六十五、闘いの終わり
「わ、わかりました。ここに、います……」
迫力に押され、気付けば頷いていた。力強いノアの言葉は頼もしいが、同時に酷く照れくさい。それなのに嬉しくも感じているのだから、現在の心境といえば複雑に尽きる。
なんとか返事をしたところでラゼットからイーリスを託された。
「ここが一番安全だからな。しっかりロゼのそばにいてくれよ」
当然のように彼もこの騒ぎに便乗するつもりらしい。
「はい! 微力ではありますが、僕もローゼリア様をお守りしますね」
背中を押されるようにして隣へとやってきたイーリスは勇ましく拳を握って見せるのだが、ロゼは本気かという眼差しで振り向いた。
もちろん人が見た目で判断出来ないことは、たとえば舞台上で大暴れしていた人物が証明しているし、心遣いも有り難いものではあるけれど、ゲームでもイーリスという人物に戦力を期待してはいけなかった。
「イーリス殿下はご自身を最優先にお考え下さいね! わたくしのことはいいのです。なんならわたくしがお守りしますわ!」
目的が自分であるということも忘れてイーリスの存在を背に匿うと、華麗に舞台から飛び降りるノアの姿が目に映る。着地するなり無駄なく立ち回る彼は次々と障害を蹴散らしていった。この場へ辿り着くのも時間の問題だろう。
ノアに気を取られているうちにロゼの周囲でも異変が起こる。
「兄上! 道は私が作ります!」
「副団長殿!?」
高らかに宣言されたのはロクスの裏切りであった。ノアの進軍を阻むため、ロゼの周囲に張り巡らされた人だかりを内側から崩し始めたのだ。
「まさか、裏切るつもりか!?」
この作戦は実力で敵わない相手に数で対抗するというものであり、懐から攻められては意味を成さない。ラゼットは動揺を隠せず、木刀を構えながら問う。するとロクスは悪びれもせずに答えた。
「裏切るとは人聞きの悪い。私は最初から兄の味方です」
「おい自分だけ狡いぞ!」
「ラゼット殿下。もはやこの闘いの結末は見えています。ならば私は未来を見据え、ヴィクトワール家の者として成さねばならないことがあるのです」
珍しく自信に溢れたロクスの発言を受けたラゼットは慎重に距離を計った。
「……何が望みだ」
要求次第ではまだ仲間に引き戻せるかもしれないと画策しているのだろう。しかしロクスの瞳に迷いはない。
「私の望み? ラゼット殿下には到底叶えられないことですよ。私は、義姉に迎えるのならばローゼリア姫が良いのです!」
言うなり動いたロクスはラゼットに正面から襲い掛かる。ラゼットが攻撃を凌ぎ、二人の間では木刀が激しくぶつかり合う。交渉する余地がないことをロクスは行動で示したのだ。
「副団長ともあろう者が私欲を優先するとはな!」
「なんと言われようと私の意思は変わりません。兄嫁としても義理の姉としても、ローゼリア姫以上に相応しい方はいないのです。私はヴィクトワール家の者として、あの方を当主夫人にお迎えしなければなりません。それに、ここで敵に回れば私にとって今後不都合しかない!」
「おい、本音はそっちだろ!」
聞こえない振りをしていることこそが明確な答えであった。
「羨ましいな……」
「ええと、イーリス殿下。一体どの辺りが羨ましいのでしょう!?」
鬼気迫る二人を前にどこからそのような言葉が出てくるのか、残念ながらロゼには理解が追い付かなかった。しかし瞳を輝かせているイーリスは本気なのだろう。
「ロクスは兄想いなんですね。ノアとロクスは言葉はなくても信頼し合っているんですよね? 僕もいつかお二人のように背中を預けあえたらと思ったんです!」
どうやらロクスの反逆を、身を挺して兄の活路を拓く健気な弟と解釈しているらしい。勝負の最中ではあるが、お二人のようになられてはたまらないラゼットはすかさず訂正を挟む。
「とんでもないぞイーリス。可哀想に、副団長殿にはそうするしか道がないのさ。頼むから、真似はしてくれるなよ!?」
応戦するロクスは指摘が事実であるかのように無言で攻撃に徹し、この時点で包囲網はロクスという最大の戦力と、ラゼットという司令官を失っていた。
「白い影だ……」
ロゼの耳にもようやくその呟きが届く。ノアの姿を目で捉えることは出来ないが、その名が聞こえるのならば距離は迫っているのだろう。
風のように早く、影のように姿を悟らせない。
彼が通ったであろう後には人が倒れている。といっても倒れているのは騎士団の団服を着ている者たちばかりだ。一睨みで動けなくなる街の人たちとは違い、玉砕覚悟で挑むのが騎士たちの勇敢さなのだろう。
ノアの姿を探し、気を取られていたロゼは乱闘の余波で体制を崩してしまう。いつもならなんでもないと感じる衝撃でも怪我をした身体には堪えるようで、運悪く傷に響いてしまったことも要因だ。とっさに膝をついてしまったロゼの元には焦りを浮かべた声が降る。
「ロゼ、平気!?」
未だ距離があると認識していたはずのノアが手の届く場所にいたことに驚かされる。さらに驚くことに、ここに敵がいるというのに誰も動こうとはしないのだ。邪魔をしてはいけないと無意識に感じ取っているのか、至近距離で打ち合いを続けていたラゼットとロクスでさえ動きを止めている。
「わたくしは平気よ。それよりも、貴方の方が平気とは言い難い状況ではないかしら」
ノアにとっては会場中のすべてが敵である。
指摘したところで喧騒すら忘れさせるほど穏やかな笑みを浮かべて手を差し伸べられた。何よりも優先して倒れた自分を助けようと振る舞う彼に、ロゼは自然と手を重ねていた。
「こんなの平気。君のお兄さんたちに結婚の許しをもらいに行った時の方が命掛けだったよ」
一歩間違えば死んでいても可笑しくなかったと軽く言ってのけるのだ。いったいどんな死闘を繰り広げたというのか、助け起こされたところで追及する間もなく肩にノアの手が回る。繋いだ手はそのままに、まるで見せつけるように抱き込まれた。
「ロゼは俺がもらうよ」
ノアの視線を辿ればアイリーシャが待ち構えている。これまでノアの発言を耳にすればすかさず声を荒げていたアイリーシャだが、今回ばかりは様子が違っていた。苛立ちや怒りといった感情を顕にするのではなく、視線は繋がれままの手に注がれている。
「ロゼお姉様が誰かの手を取るところ、初めて見ました」
熱狂していたはずの会場はいつしか静まり、誰もがアイリーシャの言葉に耳を傾ける。
「ロゼお姉様はいつも私に手を差し伸べてくれましたね。ですが、ノア・ヴィクトワールの前でだけは違うのですね」
本当の姉妹のようだと言われてきた。共に過ごした時間は長いはずなのに、思い返してみてもこれと同じ光景が存在していないことが悲しい。
「私はいつも甘えてばかり。ロゼお姉様を頼って、助けてもらってばかりでした。私からロゼお姉様に手を差し伸べられたことは、一度もありませんでしたね。そんな自分が不甲斐なくて……今、とても悔しいのです。これは大変不本意な発言なのですが、ノア・ヴィクトワールにならロゼお姉様は素直に甘えられるのですね」
「あ、甘え!?」
とんでもない指摘に抱き込まれた体制から逃げ出そうとしたのは無意識である。とはいえ簡単に脱出を計れる相手ではないけれど。
「ロゼお姉様、知っていますか? 昔お父様が得意そうに話して下さったのですが、エルレンテの王家は代々恋愛結婚なのだそうですよ」
「ええ、知っているわ」
レオナールだけではなかった。ロゼもまた、仲睦まじい両親から飽きるほど聞かされている。
「初めてそのお話を聞かされた時、とても素敵だと感じたのです。お父様とお母様、おじい様とおばあ様、私の知る方たちは誰もが幸せそうに寄り添っていました」
その度に素敵な物語だと憧れ、ささやかな夢を見た。きっとアイリーシャも同じなのだろう。かつて話を聞き終えた後の自分と同じ、幸せそうな表情を浮かべてる。
「ですから私はずっと、大好きなロゼお姉様にも心から愛する方と結ばれてほしい、そう願っていたのです」
「リーシャ……」
きっとアイリーシャは言葉を待っている。自分自身が納得するために、笑って送り出せるように、その答えを待ち望んでいるのだ。
「ありがとう、リーシャ。安心していいわ。これは、わたくしが夢に見た物語。わたくしは今、とても幸せよ」
「本当に? 本当なのですか!?」
アイリーシャは嘘がないことを探ろうとしている。お互いの僅かな癖などとっくに把握しているのだから注意深く見つめれば真意を汲み取ることは容易い。けれどこの場において、そんなことをする必要はないのだ。
「わたくしが貴女に嘘を吐くはずがないでしょう」
誰よりも身をもってその言葉の重みを知るアイリーシャは何よりの答えに満足そうだった。その瞬間、アイリーシャは覚悟を決めたのだろう。
「ノア・ヴィクトワール!」
きつく吊り上げられた眼差しがノアを射貫く。
「私はロゼお姉様を守れなかった貴方が許せなかった。ロゼお姉様を守ることが出来なかったのは私も同じなのに、それなのに貴方を認めることが出来ずにいたのは……私の我儘。みなさんも、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
律儀に頭を下げたアイリーシャは最後にロゼの顔を見て笑う。大きく息を吐き、思い切り吸い込むと、とびきり綺麗な表情で宣言するのだ。
「私の負けです」
それはおよそ敗者には相応しくないような清々しい表情だった。けれど確かに勝敗は決し、ここに長きに渡った闘いは幕を閉じたのである。
本当に、大変大変お待たせ致しておりましたこと、まずはお詫び申し上げます。
大変お待たせして申し訳ありませんでした。
決着……
やっと闘い終わった~と、ホッと一息ついているのはロゼだけではありません。私もです。
ちなみに続きは明日の更新を予定しております。
決着はつきましたがまだ触れなければならない問題がありますので!
それではお時間ありましたら続きもよろしくお願い致します。




