五十五、ロクスと歩く街
「ロクス、彼女を部屋まで送ってあげて。ロゼのこと、頼んだよ」
呼ばれたロクスはそっと顔を覗かせる。
「承知しました。ですがもう発たれるのですか? 出発は早朝の予定と伺っておりましたが」
「早く正式な許可が欲しいから朝まで待てない」
遠ざかる瞬間、ノアは確かに囁いた。
「ごめんね、ロゼ。誰が敵に回ろうと俺は君を諦められない」
それはきっと誰の目から見ても大反対をしているアイリーシャのことだ。部屋からの外出はアイリーシャに見つかることなく成功を収めたはずだった。それなのに何も解決していない。むしろロゼの心情は悪化したとも言える。
ノアの気配が遠ざかると入れ替わるように現れたロクスが手を引いてくれた。そうでなければ部屋まで戻ることは出来なかったと思う。慣れ親しんだ王宮でありながらどのように部屋まで戻ったのか覚えていないのだ。着替えることもせずにベッドへ倒れ込み、気付けば朝を迎えていた。だからといっていつまでも塞ぎこんではいられない。
(わたくしは観光大使なのよ)
考えなければならないことがどれほど多くても今日まで信じてくれた街の人たちを裏切ってはいけない。アルベリスからの来客が増えているのなら観光大使として皆に道を示さなければ。
(一つ脅威が去ったからといって気を抜いてはいけないわ。エルレンテを守ると誓ったのだから)
でも本当は、変わらないものがあることが何よりの支えだった。
街に向かうための支度は自らの手で行っていたロゼだが、さすがに怪我のせいで難しいこともある。メイドの手を借りて髪を染め、きっちりと三つ編みを作り上げてもらった。たとえ王女であることが知られていようと自分がロゼであることに変わりはない。だからこそいつもの姿で街に向かうことを選ぶのだ。
(あとは眼鏡をかけて、腰にポーチとナイフを――)
手馴れた工程の最後で身体が冷え切っていく。決定的なものが足りない。
「ナイフ!?」
(――水路!? 戻ればまだ落ちている? まさか証拠品として押収されてしまった!? だとしたら持ち出しの手続きに時間がかかるわ)
とにかく探さなければとロゼは部屋を飛び出した。
「義姉上?」
「ロクス?」
部屋の前にはロクスが立っており、顔を見合わせたお互いは沈黙する。彼の登場によりロゼも少しだけ冷静を取り戻していた。
「どうしてそちらに?」
彼は彼で見慣れぬロゼの姿に驚いているようだ。
「大切な用件を仰せつかりましたので可能な限り早くお会いしたかったのです。人任せにするのも憚られることでしたから、勝手ながらこちらにて待たせていただきました」
ロクスから差し出されたものは今まさに探しに向かおうとしていたナイフである。確かに人前で王女相手に差し出せるものではない。
「お渡しするようにと兄から仰せつかりました」
「良かった。ノアが拾ってくれていたのね」
「大切なもの――いえ、聞かずともわかることでしたね」
「確かに大切だけれど。わたくしそんなに嬉しそうな顔をしている?」
「早くお届けに来て正解でした。義姉上は本当に兄のことがお好きなのですね」
「どうしたらそういう話になるのかしら!?」
「兄のことを考えていると顔に書いてありますよ」
「顔を合わせて早々だけれど少し待ってちょうだい。至急改めてくるわ」
「あ、いえ、私がそう感じただけで……お、お待ちください義姉上! 私の戯言などお忘れください義姉上! それよりも、どこかへ出かける予定だったのではありませんか!?」
失言を正そうと食い下がるロクスにロゼは振り返る。
「え? ええ、そのつもりよ」
「いつもと髪色も異なるようですが……」
「街に向かうつもりで変装をしていたの。もう全部知られているみたいだし、意味はないのかもしれないけれど、わたくしは変わらないという証明かしらね」
ここでロゼは彼がお目付け役を命じられていたことを思い出す。
「止めようとしたってそうはいかないわ。街で手掛けている仕事があるの、休んでばかりもいられません」
仕事をしていた方が落ち着くこともあるとは言えなかった。
「今から向かわれるのでしょうか?」
「そのつもりよ。言っておきますけれど、アイリーシャを呼ばれたって引き下がれないこともあるんですからね」
「いえ、そうではなく。私もご一緒させていただくことは可能でしょうかと」
敵かと思えば味方らしい。レオナールから護衛の手配もされているが、ロクス直々にエルレンテの街並みを見て回りたいと乞われては頷くしかないだろう。
~☆~★~☆~★~☆~★~☆~
「わたくしはロクスがエルレンテに興味を示してくれたことをとても嬉しく感じているの。けれど一つだけ不満があるわ。理由も察してはいるのだけれど、あえて聞かせていただきましょう。どうして後ろからついてくるのとね!」
ロクスは質問されること自体の意味がわからないという顔をしているのでおそらくロゼの想像は当たっている。
「私は護衛ですから」
「良くわかりました。貴方たち実は似ていたのね。きっと良い兄弟なのだわ」
ただ一度きりの街歩き。それはロゼの運命を大きく変えるものとなった。きっとロゼだけではなく彼の心さえも――
ノアは暗殺者という立場から特に他の攻略対象との交流が少なく、殆どないとも言えるだろう。けれどもし描かれていたのなら気の合う相手がいたかもしれない。たとえば同じことを言ってみせるロクスのように。
「いいから、隣に並ぶのよ」
「隣!? そんな、兄に叱られます!」
「そのお兄様は一時帰国中。なら二人だけの秘密にすればいいでしょう?」
「しかし!」
「一緒に歩いたほうが楽しいじゃない。それともわたくしに一人寂しく街歩きをさせたいのかしら?」
おそらくこの議論は長引くだろう。そう解釈したロゼは強引にロクスの腕を取り早くと促した。手を引けばロクスはじっとロゼの顔を見つめてくる。
「……義姉上のように手を引いてくれる女性は頼もしいですね。貴女にならついていきたいと思わせる力があるようです」
「ロクスだって昨日はわたくしの手を引いてくれたじゃない」
「あれは! お手に触れるなどと勝手なことをして申し訳ありませんでした」
意識した行為ではなかったのか指摘すればロクスは混乱している。なんだか悪いことをしてしまった。
「誰が責めていると言ったのよ。貴方も頼もしかったと伝えたかっただけです。それで、恥ずかしい話なのだけれど。昨日きちんとお礼を伝えられたか覚えていないの。ですから改めてお礼を言わせてちょうだいね。昨日はありがとう。それなのに巻き込んで、おかげで今日もわたくしに付き合うことになってしまったのよね」
「それは違います。確かに兄からの言いつけもありましたがこれは私自ら望んだこと。義姉上がおっしゃられたのですよ。私たちはまだお互いのことを良く知らないと、ですから私も貴女という人を知りたいと思ったのです」
聞き流されていなかったことに驚かされながらも二人はゆっくりと歩き始めた。やがて少し進んだところでロクスから声をかけられる。
「……大丈夫ですか?」
「平気よ」
少し歩いたくらいで痛むものではない。
「そうではなく……その、本当に大丈夫ですか?」
二度目の問いかけで昨夜のことを心配されているのだと理解した。
「協力してくれた人に嘘を吐いてはいけないわよね。自分が、情けないくてたまらないわ」
「情けなさで私に勝つおつもりでしょうか」
「わたくしは慰められているのよね?」
「そのつもりなのですが、すみません。気の利いた文句も言えず」
「こうして話を聞いてもらえるだけで救われているわ。本当にロクスには助けられてばかり。本来もてなすべき立場にあるエルレンテの王女として不甲斐ないわね」
「確かにエルレンテの王女とアルベリスの騎士であればそのように思われることもあるでしょう。ですがただの姉と弟であれば支障はありませんよ」
たとえ卑屈になろうともロクスの優しさは変わらない。彼の優しさがゲームの主人公を孤独から救ったように、ロゼもまた救われていた。ありがとうと何度目かさえ忘れるほどの感謝を告げ、ロゼは勝者の笑みを浮かべる。
「貴方の言う通りだわ、ロクス。ただの姉と弟なら一緒に歩いても支障はないわよね?」
ロクスは自らの失言を悟るも遅かった。
1月12日
『異世界で観光大使はじめました。~転生先は主人公の叔母です~』
1巻発売予定!
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