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知恵の実を食べてもいい都市

「その少年は?」

 助けてくれたローブの青年に問いかけられて、リュゼははっとする。

 何と説明したらいいだろうか。

「ええと、ダートの使い手で……」

 リヴァルのことをリュゼはあまりにも何も知らない。炎のダートの使い手で、双剣の使い手で、勇者だということくらいしか知らない。ケテルで出会った頃はダートの使い手なんて俄には信じ難かったが、先程、詠唱を使わずに炎を操っているところを見た。詠唱なしということはダート以外あり得ない。どれだけ熟練の魔法使いでも属性に呼び掛けるくらいはしないといけない。

 熟練の魔法使いといえば、とローブの青年をちら、と見る。先程、彼は確かに「風よ」と紡いだだけで見事に風魔法を操っていた。相当強い魔力を持っているようだし、魔法使いとしての技量は言うまでもない。

 リュゼは魔法を誰かに習ったことはない。ずっと差別生活だったのだ。魔法使い志望の人間が他者を師事していることは知っていたが、リュゼは独学でやるしかなかった。

 もし、師事できるなら……

 と、つい考えたが、すぐ首を横に振る。過ぎた考えだ。この人はたまたま通りかかって助けてくれて、良心で護衛しているに過ぎないのだ。おこがましいことはできない。

「勇者さまがこっぴどくやられたものですね。誰ですかね?」

 青年の問いかけにリュゼは我に返る。というか、返らざるを得なかった。それを訊かれるとは思っていなかった。

 先程の剣士、氷を自在に操っていた彼も、詠唱をしていなかったから、おそらくダートの使い手なのだろう。とすると、人間からしたら彼も勇者のはずなのだが……

 彼が何故魔物の巣窟である森を守るために、リヴァルと敵対してまで戦うのかは、リュゼには到底わからないことだった。

 ただ、そのことを口にしていいものかどうか迷う。噂にはダート持ちの子どもが二人神より遣わされたと聞いていたのだが、リヴァルとあの剣士が敵対していることが知れたら、ケテルで動乱が起きかねない。差別を受けていたとはいえ、一応リュゼにとっては生まれ故郷だ。それにセフィロートも全十都市のうち六都市が陥落されたと聞く。うち二つはセフィロートの三大都市と言えるであろう場所だ。最後の一都市にはしっかりしていてもらいたい。

 これも噂だが、ケテルはセフィロートの主神である生命の神を奉る神殿都市であるため、対抗神である破壊の女神ディーヴァの傘下にある魔物たちはなかなか近づけないのだとか。気休め程度の知識ではあるが。

「それにしても、ここからならケテルの方が近いでしょうに、何故コクマに行くのです?」

 それはもっともな疑問だ。リュゼは即答する。

「ケテルには魔女……女の魔法使いを差別する文化がある。だから私が行きたくない」

「なるほど。差別文化というのはいつになっても醜いものですねぇ。まあ、人も魔物も言ってしまうと差別なしには存在できない生き物ですが」

「ふぅん?」

 少しその意見に興味を持ったため、続く言葉を待つ。

「まず、人間だ魔物だ、の差別があるでしょう? 他にも種族によって見下していたり、偉ぶっていたり、偏見といった方が近いのでしょうが、それも平たく言えば差別でしょう」

 確かに、そう言えなくもない。リュゼはこくりと頷いた。

「例えば、勇者さまが生まれたというゲブラーなんてどうでしょう。あそこは偏見と差別の塊でできたような都市ですよ?」

「まるで見てきたような言い方」

「ええ、ゲブラー育ちの友人がいまして。よくよく行くんですよ」

 ええと、確か、と青年は呟いた。

「力あるものは絶対、力なきものは無用、でしたかね。武力も魔法もかなりの実力を持っていないと門外に出されるとか」

「随分過激」

「元々は力あるものが集う都市でしたからね。故に(ゲブラー)の名を冠するのですよ」

 勉強になる。この青年は教え方がわかりやすい。青年と思っているが、もしかしてかなりの年数を生きていたりするのだろうか。

 まあ、年齢を人に聞くのは野暮ったいと思ってリュゼはやめておいた。

 力ある者が絶対、というのなら、リュゼは絶対に生まれる場所を間違えたリュゼはケテルではなく、ゲブラーに生まれるべきだったのだ。だが、そんなことを今更四の五の言ってももう遅い。生まれる場所まで選べはしないのだ。

「それにしても、コクマですか。まあ、あそこは魔法使いが育つのに適していますが……貴女は魔法使い志望なのですか?」

 リュゼはその質問を意外に思いつつ、迷いなく頷く。

「魔女と謗られたのに?」

 なるほど、彼の疑問はそこに落ち着くわけか、と納得しながら、リュゼは紡いだ。

「私は、勇者であるリヴァルの仲間だから。彼が仲間と認めてくれて、私に救いの道を示してくれたから、私はリヴァルのために強くならなくちゃいけない」

「ふぅむ……」

 青年が次の語句を紡ごうとしたところで、二人の間にびゅっと何かが飛んでくる。

「……下級魔物のくせに腕がいい……」

 青年がそう呟いた。飛んできて、地面に突き刺さったのは矢だった。それ自体は力を持たないが、周りに魔力が漂っている。魔力量が多いため、人の魔力の質を見極める目を持つリュゼは瞬時に見抜く。矢にまとわりついているのは、青年の風魔法だ。おそらく、先刻見た通り、風よ、とだけ紡いで、矢の行く先を逸らしたのだろう。世の魔法使いが卒倒するような離れ業だ。

「ええと……?」

「プティアルクですね。アルクマージだったら厄介ですけど、まあ、普通のプティアルクでしょう。プティアルクにしては相当の手練れのようですがね」

 一目でそこまで見抜くとは、この青年、魔法使いとして最高峰であるだけでなく、魔物との戦闘にも精通しているようだ。

 プティアルクというのはプティ族の一種。弓矢を武器に戦う魔物だ。今は姿は見えないが、遠距離戦でその真価を発揮する。プティ族という弱小種族でありながら、人間が視認できないほどの距離から鋭い矢を放つことから厄介な魔物と呼ばれている。青年が厄介と称したアルクマージはプティアルクから派生した魔物で、弓矢と魔法を併用してくる確かに厄介な魔物である。

 しかし、青年の口振りからすると、青年にとってプティアルクは敵ではないとでも言っているように聞こえるのだが……

 そんなリュゼの疑問はよそに、青年は地面に突き刺さった矢を引っこ抜く。それから、ざん、とその矢を横薙ぎに振るった。すると、飛んできた矢を真っ二つに折っていた。矢は同じ材質のものに見えるが、飛んできた矢を折った矢はただの木の矢であるのに傷一つない。いや、よく見ると、魔力がまとわりついている。

「……水魔法?」

「ご名答」

 飄々と答えながら、青年は立ち回り、次々に飛んでくる矢をいなしていく。こんな矢の使い方は見たことがない。世の弓矢使いが見たら卒倒すること間違いないだろう。

 それよりも驚くべきは、水魔法で強化をかけているらしいこと。木製の矢は水魔法と相性がいい。木属性と水属性の相性がいいように。故に、青年が矢に水属性の強化魔法をかけているのはとても効率的なことなのだ。

 だが、ここでセフィロートの常識として、一つの疑問が湧く。セフィロートでは誰もが魔力を持っている。ダートの使い手は先天的に魔力の保有量が少ないとされるが、それでも魔力を持っていることに違いはない。そしてその魔力には適合属性というものがある。つまり、一人一人、先天的にどの属性の魔法が使いやすいか決まっているということだ。リュゼの場合は風属性。もちろん、適合属性でなくとも、詠唱を覚え、それに応じた魔力の扱い方を覚えれば、魔法の使用は可能であるが、適合属性でない場合、難しいとされている。

 そんなセフィロートの常識などお構い無しに矢に水魔法をかけて落としていく青年。一歩間違えば、相手の木の矢を強化してしまうかもしれない危ない賭けだが、青年の魔法にぶれはない。

 しかも、更に面倒くさくなってきたらしく、「火よ」と詠唱して木の矢を燃やし始めた。火魔法と水魔法はどう考えても相性が悪い。何故普通に短い詠唱で使えるのか。何の気なしにやっているが、恐ろしい技術である。

 更には「引力よ、迫り来る脅威を叩き落とせ」と唱えた。引力魔法である。セフィロートの基本属性は火、水、土、風、木である。だが、それ以外の魔法もある。水魔法の亜種が氷魔法で、引力魔法は確か、土魔法の亜種だったはずである。

 亜種の魔法は属性を極めれば習得できると聞くが、この青年、リュゼの見る限り、適合属性は風のはずである。こう、あれもこれもと使われると、魔法使いとして、目が回るのだが。

「引力よ、我が敵を潰せ」

 どしゃっと向こうの方から音が聞こえる。その方向に攻撃してきていたプティアルクがいるのだろう。……ここまで来ると敵ながらに憐れになる。圧倒的な力量差。プティ族に対して容赦がない。

 青年がプティアルクが倒れたか確認するために音のする方へ向かった。数えてはいないが、百歩以上は歩いた気がする。随分と遠方にプティアルク──水が地面に散らばったような残骸があった。プティアルクは小さな竜の形をしている。その多くは水か木属性の形を持っており、その遺骸は属性により、異なる形になっているという。土属性は水属性と相性が悪い。土が水で泥となり、形を保てなくなるように。引力魔法は土属性の亜種魔法であるが、亜種魔法は原型魔法と異なる効果を持つ場合もある。土魔法も引力魔法になれば、水に克つ。効果はてきめんだったことだろう。

 亜種魔法は水の亜種であるはずの氷魔法が火に弱いように原型魔法と逆の効果を持つこともあるのだ。

 何はともあれ、この青年がかなりの実力を持った魔法使いであることをリュゼはこの一戦でまざまざと思い知らされた。風はもちろんのこと、火、土、水、とほとんどの属性をそつなく使いこなすらしい。しかも、魔法使いでありながら、最初は木の矢を武器に戦っていた。魔法使いが武器で戦うのは異端なことだ。それでプティ族に圧勝できるのだから、すごいとしか言い様がない。

 そんな高度な魔法の使い方を目の当たりにしたリュゼは、決意した。

「もしよければなんだけど……コクマに着いたら、私に魔法を教えてくれませんか?」

 リュゼの申し出に、青年が驚く。

 それからふっと笑みを浮かべた。相変わらず、フードで目は見えないが、口元は確かに笑みを象っていた。

「いいですよ。勇者が強くなることはいいことですし、その仲間が強くなることもより良いことです。私でお力になれるのならば」

 随分謙遜した物言いをする。実力はセフィロートでもトップクラスといっても過言ではないであろうに。

「それに、貴女の向学心に応えないわけにはいかないでしょう。私は自分で黙々と勉学に励むより、他者の技術を学ぼうという姿勢を持っている方の方が好きですから」

 それに、と青年は悪戯っぽく笑み、付け加えた。

「これから向かう都市コクマは知恵の実を食べてもいい都市とされています。魔法という人々の知恵をかじるには適した都市でしょう」

 こちらです、と青年が示した方角には、確かにコクマという都市の影が見えてきていた。



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