風の扱い
修業を始めてから、一年が経とうとしているリュゼは、今日も知恵の実図書館でヴァンと待ち合わせていた。
リュゼの魔力の扱いはまだまだ粗っぽいが、当初に比べたら、ましになってきた。訓練場内を巻き込むほどの威力から、自分の手の届く範囲にまでに威力を抑えることができるようになった。だが、未だにヴァンが出した課題である、指先に竜巻をまとわりつかせるという魔法はできない。
魔法の基礎は、魔力の出力調整にある、とヴァンは語っていたし、基礎魔法書にもそう書いてあった。
大量の魔力を持つリュゼの場合は特に、魔力の出力調整は重要な課題だった。いくら魔力が多いとはいえ、魔力は無限ではない。魔力切れを起こしてしまえば、体に変調こそもたらさないものの、魔法使いとしての価値が下がってしまう。魔力は自然回復するものだが、リュゼほどの魔力量が回復するには時間がかかる。だとすれば、譬、大量の魔力を持っていても、効率的に燃費よく消費していくのがいい。
しかしこれがなかなかどうしてか難しい。ヴァンは大量の魔力を持つ者にはよくある傾向だと語っていたが、果たしてヴァンはそれで苦労したことがあるのだろうか。
今でこそ多属性を使いこなすヴァンにも、こういう壁はあったのかもしれない。だからこそ、リュゼに的確に教えてくれるのだろう。涼しげな顔をしているので、苦労している姿などなかなか想像できないのだが。
ヴァンと合流し、知恵の実図書館の魔法訓練場へ向かう最中、ヴァンが語る。
「大は小を兼ねる、という言葉がありますが、小さなこともできないやつは大きなこともできない、という言葉もあります。魔法とは、大抵後者の論理で語られます。例えば、魔力の少ない者は、最初は弱い魔法しか放てません。けれど、それは鍛練によって、成長していきます。小さな魔法でも、使いこなしているうちに、だんだんと魔力量が増えますし、消費魔力を少なくすることができます」
余った魔力で他の魔法を使うことができるようになる、とヴァンが説く。なるほど、小さなことからこつこつと積み重ねていくことは実に理にかなっている。
故に、今日の魔法特訓も、指先竜巻を完成させるものだった。ヴァンが解説をしながら実演する。
「いいですか、魔力というものは体内を巡っています。全身からまんべんなく放出されています。血の巡りを想像すると、なんとなくわかるのではないでしょうか。放出と言いましたが、大した量ではありません。魔法を行使しない場合、魔力というものは危険であるため、その危険を回避するために、体が魔力放出に制限をかけているのです。
魔法使いは詠唱によって魔力の形を安定させ、安全に魔力を行使する方法なのです。
先程言った魔力の流れというのは理解できましたか?」
血の巡りを例えに出していた。つまり、体全体を駆け巡っているイメージだ。血が駆け巡る感覚、というのを意識したことはないが、自分という器からはみ出ているものは感じ取れる。これがおそらく魔力なのだろう。
リュゼがこくりと頷くと、ヴァンは次の説明に移る。
「では今度は全身に散らばっている魔力を指先に集めてみましょう。指先に集中すれば集まるはずです」
言われて、リュゼは思わず立てた人差し指の先をじぃっと眺めることにした。指先にとりあえず視線を集中させてみる。
「魔力が動いた感覚はありますか?」
問われて指先を凝視してみるが、魔力は通常不可視の力である。いまいちわからない。
「じゃあ、とりあえず詠唱してみましょうか」
「風よ、我が指に纏われ」
リュゼの詠唱に、指先から小さな竜巻が出る。が、ヴァンは合格を出さない。
何故ならリュゼが成さなければならないのは、詠唱の通り、風を指に纏わすことだ。詠唱に応じた魔力は、指に留まらず、放出されてしまっている。これでは失敗なのだ。
「まあ、だいぶいい線はいっていますが、根本的な部分が駄目ですね」
駄目出しがいちいち胸に刺さる。歯に衣着せぬ物言いであるため、心的に与えられるダメージは大きい。
だが、ヴァンの指導に容赦がないのはいつものことだ。これくらいでくよくよしていたら先に進めない。
ヴァンはリュゼの欠点を指摘する。
「君の駄目なところは、魔力量の調整が下手なところ。もっと細かく言えば、魔力を自分の体に留めておけないところです」
「魔力を体に留める?」
「そう、例えばですね……」
ヴァンが口を閉ざし、何を始めるのかと思ったら、突如ヴァンの周りに緑色のオーラが見えた。そのオーラが徐々に縮小され、やがてヴァンの体の中に入ると、見る間に緑の光はヴァンの立てた人差し指に集中していく。
そこで、ヴァンが唱える。
「風よ、我が指に纏われ」
すると、緑の光が集中した指に風が発生した。そこでリュゼは気づく。何気なく出しているが、ヴァンの出した緑色のオーラは魔力である。魔力を放出することがどれだけ危険なことなのかは、先程ヴァンが説明した通りだ。人間が詠唱なしに魔力を操るのは命知らずな行為とも言える。
リュゼが思わず口にした。
「ヴァン、その緑色のって、魔力……」
「ああ、気づきましたか」
気づきましたか、で流していい問題ではない。まあ、己の成していることがどれだけ危険かは、あれほど滔々と説明していたのだ。ヴァンも承知しているだろう。
そんな危険で難しいことをわかりやすく説明するためとはいえ、こうも簡単にやってしまうとは……時に思う。ヴァンは人間やめているのではないか、と。
魔力量も下手したらリュゼよりあるし、論理的な説明の通り、ヴァンは魔法行使における効率的な魔力の使用方法を使っている。それがたった今実演してみせたことなのだろう。
緑色のオーラが魔力だとすれば、ヴァンがやってみせたのはこうだ。まず全身を巡る魔力を確認する。それから魔力を発生させたい場所に集中させる。このとき集中させた場所から魔力が離れないようにする。そして、「風よ、指に纏われ」と詠唱すると、指に集まった魔力を素に魔法が発生するというわけだ。
では、とヴァンが今一度指を立てる。
「リュゼの魔力の流れを再現してみましょう」
「え、そんなことできるの?」
「できないことは言いませんよ」
本当にこの人人間やめているんじゃないか、と思った瞬間である。
なんでもないように、ヴァンは再び魔力を展開する。緑色のオーラが全身から人差し指に集中する。だが、そこからが先程と違った。
人差し指に集まった魔力は人差し指から辺りへと放出されていく。その状態でヴァンが詠唱する。すると、先にリュゼが出したような小さな竜巻が発生する。
「どうです? 違いは」
「なんとなくだけど、わかった」
留めておけないのが悪い癖、とヴァンは言った。なるほど、指先に確かに魔力は集中しているが、その先にも放出されてしまっている。
「まあ、魔力量の多い人にありがちなことなのですが」
ヴァンは語る。
「魔力が多いをその多量の魔力を受け止めるだけの器が必要になります。しかし、過剰魔力が発生すると、器から零れてしまうことがあります。
これは神話的な話になりますが、生命の神と破壊の女神は互いに魔力を使い、魔法をぶつけ合った末、魔力が危険なものだと気づくのです。生命の神は危険な魔力を多く持たないように魔力許容量の少ない人間を、破壊の女神は魔力を安全に使えるよう、基から魔力許容量の多い魔物を作ったと言われています。
それが人間と魔物の魔力量の違いの謂れだと多くの本に書かれています。
もちろん、貴女のようにその型にはまらない人間もいますし、魔物でも魔力量が少ない者もいます。そうやって、神様たちはセカイの均衡を保っているのだ、という説がまことしやかに囁かれています」
「……なるほど」
そんな神話があるとは知らなかった、と思っているリュゼのところに、ヴァンが魔法でその辺に浮かせていた本をリュゼの手元に運ぶ。もはやこの離れ業を不思議とは思わない。
「だからといって、諦めるのは些か向上心に欠けるものです。貴女は勇者の相棒として、立派な魔法使いになりたいんですよね」
「はい」
「ではこれくらいの魔法は習得しないと」
「わかった」
そうして、リュゼは再び、指先を見つめ、詠唱を繰り返すのだった。
なんとなくでもイメージが見られたことで、徐々に魔力も纏まりを見せてくる。
いい調子ですよ、と言われたが、ようやく指に纏わせる竜巻ができるようになったのは、その日の夕方。ヴァンに魔法を習い始めてから、悠に一年は経っていた。
「では明日からは新しい訓練に入ります。何事も一歩ずつですよ」
貴女は飲み込みが早い方ですからね、とヴァンがリュゼを励ましてきたが、これで飲み込みが早いというなら、ヴァンくらいになるまで一体何年かかるのだろう、と遠い目をしたリュゼだった。




