業を修めるは
きん、と森の空気が冷えていく。リアンの得手とする冷気のダートが発動しているのだ。
リヴァルはリアンと同じ師を仰いでいて、何度も手合わせする機会があった。だが、ただの一度も、リヴァルはリアンに勝てたことがない。
リアンのダートは冷気と熱気を操るもの。つまり使いようによっては、リヴァルの炎のダートのような扱い方もできる。が、リアンはそれを望まなかった。
リアンはどこまでもリヴァルと対照的で、扱うのは冷気。空気中の水分に冷気を当てて氷にするという荒業を使い、氷の壁を作ったり、太刀の刃を作ったりという使い方をする。座学にも真面目に取り組んでいて、使えもしないのに、魔法の専門書を読んでいたこともあった。思い立ったが吉日なリヴァルの無鉄砲さを補っていたこともある。
だが、リヴァルはリアンに感謝することはなかった。リアンの太刀筋はいつぞや師匠であったフラムが言っていたことだが、感情がない。フラムが魔法で出したプティエピという剣士型の魔物を不意討ちに近い状態で倒していた。剣士としての腕っぷしの強さは充分だが、「その無感情をなんとかしろ」と師匠に言われていた気がする。
剣が無感情だと何がいけないのか、とリヴァルも当初は思いはしたが、すぐに気づいた。感情というのは物理的な力に作用するもので、無感情だと、剣が軽い。つまり、威力に欠けるということだったのだ。威力だけで言ったら、リアンより多感なリヴァルの方が圧倒的に強かった。それでもリヴァルがリアンに勝てないのは、ひとえに基礎的な技能の差が大きすぎるからだと師匠は語っていた。
ただ、二人でそれを補い合うために、生命の神はダート二人遣わしたのだろう、とリヴァルは考えていた。以前、師匠からの課題でプティのつく種族を片っ端から集めた大群のプティ軍団と戦わせられたことがある。プティエピ、プティマージ、プティアルク、プティトレットマン……等々。目の回るような思いをしたので忘れもしない。
そのとき、二人の連携を磨かせたかったのだろう、とリヴァルは今にして思う。実際、二人は連携を取ることになった。自然と、リアンが司令塔、リヴァルが突撃になっていた。リアンの立てる作戦はいつも正確だった。リアンの戦術の綿密さにリヴァルの攻撃力が加われば、二人は敵なしだった。いや、師匠には勝てなかったか。
そういえば、とリアンを見据えながら、リヴァルは思い返す。リアンと師匠が戦ったところは見たことがない。
ただ、リアンの実力はリヴァルより上。それは確かだ。
以前対面したときなんか、峰打ちで昏倒させられ、おそらく丁寧にケセドまで運ばれた。リヴァルはほとんど無傷の状態だった。戦いの際、倒すよりも、昏倒させる方が難しいというのは昔からの習わしだ。師匠でさえ、そう言っていた。
以前、師匠の下で手合わせをしたときは、どちらもぼろぼろになりながら、リアンは勝利を手にしていた。それが相手にほとんど傷を与えず、昏倒させて決着をつけたとなると、リアンはリヴァルの知らぬ間に、相当な強さを手に入れていることになる。同門の徒だったときより油断ならない。
だが、リヴァルはその事実のみで身をすくませることはなかった。何故なら、リヴァルはリアンという壁を越えるために、今、相対しているのだから。
リアン一人倒せないで、この先に立ち塞がるであろう魔王ノワール四天王を倒せるわけがないのだ。人間に仇なすようになった魔物を倒すのはもちろん、四天王もいずれは倒さなくてはならない。リアン相手に怖じけづいてはいられないのだ。
そのリアンの瞳が、真っ直ぐにリヴァルを射抜く。決然とした瞳。そういえば、以前対戦したときもそうだった。
「僕は、言ったはずだ」
そう紡ぐリアンの声は無感情だったあの頃とはまるで違う。
「森に害をなす者は誰であろうと許さない。譬、君であろうと、許すわけにはいかない」
リアンの操る冷気が空気を揺らしたのだろうか。千々に切れた小枝たちがざわざわと揺らめく。
そこでリヴァルは気づく。リアンの一体何が変わったのか。
師匠は以前、リアンの剣を「無感情だ」と称した。それがリアンの剣の唯一といっていい欠点であった。
だが、今のリアンはどうだろう? ──森を守る、という固い誓いが、リアンの力になっているのだとしたら?
リアンがそれで強くなっているのだとしたら、あの頃から何ら変わりないリヴァルには勝ち目なんてないのかもしれない。
だが、リヴァルは剣を納めることはしなかった。──強くなりたいから。
「俺の敵は、魔物だ。そして、魔物に与するやつだ」
リヴァルは暗い表情で訥々と語る。
ここはフロンティエール大森林。土の民や木の民など、多くの魔物が生まれ、育つ場所である。
師匠であったフラムに裏切られてから、魔物にいいやつがいるとか、そんな生温い思想なんて、捨てた。
魔物は魔なるもの。魔に与するもの。どうあったっていずれは魔王の下に集い、闇の女神復活のために尽力するようになるのだ。決して、人間の味方にはなり得ない。
「リアン、もう一度聞く。お前はなんで、魔物の棲むこの森を守ろうとするんだ?」
以前は激情のままにぶつけた問いを今度は平静に、しかし怒りを胸に秘め、口にした。
リアンの瞳はぶれることはなかった。リヴァルを真っ直ぐに見つめ、決然と、以前と同じことを口にした。
「この森の魔物に恩があるから」
僕には彼らを見捨てることなんてできない、とリアンは明瞭にリヴァルと違う道を歩むことを宣言した。
勇者という、セカイ的名誉の称号まで捨ててまで、彼の守りたいという気持ちは固まっていた。
「そうか」
その言葉を受け取ると、瞬間にリヴァルの目と髪が紅蓮に染まり上がり、体に炎を纏った。ダートを発動したのだ。
言葉でわかりあえないのなら、やることは一つ。その志をへし折る。
リアンも、凛とした冷気を漂わせ、すらりと氷の剣を抜き放つ。怖じけなど、一切なかった。
リヴァルが一歩、大きく踏み出し、そこから戦闘が始まった。
リヴァルは踏み込みながら、自分の周りに炎を集わせる。竜の形になって、リヴァルの胴をくるくると廻る竜はリヴァルが炎で生み出した相棒のようなものだ。
通常、炎と氷では、炎の方が圧倒的に有利である。理由は簡単。炎は氷を溶かすからだ。氷は溶けるとその威力を失う。
氷が溶けてできた水は炎を消すことができるが、リアンが操るのは、あくまで冷気。水を操作することはできない。
水蒸気爆発、なんて荒業もできなくはないが、爆発と炎は相性がいいため、リヴァルを有利にするだけだ。
だが、その論理はリアンには通用しなかった。何故なら、リアンは冷気ばかりでなく、熱気も操ることができるダートだからだ。
かなり繊細な操作になるが熱気を操れば、リヴァルの炎のダートの熱をないことにできる。熱がなければ、氷は溶けることはない。
ただ、剣がぶつかり合ったときにそれをするのは難しい。だが、この難点すらも、リアンは乗り越えていた。乗り越えるというには些か、力押しではあるが。
がきぃん、と二つの剣がぶつかり合う。するとぶつかったところから、リヴァルの剣が氷結していく。そう、つまり、熱気以上の冷気で、リヴァルの炎を無効化しているのだ。
完全に凍らされる前に、どうしても距離を取らなければならなくなる。もう片方の剣でリアンを横薙ぎに払った勢いで、リヴァルは後方に跳ぶ。凍らされた剣に即座に炎を当てて溶かす。
だが、リアンはそんな隙を見逃してはくれない。あっという間に眼前に迫り、氷の剣を袈裟懸けに振り下ろす。リヴァルはなんとか両手の剣で受け止めたが、リアンの刃がじりじりと押し込んでくる。
リヴァルは炎のダートを剣に注ぎ込み、リアンの太刀の形状を崩そうと試みる。が、リアンの太刀は崩れるどころかよりいっそう鋭さを増している。
力押しが通用しない。ならば、小手先の技術で、と地面から蹴り上げ、リアンを足で突き飛ばす。リアンの細い体は呆気なく吹き飛ばされ、なんとか踏みとどまるも、距離は開いた。
リヴァルはすかさず、炎の竜を飛ばす。リアンはただ目を閉じた。打つ手がないのだろうか。……否、そんなわけはない。
竜はリアンの目前で固まった。凍りついたのだ。
さすがに、何年も共にいただけあって、手を知り尽くしているらしい。この炎の竜を飛ばす攻撃は、リヴァルのダートを使った遠距離戦の一手だ。奥の手としてあまり使わずにいたが、リアンはしっかり覚えていたらしい。
リヴァルの闘志の塊であるそれをリアンは文字通り打ち砕く。氷の結晶となって砕かれていく竜の姿に、リヴァルは舌打ちをした。
リヴァルとて、リアンの手は知っている。だというのに、追いつけない。いつも突き放されてばかりだ。臍を噛む思いだ。
「僕はこの森を守る。だから、森を荒らさないで」
……腹が立つ。
なんでもないことのように自分勝手な論理を立てて、リヴァルを撃退する、そんなリアンが許せなかった。ふつふつとリヴァルの中に憤りが込み上げてくる。
「裏切り者が、偉そうに宣うな!!」
リヴァルの憤りに応じて、炎のダートが炸裂する。否、炸裂では生温い。爆発した。辺りの木々を焼き尽くさんと。
だが、それもリアンが瞬時に張った氷壁により、木にまで到達しない。僅かながらに、氷壁を溶かすのみだ。
リヴァルは目の前が真っ赤に染まったまま、ただ一人、白く佇むリアンに真っ直ぐ突進した。リアンは氷壁に気を取られて、反応できないはずだとか、そういう考えはなく、自分の視界のただ一つ違う色を消そうと飛びかかったのだ。
だが、リアンには余裕があった。そう、リアンが本当に氷壁にのみ集中しているのなら、氷壁はこうも簡単に溶けはしない。
リアンはリヴァルの突進を易々とかわした。直線的な突進だ。さぞ、避けやすかったことだろう。
それからリアンの成したことは、ある種、非情なことだった。
リヴァルの周辺にある水分を冷気で固め、リヴァルを氷漬けにするという荒業。
当然、リヴァルは動けなくなる。
ダートを発動させて突き破ってくることも恐れたが、その可能性もないようで、リアンはほう、と溜め息を吐く。
「そこに、隠れてる人」
リアンの呼び掛けに、茂みがかさりと音を立てる。リュゼは途中から、ずっと二人の戦いを見ていたのだ。そしてそれを、リアンはずっと気づいていたらしい。リュゼが身を固くする。
続けられた言葉の羅列は、予想と違い、害意のないものだった。
「魔法を使う人ですね。この氷は火魔法を当てれば簡単に溶けます。中の人は死んでませんが、目覚めるまでに時間がかかると思うので、適当な都市に連れていって休ませてください」
先程まで、死闘を繰り広げていたというのに、何故相手を慮るような言葉が出るのか、リュゼは不思議で仕方なかった。
そんなリュゼの思考を読み取ったように、リアンは続けた。
「……この人は、勇者だから。僕と違って」
そう残し、リアンは去っていった。




