立ちはだかるは木の礎
ジェルムを追って森に入ってから数時間。
「どこまで行ったんだよ、あいつ」
「わからない。ただ魔力反応を追いかけてる」
リュゼが先導し、二人は森の中を走っていた。やはり、セフィロート随一の森は広い。数時間かけて探しても見つからない。
リュゼは考えていた。今、リュゼはリヴァルに語った通り、ジェルムの魔力を追いかけて探しているわけだが、普通、こう何時間もかけて探していれば、どこかで休憩を挟むはずだ。何せこの広い森である。魔物に襲われることがなかったとしても、疲労は溜まるはずだ。
だが、ジェルムの魔力からすると、ジェルムはあまり立ち止まっていないように思う。時折止まるが、すぐに動き出す。
そこから導き出される予想は「ジェルムは疲労回復魔法が使える」ということだ。
疲労回復魔法は普通の回復魔法とは違う。普通の回復魔法は怪我や傷を治すものだ。だが、体に溜まった疲れまでを回復するには至らない。そこで疲労を回復するために研究し、見出だされたのが、疲労回復魔法である。
しかし、疲労回復魔法はあまり普及している魔法ではない。そもそも疲労を蓄積するほど戦闘を続けるのは悪手とされているからだ。これは魔法使いも剣士も同じことである。
故に、魔法使いでも疲労回復魔法を覚えている者は少ない。サージュなどはさすがに知っているのかもしれないが。
ここで思い出されるのが、ジェルムは大賢者を志していること、それと、知識の泉について詳しいということだ。知識の泉は怪我だけでなく、疲労を回復する効果もあるとされている。故に、旅人なんかは知識の泉の水を重宝する。
そんな不思議な力を持つ知識の泉を研究しているのだ。疲労回復魔法の一つや二つ、覚えていてもおかしくはない。
……疲労回復魔法を使うくらいなら、街に戻った方がいいと思うのだが。
しかし、こんなだだっ広い森の中だ。ここ、フロンティエール大森林は別名「迷いの森」とも呼ばれるほどの広さを誇る。あの小柄なジェルムが道に迷わないとも限らない。リュゼでさえ、正直、帰り道が心配なくらいだ。
ただ、帰り道より気にすべきことがある。
「普通に森を突っ切ったら、向こうの都市に出る」
そこでリヴァルもようやく気づいたようだ。
「森の向こうは、今や魔王軍が占拠している。そんなところに一人で行くのは危ない!」
こくり、とリュゼは小さく頷く。そこなのだ。
森で迷っても、出てくるのはせいぜいプティ族か木の民だ。木の民に至っては攻撃手段を持たない魔物。魔物にしては珍しく、人間に分け隔てなく接してくれる。だから道に迷っても、親切に教えてくれることさえある。プティ族はお世辞にもあまり強いとは言えない種族だ。腕に多少覚えがあれば、なんとかなるだろう。大賢者を目指すと豪語するくらいの御仁だ。そう簡単に負けることはないだろう。
心配なのは、森を出た先だ。このフロンティエール大森林はセフィロートの十の都市を六都市と四都市に分けている。ケセド、ケテル、コクマ、ビナーとゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトといった感じに。ちょうど魔王軍が占拠したところとまだ魔王軍の手が及んでいないところに分けられる。魔王軍の侵攻が停止しているのも、この森が原因だろう。この森を大勢で越えるのは難しい。いくら魔法に長けたサージュがいようと、大人数を転移魔法で移動させるには手順があるだろう。
ゲブラーが陥落してから二年以上経つが、魔王軍が森の向こうから攻めて来ないのも、その辺りに理由があるのだろう。先日コクマを襲撃したサージュもおそらく本気ではなく、下見だったのだろう。でなければ、勝てなかった。いや、あれは勝ったとは言い難い。
それはさておき、今回の場合はあのときより事態が深刻だ。森がどこまで続くかわからないが、ジェルムは真っ直ぐ進み続けている。このまま行けば、森の向こう側へ出ることは間違いない。
ビナーから森を真っ直ぐ出ると、イェソドかマルクトに出る。マルクトは魔王軍の本拠地である闇の女神の神殿がある場所だ。そこに出たら呼ばなくとも魔王四天王が出てくるだろう。魔王四天王は馬鹿みたいな強者揃いと聞く。
確かに、リヴァルの師匠であったシュバリエは自分の背丈ほどある大剣を振り回し、魔法と併用する魔法剣士であり、その実力は魔王四天王の中でも筆頭と称されるほど。リヴァルはその強さを身をもって体験している。
次いでセフィロート最強の魔法使いと名高いサージュは魔法だけでコクマの魔法使いやリヴァル、リュゼを伸した人物だ。これが剣だの弓矢だの使えたなら、大変な話である。
森の守護者の肩書きを持つアミドソルは強戦士。武器は何もなく、素手と一族に伝わる魔法の恩恵のみというシンプルな戦闘スタイルだが、力押しで言ったら、シュバリエにも引けを取らないと言われている。
更にアルシェ。弓矢の名手だと聞くが、アルシェが壊滅させたのは、彼の大都市マルクトだという。彼はたった一度の弓矢をあり得ない威力の魔法を乗せて放ったことで、マルクトを阿鼻叫喚の海に沈めたという噂だ。噂では、その魔法詠唱は特殊で、もしかしたら原語魔法だったのではないかという洒落にならない話が浮上している。
そんな桁外れな強者揃いのところに入られても困るが、その手前にあるイェソドに行かれても困る。魔王軍は何も魔王四天王だけではないのだ。魔王四天王が直々に育て上げた兵士たちがいる。魔王四天王に実際に育てられた二人の思うところは同じだ。これはまずい。
しかもマルクトに近いのだ。転移魔法でぽんと来ることができる。警戒されて強者が召喚されたらひとたまりもないだろう。言っては悪いが、ジェルムが魔王四天王クラスの魔物と渡り合えるとは思えない。
そんなことを考えていると、リュゼが探知していたジェルムの魔力の反応がある地点で止まり、動かなくなる。それから、魔力に乱れが生じる。
「まずい。戦闘になってる」
「森の外に出たのかよ!」
リヴァルが焦りの声を上げるのを、さっさと行く、と先導するリュゼ。そう反応は遠くない。森の出口も遠くはないだろう。
けれど、見つけた出口はどんよりと薄暗い。魔王軍が占拠しているところはほとんどがこんな感じだという。さすがは闇の軍勢といったところか。
そこには風が吹き荒れていた。風と一緒に木の葉が舞っていた。いや、舞うなどという表現では生温い。意思を持つ刃であるかのように縦横無尽に空間を切り裂いていた。
リュゼが目を見開く。
「木属性……」
そう、そこで発動されていたのは、木属性の魔法なのである。
木属性とは通常、木の民の習性からわかる通り、治癒系統の魔法として扱われる。だが、この空間で乱舞する木の葉は木属性でありながら、攻撃魔法だった。
木属性にはあまり攻撃に向いた魔法はない。せいぜい身体能力強化など、仲間の補助ができるタイプの魔法だ。
それが攻撃魔法とは、普通のことではない。リュゼは魔力を探知し、その人物を見つける。
木属性の魔力を放ち、ジェルムと向かい合っているのは、茶髪碧眼の少女だ。……人間にしか見えない。ポンチョを纏い、コルセットのように腰に布を巻いた格好だ。黒い手袋をして、木でできたシンプルなデザインの杖を持っている。
何故人間が人間を襲っているのか。
リュゼは疑問に思いながら、風魔法で戦闘に介入を試みる。木属性と風属性を併用して放たれていた木の葉の嵐はリュゼが少し詠唱をすれば、なんとか避けて進むことができた。
「無事?」
リュゼが素早くジェルムに駆け寄り、訊ねる。ジェルムは当たり前、と言おうとしたが、息が切れている。水魔法の結界で耐えていたようだが、木属性と水属性では相性がよすぎる。水が樹木を育てるのだから。
それを克服するには、圧倒的な力量差をもってして、というのが魔法使いの中では常識だが、圧倒するには相手が手練れすぎた。リュゼも、会話に時間を取られるのが惜しいくらいぎりぎりだ。この相手、かなりできる。
そんなぎりぎりの魔法使いの戦いに、炎が割って入る。炎は瞬く間に木の葉を燃やし、無力化していく。
ぎらついた眼光、穏やかだった色は見る影もなく、その炎の如く紅蓮に揺らめく髪と目で敵を睨み付け、リヴァルは言い放った。
「お前、何者だ!?」
「そっちこそ、いきなり他者の領域に踏み込んで何様のつもりですか? と言いたいところですが……」
少女が名乗る。
「これはこれはセカイの命運を託された勇者さま、ご機嫌麗しゅう。お噂はかねがね伺っております」
やたら真面目に礼を執り、少女は言った。
「私の名はミル・フィーユ。千枚葉の名の下に、あなた方を鎮めて差し上げましょう」




