三十一、謎を呼ぶ不審者
市場での見回りには気合が入っていたせいかいつもより時間を食ってしまった。時計はあっという間に十二時を指している。
(話し込んでしまったわね。早く目当ての物を買って帰らないと、またわたくしだけ遅刻なんて笑えない)
ロゼは観光大使だ。その名に懸けても適当な物では許されない。アイリーシャを喜ばせ、かつラゼットにも満足感を――そういう品を調達することが求められている。そこでまずは茶葉から仕入れるべく行動を起こした。
「ごめんください」
扉を開ければ鈴が鳴り、茶葉独特の香りがロゼを出迎える。
「あら、いらっしゃい。今日はお客さんとして?」
ベルローズの街でも圧倒的種類を取り揃えている茶葉の専門店だ。オディールに差し入れたローズヒップもこの店で買っている。
「そうなんです。大切なお客様なのでわたくし自ら選ぼうと張り切ってしまいました」
「ロゼちゃんが直々に、それも特別だなんてどんだけ凄い人だろうねえ、その人は」
誰がどう聞いてもビップ中のビップだ。曖昧に笑って誤魔化すとしよう。
「さては昨日一緒に歩いてたって噂の男の人?」
まさにその人だけれど!
「……みなさん本当に、耳が早いですよね」
「あんたが情報は何よりの武器だって口酸っぱくして話してただろ」
自業自得だった。複雑で嬉しいような、ロゼの指導のたまものである。
「さて何にする?」
一口にお茶と言っても種類は莫大だ。圧倒的な数が店を埋め尽くしている。ここで悩み足止めされれば試飲だけで一日が終わりそうだ。
ロゼの提案からこの店では試飲も行っている。現代では普通のことだがこの世界で提案した当初は驚かれたものだ。
「お客様の好みには配慮して一通り、お菓子はクッキーにチョコレート、マカロン、スコーンなどを手配し済み。けれど今回のメインはネリキリと決めています」
「ああ、あの綺麗なお菓子かい!」
ネリキリというのはロゼが提案したエルレンテ初の新しいお菓子だ。その正体は日本の和菓子として有名な練り切りをこの世界の材料で開発したものである。
練り切りの原料は平たく言えば豆だ。茹でた豆を潰し砂糖などで味付けをしたものだったと記憶している。幸いなことにこの世界にも似たような豆があり砂糖も存在していた。野菜や果物などを使えば鮮やかな色を付けることも可能だ。
見た目の芸術性もさることながら、植物や動物を形どった可愛らしい掌サイズのお菓子はエルレンテで流行している。貴族や庶民の間でも特別な日の贈り物にと重宝されていた。
(まあ、わたくしが食べたくて開発したのだけど!)
時折前世の味が恋しくなることもある。人間だれしもそれこそが偉大なる発明の動機だ。
「ネリキリは日持ちがしないのであまり他国には知られていません。だからこそエルレンテを訪れたからにはぜひ食べてもらわないと! 特注分は頼んでいますから帰りに受け取るつもりです」
「――ってことはお供はこれだね?」
「はい、察しの通りです」
この世界では紅茶が一般的な飲み物のようで、お茶会でも当然のように振る舞われる。けれどロゼが求めていたのは日本茶だ。ネリキリの完成と時を同じくして開発に着手していた。
手っ取り早い解決法は紅茶に使っていた茶葉を蒸してもらうことだった。店主に茶葉の製造について質問したところ、もみほぐしたり乾かすだけだと言う。ならばと試しに蒸してもらったところ同じ茶葉でも製造工程によって味に差が出ていた。それだけでもぐっと日本茶に近づく風味の茶葉を見つけられたのは運が良かったのだ。
改良に改良を重ね、その中でもこれだという品種を見繕う。あまり国民には馴染みのなかった銘柄のそれは、紅茶よりもネリキリに合うという理由から現在注目されていた。
(甘くてしっとりとしたあん。そして鮮やかな緑で目を楽しませ口の中に広がる渋めのお茶――)
ロゼブルのことを覚えているくらいだ、日本の味も身体に染みついていた。
「……ねえロゼちゃん。楽しそうなところ悪いんだけどさ」
店主が言い淀む。何か良くない話だろうか。
「まあ、遠慮なんていりません! わたくしはどんな些細なことでも気にせずに、気軽に話してほしいと思っています。それこそがわたくしの望む在り方ですから」
「ありがとね。実はさ、昨日茶葉を卸に行った先でね……変な奴らがいたのよ」
「変、ですか?」
「あたしの思い過ごしかもしれないんだけど、いかにも何か企んでいるというか、密談してるって雰囲気でね。なんか怖かったのよ」
「それはどこの卸し先でしょう?」
「マルクスんとこの宿だよ。まあ、あたしの気のせいかもしれないけどね」
「何か会話の内容が聞こえたり、その方たちに特徴はありましたか?」
「話しねえ……周囲には聞こえないように声を潜めてたからさ。顔は隠してなかったけど、これといって特徴は……五人とも全員男だったくらいしか。まあ、身なりは悪くなかったよ。どこかの民族みたいに奇抜な格好でもなかったし」
役に立てなくて悪いと申し訳なさそうに話すけれど貴重な情報に助けられたのはロゼだ。数日前から何者かがエルレンテに入り込んでいるとみて間違いないだろう。
「いいえ、教えてくれて助かります」
「どうってことないよ。こんな話、役人にしたところで門前払いだろ? けどあんたは馬鹿にせず訊いてくれるからね」
「わたくしがみなさんからの貴重な話に耳を貸さないわけがありません。マルクスさんのところにも顔を出してみますから、どうか安心してください」
「悪いねえ」
急いで茶葉の会計を済ませる。腰に下げている現代風ポシェットから布製のエコバックを取り出し本と一緒に詰めた。洋服の余り布を縫い合わせて作ったものだ。買い物のたびに植物で編んだ大きな籠を持ち歩くのはロゼにとっては邪魔なだけである。
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頼んでいたネリキリを受け取る前にマルクスの宿へ寄れば扉を開けるなり声が上がる。
「ロゼ! なんだこっちから出向こうと思ってたんだぜ!」
若い従業員はロゼの顔を見るなり走り寄った。
「何かありまして?」
「怪しい奴をみかけたら即報告、だろ?」
「頼もしいことです。わたくしもその話を訊きに来ました」
「昨日うちの宿を使ってた五人組は怪しい。それと多分だけど、あいつらアルベリスから来たんだと思う」
(アルベリス……)
やはりと納得している半面、憶測だけで決めつけてはいけないとも思う。
「何故アルベリスの人間だと?」
「決まってる! うちのこと小さな国だって馬鹿にしてたからな。あとは確か、もう時間がないとか……あんま役に立たなくて悪いな」
「いいえ、とても有益な情報でした。また何かあれば教えてください」
断片的な情報だが導き出される答えは良い類の訪問ではないと考えられる。
(エルレンテで密売でもするつもり? それなら時間がないというのはどういう……捜査の手が伸びているとか? そんな事件は訊いていないけれど警備に寄っておこうかしら)
相次ぐ不審者の目撃情報に不安が募る。悪事を働いている確証はないにしても、いずれ大きな事件へと発展しなければいいのだが。
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街に常設されている衛兵の詰所に足を運んだところ異常はないという。密売事件や摘発寸前の事件もないそうだ。事件といえば先日ロゼが捕まえたスリくらいである。
(平和なのはいいことだけど気になるわ……)
「ロゼ!」
詰所を出たところでロゼを呼び止めたのは同じく観光案内の活動に携わっているレナだった。けれど彼女の管轄は海辺のはず、それもロゼの姿を見つけて安堵しているにも見える。これらの状況が導き出す答えは――
「……事件ですか!?」
「あ! だ、大丈夫ですよ。喧嘩が発生したとかではありません。ただ私がどうしても気になって……仕事を抜けてしまいましたが、ロゼを探していたんです。詰所にいると聞いたので会えて良かった」
電話がないというのは不便なものだ。簡単にすれ違ってしまう。
「今日はいつもと順が違っていたので、あちこち探させてしまいましたね。急ぎの案件ですか?」
「貴女昨日、男の人と一緒でしたよね。あの、会議の時の……今日は一緒ではないんですね。良かった」
「良かった?」
「あの人たち彼のことを探しているみたいで」
「どういうこと!?」
「今朝、赤い髪に澄んだ青い瞳の男性を知らないかと訊かれたんです。特徴的な人でしたから私もよく覚えていて……あ、もちろん知らないと答えておきました!」
どうやら本格的にラゼットを連れてこなかったことは正解らしい。
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