったミル・フィーユとやらを倒せないと賢者の足元にも及ばないって知った。でも、僕はそんなに急に強くはなれない。でも、後世に名前の残るような人間になりたいんだ」
「その向上心、素晴らしいわ! ジェルム」
「母さんは黙ってて」
「あらジェルム、あなた、とうとう反抗期が来たのね。成長したわね。母さん嬉しいわ」
「なんで反抗期で喜ぶんだよ!」
ジェルムの突っ込みはもっともだった。親馬鹿もここまでくると呆れるしかない。
ジェルムは胸を張って言う。
「でも、僕には回復魔法がある。勇者さまと魔法使いさんを見たところ、回復魔法が足りてないと見た。だから、僕が回復役を担おうと思うんだ。どう? 悪くない話でしょ」
確かに、リヴァルもリュゼも攻撃特化で回復なんて考えてみたこともなかった。確かに傷を癒す回復役はいるに越したことはない。
おまけに、ジェルムは疲労回復魔法も使える。回復魔法使いでも疲労回復魔法を使える人物はほとんどいない。ジェルムが仲間になってくれるというのなら、これ以上上手い話はないだろう。
難点はジェルムの得意属性である水属性がリヴァルの炎と相性が悪いことだが……それは追々、リュゼがジェルムと試行錯誤すればいいことだろう。
それに、ジェルムがこれほどまでに望む理由もわからなくはない。出会ったときの不遜な態度も理由を聞けば納得がいく。誰かに認められたいというのは誰しもが抱く感情である。リヴァルは修業していたとき、師匠に認めてほしい一心で励んだ。リュゼも向上心がないといえば嘘になる。リヴァルに差別から助けられてからは、自分を差別していた人々に認めてもらうために、リヴァルの隣に立てるよう、頑張っていたのだ。
「勇者の仲間になって、魔王を倒して、セカイの平和を成したなら、みんなきっと、僕を一人前として認めてくれる。それに僕は本当に一人前になれるような気がするんだ」
「ジェルム……」
ジェルムの意気込みに、母親が瞳を潤ませる。冗談ではなく、息子の成長を実感しているのであろう。
今度は、優しくジェルムを抱き寄せた。ジェルムは少し抵抗したが、その腕に何か感じたのか、抵抗をやめる。
ジェルムの頭を撫で、感慨深げに母が言う。
「本当に、大きくなったわね」
「母さん……」
それから、ジェルムの母はリヴァルとリュゼを見た。
「旅にも準備が必要でしょう。一晩泊まっていってくださいな」
「はい、ありがとうございます!」
許可されるとは思っていなかったため、二人してぺこぺこと頭を下げた。
ジェルムも素直に母さんありがとう、と言っていた。
翌日の昼頃。ジェルムは旅の支度を整えていた。
「次の目的地はどこ?」
リヴァルが告げる。
「しばらく森で修業だな。森向こうに行くには俺たちではまだ修業が足りない」
「魔法の練度も上げたい。森なら、ある程度魔物が出ても、森に害を成さない程度なら、倒しても大丈夫」
「フロンティエール大森林かぁ。確か広いんだよね」
これからの目的地に思いを馳せていると。
ずざっ
体を引きずって歩いてくるぼろぼろの青年がいた。