小さな案内人
リュゼはうっすらと目を開ける。見ると、温もりのある木造の天井が見えた。直後、視界に茶色いうさぎの耳が入ってくる。
「おねえしゃんおきたよー」
「本当かっ」
うさぎの獣人の女の子の発言に誰かが大きく足音を立てて近づいてくる。声には覚えがある。うさぎの獣人にも見覚えがある。リュゼは「ここは……」などと疑問は抱かずに起き上がった。
起き上がると、どたどたと寄ってくる夕陽色の髪をした少年。彼が直情的なのを知っているので、てっきり抱きついてくるのだとリュゼは身構えていたが、そこは年頃の少年らしく、弁えていたようで、リュゼの寝ていたベッドの傍らで立ち止まり、目を伏せた。そこには彼らしくない悔恨の情が見て取れる。
「リヴァル、無事だったのね」
とりあえずリュゼは、一番の関心事を片付けておく。リヴァル──目の前の少年は、魔王四天王の魔法使いサージュにやられそうになっていた。それを庇ったのがリュゼの記憶の最後となっている。
体に痛みがないことから、傷が治療されたか治癒されたことを知る。いつの間にか白い寝間着に着替えさせられていた。その袖から伸びる腕には傷痕一つ見られない。ということは治療されたというより、治癒されたと考える方が妥当だろう。……ケテルで差別を受けていたときの傷まで消えている。相当な回復魔法使いがやったのだろうと思うが、一体誰が?
リヴァルは炎のダートを持っていて、魔法は使えないはず。となると他の誰かがやったはずだ。まあ、このうさぎの獣人を見るにここはうさぎの宿屋で、自分たちはまだコクマにいるのだろう。コクマなら、魔法使いはたくさんいる。その辺の誰かにやってもらったのだろうとあたりをつけていると、女の子が胸を張る。
「だいじょーぶ! おねえしゃんのおきがえのとき、ゆーしゃのおにいしゃんはしめだしといたから!」
「当たり前だろ!」
見当違いなことを言われ、リュゼが目を丸くする。自然とリヴァルの負っていた暗い雰囲気が抜け、いつもの調子になる。女の子が気を遣ったのかどうかはわからないが、リヴァルが元気を取り戻したのならよかった。
それとね、と女の子がうさ耳をぴょこんと曲げて首をこてんと傾げる。
「おねえしゃんのおけが、なおしておいたからね! はだはおんなのいのちって、おかーしゃんいってたから」
その一言にリュゼは目を剥く。リヴァルに確認のため目を向けると、リヴァルは黙って頷いた。女の子の言うことは本当らしい。
しかし、サージュから受けた攻撃は相当だったはずだ。それをこんなに幼い女の子が? と思った。
すると、その疑問に対する答えはすぐにもたらされる。
「わたし、ヴァンのおにーしゃんからまほーをおそわってたの。わたしはかいふくまほーがてきごうしてるからって」
サージュから教わったのか。それなら納得……というか、あれだけ攻撃的な魔法の展開をしておきながら回復魔法まで使えるのか。いや、やつは賢者の称号を持つのだから、あり得なくはない。
それよりも、とリヴァルが続ける。
「お前、あいつがサージュだって知ってたな?」
険しい目を女の子に向けるリヴァルを、リュゼはこらこら、と宥めた。
女の子はだって、と不思議そうな顔で首を傾げる。
「ヴァンおにーしゃんのなまえはサージュ・ド・ヴァンだよ? ながいからヴァンってよんでるだけで」
それも道理である。だが、リヴァルは納得がいかないらしい。
「サージュだってわかってたんなら、なんで黙ってたんだよ?」
「こら」
女の子に詰め寄るリヴァルの頭をリュゼは叩く。見れば、女の子は目を潤ませ、耳をふるふると震わせている。
「どんな理由であれ、男が女の子を泣かすのは感心しないわ。それに、忘れたの?」
リュゼは女の子のうさ耳を撫でて続けた。
「獣人は魔物でも人間でもない種族なのよ」
「だからなんだよ」
リヴァルが不機嫌そうにするのに、リュゼは呆れたような溜め息を吐く。この勇者、こんなに物覚えが悪かったのか。
耳を撫でられ、安心したのか、女の子が口を開く。
「わたしたちじゅうじんは、まものとにんげんのあらそいにはかかわっちゃいけないの。ちゅーりつのたちばだから。どっちのてきになってもいけないし、みかたになってもいけないの」
「ほらわかった?」
リュゼがリヴァルに理解を促す。リヴァルはしまった、という顔をしていた。すっかり失念していたのだろう。
このセカイ、セフィロートには人間が大半、魔物もそこそこ、獣人が少々いる。魔物と獣人は違う生き物で人間と獣人も違う生き物である。最初は異形を与えられたのだから、魔物に属するのではないか、と唱えられたが、獣人に神への信仰心はない。生命の神に対しても、闇の女神に対しても。獣人は、ただ自分の基礎となった動物という存在を大切にする。
魔物と人間の争いが始まったとき、獣人はどちらからも勧誘された。けれど、獣人はどちらの神も崇める気がなかった。この争いの根本は魔王ノワールが闇の女神ディーヴァを復活させんとしたところからであり、言ってしまえば、宗教戦争のようなものなのだ。
宗教戦争ならば、崇めるもののない者たちがわざわざ巻き込まれる必要はない──そう獣人の長がかけた一言により、獣人は中立という今の立場を得た。少数種族でありながら、人間と魔物に物言いをできたのは、獣人の長が長くを生き、人間と魔物、それぞれに対して信頼を築き上げてきたからだ。
「それにしても、あの人の技術も大したものね。こんなに小さい女の子に全快魔法を使えるようにさせるなんて」
「ちいさい? おねえしゃんなにいってるの?」
「えっ」
固まるリュゼに胸を張る女の子。うさ耳が得意げにぴこんと立ち上がった。
「わたし、にじゅうねんはいきてるんだよ?」
リュゼのみならず、リヴァルも絶句する。つまりこの女の子は二十歳ということ。
「そういえば、改めて聞いていなかったけれど、リヴァルって何歳?」
「今年で十二じゃなかったかな……」
「私は十四」
つまり、二人共この女の子より年下なのである。容姿からすっかり年下だと思っていた。
女の子は慣れているのか、こう答える。
「じゅうじんはにくたいのせいちょうがおそいの。いわれによれば、せいめいのかみさまが、にんげんとどうぶつをゆうごうさせてつくったのがじゅうじんなんだけど、もとにしたにんげんとどうぶつのせいちょうぐあいのちょうせいのつごうで、せいちょうがおそいんだって」
「な、なるほど」
おそらく寿命の違いだろう。動物は人間より寿命が短い。そんな人間と動物を融合させた種族を作った結果、年齢と容姿がちぐはぐになったらしい。
女将も若いと思っていたが、結構年上なのかもしれない。気をつけねば、と思う二人なのであった。
とはいえ、リュゼが目覚めたからには、今日のうちにここを発つつもりでいたことをリヴァルは説明する。
「仲間を探したいと思うんだ。回復魔法が使えるやつ」
「なるほど。それなら私も賛成だわ」
リュゼはサージュから回復魔法を教えてもらっていなかった。この獣人に教わるという手もあるが、獣人は中立の種族。怪我の介抱はしてくれても、魔法を教えてくれる、ということはないだろう。もし教えてくれるとしても、魔物と真っ向から相対する人間であるリヴァルたちに教えてしまっては、せっかく中立の立場で安穏を得たのを壊してしまう。そうするわけにはいかなかった。
「じゃあ、となりのビナーにいくといいよ!」
女の子が得意げに教えてくれる。
ビナーは歴史都市として有名であるが、セフィロート三大魔法都市に数えられるほど、魔法が盛んな場所である。コクマで魔法を習得してから、ビナーに行く人物も少なくないとか。
「ビナーには確か、知識の泉、というのがあったわね」
「そうそう。ちしきのいずみはね、いやしのちからがあるってゆうめいなの」
知識の泉はビナーの観光名所の一つである癒しをもたらす不思議な泉。泉と言っているが、実際は噴水らしい。
ただ、その水が何故癒しの力を持つのかは解明されていない。回復魔法を多く持つのは木属性で、木属性は上位互換になると回復に特化した光属性になる。対して水属性も回復魔法がないわけではないが、上位互換は氷属性で回復とは無縁になる。
一説によると、水は木と相性がいいから回復の手助けをしてくれるのではないかという。しかし、泉の力の根本の解明にはなっておらず、世の回復魔法使いがその深淵なる謎を解こうと、ビナーに集まるとか。
そこなら、回復魔法使い探しにはうってつけだ。
うさぎの宿屋を後にすると、女の子がビナーの入り口まで案内してくれることになった。なんでも、ビナーに友達がいて、その友達と会うついでなのだとか。
女の子の好意に甘えることにして、二人はぴょこぴょこ揺れるうさ耳の後をついていった。
コクマとビナーの間にはケテルほど荘厳ではないが、門がある。ビナーはそもそも歴史都市として有名であり、歴史的な遺物が博物館などに置いてある。コクマほどではないが、歴史文献に関する蔵書も多い。おまけに知識の泉まである。これだけ貴重なものが揃い踏みで、盗人が出ないわけがないのだ。というわけで、都市に入る際には審査を受けなくてはいけないという決まりになっている。
「わたしといればかおぱすだよ!」
女の子はよくビナーに友達に会いに来るらしい。獣人は獣人の掟として、悪事を働いてはいけないことになっているため、人間や魔物よりも道徳については厳しく育てられているため、その辺りの理由も手伝って、信頼を得ているのだろう。
門に行くと、女の子が言っていた通り、女の子の連れだと名乗ったら、あっさり通された。やはり獣人に対する信頼は厚いらしい。
しばらく女の子に案内されて、どこまで案内されていればいいのかわからずに案内されていると、やがて、知識の泉を見てうんうん唸っている小柄な人間を見つけ、女の子がおーい、と手を振る。
振り向いた人間の男の子は小柄な体型を裏切らない童顔をしていた。手には長い棍を持っている。
獣人の女の子が振り向いて元気に言った。
「みずぞくせいのかいふくまほーつかいで、わたしのともだちのジェルムだよ!」




