十九、観光大使の仕事
オディールとは視察の成功を誓いあって別れた。常日頃からロゼの補佐として駆け回っている彼女だ、貴重な休みは家族と過ごしてほしい。
気を取り直して、まずは一軒目の視察から――
ロゼは市場へと足を踏み入れた。
早朝の市場では採れたての商品が入手出来ることから観光客にも人気となっている。加えて納品者に仕入れ業者も仕事のために入り混じるのでとにかく人で溢れている。
(活気があるのは良いことね。わたくしも負けられないわ!)
「おはようございます!」
どこでも元気な挨拶は基本だ。
「おっ、早いねぇ。今日も見回りご苦労さん」
「昔から早起きは特だと言われますもの。おかげでわたくしも素晴らしい野菜たちと出会えました。今朝のお野菜は色艶が格別ですね」
「だろ!? さっすがロゼちゃん、わかってるねー! エルレンテもやれば出来るってとこ見せてやらないとな! 農家のじーさんも張り切ってたぜ」
「有り難いことです。品評会が楽しみになりますね」
値段の変動もないようで問題なし。順調にエルレンテの生産率は上がっている。
次は果物の調査――
「これなら新鮮なジュースも栄養価たっぷりに仕上がりますね」
「おうよ! 露店用にも良いやつが回せそうだ」
「このまま食べても十分に甘みがありますね。そこもアピールしていきたいところです」
「だなっ! エルレンテの日当たりは抜群だからさ」
次は輸入雑貨を扱う店だ――
様々な文化が混ざり合うだけに前を通るだけで品ぞろえに目が留まる。異国の布地から外国語で書かれた絵本、そして――ロゼの前世である日本で愛用していた食器を想わせるものまで並んでいる。
(いつ見てもすごい品揃え……)
ロゼも圧倒されるばかりだ。
独特の香を焚いているようで、この辺りだけはフリージアやお菓子ではなくもっと別の……和風の香りが漂う気がするのだ。足を運ぶたびにどこか懐かしくもあり、お気に入りの店となっていた。
「こんにちは。良い品は入りまして?」
「ええ、ぜひ見てほしいわ。それで宣伝してもらえると有り難いねえ」
「はい、任されました」
「今日はアルベリス産の良い生地が手に入ったのよ」
「さすがに品質が違いますね。手触りも光沢も、一目で分かります。ところで値段の方は?」
「馬鹿高くもないし妥当なところかしらね。良い取り引きをしてくれてるよ」
「それは重畳」
一軒ずつ、自分の足で回る。異常がないことをこの目で確認する。戦争は目に見えなくても、小さなところから綻び始めるものだ。街の様子を、情勢を、人の表情から探っていく。
(次は花屋――)
そう思っていた矢先だ。花屋の方から声がかかる。
「ねえ寄ってかない? 特別にプレゼントするわよ」
「いいんですか?」
「美人さんに引き取られたら花も誇らしいでしょう」
「ぜひ飾らせていただきます。フリージアの開花も順調のようね」
「ベルローズの名物となれば気合も入るわ。そうだロゼちゃん、ドーラさんのところに産まれたの知ってる?」
「あのドーラさんでよろしくて?」
「そう、あのドーラさん……」
「……お知らせ感謝します。男の子かしら、それとも女の子?」
「どっちだと思う?」
「顔を合わせてからのお楽しみなのね。分かりました。わたくしからも様子を見に窺ってみます」
「ほら、あそこの――クロエはもう抱いたらしいわ」
クロエというのはここから斜め向かいの雑貨屋の店主のことだ。
「知らせてくれて助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。……気を付けてね」
花屋を出て少し歩いたくらいだろうか。また別の人間から知らせを受けた。
「なあ、ドーラの話は聞いたかい?」
「はい。親切な方が教えてくださいました」
「そうか、なら良かった。なんだい、早く会いたくてうずうずしてるのかい?」
「そう見えて? 心配には及びません。ちゃんとお祝いを準備してから向かうつもりです」
「そりゃよかった」
店主がホッと肩の力を抜くので苦笑してしまう。
(わたくしってそんなに怖いもの知らずに見えるのかしら……さて、どう対処したものかしらね)
背後に感じる何者かの気配。それはピッタリとついて離れない。明らかにロゼを標的としていた。
手鏡で様子を窺えば路地の間に身を隠し、黒いフードを被っているので見るからに怪しい。
(このままマルクスさんの宿に向かう予定だったけれど、余計なお客様を連れていくわけにもいかないわね)
何者か――いずれにしても街の住人たちに見破られている時点で尾行には馴れていない様子である。
(行く先々で知らせを受けたということはプロではない? それともバレたところで支障はないのか……)
立ち止まって本を読むふりをすれば、背後の気配もぴたりと足を止める。
(なんて煩わしいの! 確かに気配は隠しているし、素人にしては尾行の基礎を踏んでいるけれどノアに比べたらっ――)
心の声なので口に手を当てたところで意味はない。けれど誰に聞かれたわけでもないのがまた恥ずかしかった。
五年経ってもほとんど自然に口を突くほど彼のことが頭から離れない。別れ際の夜が、まるで昨日のことのように思い出されてしまう。
(……本当、わたくしってば重症ね。でも感傷に浸っている場合ではないのよしっかりなさい! 想定は常に最悪を――アルベリスからの密偵という可能性もある。わたくしがしっかりしななくてどうるすの!)
だとしたらローゼリアに用があるのか。いずれにしても親切に王宮まで連れ帰るわけにはいかない。
(おあつらえ向きなものをいただいていますし、向こうがプロでなければやりようはいくらでもある。ドーラさんのお家を使わせてもらうとして……)
潰さないように花を抱え直して歩けば、もちろん後ろの気配もついて来た。
~☆~★~☆~★~☆~★~☆~
「ただ今帰りました」
「おや……。お帰り」
白髪の女性はイスに座っていた。ゆったりとした服に身を包み、温かなひざ掛けの上で本を読んでいる。彼女こそが『あのドーラ』本人だ。
オディールの義理の母である彼女こと、あのドーラに子どもが生まれたというのは『不審人物がいるので注意せよ』との隠語である。
さらに不審者対策はロゼの帰宅挨拶からも始まっていた。
ドーラはオディールの紹介で訪ねてきたロゼを歓迎し、身元引受人を請け負ってくれた。いつでも訪ねて来るようにとも言われている。けれどそれはあくまで仮初の関係、ロゼは「お邪魔します」と訪ねるようにしていた。
ドーラにも不穏な気配ありという意図が伝わったのだろう。何事もなければ「いらっしゃい」と出迎えてくれるドーラも「お帰り」と微笑んでくれた。
(男か女かはわからない。クロエさん家の物陰に潜んでいたと……)
「お腹は空いてない? ちょうどスープの用意があるんだよ」
にこにこと笑みを携えたまま何食わぬ話題を選ぶドーラに、その演技力に感服した。
「わたくし良い時にお邪魔したようですね。そうだ、素敵なお花をいただきましたの! 花瓶を借りても?」
「ああ、その戸棚の下にあるよ。自由に使っとくれ」
そして止めの気遣いに脱帽した。武器にするなり何なりとご自由にである。
(オディールのお義母様はなんて頼もしいのかしら)
ロゼは汲み置きの水を花瓶に注ぐ。傍の窓を開けると勢いをつけ、外へ向かって水を撒いた。
バシャ――
「なっ――」
あっという間に不審者の濡れ鼠が完成だ。見事窓辺にいた人間に直撃し、頭から水を滴らせている。
「え――も、申し訳ありません!」
ロゼは血相を変えて狼狽える。もちろん演技だ。
(ええ、そう。そこにいるわよね? この家の中を見たいのならそこに立つしかないもの)
第一段階、成功。
「ああ、いや……ここにいた俺が悪いんだ。少し迷ってしまってな」
さすがに尾行していたとは素直に答えてくれないようだ。
ロゼはすぐに裏手へ回る。ところが彼は逃げずに佇んでいた。あまりのことに呆然と固まっていたのかもしれない。
(逃げずにいたということは切迫した状況ではない?)
「わたくしったらなんて失礼を!」
ならば顔を暴いてやろう。水をかけ合法的にフードを剥ぐ作戦だ。
「いや、心配には及ばない」
「します! わたくしのせいで風邪を引かせてはいけないもの、せめてフードだけでも乾かしますか――、ら…………」
揉み合ううちにフードは呆気なく、いや無情にも外れた。
ロゼは言葉を失くす。言葉が出ないとは今まさにこの瞬間を示すと思った。きっとこの時のために生まれてきたに違いない。
炎に愛されたような赤い髪は忘れようがない。一目見た瞬間から魅せられる、圧倒的な美しさがそこには在った。
(ラゼット――ラゼット・アルベリス!?)
ご存じ大国と名高いアルベリス帝国の皇子様である。そしてあろうことかロゼブル攻略対象の一人でもあった。
(ごめんなさいリーシャ……わたくしのせいでエルレンテ、詰んだかも……)
これが遺言にならないことを祈る。
区切るなら絶対ここ! という場面のため少々長くなっておりましたが、最後まで閲覧ありがとうございます。
ようやく乙女ゲーム要素が活躍する時がやってまいりました。攻略対象二人目の登場でございます。
彼の詳しい詳細は次回明かされますので、また次の更新でお会い出来れば幸いです。