四十四、ロクスの現在
「ところでロゼ。うちの団長殿とはどういった関係なんだ?」
ラゼットの視線は繋いだままの手に向けられている。誰がどう見ても赤の他人には見えないだろう。確かに追及してほしいと願ったはずが、いざ訊かれると言葉に詰まる。
好敵手、友達? あるいは成長した今、幼馴染とも呼べるかもしれない。そのいずれもが、かつて共に過ごしたという前提からくるものであれば、ノアの立ち位置が掴めない以上迂闊な発言はできなかった。
「知りたいの?」
こともなく、ノアは言う。平然と語る姿はロゼの躊躇いなどお構いなしに普通だ。悩むまでもなく、彼にとっては当たり前のことらしい。
(わたくしも、知りたい)
自分ひとりが悩んでいたようで恥ずかしい。けれどわからないものは仕方がない。だから、再会したノアとどんな関係が築けるのか、叶うなら彼の口から教えてほしい。
「彼女は俺の」
期待を込めて見つめれば、ノアは見せつけるように繋いでいた手を解き指を絡めてくる。まるで恋人のような繋がりに、ロゼの冷静はまた姿を消していた。
(お、俺の)
息を呑み、喉が鳴る。一瞬たりとも聞き逃すまいとその唇を見守った。
遠くではしきりに鐘が鳴っている。非常事態でもないのにうるさいほどだ。時の移りを伝えるためのそれはせわしなく、激しい鼓動を刻むロゼの心音と重なるようだった。
そして紡がれる――
「失礼しますよ」
ここでまさかの乱入が。
「レオお兄様!?」
まるで見計らったような登場。度重なる出来事に失念していたが、開放感溢れる扉に拒めるものはない。
国王にして兄でもあるレオナールの登場に会話は途切れていた。ノアが紡ぐはずの答えを想像しては好奇と不安がせめぎ合う。早くとせがむ癖にどこかほっとしているなんて情けない。何にしろ息つくべきだろう。なにせ呼吸を止めていたことにさえ初めて気付かされたのだから。
「目が覚めたようですね」
言いたいことは山ほどあると、眼が語っている。
「お前はまた無茶をして……レイから話を訊かされた時は驚かされましたよ」
穏やかな印象は変わらないけれど疲れている様子だった。王宮内であれだけの事件が起きた後だ、忙しくないわけがない。それなのにこうして駆けつけてくれている。ロゼは口を噤み、どんな咎であろうと全てを受ける覚悟でいた。
「いえ、そんなことは後です。無事、とはとても言えない状況ですが……よく生きて、帰ってきてくれましたね。またお前とこうして話すことができた。それが奇跡のような巡り合わせだと、今回のことで初めて自覚させられました。本当に、無事で良かった」
ラゼットは妹のそばに歩み寄る兄に道を譲る。けれどノアは頑なに動こうとしない。レオナールが咎めることもなかった。
「事情はラゼット殿下から全て聞かせていただきました。お前が両国の未来を救ってくれたのですね。王として心から感謝しています」
勿体ないほどの称賛にロゼが喜びをあらわにすれば「ただし」とレオナールは付け加えた。
「兄としては別です。ええ、許しません。お前は昔からお転婆が過ぎるんです。普段は観光大使としての活動もあるからと黙認していましたが今回ばかりは見過ごせません。レイからもたっぷりとお説教してもらう予定ですから心しておきなさい」
「はい。いくらでも、喜んで」
「まったくお前は……」
小言もお説教も、なんであろうとロゼは喜んで受けるだろう。
「ところで団長殿」
レオナールはノアへと話しかける。客観的に見れば隣国の王と騎士団長のはずが、それだけには収まらないことをロゼは知っている。
「貴殿の副官が探しておいでです。この世の終わりのような顔で思い詰めていましたから、勝手ながら護衛の名目でお連れしました」
「ああ、ロクスか」
「ロクス・ヴィクトワール!?」
「え、ええ、彼ですが」
ロゼの剣幕に気圧されながらもレオナールが肯定する。
「エルレンテにいらっしゃるというの!?」
「そう、ですね。お連れしましたので、そちらに」
(エルレンテどころか部屋の外に待機ですって!?)
そちらと指し示す扉へ一躍注目が集まる。ロゼはまさかと注視し、ラゼットもまた馴染みある人物の登場に倣う。ノアは形だけといった様子でさして興味はなさそうだ。
(無事でいてくれたのは嬉しいけれどどうしているの!? しかもノアの副官だなんて……副団長!?)
平然と登場を待つノアの姿勢が恨めしい。
だがロゼにとって最大の問題は騎士団内の地位などではなく。
(まさかこんなところで顔を合わせることになるなんて、わたくし何の準備もできていないわ!)
思い返せば攻略対象との出会いはいつも突然、不意打ちばかり。何度も何度も体験したゲームのオープニング知識なんて役に立ちやしない。
その度に主人公は偉大な存在だと思わされてきた。何故ああも不意打ちの連続に主人公は主人公たる振る舞いができるのか。痛ましく表情を歪め、時には可憐に頬を染め……そんな姿に尊敬さえ芽生え始めている。
ロゼが主人公へと想いを馳せ、混乱から現実逃避に陥りかけた頃、引き止めるように金色の髪が覗いた。
(なんて美しい人――)
「ご歓談中に、まことに申し訳ございません」
アイリーシャにも劣らぬ美しさだ。儚げな風貌に優しげな瞳はエメラルドの輝きを放ち、微笑めば王子様のよう。あくまで彼の身分は騎士なのだが、王子と紹介されても納得してしまう、そんな気品漂う容姿だ。
「ローゼリア王女殿下、お初にお目にかかります。我が名はロクス・ヴィクトワール。アルベリス帝国騎士団にて副団長を勤めております」
(よーく知っているわ。副団長というのは初耳だけれど)
ただ一つロゼに救いがあるとするのなら、相手がロクス・ヴィクトワールであることだ。
性格は見た目通りに優しく真っ直ぐ、誠実で仕事には忠実。問題児の多いロゼブルにおいてその存在は貴重にして癒し。『ロゼブルの良心』とも呼ばれるほどの男だ。彼ならば傷ついたロゼにこれ以上の追い打ちをかけることはないだろう。
暗殺者予定のノアから不興をかう形で出会い……命を狙われてもおかしくはなかった。
追放される予定の復讐皇子ラゼットに水をぶちまけ……恨まれてもしかたない。よく無事でいられたものだ。
改めて出会いを振り返ってみると背筋が凍る。そういった過去のあれこれも重なりとにかく良心の登場に焦がれていた。
「身を挺して殿下を守って下さった王女殿下の勇気、感服いたしました。なんとお強く、立派な姫君なのでしょう。このような王女がいらっしゃる国を私は尊敬いたします。どうか私からも感謝を告げる許可を――どうせ無能な私には頭を下げることしか出来ませんので」
(ん?)
さらりと笑顔で何か言われた気もするが、恐らく聞き間違いか言い間違いの類だろう。
「わたくしは感謝されたくて行動したわけではありません。ですからそのように畏まる必要は――」
「いいえとんでもないことです!」
食い気味で否定された。
「ああ、私のような役立たずからの感謝など不要とおっしゃりたいのですね。申し訳ありませんでした、察することもできずに……本当に私はどうしようもない人間ですね。王女殿下の心中、お察しいたします」
「一体どこから何を察してきたっていうの?」
「そう慌てずとも構いません。私が駄目人間だということは私が一番理解しています。ああ、なるほど……私の存在すら煩わしい?」
とんでもなく爽やかな笑顔でとんでもないことを言ってくる。
「勝手にわたくしを初対面の男性を全否定する人間に仕立て上げないでくださる?」
「いいんです。気を使ってくださらなくて」
「どこにも気を遣う場所がなくってよ」
「私の到着が遅れたばかりに、王女殿下に傷を追わせてしまうなど騎士として存在価値もありません……」
手に負えない――
ロゼは痛感する。何をどう取り繕おうと全て負の感情に変換されてしまう。ならばと、彼の上司にあたる二人へ助けを求めた。
(ノア、ラゼット!)
救いを求めた先には頼もしい二人が――
(……ノア、わたくしわかるんですからね。その顔、貴方がよくわたくしに「また君は……」だとか呆れている時の顔だわ。呆れていないで何とかしてほしいのよ! よくはわかっていないけれど、とにかく貴方の部下なのでしょう!?)
ラゼットはといえば苦笑い。恐らく聞き流しているのだろう。助けは望めそうにない。
「貴方、本当にロクス様……?」
同姓同名を疑う気持ちも仕方のないことだ。
性格に難無く、扱いにくくもなく、そっと主人公を包み傷ついた心を癒してくれる人だった。しいて欠点を挙げるのなら己の立場に真面目すぎるくらいのもの。
儚げな風貌に加え柔らかな物腰、それでいて騎士団長に登りつめるほどの実力。しかも実家は大国の名家――完璧か。将来を約束されすぎた攻略対象、それがロクスだというのに……発言が後ろ向きで面倒くさい。悪い方に捏造され話が進まない。爽やかなのに纏う空気は重い。
「私のことはアレやソレ、おいで構いません」
(呼べるわけないでしょう!)
「懸念は尤もでしょう。なにせ名門ヴィクトワール家の生まれでありながら甲斐性なし、疑われても仕方がありません」
(見た目は本人そのものだけれど発言や思考は真逆、そして扱い辛いわ。わたくしの知るロゼブルの良心はどこへ行ってしまったの!?)
「おっ邪魔しまーす」
それはロクスとは真逆の明るさだった。これまた絶妙な乱入加減である。視線を集めた彼は形ばかりのノックを行った。そう、扉は未だ開け放たれたままだである。
……覚えていらっしゃいますか?
攻略対象の一人ロクス・ヴィクトワール様です。
金髪碧眼の爽やか王子様です!(見た目は)
騎士団長のはずが副団長。良心のはずがネガティブに転身されてのご登場ロクス様ですが、その理由はまたいずれ。




