五十四、想いすれ違う
(わたくしは十分大人しくしていたと思うのよ)
うんうんと、ロゼは一人扉の前で頷いていた。見つめる先にはノアに割り当てられた部屋へと続く入り口がある。エルレンテにおいて国王陛下の護衛たちは常に姿を隠し行動しているけれど彼はもう影ではない。ノア・ヴィクトワールとして、訪ねたのならそこにいてくれる。
(最初から会いに行けば良かったのだわ。遠い気がするなんて弱気なことはもう言いません)
ノアがアルベリスに戻る前にどうしても話す必要があった。そうでなければ取り返しがつかなくなるような焦りが生まれる。もうこの夜しか機会は残されていないのだから――なんて、都合の良い言い訳にしか聞こえない。ここに来た理由はもっと単純なものだった。
(ノアに会いたい)
離れていた年月の分だけ想いは膨む一方だ。共に再会を喜び合ったけれど、ノアは違ったのだろうか。彼の心がわからない。
(さあ勇気を出して――)
「驚いた。君から会いに来てくれるなんて」
「……この場合、驚かされたのはわたくしだと思います」
口ではそう言うノアだがとても驚いたという顔には見えないので不満だ。いきなり扉を開かれてはノックをするための拳が彷徨っている。しかも寝間着ではなく身支度を整えていた。秘密裏に行動したはずが訪問を読まれていたのだろうか。
「忍んでくるのは誰かさんの特技だったかしら?」
「そうだったね」
ノアにも前科があるのでお互いさまだ。ロゼは咎められようと引き返すつもりはないことを告げた。
「でも君は、怪我は平気?」
「心配し過ぎだわ。これくらい平気なのよ。じきに鍛練も再開してみせます」
「君らしいね。けどもうあの頃とは違う。一人でこんなところに来て軽率だと思わない?」
「わたくしは貴方を信じています。それにこんな時間まで忙しくしていた人にも責任はあると思うのよ。仮にそういう理由で追い返すというのなら、こちらにも備えがあるわ」
ノアはしっかりと彼の潜む背後へ視線を向けていた。ロゼの訪問を探り当てたくらいだ。そこにロクスが潜んでいることなど容易く見破っているのだろう。
「弟を手懐けたんだ。さすがだね」
「手懐けたなんて大袈裟よ。どうしても貴方と話をしたくて少しお願いをしただけです」
ロクスになら何を聞かれても問題ないからと立会人を頼んでいる。ノアの眼差しは本当かと疑うようなものだが気にしたら負けだ。
「朝が早いと聞いたわ。そんな人を相手に迷惑だということもわかっているの。それでもわたくしは貴方と話をしたかった」
「別に時間なんて君にならいくらでもあげる。俺も会いたかったから」
そう思うのなら何故会いに来てはくれないの?
声にならない不安を胸にノアを見つめる。
「なら、どうして……アルベリスに戻ると聞いたわ」
「そうだね」
「何も言ってはくれないの?」
「君は何を聞きたいの?」
「わたくしたちは好敵手で、友達だったわ。けれど今は、貴方のことをどう話せばいいのかわからない」
「君が言ったから……。アルベリスの有力者からの誘いなら断らないって。だから君に相応しい地位を手に入れた」
「わたくしの、ため……」
ロクスから聞かされていたとはいえ本人の口から語られるものはまったく違っていた。それだけの想いが込められている。
「君の隣に立ちたくて、君のために! いや、違うか……俺が勝手に巻き込んだ。だから好きに言えばいい。これは無理やり決められた婚姻、それで君の姪も納得するだろ」
「貴方が悪者のような言い方をすると思うの!?」
「俺は悪役だよ」
「違うわ!」
「違わない。エルレンテから君を奪うのに?」
その言葉を口にされるのが怖かった。あれほど豪語していたくせに、いつか自分がエルレンテから去る日を想像したことがない。だから迷ってばかり、素直に喜ぶことが出来なかった。
「ほら、君にそんな顔をさせた」
ノアの指先が頬に触れている。自分でも気付かないうちに泣いていたらしい。
「俺はもうアルベリスの人間。だから君にもアルベリスで生きてもらうしかないよ。ね? やっぱり俺は悪役」
「これは――」
取り繕ったところで悲しくて泣いている以外に何があるというのだろう。続く言い訳すら浮かばないというのに。
「うん、わかってる。君は優しいから、だからごめん。それでも俺はロゼがほしかった」
ノアの瞳は揺れ、迷っているのは自分だけではないのだと教えられた。大好きな人と結ばれるのだから嬉しくないわけがない。それなのに溢れる涙が、震える唇が喜びの邪魔をする。
「確かに君が知るように会いに行くことは簡単。でも、君の目にどう映っているかは知らないけど、俺は今凄く嬉しくて、何をするかわからないよ。ずっと手の届かなかったそばにいるから。……だから君にも覚悟を決めてほしい」
(覚悟――エルレンテを捨てるための覚悟をしろというの?)
そんなつもりはない。けれど同じことだと思った。ノアと結婚すればこの国の王女であり続けることも観光大使として留まることも出来ない。
やがてノアは「君が眠っている間――」とまるで独り言のように呟き始めた。
「君がこの国で築いてきたものを見せつけられた。エルレンテは変わって、たくさんの人が君の心配をしていた。ロゼは、あの日聞かせてくれた夢を叶えたんだね。おめでとう」
ずっと聞きたかったノアからの祝福。けれど続く言葉はそのすべてを奪うものと決まっている。
「それを知っていてこの国を捨てろと言う俺は酷い人間。だから全部俺のせいにしていいんだ。君は無理やり頷かされたことにすればいい」
どこまでも優しい人だった。こんなにも自分のことを想ってくれる人を責められるわけがない。そう伝えたけれど想いはすれ違うばかりだった。
「ならどうすればいい!?」
ノアが声を荒げたのは初めてだ。こんなにも望まれているのに、どうして頷くだけで済まないのだろう。望んでいる結末は同じはずなのに上手くいかない。
「どうすれば影が王女と生きられる? ロゼを誰にも奪われずに済む? ようやく君を望んでも許される地位を手に入れたのに今更諦めるなんて無理だよ」
叫びは痛烈なのにロゼを抱き締める腕はどこまでも優しい。それでいて逃げることを許さないのだからまるで檻のようだとも思う。
「ごめん、困らせて」
兄妹喧嘩なら幾度も経験したけれど、ノアとは初めてかもしれない。お互いに初めてのことに慣れていないという空気が流れていた。これまでどれほど大切にされていたのかとロゼは思い知らされる。
「貴方は何も悪くないでしょう。悪いのはわたくしなのだから……」
(貴方がここまでしてくれたのに、素直に喜ぶことの出来なかったわたくしが悪いのよ)
それを告げたのならノアがまた苦しむことになるだろう。自分はノアがどれほどの覚悟でエルレンテを去ったのか、何もわかっていなかった。
閲覧ありがとうございます。
1月12日発売予定の書籍版ともども、どうぞ今年もよろしくお願い致します!
特典つきの店舗もございますので、よろしければお手にとっていただけますと嬉しいです。
それにしても新年第1回目の更新がこの内容、ロゼたちには申し訳ない思いですが……見守っていただけますと幸いです。
実は年越しや年明け等イベントごとのたびに彼らの過ごし方を想像しているのですが、行事を大切にするロゼは全力で祝うのだろうなといつも思います。ロゼの新年最初の挨拶相手が誰になるのかを考えるととても楽しい……おそらくノアだろうなと思います。誰にも渡さない勢いでノアが会いに行きますのでね!
それではまた次回の更新でお会い出来れば嬉しいです。




