千枚葉
「ミル・フィーユ? 聞いたこともない」
まあ、人間は魔王軍に関して、魔王四天王の情報しか知らない。それくらい、魔王軍の情報は秘匿されているのだ。
マルクトを一撃で滅ぼしたアルシェ、森の守護者アミドソル、魔法使いの頂点である賢者サージュ、ゲブラーを滅ぼした魔王四天王筆頭シュバリエ。彼らがセフィロート十都市のうち六都市を滅ぼしたことで有名である。滅ぼした、といっても、ケセドと同じくらい民の少ないティファレトはほぼ無血開城されたというが。
とにかく各都市を滅ぼした魔王四天王の話ばかりで、他の猛者の話を聞かない。
「私はこのイェソドの番を任されております」
「人間なのにか」
「人間? 笑わせてくれますね」
ミルが妖艶に笑う。それは明らかに嘲笑だった。
「人間と同じにされては困りますね。まあ、我が同胞と同じ扱いをされても困りますが」
ミルはどこからどう見ても、人間の少女にしか見えない。魔物にあるべき、人間と絶対的に異なる身体的特徴が見当たらないのだ。
ただ、リュゼは語る。
「この人、木属性の魔力に満ち溢れている。人間ではあり得ない」
コクマで学んだ。魔力を危険なものだと判断した生命の神と闇の女神がそれぞれに取った行動。生命の神は魔力保有量の少ない人間という種族を作り、対して闇の女神は魔力保有量の多い異形のもの、魔物を作った、とされる。
故に、魔法に関する側面においては、人間が魔物に敵うのは極めて難しいとされる。リュゼのような魔力保有量の多い人間はごく稀だ。
ということは、目の前の少女は魔物ということになる。だが、生命の神と仲の悪い闇の女神が生命の神と同じ人間のような容姿を持つ種族を作りはしない。魔物に異形が多いのはそういった理由からだと伝えられている。
しかし、ミルはどうだろう。魔力保有量こそ多いものの、見た目は普通の人間にしか見えない。人間が魔物に寝返った、という可能性も一瞬リヴァルの脳裏をよぎったが、ミルの口振りからするに、それはなさそうだ。
「私の存在など、あなた方が知らなくて当然なのです。魔王四天王の方々に比べたら、私など取るに足らない存在」
言いながら、「木の葉よ」と詠唱するミル。
確かに、魔王四天王ほどの魔法の技術は見られない。魔力量もサージュに比べたら少ないものだ。だが、そんな低レベルで、拠点のマルクトの手前にある都市、イェソドの番人を任せられるはずがない。
詠唱も速い。
「木の葉よ、千の刃となりて、我が敵を切り裂け」
瞬間、ミルの魔力から瞬く間に木の葉が何百、何千と生まれ、リヴァルたちの方へ飛んでくる。その木の葉はただの木の葉とは思えない鋭さで肌を切り裂く。
リヴァルが焼き払い、リュゼが風魔法で押し退ける。ジェルムは水魔法だと逆効果になるため、縮こまっている。
ミルは自らが出した木の葉を焼かれようと、飛ばされようと、たじろぎもしない。まだまだ余裕が見られる。
「これで、終わりとお思いで? ……引力よ!」
「まさか!」
ミルの詠唱にリュゼが叫ぶ。引力魔法は土魔法の上位互換だ。土魔法は木魔法との相性も悪くないが、その土魔法を極めなければ、引力魔法は習得できない。彼女の髪色、魔法の使い方から察するに、彼女の得意属性は木属性で間違いない。だが、それで、引力魔法が使えるということは──
「我が刃をその地より解き放て」
考える間もなく、地面からどっと木の葉の刃が吹き上げてくる。引力とは引き付ける力。だが、引力の方向を変えれば、地面以外にも影響をもたらすことができる。それに、引力魔法は引力を顕現させるだけではない。引力を「消す」ことだってできる。
地面に引き付ける引力から解き放たれたミルの木の葉の刃は縦横無尽にリヴァルたちを襲う。あまりの奇襲に対応しきれない。まさか地面から攻撃が舞い上がってくるなど、想定していなかった。
木の葉を乱舞させるところから、木属性、土属性のみならず、風属性に通じるところがあることも察せられる。数多の属性を使いこなす魔法使い。これは確かに厄介だ。
だが、リヴァルはそれ以上を知っている。サージュの圧倒的な魔法の威力、技能を。故に、狼狽えることはない。炎のダートを発動させる。
「要は、その木の葉を全て滅せばいいんだろ」
炎で木の葉を焼き尽くしていく。木はよく燃える。風が炎を煽るので、効果はてきめんだ。
だが、ミルの余裕の表情は揺らがない。
「木の葉よ」
そう唱えるだけで、無数の木の葉が顕現されていく。途切れることのない木の葉の刃。リヴァルのダートまでをも圧しているように見える。
「それで、千枚葉……」
ミル・フィーユとは原語で千枚の木の葉を表す。正に、今、目の前でミルが取る戦術に相応しい名前だ。
そんな戦闘中にも拘らず、相変わらず余裕のミルは碧眼を細めて何もできないでいるジェルムを見据える。
「どうしたんですか? 助けられてから、私の攻撃に手も足も出ていないようですが」
「っ……」
言われたジェルムは屈辱的に顔を歪める。相性が決していいとは言えない属性なのだ。下手に手を出せない。それに水は火を消してしまう。現状で最大火力のリヴァルの攻撃を打ち消してしまうのでは意味がない。圧倒的実力があるわけでもないのに、魔法を無駄打ちできない。
「先程あれほど大賢者大賢者と宣っていた勢いはどうしたんです? まさか、私相手に本当に手も足も出ないと?」
図星だったのだろう。ジェルムの表情が歪む。その歪んだ表情を見て、ミルは高笑いした。
「あはははは! 私の足元にも及ばないくせに大賢者とは笑わせてくれますね。本物の賢者さまは私より強いですよ?」
「んなこと知ってらぁっ!」
炎のダートを全開にして木の葉の刃を掻い潜り、ミルに迫ったリヴァルが雄叫びを上げる。魔法使いとの戦闘での基本。魔法使いは近接戦闘になると弱い。その基本に則り、リヴァルはミルに迫り、両手の剣を振るう。ミルの武器は木の杖。典型的な魔法使いと考えて良いだろう。
だが。
がきぃんっ
ミルの杖がリヴァルの剣を木と鋼ではなし得ない音を立てて受け止めた。杖と剣の間で火花が散る。
「嘘だろ」
「魔法使いを相手取るなら、間合いを詰めて近接戦闘に持ち込むのが基礎の基礎。……けれど、私がそれに対する対策をしていないとでも思いましたか?」
ミルは杖で双つの剣を薙ぎ払う。それはただの魔法使いの体術ではなし得ない体捌きだ。杖は特殊な強化でもされているのだろうか。剣の腕には覚えがあり、まだ子どもとはいえ男のリヴァルがあっさり後ろに退かされる。魔法も並ではないが、体術も並ではない。その実力に戦慄する。
「お前は一体……」
「誰が魔法使いだなんて名乗りました?」
言われてみるとその通りだ。
ミルは名前を名乗りはしたが、魔法使いとは名乗らなかった。
「魔法戦士……!」
その事実に戦慄する。
「そう、私は近接戦闘もできる魔法使い。ああ、まだ教えていませんでしたね」
ミルは木の葉を大量に舞わせながら、場の緊張に似合わないくらい穏やかな表情で笑った。
「私は魔王軍の間では、準四天王と称されているのですよ。私なんてまだまだ四天王さまの足元にも及びませんのに、畏れ多い呼び名ですね」
準四天王。つまり、魔王四天王に次いで強い、ということだ。
場に絶望が漂う。
「さあ、大賢者というのなら、勇者というのなら、私を楽しませてくださいな」
そう、彼女は不敵に笑った。




